『Disney's クリスマス・キャロル』:2009、アメリカ

スクルージ&マーレイ商会の経営者であるスクルージは、葬儀屋を訪れていた。共同経営者のマーレイが死んだからだ。強欲なスクルージは金など払いたくなかったが、仕方なく硬貨を葬儀屋に渡した。しかし納得できなかったスクルージは、マーレイの両目を塞ぐために使われていた硬貨を拾い上げた。外に出たスクルージは、路上でクリスマスの賛歌を歌って寄付を募っている人々を睨み付けた。
7年後のクリスマス・イヴ。スクルージは書記のボブ・クラチットを薄給で働かせ、金儲けに励んでいた。彼が店にいると、甥のフレッドが訪ねて来た。フレッドはクリスマスを祝福し、スクルージを翌日のディナーに誘う。しかしクリスマスが大嫌いなスクルージは不機嫌な態度を示し、フレッドに荒っぽい言葉を浴びせて追い返した。週給15シリングで働いているフレッドを、スクルージはバカにした。
2人の紳士が店を訪れ、貧しい人々のための寄付を申し入れた。しかしスクルージは冷淡な口調で拒絶し、彼らを追い払った。その日の仕事を終えて帰ろうとしたスクルージは、クラチットが翌日の休みを願い出ていることを確認する。ずっと休みを与えずにクラチットを扱き使っていたスクルージだが、わずか1日の休みを与えることさえ我慢できなかった。渋々ながら休みを認めたスクルージだが、次の日は早朝から出勤するようクラチットに命じた。それでもクラチットは休みを貰い、大喜びで帰路に就いた。
帰宅したスクルージの前に、体を鎖で繋がれたマーレイの幽霊が出現した。怯えるスクルージに向かって、マーレイは生きている時に自分で作った鎖で繋がれているのだと説明した。マーレイはスクルージに「人生を無駄に過ごした。人のために尽くすべきだった。お前には、まだチャンスがある。これから3人の精霊が訪ねて来る。1人目は明日の深夜1時の鐘が鳴った時。2人目は次の日の同じ時刻。3人目は、その次の日の12時の鐘が鳴り終わった時だ」と語り、姿を消した。
クラチットの言った通り、1人目の精霊がスクルージの寝室に現れた。それは過去のクリスマスの精霊だった。スクルージは精霊に手を取られて空を飛び、故郷へ到着した。スクルージの小学校時代の仲間たちが走って来たが、彼と精霊の姿は見えていなかった。学校に足を踏み入れたスクルージは、一人で教室に残っている小学生の自分を見た。それから精霊は、優しい妹のファンが少年のスクルージを迎えに来た時の様子を見せた。既にフィンは死去しているが、その息子がフレッドだった。
精霊は場所を移動し、フェジウィッグという男が営む店をスクルージに見せた。そこはスクルージが奉公していた店で、フェジウィッグは温かくて親切な人だった。クリスマスはスクルージと後輩奉公人のディック・ウィルキンスに用意をさせて、クリスマスのパーティーを大々的に催した。仲間たちが集まって盛り上がる中、スクルージもはベルという女性に出会って恋をした。しかし独立して働き始めたスクルージが自分より金を大事に考えていると知り、ベルは離れて行った。
次にスクルージの元を訪れたのは、現在のクリスマスの精霊だった。精霊はスクルージを連れて空を飛び、クラチット家へ辿り着いた。クラチットはスクルージから少ない賃金しか貰っていないので、豪勢なディナーは用意できなかった。しかしクラチットと家族は貧しい中でも、笑顔でクリスマスを祝った。ただ、一番下の息子、足の悪いティムのことになると、クラチットと妻の顔に影が差した。スクルージは精霊から、ティムが若くして死ぬことを聞かされた。
現在のクリスマスの精霊は、フレッドの家で開かれているクリスマス・パーティーの様子をスクルージに見せた。フレッドは妻や仲間たちと共に、楽しい時間を過ごしていた。扱き使われているクラチットにしろ、冷たい言葉を浴びせられたフレッドにしろ、スクルージのことを決して悪く言わず、感謝の言葉を口にした。フレッドのパーティーを見せた後、精霊は「無知」と「貧困」の子供たちを登場させて、スクルージに警告した。
最後にスクルージの元を訪れたのは、未来のクリスマスの精霊だった。精霊が見せたのは、これからスクルージに降り掛かる未来の出来事だった。スクルージが未来の町に移動すると、3人の労働者が葬儀のことを話していた。彼らは死者を嘲笑い、あれだけ酷いことをしていたのだから参列者は来ないだろうと口にした。馬車に追われたスクルージは、慌てて逃げ出した。逃げ惑う途中で小さくなった彼は、一軒の家に迷い込んだ。
家には使用人のジョー老人とディグラー夫人がいて、死人から服や毛布を奪ったことを嬉々として語った。この両名も労働者たちと同じく、死人の悪口を並べ立てた。借金をしていた夫婦は、スクルージが死んで厳しい取り立てが無くなるので大喜びした。スクルージは、その死人が誰からも同情されず、憎しみや嘲りの中で死を迎えることを知った。スクルージは死人が自分ではないかと考えるが、その顔を見て確認する勇気は無かった…。

脚本&監督はロバート・ゼメキス、原作はチャールズ・ディケンズ、製作はスティーヴ・スターキー&ロバート・ゼメキス&ジャック・ラプケ、共同製作はスティーヴン・ボイド、製作協力はヘザー・ケルトン&リンダ・フィールズ・ヒル、撮影はロバート・プレスリー、編集はジェレマイア・オドリスコル、美術はダグ・チャン、視覚効果監修はジョージ・マーフィー、アニメーション監修はジャン・エンバリー、音楽はアラン・シルヴェストリ、主題歌はアンドレア・ボチェッリ。
主演はジム・キャリー、共演はゲイリー・オールドマン、コリン・ファース、ボブ・ホスキンス、ロビン・ライト・ペン、ケイリー・エルウィス、フィオヌラ・フラナガン、ダリル・サバラ、レスリー・マンヴィル、フェイ・マスターソン、ジャッキー・バーンブルック、ライアン・オチョア、モリー・クイン、ジュリアン・ホロウェイ、レスリー・ゼメキス、カラム・ブルー、スティーヴ・ヴァレンティン、マシュー・ヘナーソン、ポール・ブラックソーン、サミー・ハンラッティー、アンバー・ゲイニー・ミード、ボビー・ペイジ、ロン・ボッティッタ、ソニエ・フォータグ他。


『ポーラー・エクスプレス』『ベオウルフ/呪われし勇者』に続いて、ロバート・ゼメキス監督が「パフォーマンス・キャプチャー」という技術を採用して作り上げた作品。
原作はチャールズ・ディケンズの有名なクリスマス小説『クリスマス・キャロル』。
スクルージをジム・キャリー、クラチットをゲイリー・オールドマン、フレッドをコリン・ファース、フェジウィッグをボブ・ホスキンス、ベルをロビン・ライト・ペン、ウィルキンスをケイリー・エルウィス、ディグラー夫人をフィオヌラ・フラナガンが演じている。

パフォーマンス・キャプチャーとは、特殊なスーツを着用した実際の俳優の表情や動きをコンピュータに記録し、それをCGによって精密に映像化する技術だ。
そんなパフォーマンス・キャプチャーを使ったロバート・ゼメキス監督の映画を見た時に感じるのは、いつも同じことだ。
それは「なぜ実写で作らないのか」ってことである。
俳優の姿を変にCG映像によって加工しているせいで、登場人物の表情や動きは、実写に比べてスムーズさに欠けている。わざわざ加工するメリットが全く見えないのである。

「CG映像としては、かなり実写に近い」と感じるかもしれないが、それは俳優の表情や動きをコンピュータに記録してCG加工しているんだから当たり前だ。
それに、「CGだけど実写に近い」という感想が得られたとしても、「だから何だよ」って話でしょ。だったら実写で作ればいいでしょ。
カメラワークにしても、「3DCGだからこそ」と感じるモノは無い。実写でも同じようなカメラワークで映画を作ることは出来る。
実写で出来ることを(もちろんVFXは必要だが)、わざわざ無駄に3DCG化しているとしか思えない。

パフォーマンス・キャプチャーとCG映像で登場人物を加工したことにより、1人の役者が複数の人物を演じて、それが全く分からない状態になっている。
例えばジム・キャリーは老齢のスクルージだけでなく、4つの年代のスクルージと3人の精霊も演じている。ゲイリー・オールドマンはクラチットとマーレイとティム、ボブ・ホスキンスはフェジウィッグとジョー、ケイリー・エルウィスはウィルキンス&寄付を求める紳士の1人&フェジウィッグのパーティーのフィドル弾き&フレッドのディナーの招待客の1人&未来のビジネスマンといった具合で、他にも複数の人物を演じている役者が何人かいる。
普通なら、同じ俳優が1つのキャラクターの少年時代も老齢期も演じるのは不可能だし、精霊役も演じたら同一の役者だとバレるだろう。
そこを全く分からない状態で演じているわけだが、「だから何?」って話でしょ。そんなの、別の俳優に演じさせれば済むことだ。
同じ俳優にスクルージと精霊を演じさせて、そこに何のメリットがあるのか。
支払うギャラが安く済むってか。バカバカしい。
1人の俳優が複数の役を演じていても、それが映画の面白さに繋がっているってことは全く無い。

ってなわけで、この映画の欠点の大半は映像部分に含まれているのだが、それだけではない。
古典的な名作小説を映画化しており、基本的には原作をなぞっているのだが、しかし物語の方にも問題はある。
まず冒頭、マーレイの死を描くだけで7年後に移るってのは、構成として不格好だ。
そこは7年後(つまり劇中における「現在」)から始めて、町の人々がスクルージの噂話をしている様子を写し出し、その中で「7年前にマーレイが死んだ時も、こんな酷い行動を取った」と喋らせ、その時の様子を差し込めば事足りる。

7年後のクリスマス・イヴになり、貧しい人々のための寄付を求める紳士2人組が店を訪れる。
だが、この2人、本当に奉仕の精神を持っているようには見えない。むしろ、下手すりゃ寄付と嘘をついて金を騙し取ろうとしているんじゃないかと疑いたくなるような連中だ。「博愛精神の人々」という印象を、まるで受けない。
それだと、寄付を拒絶するスクルージの守銭奴ぶりがアピールされない。
そこは恰幅が良くて身なりの整ったオッサンたちではなく、つぶらな瞳の子供にでもしておいた方が良かったんじゃないか。

店を訪れたフレッドは、クリスマスを忌み嫌うスクルージに対して「なぜ、そうなんだい?」と問い掛ける。
スクルージは何も言わないが、映画が終わっても、その答えは分からないままだ。
精霊が過去を見せる中で、若い頃のスクルージが優しい様子を示したり、クリスマスを心から楽しんでいたりという描写がある。つまり、かつては彼もクリスマスを楽しんでいたし、素直で優しい性格だったのだ。
そんな彼が、なぜ心が捻じ曲がり、偏屈で冷淡な人間になってしまったのか。
それが全く分からない。

スクルージはベルに対して「この世で最も恐ろしいもの、それは貧乏から抜け出せない生活だ」と言っている。どうやら彼は貧乏が嫌で、だから金の亡者になってしまったらしい。
だけど、幼年時代も少年時代も青年時代も、スクルージが貧乏のせいで苦労したとか、不幸な境遇にあったとか、そんな様子は全く描かれていなかった。むしろ、フェジウィッグの店で働いている時なんかは、パーティーで楽しく過ごしていた。
だから、そこまで「貧乏から抜け出したい」という強烈な感情を抱いていることがピンと来ない。
ベルはスクルージに「生き方が以前とは変わった」と言っているから、どうやら出会った頃は守銭奴じゃなくて、その後に変化したようだが、何がきっかけだったのかは全く分からない。
かつてのスクルージが今と全く異なっていることを描くのであれば、「なぜ変わってしまったのか」という部分もキッチリと描くべきだろう。

マーレイの幽霊が現れると、スクルージは最初から激しく怖がり、すっかり腰が引けている。
だが、そこは違和感がある。
あれだけ周囲の人々に対して傲慢で冷淡だった男が、幽霊が相手だと、すっかりヘタレになってしまうのか。
そこは怯えまくるのではなく、相手が幽霊であっても強気な態度を崩さず、簡単には考えを改めないという頑固な様子を見せておいた方がいい。簡単に怖がってしまうと、話の肝となる部分にも影響が出て来る。
スクルージは自分が誰からも同情されずに哀れな死を迎えることを知った後、元の世界に戻って優しく振る舞うようになるのだが、それが心底から反省して改心したのではなく、「怖くなったから」というだけに見えてしまう。
反省して態度を改めるのと、「自分が惨めな死を迎えるのが怖いだから態度を改める」ってのは、まるで違うでしょ。ちゃんと心底から博愛や慈善の精神に目覚めたように見えないと、この話は台無しになっちゃうでしょ。

過去の自分を見せられたスクルージは、守銭奴になった自分がベルから別れを告げられる様子に耐えられず「ここから出せ」と要求する。 つまり、彼は自らの意思で金の亡者になったはずなのだが、それを良しとしていたわけではなかったようだ。自分の生き方が間違っている、そんな銭ゲバな生き方は嫌だと感じていたらしい。
そんなに簡単にスクルージが後悔する様子を見せてしまうのなら、もう過去の自分を見ただけで、精霊の役目って終わっちゃうんじゃないか。
過去を見た時点で、すっかり打ちのめされているぞ。たぶん、それだけでも彼は、翌日から生き方を改めるだろう。
そうじゃなくて、過去を見た段階では「それでも非を認めようとしない」とか「本当に自分の生き方は正しかったのか自問自答する」とか、その程度に留めておいた方が良かったんじゃないか。

過去に戻ったスクルージは、故郷や出身小学校や妹やフェジウィッグを見て、ものすごく喜んだり懐かしそうな態度を示したりする。
最初から素直に嬉しそうな態度を示すのは、ちょっと違和感が否めない。
「だったら、いつも偏屈な態度なのは、どういうわけなのか。いつもは何が気に入らなくてムスッとしているのか」ってのが気になってしまう。
そこの答えが、後になって明かされるわけでもないしね。

そもそも、なぜ2009年に『クリスマス・キャロル』を映画化しようと思ったのか、その狙いが良く分からない。
例えば、その頃に人気が出たキャラクターを使った映画の企画が立ち上がったり、TVドラマの劇場版が製作されることになったりして、そこで誰もが良く知っているクラシカルな作品をモチーフにするとか、それをパロディー化するとか、そういう使い方なら分かるけど、そうじゃない。
ディケンズの生誕や没後から何周年記念とか、そういうわけでもないし。
『クリスマス・キャロル』は過去に何度も映画化されているし、そっちを見ればいいんじゃないの、と思ってしまう。
この映画には「Disney's」と付いているけど、同じディズニーならミッキーマウスやドナルドダックといった人気キャラクターたちが登場する『ミッキーのクリスマスキャロル』ってのがあるしね。
そっちは上映時間が25分だから、こっちより楽に見られるし。

(観賞日:2013年12月27日)

 

*ポンコツ映画愛護協会