『デイ・アフター・トゥモロー』:2004、アメリカ

アメリカ海洋大気管理局(NOAA)の気候学者ジャック・ホールは、仲間のフランク、ジェイソンと共に南極大陸での調査活動を行って いた。そんな中、氷に亀裂が入り、ジャックは危うく谷底に飲み込まれそうになった。棚山が割れて、沖へ流れ出したのだ。ニューデリー で行われた地球温暖化会議に出席したジャックは、温暖化によって海流が止まり、いずれ氷河期が到来するという予測を発表する。早急に 手を打つべきだと主張するジャックだが、米国のベッカー副大統領は莫大な費用を理由に真っ向から反対する。
会議の行われているニューデリーは、今までに無い寒波に襲われている。会議終了後、ジャックはスコットランドのヘドランド気象研究所 の所長、テリー・ラプソン博士から「詳しく話を聞きたい」と声を掛けられた。研究所に戻ったラプソンは、所員のデニスたちに会う。一方 、東京では大きな雹が降り注ぎ、人々を襲っていた。
NOAAの事務所に戻ったジャックは、上司のトム・ゴメスからベッカーを怒らせたことを注意される。ジャックは高校生クイズ大会に 参加する息子サムを迎えに行き、空港まで送っていく。サムはチームメイトのローラ、ブライアンと共にニューヨーク行きの飛行機に乗る。 サムの目当ては、クイズ大会ではなくローラだ。悪天候のため、飛行機は激しく揺れた。ニューヨークに到着したサムたちは、初日のクイズ に挑んだ。クイズ終了後、別のチームのJ.D.という男がローラに接近してきた。
ジャックの元にラプソンから電話があり、13度もの海面温度低下が複数の場所で発生していることを伝えてきた。ジャックが予想した以上 に、氷河期の到来は早く訪れるということだ。時を同じくして、ロサンゼルスでは巨大な竜巻が発生し、街を壊滅状態に陥れた。ジャック はNASAのハリケーン専門家ジャネット・タカダたちと協力し、新たな予測モデルの作成に取り掛かる。ジャックは数週間後に氷河期が 訪れると予測し、北部の州に避難命令を出すべきだとベッカーに報告するが、無視される。
ニューヨークが大雨に見舞われる中、サムやローラたちはJ.D.の家に身を寄せていた。サムたちは空港へ向かおうとするが、街は浸水して 大勢の人々が立ち往生していた。道路が全面的に通行止めとなる中、巨大な津波が街を襲う。サムたちは慌てて公立図書館へ逃げ込み、難を 逃れた。一方、ジャックは3つの嵐が発生したことにより、数日で氷河期が到来すると予測する・・・。

監督&原案はローランド・エメリッヒ、原作はアート・ベル&ホイットリー・ストリーバー、脚本はローランド・エメリッヒ&ジェフリー・ナックマノフ、 製作はローランド・エメリッヒ&マーク・ゴードン、 製作総指揮はウテ・エメリッヒ&ステファニー・ジャーメイン&ケリー・ヴァン・ホーン、撮影はウエリ・スタイガー、編集はデヴィッド ・ブレナー、美術はバリー・チューシド、衣装はレニー・エイプリル、音楽はハラルド・クローサー。
出演はデニス・クエイド、ジェイク・ギレンホール、イアン・ホルム、エミー・ロッサム、セラ・ウォード、ダッシュ・ミホク、ジェイ・ O・サンダース、タムリン・トミタ、ケネス・ウェルシュ、ネスター・セラーノ、ペリー・キング、 オースティン・ニコルズ、アージェイ・スミス、サーシャ・ロイズ、ロビン・ウィルコック、ジェイソン・ブリッカー、ケネス・モスコウ 、ティム・ハマグチ、グレン・プラマー、エイドリアン・レスター、リチャード・マクミラン他。


ラジオ番組司会者アート・ベルと作家ホイットリー・ストリーバーの共著『デイ・アフター・トゥモロー スーパーストーム〜世界が氷に 覆われる日』を基にした作品。
ジャックをデニス・クエイド、サムをジェイク・ギレンホール、ラプソンをイアン・ホルム、ローラを エミー・ロッサム、ジャックの妻ルーシーをセラ・ウォード、ジェイソンをダッシュ・ミホク、フランクをジェイ・O・サンダース、 ジャネットをタムリン・トミタ、ベッカーをケネス・ウェルシュ、ゴメスをネスター・セラーノが演じている。

共同脚本のジェフリー・ナックマノフは長編のシナリオを書くのが初めての人物だが、ちゃんとツボを心得ている。
彼が心得ているツボとは、ローランド・エメリッヒという人物のツボだ。
いかにスケールをデカくして、いかに大雑把にしておくかというツボを、しっかりと押さえている。 エメリッヒ監督も期待に応え、ツッコミどころの多い作品に仕上げている。
地割れ、乱気流、雹、竜巻、洪水、津波、吹雪など、派手でスケールのデカい自然災害がこれでもかと襲ってくる。その一方で、話は見事 に大雑把。「ニューヨークは氷河期になっちゃったけど、図書館で火を起こし続けたら生き延びたよ」という、ウソみたいな話である。
図書館全体が氷結して雪に埋もれているのに、火を起こした部屋はぐっすり眠れるほど暖かくなったらしい。
火を起こすだけで大丈夫なら他にも生存者はいそうなものだが、ぞうやら助かったのはサムたちだけのようだ。
奇跡だね。

図書館に留まった人々は、着の身着のままで避難したはずだが、どこからか防寒着や毛布を大量に用意してくる。ロシア船籍のタンカーは、 どうやったのか分からないが図書館前まで漂流してくる。船員がいるはずだが、生存者も死体も見つからない。かなり気温は下がっている はずだが、都合良くタンカーに隠れていたオオカミは凍死することもなく元気に襲ってくる。アメリカでは猛スピードで街が氷結するほど の氷河期になっているが、お隣のメキシコではピーカンの快晴だ。
サムは極度の寒さの中、手すりを素手で触っている。普通なら、そのまま手がくっ付いてしまうだろう。しかし考えてみれば、パニック 映画の傑作と言われる『タワーリング・インフェルノ』でも、ポール・ニューマンが火災で高熱を持っているはずの手すりを素手で触る シーンがあった。たぶん、それを踏まえてのオマージュなのだろう。
サムたちはジャックから電話で言われた通りに図書館で暖かくして助けを待つのだが、それだけでは話が退屈になってしまう。そこで話を 動かすために、前述した「タンカー漂流」という突飛な展開を用意する。そうやっておいて、ローラのための薬を取りに行ったり、オオカミに 襲われたりという自然災害とは直接の関係が無いところでトラブルを作り出す。

前半で複数の箇所にいる登場人物を描写しておき、後に待ち受けるパニックの中で彼らがいかに動くのかという部分で人間ドラマを描写 しようとするのは、ディザスター・ムーヴィーには良くあるパターンだ。この映画でも、前半の内にジャックやサム以外に、ラプセンの 研究所の所員、ルーシーが医者をしている病院のスタッフや患者、宇宙ステーションのクルー、東京の住人、ロサンゼルスの気象関係者 など、かなり多くの箇所にいるキャラクターを描写している。
しかし、その大半は、その場限りのキャラであったり、それ以降に出てきても「そこにいるだけで大した意味は無い」という扱いだったり する。サムと一緒に図書館に避難する連中でさえ、ほとんどは単なる数合わせ。ブライアンも浮浪者も、大した存在価値は無い。サムと J.D.との恋のライバル関係は、すぐに消滅する。
あと、フィラデルフィアの全寮制学校にいるというJ.D.の弟がどうなったのかは、最後まで分からない。

そして本作品は、世界的規模で発生しているスケールのデカい災害を、たった1組の父子の関係に集約してみせる。
その徹底ぶりは、ルーシーでさえも父子関係のドラマに入っていくことがないのを見ても良く分かる。
一応、ルーシーには救急車でなければ搬送できない 患者ピーターとの関係が用意されているが、「ただ待つだけ」であり、特にドラマらしいドラマがあるわけではない。そして、ルーシーが 待っている間にジャックやサムのことを思うことも無い。
父子の絆の深さを示すために、この映画は「ジャックが北部の人々を見殺しにして早々に仕事を放棄し、サムを助けるためにニューヨーク へ向かう」という筋書きにしてある。ジャックだけではなく、なぜかフランクとジェイソンも同行する。
つまり、彼らは大勢の人々を救うためではなく、たった1人の高校生を救うためだけに行動するのである。大勢の人々に関しては、彼らが勝手に(まあ政府の指示があるが) メキシコへ避難していく様子をチラッと見せるだけ。
ただし描写は無いが、多くの人は見殺しにされている。

冷静に考えれば、猛吹雪の中で車や徒歩によって移動するよりも、吹雪が収まるのを待ってからヘリコプターで向かった方がいい。例え 辿り着いても、そこから安全な場所まで連れて行く方法は無いのだから、ただ無駄に危険な場所へ突っ込んでいるだけだ。わざわざ行った ところで意味は無い。途中でフランクが死ぬが、完全に無駄死だ。
結果的には到着する直前に寒波が去っているが、それは予測していなかったことだ。運良く(というか御都合主義的に)吹雪が収まって いなければ、ジャックもサムと一緒に寒さを凌いで助けを待つ身になっただけのことだ。
それでも、ジャックは息子の元へ向かった。
この映画は、どれだけ専門的な知識があって状況を把握しているプロであっても、家族のことになると冷静な判断力を失い、パニック状態 に陥ってしまうものだという現実を描いた作品になっている……んじゃなくて、ただデタラメなだけなんだろうな、やっぱり。

 

*ポンコツ映画愛護協会