『血まみれギャングママ』:1970、アメリカ

ケイト・バーカーは少女の頃、父と2人の兄に追われて森へ逃げた。父は兄2人にケイトを捕まえさせ、強姦させた。ケイトは「私のためなら何でもする息子が欲しい。私も何でもしてあげる」と心に誓った。時が過ぎ、彼女は夫であるジョージとの間にハーマン、ロイド、アーサー、フレッドという4人の子供を持つ肝っ玉ママになっていた。ジョージに稼ぎが無いので一家は貧乏暮らしを余儀なくされるが、そんな状況の中でケイトは息子たちを溺愛した。
ハーマンとロイドがスージーという娘を強姦して腕を骨折させ、訴えを受けた保安官がケイトたちのボロ家にやって来た。するとケイトは息子たちの犯行を否定し、「あの女は嘘つきなんだ」と吐き捨てた。保安官を追い払った彼女は、息子たちに「あの子は絶対に性病持ちだよ。賢い男なら相手を選びな」と説いた。「保安官が騒ぐからこんなことになった」と愚痴をこぼした彼女は、ジョプリンの町を出ることにした。ケイトたちは荷物をまとめ、ハーマンが保安官の車を盗んで来た。
ケイトはジョージに「ここへ来た連中を追い払うんだよ」と告げ、彼を残して町を出て行く。彼女は車の中で、息子たちに「死ぬまでパパを愛するんだよ。あれでもジョージは、やるだけのことをやったんだ。ただ負け犬なだけだよ。お前たちは違う。邪魔者が来たら、みんなで戦うんだ」と語った。ある日、車で川を渡ろうとした息子たちは、渡し船の代金が足りないので船頭を脅して金を奪い取った。乗客の男が逃げようとしたので押さえ付け、ハーマンが殺害した。
家に戻ったハーマンはケイトに事情を説明し、泣きながら「仕方が無かった。殺すつもりは無かった」と吐露した。ケイトは優しく慰め、「いつも好きなことが出来るわけじゃない。出来ないこともある。でも力を合わせるのよ」と述べた。ハーマンは娼婦のモナに惚れ、彼女から「結婚したいの?」と問われる。モナが「結婚はともかく、ダイヤの指輪が欲しいわ」と言うと、彼は弟たちと宝石店を襲撃した。ハーマンは店主の目を抉ろうとするが、弟たちが制止して逃亡した。
ケイトはハーマンから盗んだブローチをプレゼントされ、大いに感激した。ハーマンが「大した物は盗めなかった」と嘆くと、ケイトは「今日を乗り切れば、いいことがあるさ」と元気付けた。ハーマンとフレッドは慈善イベントの会場へ行き、寄付金を狙う。フレッドは脱いであった服のポケットから財布を盗むが、シェリダンという娘に見つかった。シェリダンが大声を上げて人々を呼び、フレッドは取り押さえられた。その間にハーマンは寄付金を奪って逃走を図るが、こちらも捕まった。
ハーマンとフレッドは、別の牢獄に入れられた。フレッドは同房になったケヴィンに甚振られ、快感を覚えた。ハーマンは荒れ狂い、同房の男を暴行した。ケイトはアーサーとロイドに、「大金を稼いで狡猾な弁護士を雇い、2人を助け出す」と告げた。彼女は息子たちを引き連れて銀行を襲撃し、大金を手に入れた。ケイトは客の婦人4人を人質に取り、逃走する車にしがみ付かせた。それでも警察車両から発砲してきたので、ケイトは1人を突き落して進路を妨害した。
ケイトはハーマンとフレッドを牢から出し、車でメンフィス方面へ向かうことにした。その旅路には、ケヴィンとモナも同行した。ケイトはケヴィンを気に入るが、娼婦のモナには嫌悪感を示した。ハーマンはアーサーから「モナとやってもいいか」と問われ、「構わないが、結婚したら誰にも触らせないぞ」と告げた。モナは「ママに嫌われたって今の生活よりはマシよ」と漏らし、家族の一員になるためにアーサーとセックスした。
ケイトが次の仕事の下見に行っている間、一行は森で休息を取った。湖の桟橋へ出掛けたロイドは、泳いでいるレンブレントという娘と出会った。レンブラントが誘惑する素振りを見せると、ロイドはキスをした。「ヤクでハイになってるんだ」という彼の言葉を冗談だと思うレンブレントだが、注射の跡を見せられて顔を引きつらせた。ロイドが「セックスしたい」と言うと、彼女は怖がって逃げ出そうとした。ロイドはレンブラントを家に連れ込み、ベッドに手足を縛り付けてレイプした。
帰宅したケイトはロイドから事情を聞き、「絶対にほどくんじゃないよ」と命じた。彼女はハーマンの元へ行き、「今度のヤマは30万ドルの大金狙いなのに、お前の弟がマヌケな娘を連れ込んだ」と愚痴る。ハーマンが「マヌケなのはロイドだ」と突き放すと、ケイトは「あの娘を溺死させて湖底に沈めるんだ」と指示する。ハーマンは「ロイドを沈めるべきだ」と言い、ケイトが「自分の弟だろ」と告げると「だから?」と冷淡に告げた。
ケイトはフレッドに手伝わせ、レンブラントを殺害した。モナが「何でもするのね」と軽蔑の眼差しを向けると、ケイトは「この国は自由の国だけど、金が無ければ自由になれない。私は自由になりたいんだよ」と正当性を主張した。ケイトは息子たちに死体を処理させた後、フレッドとケヴィンの寝室へ赴いて「今夜は1人で寝たくない」と言う。彼女は「ケヴィンが欲しい。前から狙っていたんだ」と告げ、「準備は出来てるぜ」と言うケヴィンを自分のベッドへ連れて行った。翌日、ケイトはロイドに、「あの娘にしたことは仕方が無かった。悪いのは、あの娘だよ。私たちの生活を乱した」と述べた。
メンフィスの家を離れた一家は、銀行強盗に集中した。ある時、ケイトは資産家のペンドルバリーに目を付けた。息子たちは彼を拉致し、隠れ家にしている古い教会へ連れ込んだ。しかし過剰に暴力を振るい、大怪我を負わせてしまった。モナが「医者に診せないと死ぬ」と言うと、ケイトはペンドルバリーの面倒を見るよう命じた。彼女は息子たちに命じ、ペンドルバリーの妻に30万ドルの身代金を要求する電話を掛けさせた。その際、主治医であるロスのことも聞き出し、ケイトたちは教会に呼んでペンドルバリーを治療させた。
ペンドルバリーの弁護士が警察やFBIに連絡したため、身代金の受け取りが難しくなった。ケイトはアーサーに妻への連絡を指示し、息子たちに「忘れないで。人質は殺す」と念を押した。身代金を受け取ったケイトはペンドルバリーを連れ出し、息子たちに始末を命じた。息子たちはペンドルバリーに好感を抱くようになっており、殺さずに逃がそうと主張した。ケイトが強硬な態度で殺害を要求すると、息子たちはペンドルバリーを森へ連行した。発砲音を聞いたケイトは、戻って来た息子たちと帰宅した。しかしハーマンはケイトに、空砲で殺したと見せ掛け、ペンドルバリーを逃がしたことを打ち明けた…。

製作&監督はロジャー・コーマン、原案はロバート・ソム&ドン・ピータース、脚本はロバート・ソム、共同製作はノーマン・T・ハーマン、製作総指揮はサミュエル・Z・アーコフ&ジェームズ・H・ニコルソン、撮影はジョン・アロンソ、編集はイヴ・ニューマン、ヴィジュアル・コンサルタントはマイケル・レヴェスク、衣装はトーマス・コスティッチ、音楽はドン・ランディー。
主演はシェリー・ウィンタース、共演はパット・ヒングル、ドン・ストラウド、ダイアン・ヴァーシ、パメラ・ダンラップ、ブルース・ダーン、クリント・キンブロー、ロバート・デ・ニーロ、ロバート・ウォルデン、アレックス・ニコル、マイケル・フォックス、ステイシー・ハリス、リサ・ジル、“スキャットマン”・クローザース、ロイ・アイドム、スティーヴ・ミッチェル他。


1931から1935年に掛けて犯罪を繰り返したケイト・バーカーと息子たちの強盗団を題材にした作品。
監督は『ワイルド・エンジェル』『白昼の幻想』のロジャー・コーマン。
脚本は『地下街の住人』『夜が泣いている』のロバート・ソム。
ケイトをシェリー・ウィンタース、ペンドルバリーをパット・ヒングル、ハーマンをドン・ストラウド、モナをダイアン・ヴァーシ、レンブレントをパメラ・ダンラップ、ケヴィンをブルース・ダーン、アーサーをクリント・キンブロー、ロイドをロバート・デ・ニーロ、フレッドをロバート・ウォルデン、ジョージをアレックス・ニコルが演じている。

ロジャー・コーマンに「斬新な映画を作ってやろう」「新しい物を生み出してやろう」という野心や意欲は皆無である。
彼は基本的に、「ヒット作に便乗しよう」「当たった映画を真似しよう」という精神で映画を製作している。低予算で確実に稼ぎを出そうとするのが彼の方針なので、失敗するリスクの高い挑戦的な作品なんて有り得ない。
ってなわけで、これは当時のアメリカで流行していたアメリカン・ニューシネマに乗っかろうとして作った映画だ。
もっとハッキリ言っちゃうと、完全にアーサー・ペンが監督を務めた1967年の『俺たちに明日はない』の模倣である。

ロジャー・コーマン作品にしては出演者が豪華で、『アンネの日記』『いつか見た青い空』の2作でアカデミー賞助演女優賞を受賞したシェリー・ウィンタースが主演を務め、『青春物語』でアカデミー賞助演女優賞候補となったダイアン・ヴァーシが助演している。
特にシェリー・ウィンタースの存在感は素晴らしく、本人もノリノリでケイトを演じていたようだ。あと3日だけ撮影期間を延長し、10万ドルの予算追加すれば、『俺たちに明日はない』に負けない映画を作ることが出来ると確信していたらしい。
ただ、なんせロジャー・コーマンなので、撮影スケジュールや予算の超過なんて絶対に有り得ない。
むしろ、予定した撮影期間を守るためなら、平気で脚本の数ページを破り捨てちゃうような人なのだ。

冒頭、少女のケイトが父の命令で兄2人に強姦される(取り押さえられたところで映像は終わっており、強姦シーンは描かれない)。
だが、なぜ父親が彼女をレイプしたのか、その理由は全く分からない。そういうシーンを冒頭に配置することで観客のケイトに対する同情心を誘う狙いがあるんだろうと思うが、サラッと処理される上に不条理さが引っ掛かってしまい、あまりピンと来ない結果となっている。
それと、強姦された直後のケイトが「息子が欲しい。「私のためなら何でもする息子が。私も何でもしてあげる」と言い出すのは、全く理解不能だ。「なんでやねん」とベタなツッコミを入れたくなってしまう。
で、そこからカットが切り替わると、もうケイトは4人の子供を持つタフなオバサンになっている。
そういう展開だと、冒頭シーンからの繋がりが上手くない。むしろ同情心を誘うために少女時代の出来事を入れるなら、後から回想形式で挟んだ方が効果的だろう。

ケイトがジョージを残して町を去った後、「ママが娘の頃と世界は変わった。女は公共で露出し、煙草まで吸っている。私的制裁を禁じる議案が提出され、大勢がワシントンに抗議した。でもママと息子たちは政治に無関心。自分たちちのやり方で生きて来た」という語りが入り、当時の記録映像が挿入される。
その後もエピソードが終わる度に、そういう語りと当時の記録映像が挿入される。
しかし、その後のエピソードとの関連性は薄く、形だけアメリカン・ニューシネマを真似しているようにしか感じない。
カントリー&ウエスタンをBGMに使うのも、『俺たちに明日はない』を形だけ模倣しているようにしか感じない。

この映画が『俺たちに明日はない』と大きく異なるのは、主役であるケイト・バーカーと息子たちに人間的な魅力を感じないってことだ。
『俺たちに明日はない』のボニーとクライドは、反権力のヒーローとして描かれていた。
そのように見せるために、銀行に家を奪われた家族を登場させて、彼らの悲哀や銀行への怒りを早い段階で表現していた。
銀行は「貧しい庶民を陥れる悪玉」として定義され、その上でボニーとクライドを「銀行を襲撃しても客の持っている金は奪わず、警察を手玉に取る」というキャラにしてあった。

それに対して本作品のケイト&息子たちは、庶民からも平気で金を奪い、無慈悲に犯したり殺したりしている。
ボニーとクライドは犯罪者ではあったが、共感できる庶民のヒーローだった。しかしケイトたちは庶民からしても、かなり卑劣で残忍な悪党だ。
本来なら彼女たちは共感を誘う、あるいは同情の余地がある面々でなきゃマズいはずなのに、そのための作業は全く無い。
しかも、悪の華としての魅力があるわけでもなくて、ヘドが出るようなクズどもなのだ。

終盤になって、息子たちはペンドルバリーに好感を抱き、殺したと見せ掛けて逃がすという人間性を見せる。
だが、そこまでに犯した卑劣で残忍な罪状を考えると、まるでリカバリーできていない。
それにケイトは、相変わらず人殺しに全くためらいの無い残忍性を保ったままだ。
そんな連中なので、『俺たちに明日はない』の「死のバレエ」シーンを意識したクライマックスが訪れても、そこに悲劇性のあるドラマが生じない。ただ単に、クズどもが駆逐されたというだけでしかない。

そのクライマックスに向けた話の進め方も上手くない。残り10分ぐらいでフロリダに引っ越して、すぐにロイドがヤクの過剰摂取で死亡する。その直後、釣り人の通報を受けたFBIが駆け付けて銃撃戦になり、全員が死亡する。
でも、銀行強盗で警察の車に追われた後、FBIや警察が一家を追っている様子なんて一度も描かれていなかった。
だから、一家が追い込まれていく様子なんて皆無で、あまりにも唐突に最後の時が訪れるので、盛り上がりに欠ける。
あと、邦題は『血まみれギャングママ』だけど、血まみれになるような残酷描写は全く無いし、「死のバレエ」のようなインパクトを与える演出も無いよ。

(観賞日:2015年6月18日)

 

*ポンコツ映画愛護協会