『ザ・ライト -エクソシストの真実-』:2011、アメリカ
マイケル・コヴァックは遺体安置室に入り、女性の遺体に丁寧なエンバーミングを施した。父親のイシュトヴァンは葬儀屋で、マイケルは仕事を手伝っている。いつもマイケルはイシュトヴァンから「遺体の処置はしても死者の話はするな。不吉だ」と言われ、「死体があるだけで不吉だ」と反論した。マイケルはボクシングジムへ行き、友人のエディーにサンドバッグを持ってもらってストレスを発散する。彼は町を出たいと思っているが、コヴァック家では昔から葬儀屋か聖職者になる以外の選択肢が無い。そこでマイケルは町を出るための方法として、神学校を受験した。
マイケルは聖職者になりたいと思っているわけではなく、「向かなければ、いつでも辞められる」とエディーに告げた。マイケルは幼い頃に母を亡くし、父がエンバーミングする様子を目撃していた。神学校の卒業を控えたマイケルは、心理学や美術史の試験で優秀な成績を収めていた。しかし神学の結果は悪く、マシュー神父から「わざと落としたように見える」と指摘される。雨の夜、マイケルはマシューに、神父になる気が無いことを明かすメールを送った。
学校を出たマイケルは、後ろからマシューに声を掛けられる。マシューは転倒し、慌てて避けようとした自転車の女性が車にはねられた。マイケルは運転手に救急車を呼ぶよう指示し、女性に駆け寄った。すると瀕死の女性は、彼に「どうか祈ってください、神父様」と頼んだ。「このまま死にたくない」と懇願されたマイケルは、動揺しながらも祈りを捧げた。彼は女性にサンドラという名前を聞き、「この世で犯した罪は許された」と告げた。
後日、マシューはマイケルに、「自分でも転んだ理由が分からない。責任があるように思えてしまう」と話す。彼はマイケルの行動が立派だったと称賛し、神父にならなければ奨学金の免除が撤回になる可能性もあると教える。マシューはマイケルに、「昨年、バチカンには50万件以上の悪魔憑依の報告があった。そこで今から1年以内に、アメリカの教区全てにエクソシストを置けという命令が下された。だが、進んで引き受ける者は多くない。バチカンには新しく、悪魔祓いの養成講座が出来た。私は候補者を捜している」と語った。
「なぜ私に?信仰心が無いのに」とマイケルが尋ねると、マシューは「君は現実から逃げるため、神学校に入った。しかし、逃げ場は他にあった。講座を受けろ。その後でも辞めたいと思ったら、その時に話そう」と述べた。マイケルは2ヶ月の講座を受けるため、ローマへ飛んだ。バチカンに着いたマイケルは、ザヴィエル神父の講座に出席した。ザヴィエルは悪魔祓いの記録映像や写真を受講生たちに見せ、「悪霊の数と名前を明らかにするのがエクソシストの仕事だ。名前が分かれば追い払える」と説明した。
ザヴィエルが「悪魔に憑依された者は聖なるシンボルに拒否反応を示す」と話すと、アンジェリーナという女性が「悪魔に憑依されたという妄想だったら、どうなりますか?似たような反応が出ませんか」と質問した。ザヴィエルは「精神的疾患と悪魔憑きは混同しやすい。その違いを見極めるのがエクソシストの仕事だ」と言い、「どう見極めるんです?」と問われて「方法は幾らでもある」と告げる。彼が「悪魔憑きは正気に戻ることがあるし、急に特別な能力を発揮することがある」と説明すると、マイケルは「精神疾患でも同じです」と具体例を挙げた。するとザヴィエルは、「これは宗教を科学的見地から検証する講座ではない」と述べた。
講座が終わった後、マイケルはアンジェリーナに声を掛けられた。彼女と別れたマイケルはザヴィエルに呼び止められ、「マシューは親友だ。君は見込みがあるから目を掛けてくれと言われた」と聞かされる。皮肉めいた態度で悪魔への疑念を語るマイケルに、彼は「明日、私の友人を訪ねるといい。彼のやり方は正当とは違う」とルーカス・トレヴァント神父に会うよう勧めた。次の日、マイケルがルーカスの家へ行くと、「君に会わせたい人がいる」と言われる。すぐにロザリアという妊婦と叔母のアンドリアが現れ、ルーカスは「見たいなら悪魔祓いを手伝ってもらうぞ。ここで叔母と一緒にいてもいい。どちらにしても、ロザリアとは話すな」とマイケルに告げた。
ルーカスは悪魔の憑依を疑うマイケルに、「何でもいいから所持品を出せ」と言う。マイケルが1ドル札を出すと、彼は袋に入れるよう指示した。ルーカスはマイケルを奥の部屋に連れて行き、椅子に座らせたロザリアに質問した。袋に1ドル札が入っていることをロザリアが言い当てると、ルーカスはマイケルに「これが憑依を見極める一番早いテストだ。悪魔は彼女を通して、その力を見せた」と語った。ルーカスは悪魔祓いの途中で電話が鳴ると、席を外して携帯で話し始めた。部屋に戻って来た彼は悪魔祓いを再会し、ロザリアが脱力すると儀式は終了した。
ロザリアが去った後、マイケルは「これだけなんですか」と問い掛ける。ルーカスは「魂を救うためには数ヶ月から数年は掛かる」と言い、まだロザリアには悪魔が憑依したままだと話す。彼が「泥棒は忍び込んだ家の明かりを付けない。悪魔も自分の存在を隠そうとしてる」と言うと、マイケルは皮肉っぽく「いないと思わせることが、悪魔がいることの証明とは複雑ですね」と述べた。ルーカスは彼に、「私も信じる心を失うことがある。私は弱い人間だ。力は無い。しかし、何かが私を内側からかきむしっている。それが神の爪だと、私は思っている」と語った。
ルーカスの家を出たマイケルは、またアンジェリーナに声を掛けられた。彼女はジャーナリストで、記事を書くための取材として講座を受けていた。彼女はルーカスに取材を断られていると明かし、何があったか教えてほしいと持ち掛けて名刺を渡した。次の日、マイケルはザヴィエルから「ルーカスはどうだった?」と訊かれ、「相手は精神科医に診せるべき、妊娠した少女です。彼女が心配です」と話した。ザヴィエルは「苦しみを与えているのは悪魔だと悟らねばならない。神父は彼女を救う」と語り、その場を後にした。
寮に戻ったルーカスは、ポケットにロザリアのブレスレットが入っているのを見つけた。彼はルーカスの家を訪れ、悪魔祓いの儀式に同席した。マイケルがブレスレットを見せ、ルーカスに通訳してもらってロザリアに質問した。ロザリアはブレスレットを父に貰ったこと、彼が家族を置いて出て行ったことを話す。マイケルはブレスレットを返し、ルーカスは悪魔祓いを始める。するとロザリアはマイケルを鋭く見据え、不気味な男の声で「あの太った女を覚えてるか。自殺した女だ。お前に地獄からよろしくと言っていたぞ」と告げた。
ルーカスが名前を教えるよう迫ると、ロザリアは暴れ回って拒絶した。ロザリアはマイケルの首を絞めて襲い掛かり、苦悶して釘を吐き出した。ルーカスはロザリアを眠らせ、「何日か経ってら家族の元に返す」とマイケルに言う。マイケルは「医者の立ち合いが必要です」と述べ、適切な医療処置が行われていないことを批判した。彼が「過去に死者が出たことは?」と質問すると、ルーカスは「15歳の少年が自殺したことがある。私は悪魔に負けたと思った」と答えた。
マイケルは改めてロザリアを精神科医に診せるよう主張し、彼女は父親にレイプされたのだと話す。しかしルーカスは彼の考えを一蹴し、「悪魔を否定しても、悪魔から身を守れない」と説いた。寮に戻ったマイケルは、父から母のエンバーミングに呼ばれた時のことを思い出した。翌日、マイケルはルーカスに同行し、ヴィンチェンゾ少年と母親のフランチェスカが暮らす家へ赴く。ヴィンチェンゾはルーカスに、夢の中でラバに襲われたと話した。フランチェスカが息子の体を見せると、ラバに噛まれた傷が残っていた。
ルーカスはヴィンチェンゾの枕を切り裂き、「悪魔が潜んでいた」と言って蛙を見せた。彼は蛙を焼いて祈りを捧げるが、マイケルは問題が解決したとは思えなかった。彼が「対象者の勘違いだと思っても悪魔祓いをするんですか」と質問すると、ルーカスは「祈りは人を傷付けない」と言う。マイケルはルーカスが席を外した隙に彼の鞄を調べ、蛙が入っているのを見つけた。それだけでなく、ルーカスの家庭にも何匹かの蛙がいた。
ルーカスはロザリアが自殺を図ったという連絡を受け、マイケルを伴って病院へ向かう。ロザリアは男の声で「女を痛め付けてやったぞ」と喚き、看護師たちが取り押さえてベッドに拘束した。ルーカスが悪魔祓いを開始すると、ロザリアは不気味な声で挑発する。マイケルは冷めた態度でロザリアに話し掛け、「存在しない物は恐れない」と告げた。病室を出たルーカスから「言い負かせたと思うか」と問われた彼は、「ただの病気の少女です。必要なのは神父ではなく医者です」と述べた。
「君は騙されてる」とルーカスが言うと、マイケルは「手品の鞄を忘れてます」と鞄を渡して立ち去った。しばらくするとロザリアの病室にはゴキブリが出現し、彼女は急に産気付いた。大量出血でロザリアも胎児も死亡し、ルーカスはマイケルの前で「奴は狙い通りに彼女の命を奪った」と落胆した。彼は立ち去るマイケルに、「君は善良な魂を持ってる。大事にしろ」と告げた。マイケルはアンジェリーナを呼び出し、取材への協力を承知した。
アンジェリーナは彼に、弟が19歳で精神科に入れられたこと、「悪魔の声が話し掛ける」と苦しんでいることを明かす。その言葉が現実になることもあり、弟に恐怖を感じるようになったのだと彼女は語った。その夜、マイケルはエンバーミングをしている夢を見た。そこへロザリアのブレスレットを付けた男が現れ、彼の首を絞めた。夢から醒めた彼の元に、父が倒れて意識不明になったという知らせが届いた。マイケルが帰国の支度をすると、部屋の中が蛙だらけになっていた。火山の噴火で飛行機が飛ばなくなったため、彼はホテルで宿泊した。父に電話を掛けたマイケルは、「私は怖い。あることが起きた」と言われる。父が「彼らは私を傷付ける」と口にしたので、マイケルは困惑して問い掛けた。すると電話の相手が担当医に交代し、イシュトヴァンは6時間前に亡くなったと告げる…。監督はミカエル・ハフストローム、原案はマット・バグリオ、脚本はマイケル・ペトローニ、製作はボー・フリン&トリップ・ヴィンソン、製作総指揮はリチャード・ブレナー&メレディス・フィン&ロバート・ベルナッキ、共同製作はクリスティー・フレッチャー&エマ・パリー&マーク・テューイ、撮影はベン・デイヴィス、美術はアンドリュー・ラース、編集はデヴィッド・ローゼンブルーム、衣装はカルロ・ポジオッリ、音楽はアレックス・ヘッフェス。
主演はアンソニー・ホプキンス、共演はコリン・オドナヒュー、アリシー・ブラガ、キーラン・ハインズ、トビー・ジョーンズ、ルトガー・ハウアー、マリア・グラツィア・クチノッタ、マルタ・ガスティーニ、アリアンナ・ヴェロネシ、アンドレア・カリガリ、クリス・マークエット、トーレイ・デヴィット、ベン・チーサム、マリジャ・カラン、ローザ・ピアネタ、ジャンピエロ・イングラシア、ロザリオ・テデスコ、セシリア・ダッツィー、アッティラ・バルドチー、ナディア・キボート、アニータ・ピティット、サンドール・バラニャイ、ファビオラ・バレストリエレ、アニコ・ヴィンツェ他。
マット・バグリオの同名ノンフィクションから着想を得た作品。
監督は『1408号室』『シャンハイ』のミカエル・ハフストローム。
脚本は『クイーン・オブ・ザ・ヴァンパイア』『イノセント・ボーイズ』のマイケル・ペトローニ。
ルーカスをアンソニー・ホプキンス、マイケルをコリン・オドナヒュー、アンジェリーナをアリシー・ブラガ、ザヴィエルをキーラン・ハインズ、マシューをトビー・ジョーンズ、イシュトヴァンをルトガー・ハウアー、アンドリアをマリア・グラツィア・クチノッタ、ロザリアをマルタ・ガスティーニが演じている。まず引っ掛かるのが、前半で描かれる自転車女性の死。責任を感じるマシューにマイケルは「あれは事故だった」と言うけど、そのシーンの描写に違和感が強すぎて「ホントに単なる事故なのか」と疑いたくなってしまうのよ。
たまたまマイケルがいるタイミングでマシューが転倒し、それを避けようとした女性が車にひかれて死亡する。そこには「マイケルに祈りを捧げさせるための作為」が露骨に見えてしまう。
それが「作劇上の都合」だったとしても、こっちからすると「もしかすると悪魔が絡んでいるのか」と深読みしたくなってしまう。でも実際には、単なる作劇上の都合だ。
ってことは、そこの処理が下手だと言わざるを得ない。そこは本来なら、「何の不自然さも無い事故」として観客がサラッと見てくれなきゃダメなはずなんだから。端的に表現するならば、「ものすごく地味で中途半端な『エクソシスト』の亜流」である。
「ノンフィクションがベースだから」ってことなのか、どうやら「現実のエクソシストや悪魔祓いってのは、映画と違ってこんな感じなんですよ」というリアルな描写を意識して製作されているようだ。でも、それが中途半端なのだ。
まずリアル志向を狙ったせいで、ものすごく地味でメリハリに欠ける内容になっている。
「さすがに娯楽映画としての盛り上がりに欠けるか」と不安になったのか、映像的に派手さのあるシーンも用意している。ただしリアル志向を捨て切れていないので、物足りない状態に留まっている。
結局、リアルを徹底することも出来ず、開き直ってケレン味たっぷりの娯楽映画に方向転換することも出来ず、スタンスの定まらない中途半端な仕上がりになっている。マイケルから「これだけなんですか」と問われたルーカスは、「何を期待していた?首が回転するとか、緑色のゲロを吐くとかか」と話す。それは明らかに、『エクソシスト』のシーンを示している台詞だ。
わざわざ『エクソシスト』を例に挙げるぐらいなので、「それとは全く違うアプローチで悪魔祓いやエクソシストを描いていますよ」ってことを声高にアピールしているわけだ。
でも実際のところ、「全く違う」とまでは感じない。
代わりに強く感じるのは、「これって『エクソシスト』の劣化版でしょ」ってことだ。
ロザリアというキャラの描写は、「コケ脅しの物足りないリーガン」でしかない。マイケルの苦悩も、カラス神父には遠く及ばない。ルーカスはロザリアの悪魔祓いを始める時、マイケルに1ドル札を袋に入れさせ、それを彼女に当てさせている。
ルーカスは「これが憑依を見極める一番早いテストだ。悪魔は彼女を通して、その力を見せた」と話すのだが、そのバカバカしさに苦笑してしまう。
悪魔の憑依を証明する方法が、そんな初歩的な手品でも出来そうなことなのかと。インチキ霊媒師が客を騙すためにやりそうな手口だし、呆れてしまう。
そもそも、それってマイケルに「悪魔が憑依している」と信じさせるための作業なんだけど、そんなの要らないのよ。ルーカスは粛々と自分の仕事をこなして、その上で「何か普通じゃない現象が起きる」という様子だけ描けばいいのよ。この映画は「悪魔は存在する」という観点から描いているので、どれだけマイケルが悪魔の存在を否定しても「それは間違っている」ってことになる。
マイケルはロザリアについて「父親にレイプされて、罪の意識が内在化してる」と主張するが、それも全面的に否定される。もちろん実際に悪魔がいるという設定なので、それは当たり前だ。
しかし映画を見ていても、悪魔を否定するマイケルの主張に賛同したくなってしまう。
何しろ、「悪魔がいる」ということを示すための描写が、ことごとく陳腐に見えちゃうんだよね。ルーカスの「悪魔を否定しても、悪魔から身を守れない」という言葉も、バカバカしいとしか感じないし。映画は「悪魔は絶対に存在する」というスタンスを決して崩さないので、悪魔憑きじゃないと有り得ない現象を幾つも描いている。だから、劇中の内容が全て真実だと捉えれば、「悪魔は存在しない」と主張するのは無理がある。
だけど、ノンフィクション著書がベースではあっても、あくまでも映画の内容はフィクションだからね。
そして「現実に悪魔は存在するのだ」と信じさせるような説得力は、この映画には無い。
アンソニー・ホプキンスに主演してもらうことで映画のレベルを引き上げようとしているけど、彼一人の力で何もかもを救えるわけではないのだ。序盤のマイケルは信仰心が決して厚いとは言えず、神の存在にも疑いを抱いている。
そこから多くの観客は、「マイケルがルーカスと交流したり様々な体験をしたりする中で、神の存在を信じるようになる」という展開が待ち受けていることを予想するだろう。そして、その予想通りの結末が用意されている。
それは何も間違っちゃいないシナリオだ。そこに変な裏切りなど要らない。
ただ、その結末が訪れた時、きっと「なんでそうなるの?」と疑問を抱く人が少なくないんじゃないかと思うのだ。終盤、ルーカスが悪魔に憑依され、マイケルはザヴィエルを呼んで悪魔祓いをしてもらうよう頼まれる。しかしザヴィエルが出張していて連絡が取れないので、マイケルは自ら悪魔祓いの儀式に取り掛かる。
ここで彼はルーカスに「私の存在を信じるか」と問われて、「悪魔の存在を信じる」と答える。
そこまでの体験があれば、「悪魔の存在を信じる」という結論に至るのは何の苦も無く受け入れられる。
しかし問題は、それに続く言葉だ。マイケルは「悪魔を信じる」と言った後、続けて「だから神も信じる。今、私は神の存在を受け入れた」と口にする。それによって彼は、ルーカスの悪魔祓いを成功させる。
「何の経験もしていない見習いが、いきなり自分だけの力で悪魔祓いに成功する」という内容に違和感はあるが、そこは別にいい。
それより「悪魔を信じる。ゆえに神を信じる」という哲学チックな解釈が、大いに引っ掛かる。分かるようで分からない論法だ。
確実に言えるのは、「まるで腑に落ちねえ」ってことだ。(観賞日:2021年1月9日)