『チキンラン』:2000、イギリス

イギリスのヨークシャー州にあるトゥイーディー養鶏場。雌鳥のジンジャーは柵の向こうに広がる楽園を目指し、養鶏場を脱出したいと 考えている。しかも自分だけでなく、ニワトリ全員を脱出させようとしている。しかし彼女の作戦は、ことごとく失敗してしまう。女主人 ミセス・トゥイーディーは強欲で、卵を産まない鶏は容赦無く処分する。ジンジャー達は、いつも彼女に怯えながら暮らしている。その日、 卵を産まなかったエドウィナが無残にも処分されてしまった。
夜、ジンジャー達は17号棟でミーティングを開いた。男勝りのバンティー、気の優しいバブス、技術者マック、かつて英国空軍にいた長老 ファウラーなど、全ての鶏が集合した。ジンジャーはフェンスの下をくぐる作戦が失敗したため、今度は上を飛び越えようと提案した。 だが、皆は乗り気でない。バブスが「現実を見て」と言うように、皆は今の生活を続けることに気持ちが傾いていた。
17号棟を出たジンジャーは、どこからか空を飛んで来た雄鳥を目撃した。その雄鳥ロッキーは着地に失敗し、養鶏場の中に墜落した。 下部が破れたポスターを見て、ジンジャーはロッキーがサーカス団の“空飛ぶニワトリ”だと知った。ジンジャーはロッキーに空を飛ぶ 方法を教わって脱出しようと考えた。アメリカ生まれのロッキーは雌鳥たちにモテモテで、調子のいい男だった。
空を飛ぶ方法を教えて欲しいとジンジャーが頼むと、ロッキーは即座に断った。彼は養鶏場を出て行こうとするが、そこへサーカス団の トラックがやって来ると、慌てて身を隠す。ロッキーはサーカス団から逃げてきたのだ。ジンジャーはロッキーに、「飛び方を教えて くれれば、かくまってあげる」と取引を持ち掛けた。ロッキーは仕方なく応じ、養鶏場に留まることとなった。
翌日から、ロッキーの指示でトレーニングが開始された。だが、1週間が経過しても、離陸さえ出来ない状態が続いた。夜、養鶏場に 食肉加工会社のトラックが機械を運び込んだ。ミセス・トゥイーディーは稼ぎの少ない養鶏場をやめ、オートメーション工場にして大きく 儲けようと考えていた。不安を覚えたジンジャーは、ロッキーに「明日も同じなら協定は破棄する」と告げた。
ロッキーはネズミの運び屋ニックとフェッチャーからサスペンダーを買い付け、そのゴムを利用して飛ばそうと考えた。だが、その作戦は 失敗に終わった。朝の卵チェックの時間になり、3日間も卵を産んでいないバブスは心配になった。だが、ミセス・トゥイーディーは バブスを処分するどころか、ニワトリたちの前にたっぷりとエサを撒いた。喜ぶ仲間を見て、ジンジャーは食べないよう求めた、彼女は、 ミセス・トゥイーディーが自分たちを太らせて殺すつもりだと見抜いたのだ。
ロッキーは沈み込むニワトリたちを元気付けるため、ニックとフェッチャーからラジオを購入し、ロックを流した。ミセス・トゥイーディー はチキンパイ製造機を購入し、テスト用にニワトリを連れて来るようミスター・トゥイーディーに命じた。彼は家を覗いていたジンジャー を捕まえ、機械に放り込んだ。ロッキーはファウラーたちに言われて助けに向かうが、機械に飲み込まれた。逆にジンジャーがロッキーを 救出し、2匹は故障した機械から脱出した。
ジンジャーとロッキーは仲間の元に戻り、チキンパイ製造機のことを報告した。ジンジャーは「機械は故障したから、しばらくは大丈夫。 そりに明日になればロッキーが飛んで見せてくれる。状況は良くなる」と皆を励ました。しかし翌日、ロッキーはポスターの破れた下部を 残して姿を消した。ポスターを貼り合わせたジンジャーは、ロッキーが大砲で飛ばされていたことを知った。つまり、ロッキー本人に空を 飛ぶ力は無かったのだ。仲間が脱走を諦める中、ジンジャーは飛行機を作って空を飛ぶことを思い付く…。

監督&原案はピーター・ロード&ニック・パーク、脚本はキャリー・カークパトリック、製作はピーター・ ロード&デヴィッド・スプロクストン&ニック・パーク、製作総指揮はジェイク・エバーツ&ジェフリー・カッツェンバーグ&マイケル・ ローズ、編集はマーク・ソロモン、supervising animatorはロイド・プライス、 supervising director of photographyはデイヴ・アレックス・リデット、 音楽はジョン・パウエル&ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ。
声の出演はメル・ギブソン、ジュリア・サワラ、ミランダ・リチャードソン、イメルダ・スタウントン、ジェーン・ホロックス、リン・ ファーガソン、ベンジャミン・ホイットロー、トニー・ヘイガース、ティモシー・スポール、フィル・ダニエルズ、ジョン・シャリアン他。


『ウォレスとグルミット』シリーズでアカデミー賞を3度も受賞したイギリスのアードマン・スタジオが、ハリウッドのドリームワークス とタッグを組み、初めて製作した長編のクレイ・アニメーション映画。
ロッキーの声をメル・ギブソン、ジンジャーをジュリア・サワラ、ミセス・トゥイーディーをミランダ・リチャードソンが担当している。
日本語吹き替え版では、優香がジンジャー、岸谷五朗がロッキー、 小倉久寛がファウラー、吉田照美がミスター・トゥイーディー、加藤貴子がバブスを担当。

この映画は、幾つかの映画のパロディーをやっている。大枠は『大脱走』で、それ以外にも『第十七捕虜収容所』『ブレイブハート』 『ブルース・ブラザーズ』『飛べ!フェニックス』、そして“インディ・ジョーンズ”シリーズがネタとして使われている。
だが、果たしてアードマン・スタジオとして、それをやるべきだったのか。
また、あまりにパロディーに傾いているのは、クレイ・アニメとしてどうだったのかという疑問もある。
アードマン・スタジオとしては、長編映画を手掛けるのが初めてなので、何も無いところからオリジナル・ストーリーを捻り出すよりも、 パロディーから入った方が何かと作りやすいということだったのかもしれない。だけど、そこで「元になった映画を知らないとネタが理解 できない」という敷居の高さを設けてしまっている。
パロディーに頼りまくったシナリオしか作れなかった時点で、まだ長編映画を手掛けるには時期が早すぎたということなのかもしれんね。

人間とニワトリのサイズが著しく異なっており、ジンジャーたちから見ればトゥイーディー夫婦は巨人である。
そこからして、もう違和感を覚えてしまう。
「ウォレスとグルミット」では、人間と動物は、ほぼ同一サイズだった。
そもそも「養鶏場のニワトリが、卵を産んだり食肉にされたりするのが嫌だから脱走を図る」という基本設定の部分で乗り切れない気持ち があるのに(ワシらは養鶏場のニワトリのおかげで卵やチキンを食べてるからね)、人間とニワトリのサイズが異なることが、さらに ファンタジーとして受け入れることへの障害になっている。

ロッキーに何の魅力も感じられないってのはツラいところだ。
ただの卑怯で無責任な男が、最後の最後だけ、ほんのチョコッと罪滅ぼしの如く助けに来ただけでヒーロー扱いされちゃうってのは、 どうなのかと。
空を飛ぶ作戦が無理だと分かって飛行機を作ろうというプランに変更されるが、そこにもロッキーは全く関与していないし。
まだロッキー側から物語を描き、彼の心の揺れ動きを丁寧に描いていれば印象は異なったかもしれんが、それはそれで「そんな人間ドラマ は要らねえ」と思うだろうしなあ。

クレイ・アニメの良さ、面白さは、コミカルで多彩な動きであったり、変身であったりというところにあると思う。
だが、長編映画を作ろう、ストーリーテリングをしようという意識が強すぎたのか、「クレイ・アニメの面白さを見せよう」という部分が 疎かになっているように思える。
例えばキャラが何かにぶつかってペチャンコに潰れるとか(そしてポンッと膨らむとか)、体の一部分が別の何かに変化するとか、その ような「動きとしての面白さ」は、全く見られない。

クレイならではの動きや変身にこだわらず、別の魅力を出そうという意識があったのなら、その部分が無くても別にいいかもしれない。 しかし、たぶん違うだろう。
実際、他の魅力は何も感じられない。
しかもクレイ・アニメの動きで魅せるのではなく、なぜかダイアローグに頼ったコメディーとして作っている。
どういう計算があったのか、サッパリ分からない。

「アメリカ向きの味付けに」ということなのか、「ファミリー層向きの味付けに」ということなのか、ドリームワークスと組んだことで、 とても分かりやすく、お行儀のいい仕上がりになっている。
イギリスらしいブラックなユーモアも、アメリカンナイズされて消えている。
ものすごく健全で当たり障りの無い、良識派から非難される危険性の少ない映画だ。
ほのぼのとした笑いの中で、「信じることの素晴らしさ、仲間を思いやることの大切さを学びましょう」と言わんばかりの道徳的な教えも 盛り込みつつ、見事にヌルくてチンタラした映画、ハッキリ言えば、つまんねえ映画に仕上がった。
もっとスラップスティックに、ドタバタ喜劇をやってくれよ。
「感動で締め括りましょう」とか、そんなヌルい精神は要らないからさ。

(観賞日:2008年8月5日)

 

*ポンコツ映画愛護協会