『サード・パーソン』:2013、イギリス&アメリカ&ドイツ&フランス&ベルギー

デビュー作でピューリッツァー賞を受賞した小説家のマイケルは、執筆のためにパリのホテルで宿泊している。ビジネスマンのスコットはローマで大手企業のジョルジオと接触し、盗み出させたスーツのデザイン画を受け取る。小説家志望のアンナはタクシーに乗り込み、車内で着替える。ニューヨークのジュリアは担当弁護士であるテレサの事務所を訪れ、2度目の精神鑑定を受けるよう指示される。「前の評価は最悪だった。面会権を得たければ挽回して」と言われ、ジュリアは「クリーニング袋で死ぬ子供なんている?」と告げる。テレサは「今は安定していると印象付けて」と述べ、仕事を転々としているジュリアに助手のジーナが指定した場所へ行くよう指示した。
画家のリックは息子のジェシーに、手を使って絵を描かせようとする。ジェシーは嫌がるが、リックは息子の手を絵具に浸した。ジェシーが完成品の絵に絵の具を擦り付けたので、リックは腹を立てた。同棲相手のサムはジェシーに優しく声を掛け、手を拭いてやった。バー・アメリカーノという店に入ったスコットは、店員のマルコが英語を話せないことに呆れる。ビールを注文したスコットは、後から入ってきたロマ族のモニカという女性に目を奪われた。
マイケルはフロント係から客が来たことを知らされ、部屋へ通すよう指示した。マイケルがドアを開けると、アンナが原稿を持って立っていた。マイケルは自分が呼んだのに「原稿だけ置いていけ」と冷たく言い、アンナがセックスに誘っても拒否した。しかしアンナが去ろうとすると、マイケルはベッドに押し倒してセックスに及んだ。スコットはモニカを見つめていたので、「何か用?」と問われる。スコットは飲んでいた酒が気になったのだと言い訳し、そこから会話交わした。
ジュディーは新しい仕事先であるホテルへ行き、教育係のカルロから「この仕事でいいのか?」と問われる。ジュディーが「生活費が必要なの。別れた夫のせいで仕事はクビ。彼からの援助も無い」と言うと、カルロは「店をやってる友人がいる。フロント係に回してもいい」と述べた。ジュリアはカルロの優しい気遣いに感謝しながらも、「人目に付かない仕事がいいの。客室係は誰も見ない」と語った。スコットは携帯電話でメーガンの声を聞き、モニカに「娘だよ。7歳だ」と言う。「お子さんは?」と彼が訊くと、モニカは8歳の娘がいること、明日には2年ぶりに会えることを話す。店に電話が入ると、彼女は慌て受話器に飛び付いた。勝手に電話を使うことにマルコが憤慨してもモニカは意に介さず、メモを取って店を去った。
アンナはマイケルがシャワーを浴びている間に、元カレのダニエルから来た「今夜、パリに着く」というメールを見る。彼女はマイケルの日記を勝手に読み、「どうして自分のことを“彼”と書くの?」と質問する。マイケルは「勝手に読むな」と日記を取り上げ、部屋の金庫に入れる。スコットはモニカが置き忘れたバッグに気付き、マルコに伝える。するとマルコは「爆弾だ」とテロを恐れ、常連客と共に店外へ逃げ出す。スコットは中身が子供服と靴であることを教え、常連客に預けて「彼女が来たら渡してくれ」と告げた。
マイケルと散歩へ出掛けたアンナは、彼が執筆中の小説を読みたがった。マイケルが「駄目だ」と拒否すると、「筋ぐらい教えてよ」とアンナはせがむ。マイケルは「作家の話さ。小説の人物を通してしか、物事を感じられない」と話す。ジュリアは指導を担当する客室係のマーガレットから「役者だったの?」と質問され、「ずっと前にメロドラマ専門の女優だった」と語った。「なぜ辞めたの?」と問われたジュリアが「子供が出来たの」と言うと、マーガレットは「妊娠させられた?男は勝手ね」と口にした。
スコットがバー・アメリカーノへ行くとジュリアがカルロと揉めていた。ジュリアは「バッグには5千ユーロが入っていた。返して」と要求するが、カルロは金のことなど知らないと主張し、執拗に抗議する彼女を追い出した。スコットが声を掛けると、ジュリアは彼にも怒りを向けて「あれは娘のお金よ。娘に謝罪して」と述べた。マイケルはアンナが別に部屋を取っていると知り、「週末は一緒に過ごす約束だ」と口にする。アンナは「同じ部屋は無理。噂になってる。後ろ指を差されるのは嫌なの」と述べた。
モニカはスコットから事情を問われ、娘を船に乗せた男に5千ユーロを渡したこと、下船させるのに5千ユーロが必要なことを語った。スコットは「金を工面しよう」と持ち掛け、自分の宿泊しているホテルへ連れて行って部屋を取ろうとする。しかしモニカの姿を一瞥したフロント係は、「空き部屋はありません」と冷たく告げた。スコットが「俺の部屋に泊まればいい。俺は椅子で寝る」と言うと、モニカは「駅で寝るわ」と立ち去る。スコットは彼女を追い掛け、同じベンチで一夜を過ごした。
アンナはバスローブ姿でマイケルの部屋へ行き、「これを借りてたから返すわ」と言う。アンナはバスローブを脱いで全裸になり、彼を誘惑する。するとマイケルはバスローブを受け取リ、彼女を招き入れずにドアを閉めた。ジュリアが仕事をしていると、テレサから電話が入った。テレサは医師との面談場所が変更になったことを語り、メールを送ろうとする。「プリペイド携帯の通話時間が切れるのよ」とジュリアが言ったので、テレサは住所をメモさせる。客が来たのでジュリアは慌てて仕事に戻るが、メモを部屋に置き忘れた。
マイケルはアンナから原稿の感想を問われ、「ファッション雑誌の記事レベルだ」と酷評した。妻のエレインから電話が入り、マイケルは「携帯を無くしたの。ロビーの写真が入ってたのに」と言われる。マイケルは新しい番号をメモするが、彼が目を離した隙にアンナが盗み取った。マイケルが電話を終えると、アンナは嫌味っぽい言葉を浴びせる。マイケルが「妻とは2週間前に離婚した。愛する人がいると言った」と声を荒らげると、アンナは「私が喜ぶとでも思った?偽りの愛の相手は御免よ」と反発して部屋を去った。
スコットはモニカに5千ユーロを渡し、「見届けたい」と告げて斡旋業者との面会に同行する。ジュリアはメモを無くしたことに気付き、テレサの留守電にメッセージを残す。診療所で待っていた元夫のリックは、同行したサムに「遅刻らしい。なんて女だ」と言う。マイケルは編集者のジェイクと会い、「原稿を読んだが、私が扱うのは小説じゃなくてスターのレシピ本になったので出版は無理だ」と語った。しかしマイケルが「嘘をつくな」と言うと、彼は「分かった。君の処女作は素晴らしかったが、2作目以降は人生の言い訳を書いているだけだ。読めたもんじゃないとは言えなかった」と正直に告げた。
ジュリアは45分も遅刻してしまい、女医は精神鑑定を拒否した。テレサはジュリアを厳しく非難し、「息子さんとは会えないと思って」と通達した。ジュリアがトイレに入って泣き出すと、個室で煙草を吸っていたサムが鼻紙を「使って」と差し出した。スコットは斡旋人のグローサーに金を渡そうとするが、「2万5千ユーロが必要だ」と言われる。担がれていると感じたスコットは、モニカに「騙したな」と怒りを向ける。モニカが「私の金を返して」と言うので、スコットは5千ユーロを渡した。するとモニカはスコットのバッグを乗せたまま、車で走り去った。
マイケルはホテルに戻り、フロント係にアンナへの連絡を頼む。するとフロント係は、アンナから預かっていた「クラブ・ナポリ」というメモを渡す。マイケルはクラブ・ナポリへ行き、美女と踊っているアンナに歩み寄った。マイケルはアンナと楽しく踊り、一緒にホテルへ戻った。マイケルは部屋に入ると、携帯電話に保存してあるロビーの声を再生した。アンナは部屋に入ると、ダニエルからの「会いたい」というメールをチェックした。スコットはグローサーに電話を掛け、金を払うと約束した。
翌朝、マイケルはアンナが外出すると知り、「男か」と問い詰める。アンナは「手に入れるまで愛を求め続ける男なのね。新しい相手を捜したら?」と突き放すように告げ、エレベーターに乗った。スコットはモニカが同席する中で、グローサーに金を差し出した。しかし5万ユーロを要求されたので、「これ以上は払わない」と拒む。するとグローサーは拳銃を構え、「10万ユーロを支払え。払わなければ娘は売春宿行きだ」と告げた。
アンナはダニエルと会って関係を持ち、マイケルは花屋で「妻へのプレゼントだ」と大量の薔薇を購入した。スコットはモニカに「なぜ私のお金を盗んだの?」と詰問され、「分からない。君に会う理由が欲しかったのかも」と釈明した。逆に彼は「なぜ置いて行った?大金を忘れるものか。俺に盗ませて、罪悪感を抱かせて利用したな。いつも男を利用して来たんだろ」と彼女を批判した。モニカが「5千ユーロじゃ足りないと思った」と言うと、スコットは「服装で金持ちだと思ったか。見込み違いだ」と述べた。
スコットは銃を持ってグローサーの元へ乗り込もうとするモニカを制止し、「奴に銃を向けたら君が殺される」と告げた。彼はホテルへモニカを連れ帰り、従業員が泊めることに難色を示すと「俺の妻だ」と凄んだ。スコットはモニカを部屋に招き入れ、関係を持った。彼は仕事仲間のラリーに電話を掛け、自分の口座から残金全てを送るよう指示した。翌朝になってアンナがホテルへ戻ると、部屋には無数の薔薇が飾られていた。アンナはマイケルの部屋へ行き、自分への愛に感激したことを告げる。ダニエルからの電話で「戻ってくれ。お前を守ってやりたい」と言われたアンナは、涙を浮かべながら「さよなら、父さん」と口にした…。

脚本&監督はポール・ハギス、製作はポール・ブレラス&マイケル・ノジク&ポール・ハギス、共同製作はモラン・アティアス、製作総指揮はニルス・ダンカー&アナトール・トーブマン&アルカディー・ゴルボヴィッチ&ティモシー・D・オヘア&ガイ・タナヒル&ファハル・ファイザーン&アンドリュー・デヴィッド・ホプキンス、製作協力はジョー・フランシス&サム・ノジク&ヴェロニク・ハイゲバールト、撮影はジャンフィリッポ・コルティチェッリ、美術はローレンス・ベネット、編集はジョー・フランシス、衣装はソヌ・ミシュラ、音楽はダリオ・マリアネッリ。
出演はリーアム・ニーソン、ミラ・クニス、エイドリアン・ブロディー、キム・ベイシンガー、マリア・ベロ、オリヴィア・ワイルド、ジェームズ・フランコ、モラン・アティアス、ヴィニーチョ・マルキオーニ、デヴィッド・ヘアウッド、ローン・シャバノル、リッカルド・スカマルチョ、オリヴァー・クラウチ、キャロライン・グッドール、ヴィージェイ・カー、マイケル・マーゴッタ、アルド・バフィー・ランディー、ダニエラ・ヴィルヒリオ、ファブリッツィオ・ビジオ、イラリア・ジェナティエンポ他。


『クラッシュ』『告発のとき』のポール・ハギスが脚本&監督&製作を務めた作品。
マイケルをリーアム・ニーソン、ジュリアをミラ・クニス、スコットをエイドリアン・ブロディー、エレインをキム・ベイシンガー、テレサをマリア・ベロ、アンナをオリヴィア・ワイルド、リックをジェームズ・フランコ、モニカをモラン・アティアス、カルロをヴィニーチョ・マルキオーニ、ジェイクをデヴィッド・ヘアウッド、サムをローン・シャバノル、マルコをリッカルド・スカマルチョ、ジェシーをオリヴァー・クラウチが演じている。

この作品には1つの仕掛けが用意されている。
ヒントは幾つも散りばめられているので、たぶん気付く人も少なくないだろう。
マイケルの日記を呼んだアンナが「どうして自分のことを“彼”と書くの?」と尋ねるとか、マイケルが執筆中の小説について「作家の話さ。小説の人物を通してしか、物事を感じられない」と話すとか、そういうのは分かりやすいヒントだ。
冒頭でマイケルが「ウォッチ・ミー」という男児の声を耳にするが、リックに寝かし付けられたジェシーも同じ言葉を言う。
その辺りも重要なヒントになっている。

早々に種明かしを書いてしまうが、この映画は「マイケルの物語」「ジュリアの物語」「スコットの物語」が並行して進んでいくように見せ掛けて、そうではない。
ジュリアの物語とスコットの物語は、マイケルが執筆した小説の内容だ。
マイケルはジュリアとスコットという2人の登場人物に自身を投影しているので、「自らの過失によって子供を亡くしたり、もしくは一緒に暮らせなくなったりして、夫婦関係が破綻した」という共通項があるのだ。
ただし劇中では、「実はジュリアの話とスコットの話はマイケルの創作」ってことをハッキリと示しているわけではない。だから、最後まで仕掛けに気付かないまま終わってしまう観客もいるだろう。

ジュリアがメモを客室に忘れるシーンの後、エレインから新しい携帯番号を知らされたマイケルが手に取る紙には、ジュリアの記した住所が記されている。
マイケルのホテルはパリであり、ジュリアの勤めるホテルはニューヨークなので、そんなことは有り得ない。
しかし、それは決して間違った描写をしているわけではない。ジュリアの物語は創作なので、それが現実に浸食したってことなんだろう。
マイケルがパリのホテルで経験したことが、ジュリアの物語に反映されていると捉えればいいのかもしれない。

ただし、ジュリアが住所を書く作業の方が先に発生しており、その後でマイケルがメモを取るので、やっぱり順番としては変じゃないかと思ってしまう。
これが「マイケルの夢や幻覚」ということなら、マイケルの物語が他の2つの物語と混じり合う部分、侵食する部分があっても別に構わない。
しかし「現実と創作」という関係であるならば、そこの境界線を曖昧にすべきではない。むしろ、キッチリと分離した方がいい。
そこを曖昧にしてしまったら、創作の部分は「小説として破綻している失敗作」ということになってしまう。

ジェイクがマイケルの小説を酷評するのは破綻しているからではなく内容が面白くないからだ。
だから本来なら、破綻が見えてはいけないはずだ。
っていうか皮肉なことに、それを考えると、この映画を退屈だと思うのは、ある意味では正しいんだよね。
だってジュリアのエピソードとスコットのエピソードは、「人生の言い訳を書いているだけで読めたものではない」と酷評されるような内容を映像化したモノなんだから。

この映画が抱えている最も大きな問題は、仕掛けが明らかになった時に、「だから何なのか」と言いたくなるってことだ。
マイケルの心理が、小説の中だけで明かされるわけではない。現実パートで語られない意外な真相が、小説パートで判明するわけでもない。
ミステリーとしては機能していないし、心理ドラマとしても上手く使われていない。
むしろ現実パートだけにして、そこで登場人物の心情を描いた方が、よっぽど深みや厚みが生じて、こちらに強く伝わって来ただろうと感じるのだ。

ジュリアやスコットでさえ、抱えている事情を明確には示さないまま話を進めている。ジュリアなんかは明らかに同情心を誘おうとしているキャラクターのはずなので、だったら最初から詳細を丁寧に明かしておいた方がいいんじゃないかと。
後から「実はこういうことがありまして」と明かすことで得られるサプライズ効果より、隠したまま進めることによるデメリットの方が遥かに大きい。
真相をハッキリさせないままストーリーを進行することによって、主人公が抱えている痛みや悲哀はイマイチ伝わりにくいから、共感も誘いにくい。
この映画にとって、感情移入を遠ざけることが得策とは思えない。

この映画では仕掛けが目的を果たすための手段ではなく、それ自体が目的と化している。まさに「策士、策に溺れる」とは、このことじゃないかと感じる。
ちなみにラストの表現からすると、マイケルでさえ実在しておらず、「3つの小説を書いている作家が自身を投影した登場人物の1人」と解釈した方がいいのかもしれない。
ただし、マイケルが実在していようと、架空の人物であろうと、「別にどっちでもいいわ」と言いたくなってしまうのよね。
しかも、その仕掛けが分からない段階でも観客を惹き付ける力は必要なのに、単独で見た場合に、3つのエピソードがどれも退屈なのだ。登場人物は総じて魅力に乏しく、段取りのために駒として動かされている印象を受ける箇所も少なくない。

冒頭では主要キャラクターの面々が1人ずつ登場する短いシーンが用意されているのだが、その「群像の1人」としてアンナやテレサを入れているのは、ちょっと幅を広げ過ぎじゃないかと思ってしまう。喪失の痛みを抱えている面々だけに絞り込んだ方がいいんじゃないかと。
幅を広げたことで、話の焦点がボヤけてしまったように感じるのだ。
アンナに関しては近親相姦ってのが終盤に判明するが、そういう要素を入れるとボヤけちゃうでしょ。マイケルがそんなに心の痛みを表現しているわけでもないので、アンナの近親相姦が判明すると、彼女の抱えている問題の方が遥かにインパクトが大きくなっちゃうし。
テレサに関しては、スコットの別れた妻であることが終盤に判明するけど、それなら彼女の出番はもっと増やしておいた方がいいんじゃないかと思うし。

マイケルがアンナを冷たく追い返すと見せ掛けてベッドに押し倒すとか、ヌードのまま締め出されたアンナが廊下を走る様子を従業員が監視カメラで見ているとか、そういうのって、何がしたいのか、ホントに描くべきことなのかと思ってしまう。
後者に関してはマイケルのイタズラってことのようだが、そこで変にユーモラスを持ち込むこと自体、どうなのかと思うし。
緊張が続けていれば、緩和を入れた方がいいケースもある。
だけど緊張が続いていたわけじゃなくて、むしろ弛緩していたと言ってもいいし。

「マイケルはこんな風に振る舞っているけど、実はこんな心の傷があって、こんな感情を抱いている」というのを「現実と創作の違い」を使って見せようとするなら、少なくとも前半部分におけるマイケルの物語は、もっと徹底して悲哀の色を隠した方がいいわけで。
だから、そういう狙いがあるとしても、中途半端ってことになる。
ただし前述のように、マイケルの分も創作の可能性があるし、そういう狙いは無いんだろうと思うけど。

マイケルはアンナと不倫しているが、痛みを忘れるためとか、喪失感を埋めるためとか、そういう目的があるようには見えない。単純に、若い女と浮気しているだけにしか見えない。
だから出番は圧倒的に少ないのに、エレインの方がマイケルよりも遥かに同情心を誘う。
っていうかマイケルの物語に関しては、アンナよりもエレインの方が重要なんじゃないかと思うんだよなあ。
あと、最終的にマイケルはアンナの近親相姦を暴露する小説を出版するわけで、「ただのクズじゃねえか」と言いたくなるぞ。

スコットが騙されている疑念を抱きながらもモニカのために大金を捻出するのは、「自分のせいで娘を死なせた過去があるから」ということなんだろうけど、それにしたって無理があると感じる。
まあ「マイケルの創作だから」と言ってしまえばそれまでだけど、だとしても「ジェイクから酷評されても仕方が無い」ってことになるだろう。
しかもスコットはモニカの娘のことを知る前から、異性としての彼女に強い興味を抱いて声を掛けている。明らかにナンパのような目的が先にあって、娘のことを知るのは後からだ。結局はモニカと寝ちゃうから、「やっぱり、それが目的か」と言いたくなるし。
仮に相手がオッサンだったとして、スコットが同じように大金を払っていたとは到底思えない。そして、そう思えないってことは、マズいんじゃないかと思うのよ。

あと、スコットは他社のデザインを盗んで稼いでいるわけで、そんな方法で得た金だから、「所持金全てをモニカのために投げ出す」という犠牲を見せられても、ちょっと受け取り方が微妙になる。
「真面目にコツコツと働いて溜めた金」か、「あこぎな方法で稼いだ金」かによって、それを投げ出す覚悟ってのが違って来るし、スコットの「無償の奉仕」に対する観客の印象も変わって来る。
で、「あこぎな方法で稼いだ金」にしてあることが、得策とは思えない。
そこ以外では「スコットがデザイン泥棒の仕事をしている」という意味ありげな設定が全く活用されておらず、マイナスになる部分だけで機能しているってのも、いかがなものかと。

どの話も基本的には陰気でジメジメしているし、最終的に救われないまま終わっている。
スコットの物語は最終的にモニカと逃げることになるから「愛は手に入れた」ってことになるんだろうし、ジュリアも息子と会えることになっているけど、その2つは創作だから、ホントはマイケルのトコに救いが生じなきゃいけないはずで。
ところが、マイケルは前述したように「アンナの近親相姦を小説で暴露する」というだけでなく、エレインとの会話さえ小説に書こうとするクズっぷりを見せ付ける。そんな風だから彼が反省しているようには微塵も見えないし、もちろん同情心も沸かない。
そういう意味じゃあ彼に救いが訪れないのは自業自得とも言えるけど、なんで「主人公はクズ野郎」ってことで終わらせちゃうのかと。

(観賞日:2015年9月11日)

 

*ポンコツ映画愛護協会