『デッド・ドント・ダイ』:2019、アメリカ

田舎町のセンターヴィル。警察署長のクリフ・ロバートソンは部下のロニー・ピーターソンを引き連れ、森へ赴いた。隠れている世捨て人のボブに気付いたクリフは、「君が鶏を盗んだと通報があった」と呼び掛ける。ボブは悪態をついて発砲し、ロニーは銃を構えた。しかしクリフはロニーを制して、山を後にした。彼は通報した農夫のフランクをクズ野郎と呼び、ボブの犯行を怪しんでいた。彼は中学時代からボブを知っており、ずっと森に住んでいるが人家は襲わないと知っていた。
クリフとロニーがパトカーで移動している際、もう夜の8時を過ぎているはずなのに昼間のように明るかった。ロニーは時間を確認しようとするが腕時計は止まっており、「まずい結末になりますよ」と口にした。警察署にいる巡査のミンディー・モリソンから無線が入り、クリフは「外が変ですよ」と言われる。ミンディーが話している途中で、回線が切れた。ロニーが携帯を使おうとすると、充電しておいたはずなのに電池がゼロになっていた。
ラジオから歌が流れて来ると、クリフぱ聞いたことがあるな」と言う。ロニーがスタージル・シンプソンの『デッド・ドント・ダイ』だと教え、クリフが「なぜ聞き覚えが?」と首をかしげると「テーマ曲だから」と答えた。フランクがダイナーを去った後、テレビのニュースでは「極致での水圧破砕工事で地球の自転がズレた」という科学者の主張を政府が否定したことが報じられた。少年拘置所のジェロニモはステラやオリヴィアと話していたが、職員によって男子フロアへ連れ戻された。
ボビーが営むガソリンと雑貨の店には配達員のディーンが現れ、「自転軸がズレた」と一面で報じる新聞を渡した。ディーンはボビーに、レア物の古いSF雑誌をプレゼントした。ムーンライト・モーテルを営むダニー・パーキンスは、TVレポーターのポージー・フアレスが「動物の異常行動が続発している」と報じる速報を見た。フランクの家から愛犬が逃げ出し、農場にいた牛は全て姿を消していた。森を歩き回っていたボブは、牛が入っていくのを目撃した。
警察署ではマロリー・オブライエンの遺体が保管されており、翌日には検視官が引き取りに来ることになっていた。ダイナーからは常連客のハンク・トンプソンが去り、客のリリーがエヴァーアフター葬儀場を継いだ外国人女性のゼルダ・ウィンストンについて店員のファーンに話した。ゼルダは秘密の部屋を作って黄金の仏像を持ち込み、道着に身を包んで日本刀の稽古をしていた。その奥にある安置室では、遺体がわずかに動きを見せていた。
夜、墓地から2体のゾンビが這い出し、ダイナーへ向かった。2体はファーンとリリーを殺し、コーヒーを飲んで去った。翌朝、クリフはハンクの通報を受けてダイナーへ行き、ロニーとミンディーも駆け付けた。ロニーはクリフに、ゾンビの仕業だと告げた。旅行者のゾーイ、ジャック、ザックは車のガソリンが無くなったため、ボビーの店に立ち寄った。ゼルダがマロリーの遺体を引き取るために警察署へ行くと、ミンディーは既にFBIが搬出したことを伝えた。
クリフとロニーがモーテルの前でボビーと話していると、ゾーイたちがやって来た。ロニーはクリフの指示を受け、夜は外出しないようゾーイたちに警告した。クリフとロニーは墓地へ行き、ゾンビが這い出した2つの穴を発見した。クリフが「どうやってゾンビを倒す?」と尋ねると、ロニーは「首をハネるしか無い」と答えた。ボビーはディーンに、「ゾンビを殺すには首を切り落とすこと。それで動きは止まる」と説明した。
夜、墓地から大量のゾンビが出現し、町に向かった。フランクは家に来たゾンビを倒すが、ダニーは殺された。クリフとロニーは警察署へ戻り、ゾンビが現れたことをミンディーに話した。マロリーがゾンビとして蘇ったので、ロニーはナタで首を落とした。ゼルダはゾンビを倒しながら警察署に赴き、クリフに対処を訪ねた。クリフが「パトカーで巡回する」と言うと、ゼルダは残って監視する仕事を引き受けた。クリフ、ロニー、ミンディーがパトカーでモーテルへ行くと、ゾーイ&ジャック&ザックが死んでいた。3人はゾンビ化していなかったが、ロニーは全員の首を切り落とした…。

脚本&監督はジム・ジャームッシュ、製作はジョシュア・アストラカン&カーター・ローガン、製作総指揮は波多野文郎&フレデリック・W・グリーン、共同製作はキャリー・フィックス&ペイタ・カーネヴェイル、共同製作総指揮はピーター・ポスネ&マルセロ・ガンドラ、製作協力はアリエル・デ・セイント・ファル、撮影はフレデリック・エルムズ、美術はアレックス・ディガーランド、編集はアフォンソ・ゴンサウヴェス、衣装はキャサリン・ジョージ、音楽はスクワール、主題歌はスタージル・シンプソン。
出演はビル・マーレイ、アダム・ドライバー、ティルダ・スウィントン、クロエ・セヴィニー、スティーヴ・ブシェミ、トム・ウェイツ、ダニー・グローヴァー、ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ、セレーナ・ゴメス、オースティン・バトラー、ルカ・サバット、ロージー・ペレス、エスター・バリント、イギー・ポップ、サラ・ドライバー、RZA、キャロル・ケイン、ラリー・フェッセンデン、ロサル・コロン、スタージル・シンプソン、ジョディー・マーケル、シャーロット・ケンプ・ミュール、マヤ・デルモント、ジャヒ・ウィンストン、タリヤ・ウィテカー、ケヴィン・マコーミック、シド・オコネル。


『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』『パターソン』のジム・ジャームッシュが脚本&監督を務めた作品。
クリフをビル・マーレイ、ロニーをアダム・ドライバー、ゼルダをティルダ・スウィントン、ミンディーをクロエ・セヴィニー、フランクをスティーヴ・ブシェミ、ボブをトム・ウェイツ、ハンクをダニー・グローヴァー、ボビーをケイレブ・ランドリー・ジョーンズ、ゾーイをセレーナ・ゴメス、ジャックをオースティン・バトラー、ザックをルカ・サバット、ポージーをロージー・ペレスが演じている。
他に、ファーンをエスター・バリント、コーヒーを飲みに来るゾンビをイギー・ポップとサラ・ドライバー、ディーンをRZA、マロリーをキャロル・ケイン、ダニーをラリー・フェッセンデン、リリーをロサル・コロンが演じている。
他に、カントリー歌手のスタージル・シンプソンがギター・ゾンビ、ファッションモデルのシャーロット・ケンプ・ミュールがファッション・ゾンビとして出演している。

豪華な顔触れであることは、言うまでも無いだろう。
ビル・マーレイやアダム・ドライバー、ティルダ・スウィントン、クロエ・セヴィニー、スティーヴ・ブシェミ、トム・ウェイツ、ロージー・ペレス、エスター・バリント、イギー・ポップ、サラ・ドライバー、RZAといった面々は、過去にもジム・ジャームッシュ作品に出演している。
そこに今回は、セレーナ・ゴメスやキャロル・ケインといった面々が加わったわけだ。
ジム・ジャームッシュってアメリカ映画界の本流からは外れた場所にいる人だけど、多くの著名人から愛されているよね。

ロニーが「テーマ曲だから」と言うのが、一発目のギャグとして用意されている。
いきなりメタフィクションのギャグをやっている時点で、「この映画、つまらなくなりそうだ」と強く予感させる。そして残念ながら、その予感は的中してしまう。
厳密に言うと、その前にもロニーが「何か変ですね。まずい結末になりますよ」と言っており、これもメタフィクション的な台詞だと感じさせる。
ただ、ギャグではないので、そこはとりあえず除外しておこう。

ともかく一発目のギャグからメタフィクションなのだが、別に楽屋オチ的なネタを全面的に否定したいわけではない。作品によっては、そういうギャグが多く含まれていても効果的なケースや、全く問題の無い作品もある。
だけど、一発目からってのは無いわ。
これが例えば「ゾンビ映画のパロディー」として楽屋落ちのネタを用意しているなら、まだ分からなくもないのよ。
でも、そういうことじゃなくて、シンプルに「これはフィクションですよ」とアピールするだけのギャグだからね。

大まかな印象としては、「三文役者の出ていない三文芝居」、あるいは「有名人だらけのお遊戯会」といった感じだろうか。
出演者の面々が心から楽しんでいることは、ものすごく伝わって来る。ただ、そんな楽しさが画面の中だけに留まっており、見事なぐらいの内輪受けになっているのだ。
それも含めてジム・ジャームッシュ作品らしいと言えなくもないのよ。
だけど、今回は「くだらなくて笑える映画」を最初から意識して作っているので、内輪受けが「くだらないだけで笑えない」という結果に結び付いちゃってるのよね。

ジャンルとしてはホラー・コメディー映画なのだが、ジム・ジャームッシュ監督なのでストレートにゲラゲラと笑えるような作風ではない。
一応はオフビートってことになるんだろう。だけど、それよりも「シンプルに笑いの少ないコメディーに仕上がっている」ってのが現実だろう。
まずホラーの部分は、凡庸なゾンビ映画に収まっている。そこでの捻りや新鮮味は乏しい。
ジム・ジャームッシュ監督は昔からゾンビ映画が好きだったらしいので、「好きなジャンルを撮ってみた」ということなんだろう。
なので、「ジム・ジャームッシュがゾンビ映画を撮った」というだけの映画であり、それ以上の観賞価値を見出すのは難しい。

ゼルダが際立って個性的なキャラクターだが、ほぼ出オチに近い存在になっている。ゾンビ映画のパロディーやギャグとしてのキャラ造形になっているわけでもない。
それでも、ゼルダだけでなくクセの強いキャラを何人も登場させれば、そこでガンボ的な面白さが生まれた可能性はあったかもしれない。
だけどゼルダに匹敵するほどクセの強いキャラクターは、他に1人も見当たらない。
なのでゼルダの存在が浮いているし、おまけに充分に活用しているとも言い難いし。

ロニーが全く動じず、知っている人間が変貌したゾンビの首を淡々と切断していくってのは、上手く扱えばコメディーの軸に出来たかもしれない。しかし残念ながら、かなり雑な形で扱われている。
おまけに、ここにメタフィクションを持ち込んでいるんだよね。
クリフから「まずい結末になると言っていたな。なぜ確信が持てる?」と訊かれたロニーは、「実は台本を読んだので」と答えるのだ。つまり彼が落ち着き払っていたのは、台本を読んでいたのが理由ってことだ。
これは単に白けさせるだけで、何の笑いも生まないぞ。

ネタバレだが、終盤になって墓地に宇宙から巨大円盤が飛来し、それを待っていたゼルダが吸い込まれて姿を消す。そのデタラメっぷりはギャグになっておらず、ただ唖然とさせられるだけ。
しかも、これまたネタバレだが、そこを投げっ放しにするだけじゃなくて、その後は「クリフとロニーがゾンビの群れに囲まれる」というトコで終幕になっちゃうのだ。
そんな中途半端なバッドエンドを用意するって、どういうセンスなのよ。
バッドエンドを用意するにしても、明確な形で結末を描くべきだわ。ボビーやステラなど周囲のキャラも適当に放り出しているし、途中で面倒になったのかと言いたくなるぐらいの終幕だわ。

(観賞日:2023年12月3日)

 

*ポンコツ映画愛護協会