『ダーク・シャドウ』:2012、アメリカ&オーストラリア

1760年、バーナバス・コリンズ少年は父のジョシュアと母のナオミに連れられ、イギリスのリバプールからアメリカへと渡った。新天地で水産会社を立ち上げたジョシュアは、1年後には経営を軌道に乗せていた。事業の拡大と共に、彼が名付けた「コリンズポート」という町も発展していった。15年の歳月を費やし、一家の邸宅が完成した。だが、青年となったバーナバスが恋人のアンジェリークを振ったことが、一家の幸福な暮らしを終わらせた。アンジェリークは魔術を使ってコリンズ夫妻を殺害し、バーナバスの恋人となったジョゼットも自害に追い込む。バーナバスはヴァンパイアに変えられ、町の人々によって棺に閉じ込められ、地中に埋められた。
1972年、ジョゼットに瓜二つの女性が、すっかり没落したコリンズ家を訪れた。家庭教師の面接にやって来た彼女は、列車で思い付いた「ヴィクトリア・ウィンターズ」という偽名を使った。使用人のウィリー・ルーミスに招き入れられると、誇りまみれの広間では老メイドのジョンソン夫人が椅子に座って佇んでいた。壁にはバーナバスの肖像画が飾られていた。家長であるエリザベスは、現在の住人が自分とキャロリン、兄のロジャーと息子のデヴィッド、ウィリー、ジョンソン夫人、女医のジュリア・ホフマンの7人だと語った。
デヴィッドは母を5歳の時に亡くし、そのことを未だに受け入れることが出来ていない。彼の精神ケアをしてもらうため、ホフマンを連れて来たのだとエリザベスは説明した。彼女はヴィクトリアを採用し、家族に紹介した。キャロリンは反抗的な態度を取り、ホフマンは精神科医にも関わらずデヴィッドを突き放すような言動を見せた。与えられた部屋で荷物を片付けていたヴィクトリアの前にジョゼットの幽霊が現れ、「彼が来るわ」と告げた。
工事現場で土を掘っていた作業員たちは、鎖で厳重に縛られた棺を発見した。棺を開けた作業員たちは、目覚めたバーナバスによって血を吸われ、全員が命を落とした。コリンズ邸に赴いた彼は庭にいたウィリーを見つけ、術を掛けて下僕にした。バーナバスはウィリーから、今が1972年であることを知らされた。変わり果てた我が家に足を踏み入れた彼は、エリザベスから不審者扱いされる。そこでバーナバスは屋敷の仕掛けを動かし、秘密の通路を出現させた。
バーナバスはエリザベスを隠し部屋に案内し、そこにある財宝を見せた。そしてコリンズ家再興に協力するのと引き換えに、自分を家族の一員として屋敷に迎え入れて欲しいと持ち掛けた。エリザベスは「隠し部屋の存在を2人だけの秘密にする」という条件を提示し、その取り引きを承諾した。翌朝、エリザベスは家族の面々に、バーナバスを「イギリスから来た遠縁」として紹介した。水産会社が廃れていることを知ったバーナバスは、「自分が挽回する」と自信を見せた。彼はヴィクトリアを見て驚いた。
コリンズ家の水産会社が廃れたのは、アンジェリークの経営する水産会社「エンジェルベイ」に仕事を奪われていたからだった。そのアンジェリークは作業員11名が殺された事件を知り、すぐに何があったのかを悟った。彼女はコリンズ邸へ行き、バーナバスと会った。2人きりになっバーナバスは憎しみをぶつけるが、アンジェリークは「町の住民は私を尊敬しているわ」と勝ち誇った態度を示した。彼女はカーテンを開けて太陽光を部屋に入れ、その場を後にした。
バーナバスはエリザベスに、アンジェリークが魔女であることや、彼女との因縁を教えた。エリザベスは彼に、「コリンズ家を再興し、彼女に報復すべきよ」と告げた。バーナバスとエリザベスは屋敷を改修し、会社の再建に乗り出した。バーナバスはウィリーの紹介で漁師の元締めであるサイラス・クラーニーと会い、術を使ってエンジェルベイから寝返らせた。ホフマンはバーナバスに催眠術を掛け、彼がヴァンパイアであることを聞き出した。彼女に抗議されたエリザベスは軽く受け流し、内緒にするよう要求した。
バーナバスはヴィクトリアのことが気になり、キャロリンに情報提供を求める。キャロリンはヴィクトリアがカーペンターズを好んで聴いていることを教えた後、「彼女にアプローチしたければ、もっと大勢に意見を求めたら?」と告げた。バーナバスはヒッピーたちの輪に加わり、好きな女性に拒否されるのを恐れていることを語る。「愛こそ全て」と励まされ、彼は『ある愛の詩』の一節を思い出した。気の済んだバーナバスは、全員を抹殺した。
人間に戻りたいと考えたバーナバスから相談を受けたホフマンは、血液を採取した。アンジェリークはバーナバスに会社を売却するよう持ち掛け、高額の小切手を用意した。交渉を拒絶したバーナバスだが、アンジェリークに誘惑されて肉体関係を持った。バーナバスは町の人々を味方に付けるため、パーティーを開こうと考えた。キャロリンはアリス・クーパーをゲストに呼ぶよう提案し、バーナバスは承諾した。アリス・クーパーはコリンズ邸でライブを行うが、バーナバスは彼が女性だと勘違いしていた。
バーナバスはバルコニーでヴィクトリアと2人きりになり、彼女が両親に追い出されたことを聞かされる。両親が幽霊の見える彼女を頭のおかしな娘だと決め付け、精神病院送りにしたのだ。ヴィクトリアは脱走し、普通の生活がしたいと考えている時に家庭教師の募集を知ったのだった。ヴィクトリアは「ここで安らぎを見つけた」と話し、バーナバスにキスをした。招待されていないのにパーティーへ乗り込んでいたアンジェリークは、その様子を目撃して嫉妬心を燃やした。
早く人間に戻りたいと願うバーナバスは、ホフマンが若さを保つために採取した血を輸血しているのを目撃した。バーナバスは腹を立て、彼女の血を吸って殺害した。彼はウィリーに指示して小舟を出し、死体を湖に捨てた。バーナバスはロジャーがコリンズ家の財宝を捜していると知り、「息子の前で罪を認めて懺悔するか、屋敷を出て行くか」と選択を迫った。ロジャーは荷物をまとめ、息子を置き去りにして屋敷を出て行った…。

監督はティム・バートン、TVシリーズ創作はダン・カーティス、原案はジョン・オーガスト&セス・グレアム=スミス、脚本はセス・グレアム=スミス、製作はグレアム・キング&ジョニー・デップ&クリスティー・デンブロウスキー&デヴィッド・ケネディー&リチャード・D・ザナック、共同製作はカッターリ・フラウエンフェルダー、製作総指揮はクリス・レベンゾン&ナイジェル・ゴステロウ&ティム・ヘディントン&ブルース・バーマン、製作協力はデレク・フレイ、撮影はブリュノ・デルボネル、編集はクリス・レベンゾン、美術はリック・ハインリクス、衣装はコリーン・アトウッド、視覚効果監修はアンガス・ビッカートン、音楽はダニー・エルフマン。
主演はジョニー・デップ、共演はミシェル・ファイファー、ヘレナ・ボナム=カーター、エヴァ・グリーン、アリス・クーパー、ジャッキー・アール・ヘイリー、ジョニー・リー・ミラー、クロエ・グレース・モレッツ、ベラ・ヒースコート、ガリー・マクグラス、レイ・シャーリー、クリストファー・リー、アイヴァン・ケイ、スザンナ・カッペラーロ、ジョセフィン・バトラー、ウィリアム・ホープ、シェーン・リマー、マイケル・J・シャノン、ハリー・テイラー、グレン・メクステッド、ガイ・フラナガン他。


アメリカのABCで1966年から1971年に掛けて放送されたゴシック・ソープオペラ『Dark Shadows』を基にした作品。
バーナバスをジョニー・デップ、エリザベスをミシェル・ファイファー、ジュリアをヘレナ・ボナム=カーター、アンジェリークをエヴァ・グリーン、ルーミスをジャッキー・アール・ヘイリー、ロジャーをジョニー・リー・ミラー、キャロリンをクロエ・グレース・モレッツ、ジョゼット&ヴィクトリアをベラ・ヒースコート、デヴィッドをガリー・マクグラスが演じており、ロック・ミュージシャンのアリス・クーパーが本人役で出演している。
ティム・バートン監督とジョニー・デップのコンビは、これで8作目となる。

バーナバスが目覚めたのは1972年で、本人は「200年の眠りから覚めた」と言っている。
1772年であれば、まだアメリカは独立国家ではない。それなのに、目を覚ましたバーナバスは、そこが「イギリス統治下のアメリカ」ではないことに、何の反応も示していない(っていうか、そのことを彼が知るシーンも無いが)。
アンジェリークの言葉によれば実際は196年の眠りだったらしいから、だとすればバーナバスが呪いを掛けられたのは独立戦争の真っ最中になるが、それでもアメリカは独立前だ。
バーナバスが独立に賛同していたとしても、それを当然として淡々と受け入れるのではなく、むしろ独立していることに感慨を覚えるのではないか。
っていうか、独立戦争の真っ最中に、町の創設者の息子が魔女狩りで殺されたのかよ。そんなことで内輪揉めしてるような状況じゃねえだろ。

「主人公が別の時代にタイムスリップする」という展開がある場合、「主人公がカルチャー・ショックに驚いたり、始めての体験や道具に興奮したりする」とか、「周囲の人々が、見慣れぬ言動を取る主人公に困惑したり、振り回されたりする」というカルチャー・ギヤップで笑いを取りに行くのが定番だ。
しかし本作品では、そこを少しは使っているものの、そんなに膨らませようとはしていない。
それは主人公がヴァンパイアじゃなくても成立するネタなので、「バーナバスがヴァンパイアである意味」を考えれば、そこを重視しないってのは理解できる。
ただし問題は、「そこが一番面白い。っていうか、そこぐらいしか笑い所か無い」ということだ。

カルチャー・ギャップを使わないんだから、じゃあ他に何を使って笑いを取りに行くのか、どういう方向性で喜劇を構築するのかと思っていたら、ちっとも喜劇として弾けてくれない。
喜劇としての味付けが、病院食でも有り得ないぐらいの薄味なのだ。
だからと言って、「そんなに中途半端に喜劇テイストを入れるぐらいなら、いっそのことシリアス一辺倒でやった方がマシ」とは思わない。
この映画、どう考えても、コメディー作品にしないと面白く仕上がらない。

コメディー映画としてキツいのは、バーナバスの非人道的な行為(まあ人間じゃないんだから当たり前っちゃあ当たり前なんだが)が、ブラック・ユーモアとして昇華していないってことだ。
バーナバスが無関係な人々を無慈悲に殺害したり、ジョゼット(ヴィクトリア)を愛しているはずなのにアンジェリークと平気で浮気したり、そのくせ再び冷たく拒絶したりという行為は、単に不愉快なモノでしかない。
そして、そこが笑いに転化しないことによって、バーナバスが全く共感を誘わず、全く魅力の無いキャラクターになっている。
主人公が単に不愉快なだけの奴ってのは、映画として大きな痛手だ。

バーナバスはエリザベスに「父は家族が一番の財産だと言っていた。私も賛成だ」と告げ、一家のために動くことを約束する。
しかし実際はロジャーを追放したり、ホフマンを惨殺したりする。
ヒッピーたちは「仲間」として愛についてのアドバイスを与え、励ましたのに、バーナバスは全員の血を吸って抹殺する。
そういう「家族や仲間を大切にするはずが、実際は違う」というのが喜劇として転化していればいいが、ただ残虐なだけ。

血を吸われた人間はヴァンパイアになるはずなのに死んでいるし、そのくせジョゼットだけはヴァンパイア化する。
だったらバーナバスは喉の渇きを潤すために血を吸った時、なぜ大勢の人々を殺したんだよ。「ヴァンパイアとして生き続けるより、死なせてやった方がいい」ということでもあるまいし。っていうか、そうだとしても不愉快だし。
その気になれば輸血パックで血を補給することも出来るはずだから、最初の作業員たちはともかく、ヒッピーに関しては殺す必要性が全く無い。
バーナバスに大量殺人をやらせる意味がサッパリ分からん。それをプラック・ユーモアとして描いているつもりなんだろうけど、笑えないって。

キャラクターの配置や扱いは、バランスが非常に悪い。
本来ならヒロインはヴィクトリアであるはずなのだが、かなり存在感が薄くなっており、アンジェリークが実質的なヒロインと化している。
1972年の物語は「ヴィクトリアが家庭教師としてコリンズ邸で暮らし始める」というところからスタートしているのに、彼女を中心とした物語はジョゼットの幽霊が出現したところで終了する。
バーナバスが復活すると、ヴィクトリアはエリザベスよりも影が薄くなってしまう。

肝心のヴィクトリアでさえマトモに描写できていないのだから、他の面々に関しては言わずもがな、である。
まずヴィクトリアが屋敷に来た時にコリンズ家の人々を紹介する手順があるが、それは「こういう面々が住んでいます」という表面的な紹介に過ぎない。
その後、バーナバスが復活し、彼がコリンズ家の人々と交流するドラマが描かれるのかと思いきや、コリンズ家の再興に向けた行動が開始される。
でも、じゃあ会社再興に向けての動きや、それを阻止しようとするアンジェリークとの攻防が描かれるのかと思ったら、フラーニーを引き抜いたところで終わってしまう。
だからと言って、そこからコリンズ家の面々との交流が充実するわけでもない。

ぶっちゃけ、主要なキャラクターとしては、バーナバスとアンジェリーク、エリザベスとウィリーがいれば、ほぼ事足りてしまう内容になっている。
せっかく「風変わりな人々」としてコリンズ家の面々を配置しているのに、それを全く活用していない。ジョンソン夫人なんて、いてもいなくても別に構わない程度の存在。
キャロリンは本筋に全く絡まず、終盤になって唐突に「実は狼少女でした」という事実が明らかになる。なんだ、そりゃ。
しかも、狼少女に変身して活躍するわけでもなく、あっさりとアンジェリークに倒される。ずっと弱々しかったデヴィッドは終盤になって急に強気な態度を取り、アンジェリークと対峙する。そして母親の幽霊が唐突に出現し、特殊の力でアンジェリークを吹き飛ばす。
なんだ、そりゃ。

バーナバスがヴィクトリアと結ばれて、まるでハッピーエンドのような決着にしてあるけど、そりゃ違うだろ。
バーナバスが本気で愛していたのはジョゼットであり、ヴィクトリアは彼女の子孫であるものの、生まれ変わりでも何でもないはず(最後に「ジョゼット」と言うけど、「私はジョゼット」という意味なら憑依されているだけだ)。
だから「愛した女の血筋を引いている瓜二つの女と結ばれました」というのは、ちっともハッピーエンドじゃないでしょ。それは血縁者をジョゼットの身代わりにしているだけだよ。しかも呪われた彼女の身投げを止めることが出来ず、ヴァンパイアにしちゃってるし。
それでも恋愛劇に関しては、とりあえず着地はさせている(まあ明らかに不時着なんだが)。
しかし「没落したコリンズ家の再興」という部分に関しては、失敗したままで放り出されている。
ダメじゃん。

(観賞日:2014年1月7日)

 

*ポンコツ映画愛護協会