『チャンプ』:1979、アメリカ

37歳のビリー・フリンは、ハイアレア競馬場の厩務員として働いている。かつてはボクシング王者だったが30歳で引退し、今は酒とギャンブルに浸る日々を過ごしている。妻アニーが家を出て以来、1人息子のT・Jとの2人暮らしだ。
T・Jはビリーのことを“チャンプ”と呼んでおり、再びボクシングのチャンピオンになることを願っている。ビリーも復帰する気持ちになり、ボクシングジムの会長チャーリー・グッドマンに会いに行く。トレーナーのジャッキーは、当時のロッカーやグローブを残してくれていた。だが、臆病風に吹かれたビリーは、グッドマンに会わずにジムを去った。
ビリーはT・Jの貯金を盗んでギャンブルに出掛け、大儲けした。ビリーはT・Jに、“シー・イズ・ア・レディー”という名のサラブレッドをプレゼントした。シー・イズ・ア・レディーはレースに出走するが、ゴール直前で故障し、転倒してしまった。
そのレースに出走したジャスタセクの馬主ドリーは、友人のアニーを連れて来ていた。アニーはビリーと別れた後、学者のマイクと再婚し、ファッション・デザイナーとして成功していた。T・Jと知り合ったアニーは、彼が自分の息子だと知った。
T・Jに会うため厩舎を訪れたアニーに、ビリーは「母親は死んだと言ってある」と告げた。ビリーは息子をアニーに会わせることを拒むが、アニーは裁判に訴えることも出来ると告げた。数日後、ビリーはアニーの船にT・Jを行かせた。
ビリーはギャンブルで多額の借金を背負い、シー・イズ・ア・レディーを奪われそうになった。ビリーはアニーに会って、金を借りた。借金をした相手が「金より馬がいい」と告げてシー・イズ・ア・レディーを連れ去ろうとしたので、ビリーは殴り掛かった。
警察に捕まって留置場に入れられたビリーは、T・Jに「お前は厄介者だ」と心にも無い言葉を吐いて頬を平手打ちし、アニーの元へと行かせた。アニーは自分が母親だと明かすが、T・Jは激しく拒否し、「チャンプに会いたい」と泣き叫んだ。留置場から出たビリーは、T・Jと再会した。ビリーとT・Jは、涙を流して強く抱き合った…。

監督はフランコ・ゼフィレッリ、原案はフランセス・マリオン、脚本はウォルター・ニューマン、製作はダイソン・ラヴェル、撮影はフレッド・J・コーネカンプ、編集はマイケル・J・シェリダン、美術はハーマン・A・ブルメンタル、衣装はセオニ・V・アルドリッジ、音楽はデイヴ・グルーシン。
主演はジョン・ヴォイト、共演はフェイ・ダナウェイ、リッキー・シュローダー、ジャック・ウォーデン、アーサー・ヒル、ストローザー・マーティン、ジョーン・ブロンデル、メアリー・ジョー・カトレット、エリーシャ・クック、ステファン・ギーラッシュ、アラン・ミラー、ジョー・トルナトーレ、シャーリー・コング、ジェフ・ブラム、ダナ・エルカー、ランダル・“テックス”・コッブ、クリストフ・セント・ジョン他。


1931年のキング・ヴィダー監督、ウォーレス・ビアリー主演作のリメイク。
ビリーをジョン・ヴォイト、アニーをフェイ・ダナウェイ、T・Jをリッキー・シュローダー(オーディションで選ばれ、これが映画初出演)、ジャッキーをジャック・ウォーデンが演じている。
分かりやすく言うと、『ロッキー』と『クレイマー、クレイマー』を足して2で割ってグチャッと潰して劣化させたような内容(分かりにくいよ)。
1976年に『ロッキー』がヒットしたので、感動のボクシング映画でヒットを狙いに行ったのかな。
アメリカではイマイチでも、日本ではヒットした(してしまった)ので、その狙いは一部分では成功したわけだ。
まず、ビリーが単なるダメ人間にしか見えないってのが厳しい。息子の貯金を盗んで、キャンブルに出掛けるような男だ。しかも、その金はボクシングのグローブ型の貯金箱に入っているんだぞ。普通、申し訳無いと思って躊躇するでしょうに。
そんで、ギャンブルで借金を背負って、息子の大切な馬を奪われそうになる始末(金が払えなければ馬を渡すという約束をしちゃってる)。そりゃあ、息子への優しさは見せるよ。だけど、基本的には酒とギャンブルに溺れているダメなオヤジだ。
「真面目に頑張ったのに騙されたので酒に溺れるようになった」とか、「大切な人を亡くしたので前向きに生きる意欲が失せた」といった、同情を誘うことが可能となるような、堕落の理由は見当たらない。同情を誘うだけの雰囲気を、ジョン・ヴォイトは出せていないし。
ようするに、ビリーってのは弱くて情けないだけのダメ人間なのだ。ダメ人間を「愛すべきダメ人間」として描くのならいいが、この映画では悲劇のヒーローとして描こうとしてるからね。それはムリがあったってコトよね。けなげなT・Jの態度や父親を信じ続ける姿によって、ビリーの保持しているマイナスを打ち消そうとしても、限界がある。
アニーにしたって、単なる身勝手オバサンにしか見えない。彼女は、テメエで「ファッション・デザナーになりたい」ということで息子を置いて家を出た。それ以来、一度も息子には会っていない。だから、T・Jに会っても、最初は息子だと気付かない。
ところが、T・Jが息子だと気付くと、急に母親づらして会おうとする。そしてビリーに対しては、「裁判に訴えれば面会の権利は得られる」と脅迫めいた言葉まで吐く。
フェイ・ダナウェイの顔は、余計にキツい感じを与える。何も知らないT・Jに後ろから顔を近付けるシーンなんて、ちょっと怖いもんなあ。いくら泣いても、同情するのはムリ。
アニーが息子に拒絶されて号泣するとか、ビリーとT・Jが抱き合って号泣するとか、そういう「瞬間的に、お涙頂戴で大げさに盛り上げる」というポイントは多い。しかし、それは「自然な流れを作っておいて、山のピークで感動させる」という形ではない。
序盤で臆病風に吹かれた後、ビリーはボクサーに復帰しようとする意欲を全く見せない。そして終盤に入って、唐突に復帰を決める。だが、なぜ今になって復帰しようと決意したのか、その理由が良く分からない(それは序盤の方も良く分からないのだが)。
ビリーは「子供のために、いい家を買う」とか言ってるが、そんなことをT・Jが望んでるとは思えない。子供の幸せを思うのなら、酒とギャンブルを断てば、それでいいと思うぞ。そもそも、それほど貧しい生活をしていることが強調されるような描写も無いし。
どうも、「成功者のアニーに負けたくない」という対抗心からの復帰にも思えてしまう。だとしたら、「なんだ、そりゃ」だし。「7年のブランクを経て復帰する」という無謀なチャレンジなのだから、それなりに大きな「きっかけとなるシーン」を用意してほしい。
前述したように、復帰を決めるのは後半で、それまではカムバックの意欲を全く見せない。そんで復帰を決めたら、すぐ試合に入ってしまう。だから、復帰を決意してから試合までに、不安になったり葛藤したりというドラマが描かれることは無い。
さて、その試合。
なんと7年のブランクがあるボクサーなのに、いきなり世界タイトルマッチである。
なんてムチャなマッチメイクだ。
しかも、それが世界タイトルマッチだということは、観客には試合終了まで知らされないのだ。
なんてムチャな構成だ。

1979年スティンカーズ最悪映画賞

受賞:【最悪の助演男優】部門[リッキー・シュローダー]

ノミネート:【最も苛立たしいインチキな言葉づかい(男性)】部門[リッキー・シュローダー]
ノミネート:【最も苛立たしいインチキな言葉づかい(女性)】部門[フェイ・ダナウェイ]

 

*ポンコツ映画愛護協会