『チャプター27』:2007、カナダ&アメリカ

マーク・デイヴィッド・チャップマンは『ライ麦畑でつかまえて』のホールデン・コールフィールドを信じ、自分を重ね合わせていた。彼はクリスマス前にハワイからニューヨークの街を訪れ、3日間を過ごした。タクシーに乗った彼は、運転手に「セントラルパークの湖のアヒルを知ってる?」と尋ねる。「行きたいのか?」と問われた彼は「いや」と否定するが、すぐに「そうかもしれない」と付け加える。「冬になって湖が凍ったら、アヒルはどうするんだろう」と彼が口にすると、運転手は「からかってるのか?」と告げた。
1980年12月6日。チャップマンはYMCAにチェック・インし、服を着替えた。近所を歩いた彼は、ダコタ・ハウスの前を通り掛かった。建物の前にはジョン・レノンのファンが集まっており、チャップマンはジュードという女性に話し掛けた。彼は「子供の頃からビートルズのファンなんだ。ジョンは天才だ」と興奮した様子を見せるが、「彼の新しいアルバムは?」と訊かれると「出したの?」と言う。「サインを貰うために来たんだ」とチャップマンが話すと、ジュードはアルバムを買ってサインを貰うことを勧めた。ジュードは友人のジェリと共に、その場を去った。
チャップマンはジョンの『ダブン・ファンタジー』を買うため、ブロードウェイ方面へ歩いてレコード店に入った。アルバムを購入してダコタ・ハウスに戻った彼は、ジュードを見つけて駆け寄った。ジュードは彼に、アルバムの写真が撮影された場所を教えた。「私たち、後で映画に行くけど、一緒にどう?」と誘われたチャップマンは、「いや、映画はインチキだから嫌いなんだ」と断った。「その代わりに、君たちをディナーに連れて行くよ」と彼が日本食レストランに誘うと、ジュードとジェリはOKして「後で」と去った。しかし夜遅くになってもジョンが現れず、ジュードも戻って来なかった。
YMCAに戻ったチャップマンは、持参した拳銃を確認した。深夜、彼は隣室の同性愛カップルの大声で目を覚ます。彼らは酒に酔って騒いでおり、チャップマンは拳銃を握って壁に近付いた。隣人への殺意が芽生えたチャップマンだが、我慢して宿を移ることにした。タクシーを拾った彼は、運転手に「居心地のいいホテルへ」と指示した。「一緒に酒を飲まないか。おごるよ」と彼が持ち掛けると、運転手は「今日はいいよ」と断った。「ビートルズは好きかい?」という質問に運転手が」「ああ」と答えると、チャップマンは「特別に教えるよ。今夜、ジョンとポールと一緒にアルバムをレコーディングをしてた。僕はエンジニアで、彼らに気に入られた」と嘘をついた。彼はシェラトン・センター・ホテルにチェック・インし、テーブルの引き出しに拳銃を入れた。
1980年12月7日。目を覚ましたチャップマンは、ダコタ・ハウスに向かった。ドアマンのスティーヴに話し掛けた彼は「なぜ名前を?」と訊かれ、「覚えてない?1ヶ月ほど前もハワイから来た」と答えた。しかしスティーヴは覚えておらず、チャップマンが握手を求めると拒んだ。「在宅かどうか知ってる?」とチャップマンが尋ねると、彼は「この街にはいませんよ」と告げる。しかしチャップマンは「自分で確かめるよ」と言い、そのまま留まった。
しばらくして書店へ赴いたチャップマンは、『オズの魔法使い』のポストカードを手に取った。彼はポストカードとジョンのインタビューが掲載された成人向け雑誌、それにボールペンを購入した。夜、レストランに入ったチャップマンは、インタビュー記事を読んだ。彼はジョンの優雅な暮らしに苛立ちを覚え、彼が皆を裏切ったと感じる。チャップマンはヌードグラビアを開き、女を買うことに決めた。彼はエスコート・サービスに電話を掛け、静かな外国人のコールガールを注文した。
部屋に来たコールガールが緊張していると、チャップマンは「僕は変人じゃない。人肌が恋しくて、女性と過ごしたかった。きっと明日は大変な一日になる」と語った。彼は照明を消してベッドに入り、コールガールと事を済ませた。コールガールが金を受け取って部屋から去った後、チャップマンはハワイにコレクト・コールで電話を掛けた。彼はホールデン・コールフィールドを名乗り、妻のグロリアと話す。「夜も遅いけど眠れないんだ」と彼が漏らすと、妻は聖書の力を借りるよう助言した。「出発前に言ったことを覚えてる?君を誰よりも愛してる」とチャップマンは言い、グロリアが電話を切ってから「僕はジョン・レノンを殺すよ」と受話器に向かって告げた。
1980年12月8日。目を覚ましたチャップマンは、全てが違うと感じた。もう部屋には戻らないと確信し、所持品をテーブルに並べた。警察が来た時のことを想定し、彼は自分の情報が分かる所持品を残していくことにした。鏡に向かって拳銃を撃つ練習をした後、チャップマンは部屋を後にした。書店に立ち寄った彼は、『ライ麦畑でつかまえて』を買う。彼は本に「コールデン・ホールフィールドより。僕の声明だ」と記し、ダコタ・ハウスへ向かった。
チャップマンはドアマンにジョンのアルバムを見せ、「ジョンは出て来る?サインを貰いたいんだ」と告げる。するとドアマンは、「私は臨時のドアマンだから、良く知らないんだ」と言う。チャップマンが長く待っていることを話すと、彼は「ジョンは外出したらしい」と教えた。ジョンがダコタ・ハウスに戻ってくるのを確信したチャップマンは、興奮を抑え切れなかった。彼は『ライ麦畑でつかまえて』を読みながら、彼を待つことにした。しかしドアマンに声を掛けられ、没頭している間にジョンが建物に入ったことを知る。チャップマンは「今日じゃない。運命の日を待つよ」と言い、気持ちを落ち着かせた。
チャップマンはジュードに声を掛けられ、近くにあるカフェに入った。ジュードは彼に、「この前、貴方を待ってたんだけど、タクシーでジョンが1人で戻って来たの。話し掛けられて、ジェリは煙草を貰ったの」と語る。「ニューヨークは好き?」と訊かれたチャップマンは、「嫌いじゃないけど、ちょっと汚いよね。ハワイが僕の人生を救ってくれた」と話した。「いつか行ってみたいけど」とジュードが口にすると、彼は「やりたいことは、いつでも出来るんだ。心に決めたら必ず出来る」と述べた。
「2人でどこかへ行こう。何も考えずに」とチャップマンが提案すると、ジュードは困惑して「今すぐは無理よ」と断った。興奮していたチャップマンだが、「忘れてくれ。でも、僕を忘れないで」と告げた。彼はジュードと共にダコタ・ハウスへ戻り、またジョンを待つことにした。ジョンのアシスタントのフレデリックを見つけたジュードは、チャップマンに教えた。チャップマンは後を追って声を掛けるが、フレデリックはダコタ・ハウスに入ってしまった。
チャップマンがシュードの元へ戻ると、ポールというカメラマンの友人を紹介された。ポールは彼に、ダコタ・ハウスは『ローズマリーの赤ちゃん』の撮影場所だと教える。監督がロマン・ポランスキーだと聞いた途端、チャップマンは「チャールズ・マンソンに妻を殺された人?」と食い付いた。「ジョン・レノンが住んでいる建物で、悪魔が地上に降りてくる映画が撮影された。監督の妻子が殺される原因となった曲を書いたのが、ジョン・レノン」と彼は呟き、「これは偶然じゃない。今日こそが運命の日だ」と口にした。
「ハワイ訛りが無いけど、どこの出身だ?」とポールに訊かれたチャップマンは動揺し、「なぜ、そんなことを訊く?」と威嚇するように詰め寄った。ポールは「もういい、忘れてくれ」と立ち去り、怖くなったジュードは「もう帰るわ」と言う。するとチャップマンは後を付いて行き、ジュードがショーン・レノンや乳母のヘレンに挨拶するのを見た。ジュードは仕方なく、チャップマンを2人に紹介した。チャップマンは「残るべきだよ。もう少し待とうよ」と付きまとうが、ジュードは逃げるように走り去った…。

脚本&監督はJ・P・シェーファー、原案はジャック・ジョーンズ、製作はロバート・サレルノ&ナオミ・デプレ&アレクサンドラ・ミルチャン、製作総指揮はジャレッド・レト&リック・チャド&ギルバート・オールオウル&ジョン・フロック&ゲイリー・ハウサム&レウィン・ウェブ、製作協力はアンジェラ・ロビンソン、撮影はトム・リッチモンド、美術はカリーナ・イワノフ、編集はジム・マケイジ&アンドリュー・ハフィッツ、衣装はアン・クラブツリー、音楽はアンソニー・マリネッリ、音楽監修はトレイシー・マックナイト。
出演はジャレッド・レト、ジュダ・フリードランダー、リンジー・ローハン、マーク・リンジー・チャップマン、チャック・クーパー、ジェイミー・ティレリ、マシュー・ハンフリーズ、ダン・シュルツ、ブライアン・オニール、ブライアン・ベル、ウルスラ・アボット、ル・クランシェ・デュラン、ジーン・フォーニエ、ユーキ・ホソカワ、マリコ・タカイ、アダム・スカリンボロ、スピロ・マラス、ロイ・ミルトン・デイヴィス他。


ジャック・ジョーンズのノンフィクション著書『ジョン・レノンを殺した男』から着想を得た作品。マーク・デイヴィッド・チャップマンがジョン・レノンを殺すまでの3日間を描いている。
脚本&監督のJ・P・シェーファーは、これがデビュー作。
チャップマンを演じたジャレッド・レトは、この役のために大幅に体重を増やしている。
ポールをジュダ・フリードランダー、ジュードをリンジー・ローハン、ジョンをマーク・リンジー・チャップマンが演じている。

この映画を見て真っ先に感じるのは、「だから何なのか」ってことだ。そして真っ先に感じるだけでなく、最も強く感じることでもある。
世界中で広く知られている超有名な事件を、ただ時系列を追って淡々と描いているだけの作品だ。「ただ時系列を追って」と書いたけど、仮に時系列をシャッフルして描いたとしても「だから何なのか」ではある。
「みんなが知っている事件を、良く知られている情報を集めて淡々と綴りました」というだけで多くの観客の心を掴むのは、至難の業だろう。
っていうかジョン・レノンの殺害事件に関しては、そんなやり方で多くの観客の心を掴むことは絶対に無理だと断言できる。
なぜ断言できるのかというと、この映画が酷評を浴びて興行的にも失敗したという明確な結果が出ているからだ。

マーク・デイヴィッド・チャップマンがジョン・レノンを射殺したこと、彼がサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を持っていたことなんて、とっくの昔に知っている。
だから、そんなことを今さら描かれても、前述した「だから何なのか」という感想しか出て来ない。
ジョン・レノンを殺害したチャップマンの心情を掘り下げるのか、意外な切り口から事件を描くのかというと、そんなことは全く無い。
「ドキュメンタリー・タッチ」と言えば聞こえはいいかもしれないが、実際は「何の工夫もしていない」ってだけなのだ。

ジョン・レノンやオノ・ヨーコ、ショーン・レノンといった著名な人物も劇中には登場するが、もちろん本物であろうはずもない。
一応は本人に似せた俳優を起用したり、本人に似せたメイクを施したりってことをしているんだろう(そんな風には全く思えないけど)。
しかし、そういう著名人が登場することによって、「再現ドラマっぽさ」が強く感じられる結果になっている。
しかも、ものすごく再現率の低い再現ドラマなのである。

例えば、「ジョン・レノンやオノ・ヨーコは登場させない」と決めて製作したら、それだけでも内容が大きく違ったんじゃないだろうか。そこに条件を設けることで、新しい切り口が見えて来る可能性もあるだろうし。
それだけで傑作になるとは思わないけど、こんなに真正面から事件を描いて凡庸に仕上げるよりは、何か希望の光が見えたんじゃないかと。
ともかく、何か特別な武器を用意しないと、2007年にジョン・レノンの殺害事件を描く意味さえ見えて来ない。
ジョン・レノンは1940年生まれで1980年に射殺されているので、「生誕**年」とか「死後**年」といった節目のようなことが売りになるわけでもないし。

「子供の頃からジョン・レノンが大好きだ」とか「彼の発言や歌詞には大きな影響を受けた」というモノローグはあるけど、チャップマンの言動には具体的な影響が全く見られない。
それどころか、ジョンが『ダブル・ファンタジー』を発売したことさえ、ジュードに言われるまで覚えていない。熱烈なファンのはずなのに、まだアルバムも購入していないのだ。
なので、「こいつ、そんなにファンじゃねえな」という疑念が湧く。
しかし疑念が湧いたと同時に、「まあ、ファンだろうがファンじゃなかろうが、どっちでもいいわ」という気持ちになる。
そういう映画である。

ジョン・レノンの殺害事件について何も知らない人、事件があったのは知っているけど詳細を全く知らない人が観賞したら、「こんな事件があったのか」「こういう事件だったのか」なんてことを思うかもしれない。
だけど、この映画を見る人で事件について知らない人なんて、ほとんどいないはずで。
むしろ事件を知っているからこそ、興味があるからこそ見ようと思う人の方が、きっと多いはずで。
そういう観客に対して「何をどう見せるのか」という意識が、あまりにも乏しすぎる。

あの事件に関して表面的でザックリした説明をするならば、「イカれた男がジョン・レノンを殺した」ということになる。
で、この映画を見て、その解釈が変わるのかというと、まるで変わらない。
この映画に描かれているのは、「イカれた男がジョン・レノンを殺した」ってことなのだ。
私は『ライ麦畑でつかまえて』を読んだことがあるので、「影響されてジョン・レノンを殺した」という主張には微塵も賛同できなかった。
そして、この映画を見ても、その気持ちは全く変わらなかった。

もちろん、チャップマンを英雄視したり、同情できる人物のように描いたりしたら、間違いなく批判の嵐になっただろう。単に批判されるというだけでなく、ジョン・レノンへの冒涜、ファンへの侮辱行為と言ってもいい。
だから新しい切り口や意外性が望ましいとは言っても、「そういうことじゃないからね」ってことは付け加えておく。
「だったら、どういうアイデアがあるのか」と問われたら、「パッと思い付くことは何も無い」と答えておく。
そもそもジョン・レノンの殺害事件を映画化すること自体に、私なら手を出さないね。

1つだけ、ほんの少し面白い箇所がある。それは、ジュードから映画に誘われたチャップマンが断るシーン。
彼は「映画はインチキで偽物だからね。俳優たちは額に手を当て、ため息をつき、自分の演技に酔いしれてる。それを見せ付けるんだ。
耐えられない」と言うのだが、自虐的なジョークなのかと。
思わず「この映画もそうだろ」とツッコミを入れたくなった。しかも、その偽物としての質が、ものすごく低いし。
もしも狙っていたとしたら、ここだけはちょっと笑えたわ。
だけどコメディー映画じゃないから、「笑えた」ってのは何のプラスにもならないけどね。

(観賞日:2021年2月13日)

 

*ポンコツ映画愛護協会