『ザ・リング2』:2005、アメリカ

ジェイクは同級生のエミリーに「これを2分以内に見て欲しい」と頼み、1本のビデオテープを渡してリビングを後にした。ダイニングで待機しながら、ジェイクは時間のことを酷く気にしていた。エミリーは不安を覚えつつも、ビデオテープをデッキに入れた。ジェイクの腕には手形が浮かび上がり、彼は焦った。ジェイクはドアを開け、エミリーに「早く見るんだ」と叫んだ。リビングでは呪いのビデオテープが再生されていた。
ジェイクは友人からの電話を受け、「学校のトロい女の子に見せた」と言う。友人は「良かった。心配してたんだぜ。1週間以内にコピーを見せないと死ぬんだから」と話す。その時、ジェイクはドアの下から血が流れて来るのを目にして顔を強張らせた。ジェイクがドアを開けてリビングへ行くと、エミリーは両手で顔を覆っていた。「何してるんだ」と訊くジェイクに、「再生したけど見なかった」と彼女は告げた。ジェイクはゆっくりとテレビに歩み寄り、エミリーは悲鳴を上げた。
レイチェルは息子のエイダンを連れて、シアトルからオレゴン州のアストリアへ引っ越して来た。レイチェルはエイダンに、「誰も悪いことはしてない。過去はもう忘れて」と語り掛けた。彼女は“ザ・デイリー・アストリア”を発行する地元の新聞社で働き始めた。彼女が勝手に社説を書き直したので、編集長のマックスは穏やかな笑みを浮かべながらも「ウチにはウチのやり方があるんだよ。社説は僕が書く。僕が君を雇ってる」と注意した。しかしレイチェルは「でも、あの社説は間違ってる」と意見を述べた。
レイチェルはマックスから「アストリアでは大きな事件なんて起きない。それで君は満足できるの?」と質問され、「ええ。息子の近くにいてやれるから」と答えた。仕事を終えたレイチェルが新聞社を去ろうとすると、死体が発見されたというニュースが飛び込んで来た。被害者は高校生で、家の一部は水浸しだった。地下にはガールフレンドが隠れており、被害者はリビングのテレビの前で死んでいたという。その被害者とはジェイクのことだった。
事件現場に赴いたレイチェルは、こっそりと救急車に忍び込んだ。ジェイクの死体を確認すると、その表情は異様に歪んでいた。すぐにレイチェルは、シアトルの時と同じことが始まるのだと感じた。サマラの声を耳にした彼女は、「コピーは1本だけなのに」と震えた。警察署へ向かったレイチェルはエミリーを見つけ、「何が起きたか話して。あのビデオを貴方は見たの?」と求める。首を横に振る彼女に、レイチェルは「他に見た人がいるか分かる?」と訊く。だが、そこへ警官が来て、レイチェルは追い払われてしまった。
ジェイクの家に侵入したレイチェルは、ビデオデッキに入っていたラベルの無いテープを発見した。ビデオテープを持ち出した彼女は、それをガソリンを撒いたドラム缶に投入して火を放った。レイチェルはテープを焼却処分しながら、「こないで、サマラ」と心の中で祈った。同じ頃、彼女の自宅ではテレビの電源が勝手に入っていた。砂嵐が画面に写し出される中、ノイズ音で目を覚ましたエイダンは、テレビのあるリビングへ移動した。彼はリモコンを使ってテレビを消そうとするが、まるで反応しなかった。
エイダンはレイチェルの名前を呼びながらテレビに近付き、主電源のボタンを押す。だが、それでも電源は切れなかった。直後、画面には呪いのビデオの映像が写し出され、部屋の四方から水が湧いてエイダンに迫った。テレビ画面からサマラが飛び出し、エイダンを捕まえて引きずり込もうとした。エイダンがレイチェルに助けを求めていると、ベッドで目が覚めた。既に次の朝が訪れていた。声を耳にしたレイチェルが慌てて寝室に駆け付け、「怖い夢を見た」と言うエイダンを「もう大丈夫よ」と抱き締めた。「どんな夢だったの?」と彼女が尋ねると、エイダンは「何も覚えてないんだ」と告げた。
レイチェルはエイダンを連れて、バザーを見に行く。会場に来ていたマックスは彼女に声を掛け、ニューヨークに10年住んでいたこと、故郷のアストリアへ戻って来たことを語った。レイチェルと別行動を取ったエイダンはトイレの個室に入ろうとするが、便器の水が勝手に流れたので怯える。彼は洗面台で手を洗おうとするが、蛇口を捻っても水が出なかった。エイダンが蛇口に顔を近付けると、そこから1匹のハエが現れて飛び去った。
エイダンが壁の鏡に目をやると、自分の背後にサマラの姿が写っていた。彼は恐る恐る振り返るが、トイレにサマラはいなかった。鏡の中のサマラがゆっくりと前進するのを見つめたエイダンは、持参していたカメラのシャッターを何度も切った。エイダンを捜し回っていたレイチェルは、トイレで彼を発見した。彼女がトイレに駆け込んだ時、鏡からサマラの姿は消えていた。エイダンに触れると、その体は氷のように冷たかった。
車で帰る途中、レイチェルはエイダンに「夢にあの子が出たの?」と尋ねるが、返事は無かった。鹿が道を横断していたので、レイチェルは慌ててブレーキを掛けた。するとエイダンは「止まらないで、早く行って」と焦るように告げた。レイチェルは鹿が森へ入るのを確認し、車を発進させようとする。その時、不意に2頭の鹿が現れ、車の両側から激突して来た。窓ガラスを破壊されたレイチェルは急いでアクセルを踏んだ。だが、エイダンに視線をやった直後、前方から現れた別の鹿をはねてしまった。
レイチェルが「どうして止まらないでって言ったの?」とエイダンに質問していると、大勢の鹿が森から現れた。鹿の群れが取り囲む中、エイダンは「止まらないで」と静かに告げる。レイチェルは鹿をはねないように注意しながら、ゆっくりと車を発進させた。帰宅した彼女がエイダンの熱を測ると、34.4度しか無かった。「どうなってるの?」と口にするエイダンの視線を追ったレイチェルは、水槽の金魚が全滅しているのに気付いた。
レイチェルが湯を沸かそうとしていると、冷蔵庫が勝手に動き、ガスレンジでは勝手に火が点いた。慌ててスイッチをオフにしても、火は消えなかった。照明が消える中、レイチェルはエイダンが気になって彼の寝室へ向かう。リビングのテレビが付いて砂嵐の状態になっていたが、彼女は気付かなかった。寝室に駆け込んだレイチェルは、開いていた窓を閉めた。振り返った彼女は、サマラに気付いた。ベッドのエイダンを起こそうとすると、そこに息子の姿は無かった。
レイチェルがサマラのいた場所に視線を戻すと、そこにエイダンがいた。「早くベッドに戻りなさい」と彼女が言うと、エイダンは「何か見えたんだ」と告げる。彼が引っ掻いていた壁に異様な染みが出現し、それが広がっていく。エイダンは「あれを見た、さっき頭の中で」と述べた。レイチェルはエイダンを家から連れ出し、新聞社へ向かった。彼女はエイダンに「昨夜、あのビデオを見つけて処分した。あの子に知られたら仕返しに来るかも」と話した。 エイダンはレイチェルから「あの子が来てるなら教えて。あの子の狙いは貴方なの?」と問われ、ある方向を凝視した。彼はレイチェルに「話を聞いてる。全て聞かれてる。僕らが眠ってるとき以外は。だから眠らなくちゃ」と囁いた。マックスはレイチェルの車が破損しているのを見て、彼女に声を掛けた。レイチェルは心配する彼に、「助けて欲しいの」と告げた。マックスはレイチェルとエイダンを自宅へ連れ帰った。レイチェルはエイダンをベッドに寝かせ、「必要な物を取って来るから、町を出て行きましょう」と告げた。
レイチェルはエイダンを浴室へ連れて行き、体を温めるために入浴するよう促した。エイダンは「入りたくない」と拒むが、レイチェルが説得して浴槽に浸からせる。レイチェルはマックスにエイダンの面倒を任せ、車で自宅へ戻った。エイダンのカメラの写真を確認した彼女は、バザー会場のトイレにもサマラが出現していたことを知った。サマラは鏡を飛び出し、エイダンの背後にまで忍び寄っていた。
マックスは浴室のドアをノックしてエイダンに呼び掛けるが、返事は無かった。ドアの下から湯が溢れ出て来たので、マックスは「ドアを開けてくれ」と叫ぶ。マックスがドアを開けようとしても、びくともしなかった。戻って来たレイチェルも、エイダンに呼び掛ける。マックスがドアを突き破る道具を取りに行っている間に、ドアの上からも湯が溢れ出した。不意にドアが開き、レイチェルが中に入ると、浴槽から天井に向かって湯が立ち昇っていた。
レイチェルがエイダンに近付くと、彼の両眼は白く濁っていた。レイチェルが震えて手を離した直後、エイダンの目は正常に戻る。直後、天井に溜まっていた湯が一気に降って来た。レイチェルが浴槽に沈んだエイダンを助け起こそうとすると、それはサマラだった。彼女がサマラを沈めようとしていると、戻って来たマックスが「やめろ」と叫んだ。レイチェルは自分が沈めようとしている相手がエイダンだと気付き、慌てて引き上げた。エイダンは彼女を睨み付け、「何故こんなことをするの?」と非難した。
マックスは「病院へ行っても治らない」と言うレイチェルを説き伏せ、エイダンを病院へ連れて行く。医師はエイダンを低体温症だと診断した。「相談に乗るよ」と声を掛けたマックスに、レイチェルはエイダンが撮った写真を見せて「どの写真にも女の子が写っているのは、どうしてだと思う?」と問い掛けた。彼女は「その子はサマラ。母親が井戸に突き落として殺そうとした。でも死ななかった。エイダンを助けるために私が魂を救った。その魂が呪いのビデオに乗り移った」と話した。
レイチェルは「サマラはここに来てる。それどころかエイダンに取り憑いて、この現実の世界で生きようとしている」と涙ながらに話すが、マックスには信じられない。レイチェルは「貴方がエイダンの写真を撮って。何が起きるか分かるわ」と告げ、その場を去った。彼女はエイダンが眠っている病室へ赴き、「彼女を止めるにはどうしたらいいの?貴方を助けるためなら、何でもするわ」と話し掛けた。するとエイダンの腕がレイチェルを掴み、彼女の脳内にサマラの記憶が飛び込んで来た。
レイチェルは養子縁組相談所を訪れ、サマラが養子になる前の情報を得ようとする。しかし法律に触れるということで、何も教えてはもらえなかった。レイチェルが自殺したサマラの両親が営んでいたモーガン馬牧場へ行くと、そこを扱っている不動産業者のマーティンがいた。レイチェルが購入希望者だと思い込んだ彼は、地下室があることを教えた。地下室に足を踏み入れたレイチェルは、サマラ宛てのアルバムを見つける。そこにはサマラの母親の写真が貼ってあった。
レイチェルは地下室で得た情報を頼りに、聖マグダレン慈善会を訪れた。応対に出て来たシスター・ダイアンに、彼女は30年前に産まれた子供について調べていることを話す。招き入れられたレイチェルは、院長のエマ・テンプルにアルバムを見せた。するとテンプルは、「覚えています。当時16歳の少女が作った物です。内気で静かな子だった。ここで出産し、私が養子に出しました」と語った。身許についてレイチェルが質問すると、テンプルは「彼女は通りを歩いていたところを保護されました。山間部の出身で、親戚に引き取られると言っていましたが、親戚は見つかりませんでした」と話した。
テンプルは古い資料をレイチェルに見せ、「彼女の名前はエヴリン。来た時は妊娠8ヶ月でした。父親はいないと言っていました。ここに来る女性の半分は、そう言います。エヴリンは体調が悪く、妊娠中も苦しんでいました。幻覚に悩まされて、あの世の水の世界から何かが赤ん坊を奪いに来ると信じ込んでいました」と説明した。さらに彼女は、「出産後も鬱状態が続いた彼女は、それを赤ん坊のせいにして殺そうとしたの」と述べた。
テンプルはレイチェルに、「サマラは、なぜか泣かない子でした。でも、お風呂に入れようとすると、火が点いたように泣き出しました」と話す。エヴリンは庭の泉にサマラを沈めて殺そうとしたが、シスターたちが見つけて阻止した。そのため、エヴリンは精神病院に収容された。赤ん坊を殺そうとした理由について、エヴリンは「赤ん坊を救うため」とシスターたちに話していた。レイチェルは精神病院へ行き、エヴリンと面会する。助けを求めるレイチェルに、彼女は「いい母親でいて。子供の声を聞いて」と告げる…。

監督は中田秀夫、原作は鈴木光司、脚本はアーレン・クルーガー、製作はウォルター・F・パークス&ローリー・マクドナルド、製作総指揮はマイク・マキャリ&ロイ・リー&ニール・マクリス&ミシェル・ワイズラー、共同製作総指揮はニール・エデルスタイン&クリス・ベンダー&J・C・スピンク、撮影はガブリエル・ベリスタイン、編集はマイケル・N・クヌー、美術はジム・ビッセル、衣装はウェンディー・チャック、特殊メイクアップ効果はリック・ベイカー、 テーマ曲はハンス・ジマー、伴奏音楽はヘニング・ローナー&マーティン・ティルマン。
出演はナオミ・ワッツ、サイモン・ベイカー、デヴィッド・ドーフマン、シシー・スペイセク、エリザベス・パーキンス、ゲイリー・コール、ライアン・メリマン、エミリー・ヴァンキャンプ、デイヴィー・チェイス、ケリー・オーヴァートン、ジェームズ・レジャー、ケリー・ステイブルズ、クーパー・ソーントン、マリリン・マッキンタイア、ジェシー・バーチ、マイケル・チーフォ、スティーヴン・ペトラルカ、マイケル・デンプシー、カーク・B・R・ウォラー、ジェフリー・ハッチンソン、チャネット・ジョンソン他。


2002年の映画『ザ・リング』の続編。
脚本は前作に引き続いてアーレン・クルーガーが担当。
前作のオリジナル版である1998年の日本映画『リング』を撮った中田秀夫がハリウッドに招かれ、監督を務めている。
レイチェル役のナオミ・ワッツ、エイダン役のデヴィッド・ドーフマン、サマラ役のデイヴィー・チェイスは前作に引き続いての登場。他に、マックスをサイモン・ベイカー、エヴリンをシシー・スペイセク、テンプルをエリザベス・パーキンス、マーティンをゲイリー・コール、ジェイクをライアン・メリマン、エミリーをエミリー・ヴァンキャンプ、新聞社の記者ベッツィーをケリー・オーヴァートン、医師をジェームズ・レジャーが演じている。また、若い頃のエヴリン役で、メアリー・エリザベス・ウィンステッドが出演している。

『ザ・リング』のオリジナル版である『リング』には、続編となる『らせん』が存在する(原作小説では『らせん』が正式な続編だ)。
さらには、その『らせん』が続編であることを無視したかのような『リング2』という作品もある。
しかし本作品は、いずれの作品のリメイクでもない。全く別の、独自の続編として作られている。
『らせん』も『リング2』も出来栄えが良かったわけではないので、全く別の物語を用意して、それで面白くなれば結構なことだ。
しかし残念ながら、もっと悲惨な出来栄えになっている。

中田秀夫監督は『リング』を撮った人なので、作品の本質がどこにあるのか、どういう風に物語を進めていくべきなのか、どうやって恐怖を煽るべきなのか、それは良く分かっていたはずだ。
しかし、どうやらハリウッドで自由に映画を撮ることは難しかったようだ。
しかも中田監督は無謀なことに、通訳も付けずにハリウッドへ乗り込んだらしい。
そんなわけで、完全に「プロデューサーの言いなりに動く雇われ監督」としての仕事しか出来ていない(という風にしか見えない)。

そんなに綿密なリアリティーを求められる類の映画ではないにせよ、幾らなんでも作りが雑すぎやしないかと感じる。
まず最初にそれを感じたのは、レイチェルが事件現場へ赴いたシーン。彼女は簡単に救急車へ忍び込み、死体を確認することが出来ている。
なぜ警官が誰も救急車の近くに待機していないのか。あまりにも不用心だろ。
しかも、その時は運転手もいないんだよな。つまり、事件が発生した家の前にある道路に、遺体を運び込んだ救急車がポツンと停車してあるのだ。
どういう状況だよ、それって。

その後、警察署へ向かったレイチェルは、廊下のソファーにポツンと1人で座っているエミリーを見つけて話し掛ける。
いや、だからさ、どう考えたって奇妙だろうに。
殺人事件の目撃者であり、その時点では容疑者でもある人間を、なぜ1人ぼっちで待機させておくのか。
普通は警官の1人ぐらい付けておくべきだろ。あるいは、連絡を受けた家族が来て、彼女に付き添っているものじゃないのか。

その後、レイチェルは事件のあったジェイクの家に侵入するが、なんで簡単に侵入できているんだよ。
死体が発見された直後なのに警官は全員が引き上げているし、家には立ち入り禁止のテープも貼っていないし、なんちゅう杜撰な捜査体制だよ。
サマラの呪いに対して、警察が見当外れの推理や捜査をやったり、まるで役に立たなかったりするのは別に構わないよ。
だけど、「通常の殺人事件」としての捜査体制は、ちゃんと整えておこうぜ。

警察だけじゃなくて、レイチェルの行動も不可解だ。
彼女は悪夢にうなされたエイダンを心配し、「何かあったら私を呼んで」と優しく話している。
ところが、その後に出掛けたバザー会場で、レイチェルはエイダンを放置したままマックスと楽しくお喋りしている。
ついさっきの言葉と、その行動は全く合致してねえだろ。息子が不安を吐露していたのに、なんで平気で一人ぼっちにしておくんだよ。

しかも、その出来事って、サマラの呪いが町に来ていることを知った翌日だろうに。テープは処分したものの、それで呪いが消えたことは確信できていないはず。
そんな状態で、よく息子を一人ぼっちに出来るもんだ。母親としての神経を疑うわ。
そりゃエイダンに「ママ」と呼んでもらえないのも当然だ。
彼女はマックスに「私がすることは何もかもエイダンのため」と話しているが、どの口が言うのかと。

『リング』はJホラーのブームを巻き起こす火付け役となった作品だが、「ジワジワと忍び寄る恐怖」「そこに得体の知れない何かが存在するような不安」というのを上手く表現していた。
アメリカのスラッシャー映画、スプラッター映画と違って、雰囲気で怖がらせる演出が絶妙だった。
常に「何か」の存在を感じさせながらも、その「何か」の正体が分からないという怖さを作り出していた。
そこには怪談映画から受け継がれている、日本の恐怖映画の伝統のような染み付いた感覚もあるんだろう。

しかしリメイク版の『リング』では、オリジナル版のような不気味さ、おどろおどろしさというのは、まるで感じられなかった。
それは、たぶん「アメリカ人には怨念という概念が理解できない」ということが関係しているんじゃないだろうかと思う。
そして、それを理解しているはずの中田監督が撮った本作品にも、やはり『リング』のような類の恐怖は見られない。それどころか、前作にも増して、いかにもアメリカ的なホラー映画になっている。
ほぼショッカー映画と言ってもいいだろう。
ようするに、「急にワッと出て来て脅かす」という手法をやっているってことだ。

一番の問題は、「もはやビデオテープなんて関係ねえじゃん」ってことだ。
『リング』ってのは、「ビデオテープを媒介にして呪いが伝染していく」というのが物語の肝になっていた。
しかし今回の映画で、ビデオテープを見て人が死ぬのは最初のジェイクだけ。それ以降、サマラは普通に出て来て、そしてエイダンに憑依しちゃうのだ。
さらに、ビデオテープを見ていない人間まで殺してしまう。
そうなると、ただの凡庸な悪霊でしかない。
他のホラー映画における悪霊と大きく異なっていた貞子(ハリウッド版ではサマラ)の特徴が、完全に失われている。

しかも劇中で人が死ぬのって、序盤と終盤の2人だけなんだぜ。被害者の数としても、たった2人なんだぜ。
その理由は、今回のサマラはエイダンだけに固執しているからだ。
だとしても、例えば「エイダンの周囲にいる人々、サマラの目的を妨害する人を次々に殺害する」という形で犠牲者を増やすことも可能だが、そういうアプローチで殺すのも1人だけ。
もちろん、被害者が多ければ怖さが増すってわけではないし、たった2人しか死人が出ていなくても、それで怖い映画を作ることが出来れば何も問題も無い。
しかし実際は、「犠牲者が2人しかいない」ってのが、モロに「だから怖くない」というところへ繋がっているわけで。

とは言え、怖さが不足している原因は、それだけではない。
「どういうポイントで、どんな風に怖がらせるのか」という部分でも間違いを感じずにいられない。
例えば、鹿が襲って来るシーン。
そりゃあ「もう森に去った」と思わせておいて、それとは違う2頭の鹿がいきなり車に激突して来たら、ビックリすることはビックリするよ。
でも、それは「急に背後からワッと大声で叫ぶ」ってのと同じで、「急に大きな音が出たから驚いた」というだけだ。

その後には鹿の群れがレイチェルたちの車を包囲するが、そりゃ怖いっちゃあ怖いけど、「なぜ鹿なのか」と言いたくなるぞ。
もはや呪いのビデオテープやサマラの呪いとは全くの無関係になってるじゃねえか。
前作の内容なんてほとんど覚えていないけど、確かサマラと鹿の密接な関係についての言及なんて無かったはずだし。
レイチェルが帰宅すると、今度はポルターガイスト現象が発生するわけだが、それも「もはや何でも有りなのか」と言いたくなるし。

今回は「部屋に水が侵食して来る」「水洗トイレの水が勝手に流れる」「水道管が異常音を発し、蛇口から水が出なくなる」「浴室から湯が溢れ出す」「浴槽から天井に向かって湯が立ち昇る」「天井に溜まっていた湯が一気に降って来る」など、やたらと水に関する怪奇現象が多い。
鹿とは違い、水については、後半に入って「エヴリンがあの世の水の世界を恐れていた」「サマラを溺れさせて殺そうとした」といった情報が出て来て、一応は関連性を持たせている。
ただ、やってることは完全に『仄暗い水の底から』でしょ。

言うまでも無く、『リング』と『仄暗い水の底から』はシリーズ作品じゃなくて、全くの別物だ。
なぜ『リング』の続編が、『仄暗い水の底から』になっちゃうのかと。
しかも、『リング』と『仄暗い水の底から』を上手く融合させることが出来ているならともかく、そうじゃないからね。っていうか、『仄暗い水の底から』を持ち込んだせいで、『リング』の方が完全に消えちゃってるからね。
その代わりに『オーメン』的なエッセンスが入っちゃってるけど、もう『リング』でも何でもねえよな。

レイチェルの行動の不可解さについては前述したが、映画も終わり近くになって、その不可解な行動が再び訪れる。
彼女はエイダンを救うため、「サマラは母親を求めているのよ。母親を見つけない限り、また現れる」と言い、サマラの元へ自ら向かっている。
ところが井戸に落ちたレイチェルは上を見て蓋が開いているのに気付き、そこから脱出しようとする。サマラが現れて追い掛けて来ると、蹴りを入れて這い上がり、石の蓋を閉じて「私は貴方のママじゃない」と言い放つ。
どないやねん。
「蓋を閉じればサマラは二度と出て来ないから、母親になる必要は無い」ってことなんだろうとは思うけど、腑に落ちる結末ではないぞ。

腑に落ちないと言えば、なぜビデオテープのコピーが他にも存在したのか、その謎は解明されないままになっているんだよな。
アーレン・クルーガーが自分で持ち込んだ設定を途中で忘れたのか、分かった上で放置したのかは知らないけど、どっちにしろ結果は同じ。
ホラー映画の場合、ある程度の謎を残したままで終わることは珍しくないけど、そこの謎を残したままで終わるのはダメでしょ。
まさか、第3作で解き明かそうという狙いで残したわけじゃないよね。

(観賞日:2013年11月22日)


第28回スティンカーズ最悪映画賞(2005年)

ノミネート:【最悪の続編】部門
ノミネート:【ちっとも怖くないホラー映画】部門

 

*ポンコツ映画愛護協会