『ダークナイト』:2008、アメリカ&イギリス

道化マスクの強盗団が、ゴッサム・シティーの銀行を襲撃した。ボスのジョーカーから個別に「用済みになった奴は殺せ」と指示されていた彼らは、仲間を裏切って始末していく。最後に残った一人が、ボスのジョーカーだった。彼は銀行に預けられていたマフィアの金を奪い、支店長の口に手榴弾を詰め込んで立ち去った。一方、立体駐車場では麻薬の取引が行われていた。そこにバットマンが現れて銃を乱射するが、それは偽者だった。本物のバットマンが現場に現れ、売人たちを叩きのめす。バットマンは自分に成り済まして街を守ろうとした偽者と仲間たちを冷たく突き放し、その場を去った。
ゴードン警部補はバットマンの訪問を受け、5つの銀行がマフィアのマネーロンダリングに関与していることを語る。彼は襲われた銀行の監視カメラの映像をバットマンに見せた。そこにはジョーカーの姿が写っている。ゴードンはバットマンに、新しい検事が着任したことを告げる。新任のハーヴェイ・デント検事は正義の魂を持つ男で、街から犯罪を根絶しようと情熱を燃やしていた。そんな彼のサポートを担当する地方検事補は、ブルース・ウェインの幼馴染であるレイチェル・ワイズだ。
デントはイタリアン・マフィアの親分であるマローニを検挙し、裁判に掛けていた。しかし検察側証人だった男が急に証言を翻したため、マローニは釈放となってしまった。しかしデントは次のチャンスがあると考え、全くめげなかった。ゴードンの訪問を受けたデントは、マネーロンダリングの捜査に協力することを約束する。ただし彼は、ゴードンの部下が汚職にまみれた連中ばかりであることを問題視した。しかし汚職警官を一掃されるとゴードンは捜査の人手が足りなくなるため、そこではデントの考えの相違があった。
ウェイン・エンタープライズはラウ・ファンド社との合弁事業を推し進めており、そのためにラウ社長を招いていた。しかしブルースはCEOのルーシャス・フォックスからラウ・ファンド社の成長に裏があることを聞かされると、すぐに事業の取り止めを指示した。その夜、デントとレイチェルがレストランで食事をしていると、ブルースがボリショイ・バレエ団のプリマであるナターシャを伴って現れた。彼はバットマンの必要性を口にしたデントに、資金集めのパーティーを開くことを申し出た。
裏社会のボスたちが集合し、バットマン対策を話し合うための会議を開いた。テレビ電話で会議に参加したラウは、金を自分に預けるよう持ち掛けた。そこへジョーカーが現れ、「資金の半分を渡せばバットマンを殺してやる」とボスたちに告げる。黒人ギャングのギャンボルが強い敵対心を示すと、ジョーカーはコートをはだけて吊り下げてある手榴弾を見せた。彼は「気が変わったら連絡してくれ」とメモを渡し、その場を去った。
ラウが香港に逃亡した後、バットマン、デント、ゴードンが集まって話し合う。3人とも、中国政府がラウの身柄を引き渡すことは無いだろうと考えていた。そこでバットマンは、自分がラウを拉致してゴッサム・シティーに連れ戻すことをデントとゴードンに告げた。翌日、ブルースはルーシャスに、香港へ行って合弁事業の取り止めをラウに伝えるよう命じた。すぐにルーシャスは、その裏にある本当の狙いを理解した。
ブルースはナターシャとのバカンスをアリバイ作りに使い、香港へ向かった。ルーシャスはラウ・ファンド社に赴き、密かに建物のデータを入手する。夜になり、バットマンはラウ・ファンド社に侵入してラウを拉致した。バットマンはラウをゴッサム・シティーへ連行し、縛り上げた状態で警察署の前に放置した。ゴードンはデントの承諾を得て、ラウを市警本部に留置した。ラウが捕まったことを知った裏社会のボスたちは、ジョーカーを雇ってバットマンを始末することにした。
デントは549人のマフィアの一斉に検挙し、市長の警告を受けても全く気にしなかった。2人が市長室で話していると、窓の外にロープで吊るされた死体が降って来た。それはバットマンの真似をしたブライアンという一般市民だった。ジョーカーはテレビ電波をジャックし、「バットマンがマスクを取って正体を明かすまで、市民を殺していく」と宣言した。ブルースはデントの資金集めパーティーを開いた。彼はレイチェルの前で、「デントはマスクを被らずに悪党を退治できる素顔の英雄だ」と語った。
ゴードンは部下のラミレスから、ジョーカーが死体に残したカードからサリロ判事、ローブ市警本部長、デントのDNAが検出されたことを知らされる。ジョーカーが3にんを殺すつもりだと確信したゴードンは、すぐに警備を命じる。しかしサリロは車に仕掛けられた爆弾で死亡し、ローブは酒に混入された毒物で死亡した。ゴードンから連絡を受けたブルースは、デントを避難させた。パーティー会場にはジョーカーが現れ、レイチェルを見つけて暴行する。そこへバットマンが現れると、ジョーカーはレイチェルをビルの外へ投げ捨てた。バットマンはレイチェルを追い掛け、墜落寸前で救出した。
ルーシャスは会計担当のコールマン・リースから、会社が極秘でバットマンのために支出していることを指摘される。リースはブルースがバットマンだと確信し、高額な口止め料を要求するが、ルーチャスは拒絶した。ジョーカーは市民を殺害し、現場に市長の殺害を宣告するメッセージを残した。ローブの葬儀で弔辞を読んだ市長は、儀仗兵に化けたジョーカーの一味に狙われる。しかしゴードンが一味の動きに気付き、咄嗟に市長を庇って押し倒した。
レイチェルは心配するデントからの電話を受け、ブルースのペントハウスへ避難することを告げた。バットマンはデントに「記者会見を開いてくれ」と頼み、マスクを脱ぐ決心を明らかにした。翌朝、デントは記者会見を開き、「バットマンの正体は私だ」と述べた。彼は警官に手錠を掛けられ、護送車に乗せられる。車が走っていると、ジョーカーの一味が襲撃してきた。バットマンはバットモービルで現場に駆け付けるが、激しいダメージを負う。バットマンはバットポッドで脱出し、ジョーカーたちを追跡した。
バットマンはジョーカーの乗ったトレーラーを転覆させ、這い出した彼に目掛けてバットポッドを走らせる。しかし「ひき殺してみろ」と挑戦的に言うジョーカーに突っ込むことが出来ず、避けた勢いで転倒してしまった。バットポッドから落ちて気絶したバットマンに、ジョーカーが近付いて馬乗りになる。そこへSWATに化けていたゴードンが現れ、ジョーカーに銃を突き付けた。ジョーカーはゴードンに逮捕され、市警本部の留置場に入れられた。
ゴードンはデントとレイチェルが失踪したと知らされ、ジョーカーを取り調べる。しかしジョーカーが何も喋らないため、ゴードンはバットマンに取り調べを交代する。バットマンが激しい暴行を加えると、ジョーカーは余裕の態度でデントとレイチェルを誘拐したことを明かす。そして、2人を別の場所に監禁していること、時限爆弾が仕掛けられているので一人しか救うことが出来ないことを語る。ジョーカーは「一人しか救えない。どちらかを選べ」と不敵に言い放った。
バットマンはデントの救出を選び、彼の監禁されている場所へ向かった。バットマンがデントを救い出した直後、その背後で爆発が起きた。デントとレイチェルは、すぐ近くに監禁されていたのだ。爆風を浴びたデントは、顔の左半分に大火傷を負った。一方、バットマンやゴードンたちが出動した直後、ジョーカーは留置場を爆破して市警本部から逃亡した。入院したデントは痛みを抑える薬を服用せず、皮膚の移植も拒否した。ゴードンが見舞いに訪れると、デントは「警察に内通者がいる。だからレイチェルは殺された」と激しく非難した。デントを拉致した犯人が部下のワーツだったため、ゴードンは反論できなかった。
ゴードンはジョーカーを雇ったことを後悔しているマローニから、彼の居場所を知らされる。ジョーカーはボスたちから手に入れた大金を倉庫に積み上げ、そこに火を放った。リースはテレビ番組に出演し、バットマンの正体を明かそうとする。ジョーカーは番組をジャックし、「1時間以内にリースが死ななければ、市内の病院のいずれかを爆破する」と宣告した。大勢の市民はリースを抹殺するため、テレビ局に押し寄せた。リースは警察の保護を受け、何とか脱出する。ブルースは現場に駆け付け、市民からリースを守った。
ジョーカーはデントの病室に現れ、挑発的な言葉を並べた。彼は自分の額に拳銃を当てると、引き金を引くようデントに促した。しかしデントが発砲しなかったため、ジョーカーは外に出て病院を爆破した。ジョーカーはテレビ電波をジャックし、「ゲームに参加しろ。それが嫌ならゴットム・シティーから出て行け」と市民に通告する。避難を選んだ大勢の市民が、フェリーのリバティー号に乗り込んだ。一方、市警察は囚人を護送するため、スピリット号に乗船させた。
バットマンはルーシャスに、ゴッサム・シティー住民の全ての通信機器を傍受し、ジョーカーの居場所を突き止めるよう依頼した。その頃、リバティー号とスピリット号では停電が発生していた。乗組員が船底を調べると、そこには大量の爆薬と起爆装置があった。その時、船内スピーカーからジョーカーの声が流れてきた。ジョーカーは船の人々に対し、双方には別の船の起爆装置が積んであることを教える。午前12時までにどちらかの起爆装置が押されない限り、2隻とも爆破される。起爆装置を押せば、片方は爆破されるが、起爆装置を押した船は助かるというのだ…。

監督はクリストファー・ノーラン、キャラクター創作はボブ・ケイン、原案はクリストファー・ノーラン&デヴィッド・S・ゴイヤー、脚本はジョナサン・ノーラン&クリストファー・ノーラン、製作はエマ・トーマス&チャールズ・ローヴェン&クリストファー・ノーラン、製作協力はジョーダン・ゴールドバーグ、製作総指揮はベンジャミン・メルニカー&マイケル・E・ウスラン&ケヴィン・デ・ラ・ノイ&トーマス・タル、撮影はウォーリー・フィスター、美術はネイサン・クロウリー、編集はリー・スミス、衣装はリンディー・ヘミング、視覚効果監修はニック・デイヴィス、特殊効果監修はクリス・コーボールド、音楽はハンス・ジマー&ジェームズ・ニュートン・ハワード。
出演はクリスチャン・ベイル、マイケル・ケイン、ヒース・レジャー、モーガン・フリーマン、ゲイリー・オールドマン、アーロン・エッカート、マギー・ギレンホール、モニーク・ガブリエラ・カーネン、ロン・ディーン、ネスター・カーボネル、チン・ハン、エリック・ロバーツ、リッチー・コスター、アンソニー・マイケル・ホール、キース・ザラバッカ、ジョシュア・ハート、メリンダ・マックグロウ、マイケル・ジェイ・ホワイト、ベアトリス・ローゼン、キリアン・マーフィー、コリン・マクファーレン、ネイサン・ギャンブル、マイケル・ヴュー、マイケル・ストヤノフ、ウィリアム・スマイリー、ダニー・ゴールドリング、マシュー・オニール他。


『バットマン ビギンズ』に続くクリストファー・ノーラン監督の「バットマン」シリーズ第2作。
脚本はクリストファー・ノーランと弟のジョナサン・ノーランが担当。
ブルース役のクリスチャン・ベイル、アルフレッド役のマイケル・ケイン、ルーシャス役のモーガン・フリーマン、ゴードン役のゲイリー・オールドマン、スケアクロウ役のキリアン・マーフィー、ローブ役のコリン・マクファーレンは、前作からの続投。
他に、ジョーカーをヒース・レジャー、デントをアーロン・エッカート、レイチェルをマギー・ギレンホール、ラミレスをモニーク・ガブリエラ・カーネン、ワーツをロン・ディーン、ラウをチン・ハン、市長をネスター・カーボネルが演じている。

152分という尺は、ヒーロー映画としては長すぎる。だが、一方で慌ただしいとも感じる。
ってことは、そもそも話を詰め込みすぎているってことだ。
デントがトゥーフェイスになって犯罪に走るという辺りは、続編に回しても良かったのではないか。
そこを削るとバットマンがダークナイトと呼ばれる由来を描けなくなってしまうが、そもそも「市民がデントを正義の騎士だと思い続けるように、バットマンが彼の罪を被ってダークナイトになる」という展開自体、「なんだ、そりゃ」と思ってしまうんだよなあ。

多くの観客や評論が本作品を絶賛し、高く評価していることは知っている。
だが、私はどうしても、この映画を好きになれない。
それはクリストファー・ノーラン監督に、『バットマン』という作品やジャンル映画に対する愛を感じないからだ。
タイトルから「バットマン」の名前を排除している段階で、もう気持ちが萎えてしまう。
前作の批評でも触れたように思うが、この人は、自分の考えたテーマを表現し、メッセージを主張するために、バットマンを利用しているように思えるのだ。

「ダークナイト」というのは、フランク・ミラーがコミックを執筆する時に考案したバットマンの異名だ。
だから、原作ファンからしてみれば、バットマンという冠が外れても、「ダークナイト」というだけで、それがバットマンを意味する言葉だということは理解できるだろう。
しかし、だからと言って、そこまでファンだけに観客層を限定したようなタイトルの付け方には納得しかねる。
っていうか、クリストファー・ノーラン監督が「ファンだけに向けた作品」ということを意識して、そのタイトルを付けたとも思えんが。

『ダークナイト』というタイトルを付けたのであれば、フランク・ミラーが定義したバットマン像を描き出すべきだと思う。
だが、こんな情けないだけのバットマンを、フランク・ミラーは「ダークナイト」として定義したのだろうか。
バットポッドで突っ込むバットマンにジョーカーが「ひき殺せ」と叫んで立ちはだかった時、それにビビったバットマンが避けて転倒して気絶するって、どんだけ情けないのかと。
そんなに弱いと、前作との整合性も取れないぞ。何かの弾みで、急に情けない奴になっちゃったのか。

「ヒース・レジャー演じるジョーカーが完全にバットマンを食っている」と評する人も多いようだが、そういう印象を受けるのは当たり前だろう。
そもそも、ジョーカーと比較せずにバットマンだけを見ても、精彩を欠いているのだ。
ようするに、ジョーカーが凄かったから主役を食ったわけじゃなく(ヒース・レジャーの怪演が素晴らしいことは確かだが)、バットマンが情けないのだ。
これまでにバットマンは多くの悪党と戦ってきたはずなのだが、その中にサイコパスな犯罪者は1人もいなかったのだろうか。そうとしか思えないぐらい、バットマンはジョーカーに対して脆すぎる。
「まるで高木ブーのようじゃないか」と言いたくなるぐらいに無力だ。

この映画はアクションシーンが多いが、バットマンが多くの「アクション」を起こしているわけではない。彼はジョーカーに翻弄されて、ずっと「リアクション」をしているのだ。
そりゃあ、常に先手を取ってアクションを起こしているジョーカーの方が目立つのは当然だ。
基本的な構造が「ジョーカーがメイン」として作られているのだ。
そのくせ、バットマンの出番は主人公としての尺が与えられているので、「情けない姿をさらけ出してばかり」ということになってしまうわけだ。

「バットマン」シリーズのスピンオフとして、ジョーカーを主役とした映画を作ったというわけではない。これはクリストファー・ノーラン版「バットマン」のシリーズ2作目として作られているはずだ。
だったら、悪役が強烈な存在感を発揮するのは構わないが、やはり主役であるバットマンにはヒーローとして活躍させるべきなのだ。
ところが、これはヒーロー映画ではなく、クライム・ムービーになってしまっている。
『バットマン』のシリーズで、ヒーロー映画の文法から完全に外れるってのはダメでしょ。

ティム・バートン監督の『バットマン』も、キャスティングの部分だけでなく、ジョーカーの方がバットマンより遥かに強烈な存在感をアピールするという歪な仕上がりになっていた。
ただし、あの映画の場合、ティム・バートンのフリークスに対する強い思い入れがあったために、そういう仕上がりになったのだ。
それは偏った思いだが、少なくとも愛があった。
クリストファー・ノーラン監督には、そういう「愛」が感じられないのだ。

ジョーカーのメイキャップがボケたり落ちたりしている描写があり、彼が怪人ではなく、生身の人間であることをアピールしている。
でも、ヴィランを「普通の人間」として描いてしまうと、ハイテク装備で戦うバットマンとのパワーバランスがおかしくなる。
バットマンって、普通の人間を相手にしているのに、ハイテク装備を使いまくらないと歯が立たないぐらい弱いってことになってしまうぞ。
あと、ジョーカーを「生身の人間」として描いているのに、有り得ないようなタフネスや行動力を発揮しているのは、どうなのよ。運転しているタンクローリーが猛スピードのまま引っくり返っても、ノーダメージでピンピンしているのは、普通の人間じゃないでしょ。
それと、ずっと道化メイクをしている奴が、誰にも気付かれずに儀仗兵に化けて式典に紛れ込むとか、病院へ潜入してナースに化けるとか、そういうのも無理があると感じるし。

あと、簡単に手下を殺してしまうようなジョーカーに、どうして大勢の手下が従っているのか、それも良く分からないんだよな。
後半には大金を手に入れたのに燃やしてしまうシーンもあるが、それを見ても手下は全く慌てず、忠誠心を保ち続けるんだよね。
ジョーカーに付いて行って、そいつらに何の得があるんだろうか。
手下たちのモチベーションがどこにあるのか、サッパリ分からない。

リアル志向が強すぎて、「主人公がバットマンじゃなくて、生身の姿で活動しているキャラの方がいいんじゃないか」と思ってしまう。
アメコミ映画にリアルな手触りを持ち込むことが全てダメってわけじゃないが、その度合いが強すぎる。あまりにもリアルな世界観を構築しすぎると、バットマンやジョーカーといった荒唐無稽なキャラクターが浮き上がってしまい、乖離現象が生じてしまう。
原作コミックでもリアルな世界観が持ち込まれる作品が発表されているのだが、漫画やアニメだと普通に受け入れられても、これが実写化されると許容のハードルが上がるという現象が、時に起きるのだ。
漫画やアニメの場合、その「漫画」「アニメ」という媒体自体が、「そういうのも有りかな」と思わせる力を持っているのだ。
それと、バットマンやジョーカーをリアルなキャラとして造形しようとしているようだけど、ヒーロー映画における「リアル」と犯罪映画の「リアル」を混同しているように思えるんだよね。

もう少し荒唐無稽を強めにしておかないと、色々と支障が出て来る。
例えば、前述したように、ジョーカーには手下たちがいる。つまり組織のボスになっているわけだ。
その組織も少数ではなく、大勢の儀仗兵に化けるとか、二隻の船に幾つも爆弾を仕掛けるとか、その辺りから考えると、かなりの手下を率いているということになる。
でも、ジョーカーみたいなタイプのイカれた凶悪犯って、相棒ぐらいは見つけられるかもしれないが、何人もの忠実な手下を抱えるのは無理だと思うのよ。

「正義が悪を強大化させてしまう」「正義と悪は表裏一体」といったテーマは、実は犯罪映画においては、これまでも使われてきたモノだ。だから、取り立てて目新しさがあるわけではない。
この映画が高く評価された要因の一つは、それを『バットマン』というアメコミヒーロー映画の中で描いたことに、観客が新鮮味や驚きを感じたということがあるのかもしれない。
ただし前述したように、監督は本作品をヒーロー映画として撮っていない。ヒーロー映画の中でテーマを消化せず、犯罪映画として撮っている。
そうなると、「そんなに目新しいものではないんじゃないか」ってことになる。

結局、バットマンは最後までジョーカーに勝てていないんだよな。
フェリーの事件にしても、「どちらの船の代表者も起爆装置のスイッチを押さなかった」という「市民の勝利」になっている。
そこでバットマンが完全にカヤの外って、じゃあ彼の存在意義って何なのよ。
あと、バットマンは自分の正体を知っているジョーカーを生かしたままにしているが、そうなると「脱獄したジョーカーがバットマンの正体をバラす」ということも考えられるのに、それでいいのか。

(観賞日:2012年7月3日)

 

*ポンコツ映画愛護協会