『28DAYS(デイズ)』:2000、アメリカ

ニューヨークで暮らすグエン・カミングスは、夜になると恋人のジャスパーと共にバーへ繰り出し、酒を飲む日々を送っている。その日も彼女は浴びるほど酒を飲んでアパートへ戻り、ジャスパーとセックスして翌朝を迎えた。目を覚ましたグエンは姉の結婚式だと思い出し、慌ててジャスパーにも起きるよう告げる。それでも彼女は朝から酒を飲み、「遅刻だ」と言いながらジャスパーと笑い合った。グエンはジャスパーとタクシーに乗り、そこでも酒を飲む。
遅刻して到着したグエンは、付添人から急ぐよう言われてもヘラヘラと笑う。姉のリリーはグエンに、冷淡な態度で「出来るものなら縁を切りたい」と告げた。グエンはパーティー会場でも酒を飲んで酔っ払い、ジャスパーと踊る。彼女は転倒してウェディングケーキを潰してしまうが、リリーに詫びることもなかった。グエンは他のケーキを買って来ると言い、新郎新婦のための車を勝手に拝借する。彼女は蛇行運転の末、ハンドルを切り損ねて民家へ突っ込んだ。
リハビリセンターへ送られたグエンは、大勢の患者が輪になってスローガンを唱える様子を見て顔を歪める。彼女はジャスパーに電話を掛け、「判事に騙された」と不満を漏らした。そこへ職員のベティーが現れ、グエンの携帯電話を没収した。ベティーはグエンの鞄を確認し、鏡や鎮痛剤など幾つもの物品を没収した。彼女は「電話は決められた時間に10分だけ。患者同士の恋愛や性交渉は禁止」と説明して、グエンを部屋に案内した。
ソープ・オペラが大好きな同室のアンドレアはグエンを食堂へ連れて行き、仲間のボビー・ジーンやゲアハルト、オリヴァー、ダニエル、ロシャンダに紹介する。リハビリセンターにはアルコールだけでなく、ドラッグの依存症患者も入院していた。ダニエルは首に傷があり、「これは自分で開けたの。見ないでくれる?」とグエンに告げる。部屋に戻ったアンドレアは、「彼は二日酔いにならないよう、チューブを使って胃を空っぽにしてた。医者だったから、やり方が分かってた。だけど患者を殺して資格を取り上げられた」と語った。グエンはジャスパーに手紙を書き、面会に来る時には鎮痛剤を持ってきてほしいと頼んだ。なかなか寝付けないグエンはトイレへ行き、幼少期に酔っ払った母から「人生は楽しまなきゃ損よ」と言われた出来事を思い出しながら嘔吐した。
翌朝、グエンはコーヒーがカフェイン抜きであること、煙草が売り切れていることを知って苛立つ。大量のガムやキャンディーを購入したグエンは、集団レクチャーに参加する。しかし彼女は他の患者の告白を冷淡に眺め、お祈りにも同調しなかった。グエンは掃除を拒否し、注意されると反抗的な態度を取った。コーネルという男が煙草を吸っている様子を目にしたグエンは、1本ねだって分けてもらう。「これより効くブツを手に入れるには、どうすればいい?」とグエンが訊くと、コーネルは「カウンセラーに見つかったら追い出されるよ」と告げる。「自分からは言わないわよ」とグエンが軽く笑うと、コーネルは「遅かったね」と言う。コーネルは患者ではなく、センターのカウンセラーだったのだ。
コーネルは「ここで薬をやったら追放されるぞ」と警告し、中毒を治療するための本を渡して感想を書くようグエンに指示した。センターでの生活にウンザリしていたグエンは、ジャスパーが会いに来たので喜んでキスする。彼女はジャスパーに誘われ、彼の車でセンターから抜け出した。酔っ払ってセンターに戻ったグエンに、コーネルは「判決は28日間をセンターで過ごすか、さもなきゃ刑務所行きということだった」と説明する。グエンは軽く考えていたが、コーネルは「警告したぞ」と刑務所に収監する手続きを取ろうとする。グエンは「私は中毒じゃない、自制できる。アンタに私の何が分かるのよ」と訴え、激しい怒りを示した。
部屋に戻った彼女は隠しておいた薬を飲もうとするが、思い留まって瓶ごと窓から投げ捨てた。グエンはガムを噛み、包み紙を折り畳んで時間を潰す。夜にはコーネルが患者を集めて講義を開くが、グエンは参加しなかった。コーネルも以前は酒とコカインの依存症で、彼は患者たちに体験談を語った。グエンは捨てた薬を拾おうと考えて窓から抜け出すが、木から転落して気を失った。新入り患者のエディー・ブーンは彼女を見つけ、センター内に運び込んだ。
右足を骨折したグエンは、しばらく松葉杖を使うことを余儀なくされた。彼女はコーネルの元へ行き、「刑務所には行けない。こんな状態では死んでしまう。死にたくない」と泣いて訴えた。グエンは患者たちからルールに従わないことを非難され、センターを出て行くよう迫られた。グエンが「今までの人生で一番落ち込んでる。真っ暗なんだから、そんなに責めないでよ」と泣きながら訴えると、全員は一斉に拍手した。それはグエンに本心を語らせるためのセラピーだったのだ。
次の日、グエンはロシャンダに掃除道具を渡され、顔をしかめながらもトイレを掃除した。彼女はエディーを見つけて、昨晩のことで礼を言う。しかしアル中のエディーは全く覚えておらず、グエンとセックスしたと勘違いした。グエンは仲間と共に、様々なセラピーに参加した。彼女はコーネルに鎮痛剤が欲しいと訴えるが、「欲望に負けたら死ぬまで変わらない」と告げられる。コーネルは「意地を張ったら責めて」と書いたプレートを用意し、セラピーの一環としてグエンに首から下げさせた。
カウンセラーのイヴリンはロシャンダの家族セラピーで子供たちを呼び、「薬をやるとママがどうなるか」を詳しく語ってもらった。そのセラピーを見学していたグエンは、アル中だった母を思い出した。彼女はリリーに電話を掛け、家族セラピーに来てほしいと頼む。するとリリーは「即答は出来ない」と告げ、電話を切った。面会日にジャスパーがセンターへ現れ、指輪を渡してプロポーズする。グエンは困惑し、「どこで挙式するつもり?普通に暮らしたいの」と告げた。
ジャスパーはグエンに、「だから普通に暮らそうって言ってる」と告げる。しかし彼がシャンパンを用意していたので、グエンは湖に投げ捨てた。グエンが「私は問題がある。酒も薬もやらず、ちゃんとした生活を送ってる人も大勢いる」と話すと、ジャスパーは「そんな生活に何の意味がある?」と刹那的な快楽を求めるべきだと説いた。その夜、部屋に戻ったグエンは、アンドレアが浴室で太腿を自ら切っているのを見つける。アンドレアは母が面会に来てくれなかったことを語り、「私が嫌いなんだ。家の恥だから」と漏らした。
グエンが手当てのために誰かを呼ぼうとすると、アンドレアは「やめて。精神病棟に入れられる。ここを追い出される」と懇願した。彼女はベッドで寝転び、「自殺したんじゃないからね。たまにやっちゃう」と自傷行為について語った。翌日、グエンのグループは森林へ行き、アスレチックを使ったセラピーをする。プロポーズされた情報がアンドレアの口からグループに伝わっており、グエンは全員から否定的な意見を告げられて「自分で決める。別れろって言うけど、あいつは少なくとも私のことを気に掛けてくれる」と反論した。
帰り道、グエンのグループが雑貨店に立ち寄ると、幼い兄弟がエディーに気付いて「エディー・ブーンだ」と興奮した様子を見せた。2人は父親に紙とペンを貰い、MLBのスター選手だったエディーにサインをねだった。エディーは快諾し、兄弟の質問に応じる。「どんな車に乗ってるの?」と兄弟が訊くと、父親はリハビリセンターのバスに気付いて「さあ、そろそろお別れしないと」と告げた。センターに戻ったグエンは、ベディーから届いた手紙を受け取る。グエンはロビーにいるエディーに誰からの手紙か問われ、「姉さん。家族セラピーに来るって。でもお金を払っても来てほしくないわ」と告げた。
グエンはエディーが試合のテープを再生しようとしていると思ったが、アンドレアが好きなソープ・オペラが流れた。グエンが笑っていると、顔が近付いたエディーはキスをした。エディーは謝り、「すぐにやってしまう。考える前に女や薬に手を出してしまう」と口にした。エディーの元には野球のボールが届いており、彼はグエンに問われて「やる気を出させようとしてエージェントが送って来た」と答えた。しかしエディーは次のシーズンに向けた意欲を持っておらず、引退も考えていた。
翌朝、エディーはグエンに促され、ソープ・オペラのテープをアンドレアに渡した。アンドレアは興奮し、グエンとエディーの3人で鑑賞した。家族セラピーに参加したリリーはイヴリンに指示され、「結婚式を妹に台無しにされた」と話す。グエンは全く覚えていなかったが、スピーチで酷いことを言っていた。「この子は自分が被害者のような顔をしてる。私だって父に捨てられ、母は小さい時に死んだ。でも私は、そういう不幸を言い訳に使ったことは無い」とリリーが語ると、グエンは「好きでやってると思うの?」と反発する。結婚式の一件をどう思っているのか話すよう求められたリリーは、グエンの態度に呆れて「関わっていられない」と立ち去った。
エディーが立て掛けたマットに向かって投球練習している様子を見たグエンは、足元にあったボールを拾い上げた。彼女は思い切りボールを投げるがマットには当たらず、その場を去ろうとする。エディーは彼女を呼び止めると、「マットに当てようと思っても当たらない。ストライクゾーンにこだわらず、自分で出来ることだけを考えるんだ。例えばピッチングフォームとか」と助言した。彼は捕手役を務め、グエンにボールを投げさせた。
ダニエルが退所の日を迎え、グループのメンバーは見送った。ボビー・ジーンが「戻らなきゃいいけど」と不安そうに言うと、オリヴァーは「戻らないのは10人に3人だ」と述べた。あと2日で対処を迎えるアンドレアは、早々と荷物をまとめる。彼女は神経質になっており、グエンに「センターを出る人の気持ちなんて分からないでしょ」と言う。翌朝、ダニエルは顔に傷を負い、センターに戻って来た。グエンはアンドレアのお別れ会を開こうと考え、仲間に協力してもらってソープ・オペラを真似した芝居を披露した。だが、その夜にアンドレアは薬を大量摂取し、グエンが気付いた時には息を引き取っていた…。

監督はベティー・トーマス、脚本はスザンナ・グラント、製作はジェンノ・トッピング、共同製作はセリア・コスタス、撮影はデクラン・クイン、美術はマーシア・ハインズ=ジョンソン、編集はピーター・テッシュナー、衣装はエレン・ラッター、音楽はリチャード・ギブス、音楽監修はランドール・ポスター。
出演はサンドラ・ブロック、ヴィゴ・モーテンセン、スティーヴ・ブシェミ、ドミニク・ウェスト、ダイアン・ラッド、エリザベス・パーキンス、アラン・テュディック、マイケル・オマリー、アズーラ・スカイ、レニ・サントーニ、マリアンヌ・ジャン=バプティスト、マーゴ・マーティンデイル、スーザン・クレブス、ロードン・ウェインライト三世、ケイティー・シャーフ、メレディス・ディーン、エリザベス・ルシオ、キャシー・ペイン、リサ・サットン、ジョーン・パンコウ、コリンヌ・ライリー、アンドリュー・ドーラン、メーヴ・マクガイア他。


『プライベート・パーツ』『ドクター・ドリトル』のベティー・トーマスが監督を手掛けた作品。
脚本は『エバー・アフター』『エリン・ブロコビッチ』のスザンナ・グラント。
グエンをサンドラ・ブロック、エディーをヴィゴ・モーテンセン、コーネルをスティーヴ・ブシェミ、ジャスパーをドミニク・ウェスト、ボビー・ジーンをダイアン・ラッド、リリーをエリザベス・パーキンス、ゲアハルトをアラン・テュディック、オリヴァーをマイケル・オマリー、アンドレアをアズーラ・スカイ、ダニエルをレニ・サントーニ、ロシャンダをマリアンヌ・ジャン=バプティスト、ベティーをマーゴ・マーティンデイルが演じている。

序盤、酔っ払い運転のグエンが民家に突っ込むと、すぐにシーンが切り替わってリハビリセンターに移る。
そういう構成だと、ものすごく勿体無いことをしていると感じる。
まだ警察に逮捕される様子や、裁判で判事からリハビリセンター行きを命じられるシーンを省略して進めるのは別にいい。でも、新郎新婦のための車で民家に突っ込む事件を起こした後、リリーの反応を見せずに終わらせるのは賛同しない。
そこはリリーの幻滅なり軽蔑なりを見せておいた方が得策じゃないかと。

グエンが到着した時点で少しだけリリーの対応を見せているが、それだけでは物足りなさを感じる。
後半に入ってからも2人の関係描写はあるし、それなりに大きな意味を持っているはずだ。なので、「姉妹が和解する」というドラマを盛り上げるためにも、グエンとリリーが不和になっている前提条件は、もう少し厚く描いておいた方がいい。
あと、リリー以外の身内が全く見えないのも引っ掛かるんだよね。
後になって両親が死んでいることが分かるけど、それって早い段階で明かしておいた方がいいんじゃないかな。

映画が始まった時点で、既にグエンはアルコール中毒になっている。
その後、「なぜ彼女が酒に溺れるようになっのか」という理由を説明するようなシーンが用意されているのかというと、何も無い。「どうしようもなく辛いことがあって酒に逃げた」とか、そういった背景は用意されていない。
なので当然のことながら、同情の余地は見えない。
ただ単に「バカな女が酒と薬(アルコールがメインだが、どうやら薬もやっている様子だ)に溺れて放蕩生活を送っていた」というだけにしか見えない。

「同情の余地」が用意されていない以上、グエンは登場した時からずっと「身勝手で不愉快な女」になってしまう。
彼女はリリーから縁を切りたいと言われても全く気にしないどころか、嫌悪するような態度を見せる。車で民家に突っ込んでも、全く反省の色は見せない。
「酒を飲んでいる時は正常な判断力が無いままバカ騒ぎしているが、我に返って反省する」といった様子は見られない。
たぶん、グエンは常に酔っ払っているので、そもそも正気に戻る時間が無いんだろう。

ただ、リハビリセンターに入ってからは酒が抜けている時間もあるはずだが、それでもグエンの身勝手極まりない態度は全く変わらない。
何しろ彼女は自分の意志でセンター行きを選んだわけではなく、裁判所の命令で仕方なく入ったのだ。
そもそも彼女は、自分がアル中だと思っていない。その気になれば簡単に自制できると思っている。
センターに入る必要性を感じていないので、そこでの生活に順応しようとせず、反発を繰り返すのだ。

グエンがセンターで反抗的な態度を取るのは、キャラクターの動かし方としては何も間違っちゃいない。話の入り方を考えれば、グエンがリハビリを拒否する様子を描くのは真っ当な道筋だ。
そして、もちろん「最初は反発していたが、やがて本気でリハビリに取り組むようになって」という展開が待ち受けていることも、きっと誰もが容易に推測できるだろう。
そして本作品は、そこに変な捻りを持ち込まず、オーソドックスな展開を用意している。
つまりグエンはリハビリに励み、アル中を克服するってことだ。

そこを「リハビリに失敗し、また酒に溺れるようになりました」とか、それ以外でも「何か今までにないことをやってやろう」という野心で意外性のある展開を用意しても、失敗した可能性が高いだろう。
なので、ベタベタな展開にするのは悪くない。
ただ、それ以前の段階で、「根本的に話が面白くない」という問題を本作品は抱えている。
「アル中のヒロインがリヒバリで立ち直る」という骨格は別にいいのよ。でも、そこから肉付けする作業の段階で、あまりにも工夫が無いというか、手抜きが酷いというか。

そもそも前述したように、「同情の余地が無い」ってのは厄介な問題だ。
ベタベタな「アル中ヒロインの立ち直り物語」を描くのであれば、そこもベタかもしれないけど「ヒロインがアル中になった同情すべき事情」を設定しておいた方が絶対に得策だ。
それを外したことによって得られるメリットなど、何も思い付かない。
ただし、この映画の場合は何か意図があって外したってことじゃなくて、「あまり深く考えずに、グエンがアル中になった理由を説明しなかった」ってことのようにも思えるけど。

「アル中になった理由」が用意されていないとしても、まだ「ヒロインがアル中を克服したいと思っている」という設定なら、そこに同情の余地が生じる。
自らの意志でリハビリを開始するのであれば、なかなか彼女が抜け出せなくても、そこには「何とか酒を断とうとするが、禁断症状の辛さもあって、なかなか抜け出せない」という苦しみが見えるようになる。そして、彼女が頑張ろうと必死でもがく様子を描くことで、観客の同情心を喚起することは充分に可能だ。
しかし本作品の場合、何しろグエンに酒を断つ気が無いので、「ご自由にどうぞ」と冷めた気持ちになってしまう。
そのせいで民家を破壊するだけじゃなく人身事故を起こす恐れもあるので治療しなきゃいけない状態ではあるんだけど、少なくとも「頑張れ」という気持ちにはならない。
コーネルに「自制できる」と訴えた後には、薬を捨てたりガムを噛んで禁断症状に耐えようとしたりする様子が描かれるが、それは「刑務所行きを避けるために慌てて対策を取っている」という風にしか見えないし。

骨折した後、グエンはコーネルの元へ行き、ようやく弱さを見せる。
このシーンからすると、「グエンは最初から不安を抱えて怯えていたが、それを隠して生意気な態度を取っていた」ってことなのかもしれない。
ただし、そういう設定だとしても、それが全く見えないのはシナリオや演出に不備があるってことになる。
ひょっとすると、禁断症状でフラッシュバックがよぎるシーンが「グエンの弱さ」としての表現だったのかもしれない。
でも、そうだとしたら「いや分かんねえよ」ってことだし。

グエンは患者から非難されると、泣きながら「今までの人生で一番落ち込んでる。真っ暗なんだから、そんなに責めないでよ」と訴える。
だけど、そんな風には全く見えなかったのよ。コーネルに刑務所行きを通告されて「このままじゃマズい」と焦り、慌てて変わろうとしているようにしか見えないのよ。
でも、そうじゃなくて「センターに来た時からグエンは落ち込んでいて、ホントは変わろうとしていた」という風に見えなきゃダメなんじゃないかと。
ただ、グエンはセンターのルールに全く従わないし、ジャスパーに誘われると喜んでセンターを抜け出しているし、そんなことを繰り返しておいて今さら同情を誘おうとしても、「いや無理」と言いたくなるわ。

それと、グエンは「今までの人生で一番落ち込んでる」と話しているけど、具体的に何が理由で落ち込んでいるのかは教えてくれないのね。
そこって、実は重要なポイントなんじゃないのか。
「薬を取り戻そうとして窓から抜け出し、骨折してしまった」という出来事に対する落胆だとすると、それは共感に値しないし。
コーネルと話す時の台詞からすると、どうやらグエンは死への恐怖を感じ、ようやく「本気でリハビリしなきゃ」と思ったようだが、そこも無駄に分かりにくいしなあ。

開始から30分ほど経過し、木から落下したグエンを助けるシーンでエディーが登場する。
出演者表記でヴィゴ・モーテンセンは2番目だし、そこからはエディーの扱いが大きくなるんだろう、もしかするとグエンの新たな恋愛対象として使われるのかもしれないなどと思ったが、その予想は見事に外れた。
グエンが礼を言うシーンの後、エディーはあっさりとアンサンブルの中に埋没する。
最初からグループにいた連中の方が圧倒的に扱いは大きく、エディーは何のために後から登場させたのかサッパリ分からない状態と化している。

アスレチックの帰りになって、ようやくエディーの存在がフィーチャーされる。
「エディーが有名な野球選手だった」ってのをグエンが知るタイミングは、その辺りでも一向に構わない。でも、そこまでエディーの存在感が皆無に等しいってのは、どう考えてもキャラの扱いを間違えている。
むしろ、それが明らかになる前の段階でも、グエンがエディーの存在を意識している形にしておくべきじゃないかと。
その上で、「有名な野球選手だったと知って驚く」という手順に入るべきじゃないかと。

グエンが真面目にセラピーを受けて立ち直ろうとする様子を見せたのなら、そこからは今までの自分を反省するような意識に変化するのかと思いきや、そうではない。
リリーが家族セラピーへの参加を承諾したのに、感謝することもなく「金を払っても来てほしくない」と言い放つ。そして彼女が結婚式の一件を批判しても、まるで反省の態度を見せずに反発する。
そうなると、セラピーを拒否していた頃と大して変わらないってことになるぞ。
グループセラピーで素直な心情を吐き出したのなら、それを徹底した方がいい。

終盤、アンドレアは薬の大量摂取で死亡するが、これは自殺ではない。コーネルの説明によると、ドラッグ中毒だったアンドレアが薬から足を洗えず、分量を間違えて死んでしまったってことだ。
このシーンを終盤に用意するのは、「中毒のままだと死ぬこともある」と警告し、真剣に考えるようグエンに促すためだ。それは分かるけど、「この犠牲ってホントに必要かね」と言いたくなる。
それが無くても、もうグエンは真面目にリハビリを続けていたでしょ。誘惑に負けそうな匂いなんて微塵も無かったでしょ。
なので、「話のセオリー」としては理解できるけど、無駄な犠牲に思えてしまう。

アンドレアが死んだ後、グエンが泣きながらリリーに電話を掛けるシーンがある。彼女は特に何も言わず電話を切るが、気になったリリーがセンターへ来て姉妹が互いの正直な気持ちを明かすという展開になる。
どうやら、そこへ繋げるためにアンドレアの死を用意したらしい。
だけど前述したように、「家族セラピーでグエンがリリーに反発する」というシーンからして引っ掛かりがあるのでね。
あと、そこへ繋げる狙いがあるにせよ、やっぱりアンドレアの犠牲は無くてもいいと思うし。それが無くても成立させられる筋書きでしょ。

リリーはグエンに、「人を惹き付ける魅力を持っているのが羨ましかった。自分が母親役をやるべきだったのに、それを放棄した。助けを必要としていたのに、助けなかった」と語って謝罪する。一方のグエンも謝罪し、2人は和解する。
つまり「どっちも悪かったけど、反省して素直に謝罪したことで和解に至る」という形だ。
だけど、こっちはグエンの醜態しか見せられていないので、そこで急に「リリーにも非があったので、どっちもどっち」と言われても、「いや強引すぎるだろ」と反発したくなるわ。
そこに来て「グエンがアル中になった一員はリリーにもある」と主張されても、それは不細工な言い訳や責任転嫁にしか聞こえんよ。

映画を観終わった時に、「これは何を描きたかったのか、何を伝えたかったのか」という疑問が頭に浮かぶ。
ザックリ言うと、「アル中のヒロインがリハビリセンターに入所し、立ち直ってシャバに戻りました」というだけの話なのだ。
大枠の部分だけなら、それで構わない。でも、その中で起伏に欠けた薄い話が淡々と進んでいくだけなのよね。
なので、アルコール中毒やドラッグ中毒の恐ろしさを伝えるためのプロパガンダ・フィルムに、毛が生えた程度になっちゃってんのよ。

(観賞日:2019年6月10日)

 

*ポンコツ映画愛護協会