『ザ・ワーズ 盗まれた人生』:2012、アメリカ

有名作家のクレイ・ハモンドは講演会に出席し、大勢の聴衆を前にして自らの著書『The Words』の朗読を始めた。『The Words』第一部は、老人がリムジンに乗り込むローリーとドラのジャンセン夫妻を見ているシーンから始まる。ローリーは新人文学賞を受賞し、その記念パーティーへ向こうところだった。会場に到着したローリーは、出版社のネルソン・ワイリー社長から「君の作品は素晴らしい。どの書評も絶賛している」と言われる。スピーチや写真撮影を行い、彼は妻と共に会場を去った。一方、老人はホテルの部屋で本を読み、考えにふけった。
クレイの朗読は、さらに続く。ローリーは小説を発表する5年前、大学を出てブルックリンでドラとの同棲生活を始めた。古いロフトで暮らし始めた頃から、ローリーは大作家になることを夢見ていた。貧しい生活の中で生活費を切り詰め、彼は執筆に没頭した。ローリーは会社を経営する父を訪ね、来月分の生活費を借りようとする。父は「これが最後だ、そろそろ諦めて安定した仕事を見つけろ」と諭し、小切手を渡した。
クレイが「ローリーは小説を幾つもの出版社に送るが、芳しい結果は得られなかった。彼は就職せざるを得なくなり、コネを作るために大手出版社で働き始めた」と話していると、会場にダニエラという女が入って来た。ローリーと同じく作家志望のダン・ザッカーマンも出版社で働いていた。ザッカーマンはローリーに、「コネは作った。あちこちに作品も送った」と語った。ローリーはドラと結婚し、新婚旅行でパリへ出掛けた。骨董品の店に入ったローリーが革製の鞄を気に入ると、ドラはプレゼントとして購入した。
新婚旅行から戻ったローリーが出版社の仕事をしていると有名なエージェントのティモシー・エプスタインから連絡が入った。彼は作品を称賛するが、「今の出版業界では、こういう本を新人が出すのは難しい」と厳しい現実を告げた。他の出版社からも快い返事が得られない中、あの鞄を開けたローリーは原稿が入っているのを見つけた。それは作者不明の小説で、ローリーは素晴らしい内容に魅了された。
友人夫妻と外食中に苛立ちを覚えたローリーは、店を出た。ドラが追い掛けると、彼は「僕の人生は間違ってる。永遠に夢は叶わない」と喚いた。後でドラに詫びたローリーだが、あの小説が頭から離れなかった。深夜にベッドを抜け出した彼は、小説の内容を一字一句変えずにパソコンで全て書き写した。次の日、ローリーが帰宅すると、その小説を読んだドラが感動していた。「今までの作品と全く違う。貴方の本当の姿が現れている」と言われ、ローリーは黙り込んだ。
「作家になる貴方の夢が叶うわ。これは傑作よ。会社の人に見せて」とドラに告げられ、ローリーは勤務している出版社の編集長であるジョセフ・カトラーに自分の作品として小説を渡して「感想が欲しい」と求めた。カトラーは数ヶ月が過ぎてから、妻の勧めで原稿に目を通した。カトラーはローリーを呼び出し、「君は名作を書いた。代理人を任せてほしい」と述べた。ローリーは契約書に署名し、小説『窓辺の涙』は出版された。作品は絶賛を受けて爆発的にヒットし、たちまちローリーは人気者となった。
クレイが第一部の朗読を終えると、聴衆は拍手を送った。休憩に入ったクレイがロビーでサイン攻めに遭っていると、ダニエラがワインを持って近付いてきた。クレイは彼女を口説き、控室に呼んだ。ダニエラはクレイについて、様々な情報を知っていた。「奥さんとは大学で出会った」とダニエラが言うと、クレイは「彼女とは別れた」と口にした。そのこともダニエラは知っていたが、まだクレイは結婚指輪をしていた。どうやって入ったのかクレイが尋ねると、彼女は「大学院の教授にチケットを貰ったの」と答えた。
休憩が終わり、クレイは第二部の朗読を始めた。記念パーティーの翌日、老人はローリーを追ってセントラル・パーク行きのバスに乗った。老人はベンチで読書するローリーに話し掛け、「世間に評価される気分はどうだい?」と尋ねる。「認められるのは嬉しい」とローリーが言うと、老人は「人生は君に微笑んだ」と告げる。老人は小説を読んで素晴らしいと感じたことを述べ、ローリーが礼を述べて去ろうとするとサインを求めた。
ローリーがサインを書くと、老人は「私のアイデアを君が小説に書いたら分け前をくれるかい?」と問い掛けた。ローリーが「インチキになる」と告げて立ち去ろうとすると、老人は「小説を無くした男と、それを見つけた若者の話だ」と言う。ローリーは表情を強張らせて立ち止まり、老人の隣に腰を下ろした。すると老人は、「1944年のことだ。18歳の青年が兵役に就いていた。終戦直前、パリに送られた」と語り始めた。
青年の部隊は主に下水道の修理という辛い仕事を任されたが、それでも彼は楽しんでいた。青年は自分と全くタイプの異なるデイヴという読書家の兵士と親しくなり、初めて本を読んだ。青年は感銘を受け、自分も小説家になりたいと思うようになった。しかし、どうすればいいのかは全く分からなかった。ある日、青年はカフェで働くセリアに好意を抱いた。互いの言葉が通じない2人だが、すぐに愛し合う関係となった。除隊となった青年はアメリカへ帰国するが、セリアのことが忘れられなかった。
青年はパリへ戻り、作家になる準備として英語雑誌の記者となった。彼はセリアと結婚し、やがて女児が誕生した。だが、生後間もなくして娘は病死し、セリアは悲嘆に暮れた。娘を失ったことで夫婦間に心の距離が生まれ、セリアは「考える時間が欲しい」という手紙を置いて実家へ帰ってしまった。青年は嗚咽した後、一心不乱に小説を書いた。彼は2週間で完成させた原稿を持って、セリアを訪ねた。小説を読んだセリアは、青年の元へ戻った。だが、その時にセリアは、原稿を入れた鞄を列車の中へ置き忘れてしまった。青年は必死で探し回るが、鞄は見つからなかった。青年はセリアに激しい苛立ちをぶつけ、そのことで再び2人の心に距離が生じた。青年は帰国し、2度とパリには戻らなかった。
老人はローリーに若かりし頃の出来事を語り終えると、「あの原稿を無くしてから書けなくなった。老いた私は、君の本を読んだ」と言う。「誤解なんだ」とローリーが釈明しようとすると、彼は「誤解じゃない。もう君は逃げられない。あれは私の物語だ」と述べた。老人は「どうやって手に入れたか知らないが、事実を知って欲しかった。これも次のネタになる」と言い、公園を去った。クレイは「ローリーは全てを忘れて座っていた。やがて日が沈み、ローリーは家路を探し求めた」と最後の文章を語り、朗読を終えた。
拍手の中、クレイは「続きを読みたい人は本を買って下さい」と告げて笑いを誘った。彼はダニエラから「飲みに行かない?」と誘われ、家に招き入れた。クレイはダニエラを書斎へ連れて行き、ワインを用意する。ベランダに出た2人は、ワインで乾杯した。ダニエラが本の続きを知りたがるので、クレイは語り始めた。老人の話を聞いた後、ローリーは酒に溺れた。浴びるように酒を飲んだ彼は、ドラに「あの小説は僕が書いたんじゃない。誰の作品か分からないまま盗んだだけだ」と告白する…。

脚本&監督はブライアン・クラグマン&リー・スターンサール、共同製作はベン・サックス&ジェームズ・レイセク&ローズ・ガングーザ、製作はマイケル・ベナローヤ&タチアナ・ケリー&ジム・ヤング、製作総指揮はローラ・リスター&カシアン・エルウィズ&リサ・ウィルソン&ブラッドリー・クーパー、撮影はアントニオ・カルヴァッシュ、編集はレスリー・ジョーンズ、美術はミケーレ・ラリベルテ、衣装はシモネッテ・マリアーノ、音楽はマーセロ・ザーヴォス、音楽監修はローラ・カッツ。
出演はブラッドリー・クーパー、ジェレミー・アイアンズ、ゾーイ・サルダナ、デニス・クエイド、オリヴィア・ワイルド、ベン・バーンズ、ノラ・アルネゼデール、マイケル・マッキーン、ジョン・ハナー、J・K・シモンズ、ロン・リフキン、ジェリコ・イヴァネク、ジェイムズ・バブソン、ブライアン・クラグマン、エリザベス・ストーバー、ジャンパオロ・ヴェヌータ、レニ・パーカー、ケヴィン・デスフォッシズ他。


「ハングオーバー!」シリーズのブラッドリー・クーパーが主演と製作総指揮を兼ねた作品。
『トロン:レガシー』の原案に携わったブライアン・クラグマン&リー・スターンサールのコンビが、初めて監督と映画脚本を手掛けている。
ローリーをブラッドリー・クーパー、老人をジェレミー・アイアンズ、ドラをゾーイ・サルダナ、クレイをデニス・クエイド、ダニエラをオリヴィア・ワイルド、青年をベン・バーンズ、セリアをノラ・アルネゼデール、ワイリーをマイケル・マッキーンが演じている。

この物語は入れ子構造になっていて、その構成が作品の売りであり、肝である。
しかし残念なことに、その構成は本作品にとって明らかにマイナスの作用が大きい。
複雑な構成は物語の面白さに繋がる部分より、「無駄にややこしくてドラマに入り込みにくい」という部分の方が強い。
「策士、策に溺れる」という言葉があるが、ブライアン・クラグマン&リー・スターンサールが策士かどうかはともかく、入れ子構造という本人たちが自信を持っていたであろう策が、邪魔になっている。

それと何よりも大きいのは、「どう頑張ってもブラッドリー・クーパーとデニス・クエイドが同一人物には見えない」ってことだ。
ここは最初から同一人物であることを明かして進める構成であれば、同じ役者に演じさせることが出来る。しかし、そこを隠したまま終盤まで引っ張るためには、別人を起用する必要がある。
でも「実は同一人物である」と明かされた時に、「いや、全く同一人物に思えねえよ」と言いたくなってしまう。
そりゃあ小説の中の人物だから、作者と見た目が全く違っても仕方が無いっちゃあ仕方が無いんだけど、やっぱり違和感は拭えないよ。

せめて「クレイが自伝的小説を描きました、過去を振り返ります」ということを明かした上で自作小説の内容(もしくは回想シーン)に入り、その中で老人の執筆した小説の内容が描かれるという構成であれば、もう少しスッキリしただろう。
ただし、それでも「そもそも老人の小説部分まで入れ子にする必要性が果たしてあったんだろうか」という気はする。
それに、そこを入れ子にするなら、今度は「クレイが自作の朗読として過去を語っている」という部分が不要に思える。
ようするに、どっちにしろ三重構造は要らない気がするのだ。

二重構造にするとして(そうすべきだと思うし)、どっちを選択した方がいいのか考えると、やはりクレイの部分を外すべきだろう。
なぜなら、彼が若い女に言い寄られて関係を持とうとするエピソードが、ちっとも面白くないからだ。
いや面白くないどころか、ぶっちゃけ、何の意味があって盛り込まれたエピソードなのかさえ良く分からない。ダニエラなんて、何のために登場したのかサッパリ分からんし。
クレイの登場するエピソードをバッサリと削ぎ落として、ローリーの話で最後を締め括った方がスッキリするのだ。

頻繁にクレイのシーンへ戻り、序盤からダニエラも登場させるのだが、その構成も上手くない。
朗読シーンでローリーのエピソードに入ったら、余程のことが無い限りは、クレイのシーンに戻るべきではない。頻繁に戻ることによってローリーの話に集中できなくなるし、無駄にゴチャゴチャしてしまう。
クレイのナレーションでロリーの物語を進行するのも冴えない。ロリーの物語が始まったら、なるべくナレーションは入れずにドラマとして内容を見せるべきだ。
これは青年とセリアの物語も同様で、老人のナレーションで進行することによってドラマとしての深みや奥行きが無くなってしまう。
どんな映画であってもナレーションが必ず邪魔になるというわけではないのだが、この作品では無い方がいい。

ナレーションで淡々と説明しちゃうことも影響して、青年とセリアの物語を描いた『窓辺の涙』は「ローリーが魅了され、ドラが感涙し、絶賛されて爆発的にヒットする」という小説として設定されているのに、老人が語る過去は凡庸にしか思えない。
そこに「感動の傑作」という説得力が乏しいのは、かなり厳しい。
ナレーションによる説明に頼り過ぎてしまい、ドラマとしての厚みや深みに欠けるのだ。

入れ子構造を処理するだけで手一杯になり、それぞれの物語を充実させるところまで至っていない。
例えばローリーの物語では、盗作を自作として発表することへの迷い、それで文学賞を獲得して人気者になったことへの葛藤、老人から話を聞いた後の苦悩、そういったモノが薄い。
青年の物語では、娘を失ったことに対する彼の悲しみ、妻への愛より小説を優先したことへの悔恨、そういったモノが薄い。

入れ子構造よりも、こっちが気になるのは「それで、この話は何が言いたいの?」ってことだ。
老人は自分の作品であることをローリーに告げるが、真実を暴露しようという気は無いし、金を要求するわけでもない。「なぜ僕の前に現れた?苦しめるためか」がローリーが質問すると、「ただ教えておきたかった」と答える。
しかし「お前は私の人生の一部を盗んだ。それで許されると思ったのか」と責めているんだから、やはり苦しめたいんじゃないのか。
ただ教えるだけで満足しているわけではなくて、ローリーが「真実を公表する」と言うと、愚かな行為だと評する。で、「どうすればいい?」とローリーが尋ねると、「私の言葉を奪うなら、苦しみも背負え」と語る。
やっぱり苦しめたいんじゃねえか。

もちろん老人が自分や家族について書いた大切な小説だし、それを盗作されたことで「人生の一部を奪われた」と怒りを覚えるのは当然だ。
だからローリーが「過ちを正したい」と告げても決して許さず、「一度犯した過ちを正すことは出来ない。どれだけ苦しんでも無理だ」と言うのも分からんではない。
ただし、そうなると、ローリーには逃げ道が残されていない。そして映画としても、逃げ道が無い。

そのままだとローリーが苦悶するだけで終わってしまうので、老人に結婚して幸せになったセリアを見掛けた過去の出来事を語らせ、「私の失敗はセリアより言葉を愛したことだ」「振り返るな。自分の選んだ人生を生きるしかない」と言わせることで、逃げ道を用意する。
少なくとも着地の形としては、キレイに決まるような準備は整えられている。
ところが、だったら「ローリーは盗作の苦しみを背負いつつ、それでも前に進もうと決意する。ギクシャクした妻との関係を修復し、小説家として優れた作品を書こうとする」という形で終わればいいものを、ローリーは後にクレイのような男になってしまうのだ。

クレイはドラと離婚しており、ダニエラをナンパして家に連れ込む。他人の人生の一部を奪ったことに対する苦しみを背負い続けているようには全く見えず、それをきっかけにして真摯な姿勢で人生を歩んでいるようにも見えない。それどころか、軽い調子で「酷い間違いを犯しても生きて行けるし、いい生活を送れる」と口にする。
それが本心ではなく、ダニエラが語る「過ちを忘れて書けるとしても、永遠に自分を疑う。夫婦は真実を見るのが辛くて別れる。男は自信家を装っていても、夜になると老人の顔を思い出して眠れない」というのが真実だとしても、それだと着地がキレイじゃないのは確かだよ。結局、ローリーは老人の言葉があっても全く吹っ切れることが出来ず、過ちを犯したせいで年を取ってからも苦悩し、もがき続けているってことなんだから。
ひょっとして、これは「一度でも過ちを犯した者は、そこから逃れられない。死ぬまで苦しむのだ」という教訓めいたメッセージが込められた話なのか。
そんな風にしか受け取れないけど、どうであれ、嫌な後味の映画だなあ。

(観賞日:2014年12月5日)

 

*ポンコツ映画愛護協会