『天国の日々』:1978、アメリカ

ビルは鉄工所で働いていたが、不愉快な上司を殴って逃げ出した。彼と幼い妹のリンダは、汽車の屋根に乗って放浪の旅を続けていた。途中でビルの恋人であるアビーが加わるが、放浪生活は続いて。どこへ行っても、ビルはアビーを妹と紹介した。ある土地で3人が汽車を降りると、農場の麦刈り人を募集していた。ビルたちは複数の志願者と共に、農場へ移動した。作業員を案内した男は、農場主の家には誰も近付かないよう釘を刺した。
作業が続く中、農場主はアビーに目を留めた。ビルはアビーとの関係に気付いて揶揄した作業員に激昂し、喧嘩を吹っ掛けて制止された。アビーが作業中に麦をこぼすと、親方は「こぼしすぎだ。給料から3ドル引く」と冷たく告げた。ビルが憤慨して反抗すると、アビーが「やめて」と告げた。親方はビルに、「残りたければ、おとなしく働け」と言い放った。アビーが手を痛めていたので、ビルは農場主の定期検診に来た医者の車へ薬を盗みに行く。農場主が医者と話す声を耳にしたビルは、彼が病気で余命1年だと知った。
鳥を追って屋敷に接近したアビーは、農場主と遭遇した。農場主が「どこから?」と質問すると、アビーは「シカゴです」と言う。「この後は、どこへ?」という問い掛けに、彼女は「どこへでも。ワイオミングとか」と答えた。凍えるように寒くなった日、ビルは震えているアビーと体を寄せ合いながら「もう少しの辛抱だ。ニューヨークへ行こう」と告げた。「その後は?」とアビーが尋ねると、彼は「そこで落ち着く」と述べた。
麦刈りの作業が終わりに近付いた頃、農場主はアビーに「残る気は無いかな。収穫が終われば、仕事は楽になるし。給料は同じだけ出す。考えてくれ」と告げた。そのことをアビーから聞いたビルは、残るよう説いた。ビルの狙いを見抜いたアビーは、不快感を露わにする。しかしビルは悪びれることも無く、「惨めな生活にはウンザリだろ。俺たちで何とかするんだ」と述べた。アビーは農場主に、「ここに残ります。ただし、兄と妹も一緒に」と告げた。
アビーは農場主から求婚され、そのことをビルに明かす。ビルは「奴に金を使う時間は無い。2年もすれば大手を振って出て行ける」と言い、結婚するよう促した。アビーと農場主は結婚式を挙げ、新婚生活を始めた。2人が結婚したことを受け、ビルとリンダも働かなくて済むようになった。気楽な暮らしを満喫するビルだが、寂しさを感じるようになった。彼は深夜にアビーを寝室から連れ出し、ワインを飲んで抱き合った。朝まで眠ってしまったため、アビーは慌てて帰宅した。心配して捜していた農場主に、アビーは「眠れなくて散歩に出ていた」と嘘をついた。
農場主は親方から、ビルやアビーたちは胡散臭い。私には彼らがペテン師に見える」と告げられる。農場主は「君とは長い付き合いだが、余計な摩擦は起こしたくない。春の間、北の土地を任せる」と言い、距離を取らせることにした。親方はビルに「君の魂胆は分かってる」と告げ、農場を去った。1916年10月7日、ウィルソン大統領がパンハンドルを訪れた。ビルやアビーたちは、大統領の乗る列車が通過する時に手を振った。
農場主の病状は、まるで変わらなかった。ビルは苛立ちを覚え、狩りに出掛けた時は背後から密かにライフルを向けたほどだった。ビルやアビーたちが農場暮らしを始めて半年が経過した頃、飛行曲芸団が飛行機でやって来た。彼らの芸を堪能した夜、ビルはアビーを外へ連れ出した。2人がキスする様子を、農場主は目撃した。翌朝、農場主はアビーを起こし、「兄妹があんな風に触れ合うのか」と詰め寄った。ビルはアビーから「彼に何か言った?軽蔑されたわ」と言われ、「別にいいじゃないか」と軽く返した。アビーの様子を見ていたビルは、「奴が好きなんだな」と口にした。
ビルは「仕事を見つけた」という理由を付けて農場を去ることに決め、曲芸団の飛行機に同乗させてもらった。春になって農場へ戻った彼は、アビーに「俺が馬鹿だった。手遅れにならない内に去るよ」と告げる。しかし彼がアビーとキスする様子を、農場主が目撃していた。イナゴの大群が麦畑に襲来し、農場主は作業員に指示して駆除に奔走する。そこへビルが現れると、農場主は激しい怒りを向けた。農場主はビルに向けてカンテラを振り回し、誤って麦畑に火を放ってしまう…。

脚本&監督はテレンス・マリック、製作はバート・シュナイダー&ハロルド・シュナイダー、製作総指揮はジェイコブ・ブラックマン、撮影はネストール・アルメンドロス、編集はビリー・ウェバー、美術はジャック・フィスク、衣装はパトリシア・ノリス、音楽はエンニオ・モリコーネ。
出演はリチャード・ギア、ブルック・アダムス、サム・シェパード、リンダ・マンズ、ロバート・ウィルク、ジャッキー・シュルティス、スチュアート・マーゴリン、ティム・スコット、ジーン・ベル、リチャード・リベルティーニ、ダグ・カーショー、フレンチー・レモンド、サーブラ・マーカス、ボブ・ウィルソン、ミュリエル・ジョリフ、ジョン・ウィルキンソン、キング・コール他。


『地獄の逃避行』で長編監督デビューしたテレンス・マリックの第2作。
カンヌ国際映画祭の監督賞、アカデミー賞の撮影賞、全米批評家協会賞の監督賞と撮影賞など数々の映画賞を獲得している。
ビルをリチャード・ギア、アビーをブルック・アダムス、農場主をサム・シェパード、リンダをリンダ・マンズが演じている。
この作品を撮った後、テレンス・マリックはパリに移住して人々の前から姿を消し、1998年の『シン・レッド・ライン』まで監督業から離れることになる。

オープニングのシーンで、ビルは鉄工所の上司を殴って逃げ出している。しかし、その後に入るリンダの語りを聞く限り、それ以前から兄妹はホーボーとしての生活を続けていたように思われる。
ところが後半に用意されているビルと農場主の会話などからすると、どうやらビルは鉄工所を辞めてから放浪に入ったようだ。
だけど、それだとリンダの「以前は2人だけだった。3人になり、何かを求めてあちこちを渡り歩いた」というモノローグと整合性が取れなくなるぞ。
っていうか、鉄工所の事件があってからビルがホーボーになったとしても、それ以前からホーボーだったとしても、いずれにせよ冒頭の「ビルが上司を殴って逃げ出す」というシーンの必要性は乏しいように思える。いきなりビルたちが汽車で移動するシーンから入った方が、分かりやすいんじゃないか。
上司を殴るシーンを入れることで「ビルが短気で生意気な性格」ってことは示せるが、それは農場に到着してからのシーンだけでも充分に事足りるし。

リンダが語る最初のモノローグは、「私と兄さんは、以前は2人だけだった。何をするにも一緒で楽しかった」という内容だ。
ところが、すぐに「3人になり、何かを求めてあちこちを渡り歩いた」というモノローグが続き、ヌルッとアビーが加わっている。
ビルとアビーが出会って親密な関係になる経緯はバッサリとカットしているし、「以前は兄と2人だけで楽しかった」と言っていたリンダのアビーに対する感情も全く分からないままだ。
だったら「以前は2人だけだった」ってのは邪魔な情報でしょ。最初から「ビルとリンダとアビーが3人で放浪している」という形でスタートした方がいいでしょ。

っていうか、ホントは「ビルとアビーが出会って云々」の部分を描いた方がいいとは思うのよ。
ただ、そこを省略するにしても、せめてアビーに関する情報は、もうちよっと与えてほしいわ。
ビルとアビーが恋人同士ってのは、見ているだけでも理解できるのよ。
ただ、その2人の感情は見えて来ない状態になっている。だから、「ビルが農場主の恋心を利用するためにアビーを説得して云々」という展開にも悪影響が出てしまう。

ビルとアビーが心底から本気で惚れ合った関係だからこそ「ビルはアビーへの愛よりも裕福な生活を送りたいという欲の方を優先する」という人間の醜さや愚かしさが強く伝わるはずで。
最初からビルが軽い気持ちでアビーと一緒にいただけだとすれば、「そりゃあ欲のために利用するのは当然だろ」ってことになるわけでね。
そこの違いは、ものすごく大きいでしょ。
それを考えると、「貧困生活に対するビルの不満や苛立ち」という部分の表現も、まるで足りていないってことになるわな。

ビルたちが農場へ到着した後、リンダが若い女性と一緒に麦畑を歩きながら話している様子が描かれる。
だけど、その女性は何の前触れもなく急に登場するので、「そいつは誰なんだよ。いつの間にリンダは仲良くなったんだよ」と言いたくなる。
そこからカットが切り替わると、ビルとアビーとリンダが一緒にいる様子が描かれる。
短い暗転を挟んで、農場主が麦を食べて出来栄えを確認するシーン、神父の説法を作業員たちが聞いているシーン、そして作業をするシーンへと移って行くが、ものすごく散漫だわ。

農場主がアビーに好意を抱くシーンも、ものすごくボンヤリした描写になっている。
歩いているアビーに農場主が視線をやると、リンダの「彼女の何が農場主の目を引いたのだろう」という語りが入る。ところが、そこから農場主のターンにもアビーのターンにも入らず、ビルが馬鹿にした作業員に腹を立てて喧嘩をする様子に移行するのである。
それを挟んでから農場主が「あそこに黒髪の娘がいるだろう。何か知っているか」と質問する様子が描かれるが、誰に問い掛けているのか分からないし、返事も無いまま次のシーンになってしまう。
もう少し集中した方が良くないか。

どうやら雪が降っているらしいシーンが急に入るので、「収穫の時期だったんじゃないのか。いつの間に季節が飛んだんだ」と困惑してしまうが、次のシーンでは再び秋っぽい風景になっている。その寒そうなシーンは、ビルとアビーが軽く会話を交わしただけで終了する。
アビーが放浪生活を望んでいないような雰囲気は伝わるが、相変わらず散文的だ。
作業が終わる頃になって、「農場主は心が綺麗で、花を貰うと生涯大切にした。刻々と死に向かっていても、泣き言一つ漏らさない。私は彼が気の毒だった。守ってくれる人も、傍にいてくれる人もいない」などというモノローグが挿入されるが、それはタイミングが遅すぎるだろ。
あと、そういうのをモノローグだけで片付けるのは、あまりにも雑だわ。せめて、そういうモノローグを補足するための映像ぐらいは欲しいぞ。

農場主がアビーに惚れるのも、農場主の余命が1年なのも、とにかく全ての要素が浅薄だ。情報はフワフワと漂っているだけで、それをドラマとして定着させようという意識が乏しい。
また、「リンダの視点」が、まるで見えて来ない。
彼女の語りによって進行するんだから、本来であれば「ビルとアビーと農場主を中心とする人間模様をリンダが見て、感じて、そこに観客がシンクロする」という形になるべきだろう。
ところが実際は、リンダがいなくても問題なく成立するような状態なのだ。

ビルがアビーに農場へ残るよう促して「惨めな生活にはウンザリだろ。俺たちで何とかするんだ」と告げるシーンの後、リンダの「私たちはドン底の生活にウンザリしていた。兄さんは不運の連続から抜け出さねばと考えた。ある者には不足し、ある者には余っている。ならば両者が一緒になればいい」というモノローグが入る。
でも、リンダが語る内容は、ビルとアビーの会話シーンで伝わっていることなので、無駄な二度手間でしかない。
ただし「不運の連続」という部分に関しては、逆に全く見えなかった。裕福でないことは分かるが、「不運の連続」と言わせたいのなら、追い込み方が足りない。少なくとも、ビルに同情させるほどの苦しみは与えていない。
あと、アビーは農場に留まるよう説くビルに対して「貴方、変わったわね」と告げるけど、こっちからすると「変化する前のビルの姿を見ていませんけど」と言いたくなる。映画が始まった段階から、そういう奴だったようにしか感じない。

前述したように、リンダは農場主について「私は彼が気の毒だった。守ってくれる人も、傍にいてくれる人もいない」というモノローグを語っている。
しかしアビーが農場主と結婚して楽な生活を手に入れた後、「農場主の病状は変わらなかった。時々、医者が来て薬を置いて行った。それを捨ててしまえば良かったな。馬を殺す時のように」と、ものすごく残酷なモノローグを平気で語る。
それは違和感があるぞ。楽な生活を手に入れて、すっかり性格が歪んでしまったのかと。
シーンによって、ビルの心境を「リンダの気持ち」として語らせている印象があるんだけど、だとしたらダメなことをやっているよね。

アビーから「彼に何を言ったの?軽蔑されたわ」と言われた時、ビルは彼女の態度を見て「奴が好きなんだな」と口にする。
それに対してアビーは何も言葉を返さないし、リンダの「兄は悟った。アビーは農場主を愛している」という語りが入るので、それは事実という設定なんだろう。
だけど、それならビルが寝室や曲芸団のステージから外を連れ出した時、アビーが嬉しそうにしているのは矛盾するぞ。彼女が農場主を愛しているなら、もっと「申し訳ない」という気持ちを表現したり、揺らぎを示したりすべきだろう。
何の迷いも無くビルとイチャイチャする様子を描いているので、それで「アビーは農場主を愛している」と言われても受け入れ難いわ。

最後まで農場で物語を進めればいいものを、農場主に拳銃を向けられたビルが彼を殺してしまい、アビーとリンダを連れて逃亡する展開に移ってしまう。せっかく「農場」という1つの場所に限定して話を進めていたのに、それを台無しにしてしまう。
そんなトコに開放感とか絵変わりとか、まるで要らないし。
しかも、親方の率いる追跡隊にビルが殺された後、「アビーがリンダを寄宿学校に入れて列車で去る」「リンダは農場で仲良くなった女と再会し、寄宿学校から逃亡する」という、蛇足にしか思えない展開まで用意されている。
もうさ、ビルが農場主を殺した後、「逃げようとしたけど親方に見つかって殺される」という形にして、農場で話を終わらせればいいのに。

テレンス・マリックの指名を受けて撮影監督を務めたネストール・アルメンドロスは、出来る限り照明システムに頼らず、自然光を使って撮影している。
そしてマリックとアルメンドロスは、「マジック・アワー」と呼ばれる時間帯の映像にこだわった。
マジック・アワーとは、日が沈んだ後に残光が風景を照らし出す20分程度の時間帯を意味する撮影用語である。まるで魔法でも使ったかのように美しい光景が広がるため、そう呼ばれているのだ。
マリックとアルメンドロスは、そのマジック・アワーに撮影した映像によって作品の大半を構成している。

アルメンドロスが以前から決定していた別の映画でフランスに帰国した後は、ハスケル・ウェクスラーが後を引き継いだ。1日に約20分、その時間帯にしか撮影できないわけだから、スタッフも出演者も、かなりの忍耐を強いられたことだろう。
それぐらい、強いこだわりがあったということだ。
ただ、それは良く分かるけど、「だから何なのか」ってのが正直な感想だ。
美しい風景を捉えた映像を見たいだけなら、「映画」じゃなくてもいいわけで。
マジック・アワーの美しい映像を一番のセールス・ポイントにするのは一向に構わないが、それ以外に何があるのかってのが、「映画」としては重要なわけで。

(観賞日:2016年9月21日)


1978年スティンカーズ最悪映画賞

受賞:【最も苛立たしいインチキな言葉づかい(女性)】部門[リンダ・マンズ]

ノミネート:【最も苛立たしいインチキな言葉づかい(男性)】部門[リチャード・ギア]
<*『愛の断層』『天国の日々』の2作でのノミネート>

 

*ポンコツ映画愛護協会