『推理作家ポー 最期の5日間』:2012、アメリカ

1849年10月、メリーランド州ボルティモア。大家の通報を受けたエルドリッジ警部と警官隊は、夜中のアパートに駆け付けた。「その手を放して」「やめて」という女性の悲鳴が響く中、警官隊は大家に言われた4階の部屋へ向かう。施錠されたドアを蹴破った警官隊は、惨殺された年配女性の死体を発見した。犯人が窓から逃げたと考えた隊長だが、釘が打たれていた。暖炉に近付いた警官隊は、煙突部分に詰め込まれている少女の死体を発見した。
酒浸りの生活を送っている作家のエドガー・アラン・ポーは、ボルティモアへ戻って来た。彼が馴染みの酒場に入ると、主人のレーガンは冷たい視線を向けた。レーガンはツケの溜まっているポーに酒を出そうとせず、彼が金を支払っても「前の分にしかならない」と告げる。ポーは腹を立てて「私は世界的に名声ある詩人だぞ」と言うが、隣の客は「そんな奴が文無しか」と嘲笑する。ポーは『大鴉』を知らない酒場の客たちを扱き下ろすが、店から追い出された。
アパートで発見された死体は、母親と12歳の娘だった。死体を検分したエメット・フィールズ刑事は、犯人が大男だと推理した。犯人が密室状態の現場から逃亡した方法については見当も付かなかったが、窓を調べたフィールズはバネ仕掛けで簡単に開くようになっていることを知った。ポーはハミルトン大尉の馬車を強引に停め、娘のエミリーと交際させてほしいと申し入れた。しかしハミルトンは拒否し、拳銃を向けて出て行くよう要求した。
ボルティモア・パトリオット紙のオフィスを訪れたポーは、自分の評論が掲載されていないことを知った。活字職人のアイヴァンは彼に、マドックス編集長が「掲載するための紙面が無い」と言っていたことを明かす。代わりにロングフェローの詩が載っているのを知ったポーは激怒し、マドックスに抗議した。しかしマドックスは他人の批判ばかりしていることを責め、評論よりも小説を書くよう促した。
ポーが「もうアイデアは残っていない」と話すと、マドックスは「アルコールとアヘンチンキを断て」と助言する。ポーは「アルコールは付き合いでたまに飲むだけだし、アヘンチンキは治療のためだ」と言い訳するが、「売れる作品を書け」とマドックスは告げる。同じ頃、ポーを酷評していた文芸評論家のルーファス・グリズウォルドは何者かに拘束されていた。犯人は大掛かりな振り子の装置を使い、彼の体を真っ二つに切断した。
エミリーはポーの元を訪れ、父が疑い始めていることを話す。なぜ父を敵視するのかと尋ねる彼女に、ポーは「あっちが見下すからだ」と告げる。エミリーからプロポーズを求められたポーは、彼女に「結婚してくれるか」と問い掛ける。もちろん答えはイエスだった。いつハミルトンに打ち明けるのかという問題について、エミリーは「舞踏会の時、大勢の前で一緒に発表しましょう」と提案した。一方、フィールズはポーの小説を調べ、母娘の殺害現場の手口が『モルグ街の殺人』と似ていることを確認した。
ポーは女性たちを集め、詩の勉強会を開いた。ブラッドリー夫人の詩を批評していると、警官隊がやって来た。警察署に連行されたポーは、フィールズから事件の手口が小説に似ていることを知らされる。そこへエルドリッジが来て、グリズウォルドの死体が発見されたことをフィールズに耳打ちした。フィールズが死体の発見現場へ行くと、身元確認のためにマドックスが呼ばれていた。フィールズからポーとグリズウォルドの関係について問われた彼は、2人が憎み合っていたことを証言した。
マドックスはフィールズに、「ポーは頭の中に闇を抱えているが、人殺しが出来る人間ではない」と告げる。フィールズは「異常犯罪に関する専門的な知識が欲しい」とポーに告げ、グリズウォルドが殺された現場へ連れて行く。死体を見ても誰か分からなかったポーは、フィールズが呼んだ評論の文章で、それがグリズウォルドだと知った。「新聞紙上で論争しただけだ」とポーはフィールズに語る。今回の殺しの手口は、ポーの小説『落とし穴と振り子』に似ていた。
フィールズはポーに、グリズウォルドの顔に被せてあった仮面を見せた。仮面の裏には、『赤死病の仮面』の文章が記されていた。ポーは「明日、チャールズ・ハミルトンが美術館舞踏会を開く」と言い、そこで次の殺人が行われるという推理をフィールズに話す。フィールズはハミルトンと会い、小説の内容を模した殺人が舞踏会で起きる可能性を告げる。ハミルトンは相手にしなかったが、フィールズが仮面を付けた部下を舞踏会に参加させることを求めると、見下したような態度を取りながらも承諾した。
フィールズはポーを同行させており、捜査に協力してもらっていることをハミルトンに明かす。ハミルトンは露骨に不快そうな態度を示し、「娘には近付くな」と告げた。彼はフィールズに、「君の要求に従って警備を強化するが、明日の夜にこいつを見たら殺すぞ」と言う。翌日、舞踏会が開かれている美術館で、フィールズや部下のカントレルたちは仮面を付けて警備に当たる。ポーはハミルトンの動きを気にしながら、エミリーを誘って一緒に踊った。
ポーに気付いたハミルトンが怒りの形相で歩み寄ろうとした時、骸骨の扮装をした男が馬にまたがって美術館に突っ込んで来た。しかしフィールズが発砲すると、それは余興として雇われた役者だった。役者は「これを届けるように言われた」と告げ、フィールズにメモを渡す。そこにはエミリーを拉致したことが記されており、ポーに対して「お前の探偵としての頭脳に挑戦する。これはエミリーの命が懸かった知恵比べだ。読者のために小説として書き残し、ボルティモア・パトリオット紙上で掲載しろ。今後の殺人を続け、エミリーを見つけ出すための手掛かりを死体に残す」と挑戦的な文章を綴っていた。
解剖学の教授と教え子たちは、棺に入った男性の遺体の解剖を始めようとしていた。しかし棺から音がするので開錠して蓋を開けると、中から鴉が飛び出した。しかも棺に入っていたのは、娼婦の遺体だった。遺体を調べたフィールズは、背後から襲われたのだと推理する。同行していたポーは、殺しの手口が『マリー・ロジェの謎』に似ていると話す。ただし、両手に付着した血は小説と違っていた。
エミリーは棺に入れられてどこかに埋められていたが、まだ死んではいなかった。ポーは犯人の要求に従い、その殺人をモチーフにした小説を執筆する。それを読んだマドックスは、素晴らしい出来栄えだと称賛した。彼はアイヴァンに、一面を組み直してポーの小説を掲載するよう指示した。フィールズはポーに、遺体が娼婦ではなく女優だったと判明したことを伝える。手に付着していた血は本物ではなく、舞台で使われる血糊だった。ポーはフィールズと共に、女優が出演していたインペリアル劇場へ向かった。
フィールズは警官隊に指示して劇場の裏方を全て集め、取り調べを始める。しかしモーリスという男が足りないことが分かり、すぐに捜索する。ポーは不審な人物を見つけるが、逃げられてしまった。ポーはフィールズと共にモーリスの謎めいた所持品を見つけ、それが自分の小説を模していることに気付いた。ポーの自宅が火事になり、消防団が駆け付けた。消防団の団長はポーに、「火が出る前に窓ガラスが割られていた。ただの火災じゃなさそうだ」と告げた。
フィールズの元を訪れたポーは、モーリス・ロビショーが水夫であること、彼が乗っていた貿易船が5日前に入港したことを知らされる。それは最初の殺人が発生した日だ。エミリーが見つからないことで激しい苛立ちを示すポーに、フィールズは落ち着いて頭を働かせるよう説いた。船の名前が「フォルチナート」だと知ったポーは、それが『アモンティリャードの酒樽』に出てくる名前だとフィールズに教える。ポーはエミリーが地下道の壁に埋められているのではないかと推理し、フィールズや警官隊と共に捜索する。色の違う煉瓦を発見した一行は、その部分を崩した。そこに埋められていたのは、エミリーの扮装をさせられたモーリスの死体だった…。

監督はジェームズ・マクティーグ、脚本はハンナ・シェイクスピア&ベン・リヴィングストン、製作はアーロン・ライダー&マーク・D・エヴァンズ&トレヴァー・メイシー、共同製作はリチャード・シャーキー、製作総指揮はグレン・バスナー&ヘスス・マルティネス・アセンシオ&ジェームズ・D・スターン、製作協力はキャロリン・ハリス、撮影はダニー・ルールマン、編集はニーヴン・ハウィー、美術はロジャー・フォード、衣装はカルロ・ポッジョーリ、音楽はルーカス・ヴィダル。
主演はジョン・キューザック、共演はルーク・エヴァンス、ブレンダン・グリーソン、アリス・イヴ、ケヴィン・マクナリー、オリヴァー・ジャクソン=コーエン、ジミー・ユール、パム・フェリス、ブレンダン・コイル、サム・ハゼルディン、エイドリアン・ローリングス、エイダン・フィオール、デイヴ・レジェノ、マイケル・クローニン、マイケル・プール、マイケル・シャノン、チャリティー・ウェイクフィールド、ジョン・ウォナビー、マット・スラック、イアン・ヴァーゴ他。


作家で詩人のエドガー・アラン・ポーを主人公とした映画。
監督は『Vフォー・ヴェンデッタ』『ニンジャ・アサシン』のジェームズ・マクティーグ。
日本では「世界初の推理作家」として良く知られているエドガー・アラン・ポーだが、原題の「The Raven」は彼の物語詩『大鴉』のこと。アメリカでは推理小説より教科書にも掲載されている『大鴉』の方が、ポーの作品として一般的な認知度が高いらしい。
ポーをジョン・キューザック、フィールズをルーク・エヴァンス、ハミルトンをブレンダン・グリーソン、エミリーをアリス・イヴ、マドックスをケヴィン・マクナリーが演じている。

邦題にある通り、エドガー・アラン・ポーが死ぬ間際の5日間を描いた内容になっている。
ポーの死が謎めいているのは事実であり、大量のアルコールを摂取して瀕死の状態に陥っているところを知人に発見された時には他人の服を着ていた。
運び込まれた病院で死を迎える前日には「レイノルズ」という言葉を繰り返していたが、それが何者なのかは不明のままだ。
その死因も、死に至るまでの彼の行動も、明らかになっていない。

ポーは自分で「私は世界的に名声ある詩人だぞ」と言っているが、これは誇張でも嘘でもなく、本当に「有名なのに貧乏」という状態が続いていたらしい。
ただ、「なぜ世界的に有名なのに貧乏なのか」ってのが、映画を見ていてもサッパリ分からない。
有名であれば作品は売れているはずで、だとしたら原稿料は入って来るはず。
ここの事情が分からないのは、映画を観賞する上で無駄な謎になってしまっている。そんなトコの謎に気を取られても何の得も無いんだから、そこはちゃんと説明した方が良かったんじゃないか。

序盤、エドガー・アラン・ポーという人物に、これっぽっちも魅力が感じられない。ただの偉そうで口汚くて身勝手な男にしか見えない。
っていうか、たぶん意図的に「高慢で身勝手な自信家」という造形にしているんだろうとは思うんだけど、それがキャラの魅力や面白味には繋がっていない。ハッキリ言って、すんげえ不愉快な野郎になっている。
「アイデアの枯渇で苦悩している」とか「貧しさから抜け出せずに焦りがある」とか、そういうことはあるのかもしれないが、同情や共感の余地が見えて来ない。
事件と小説の告示を知らされたり、エミリーを拉致した犯人の要求を知ったりすると高慢さ&傲慢さは薄まるが、それで不快感は薄まっても、魅力が出て来るわけではない。ただの陰気な奴でしかない。

『モルグ街の殺人』『落とし穴と振り子』『赤死病の仮面』『早すぎた埋葬』『マリー・ロジェの謎』『ヴァルドマアル氏の病症の真相』『アモンティリャードの酒樽』『黒猫』『跳び蛙』『告げ口心臓』など、ポーの短編小説が様々な箇所に散りばめられた構成になっている。
ポーの作品に詳しい人、ポーのファンだという人であれば、「どの辺りに、どんな形で彼の作品が組み込まれているのか」ってのを探すという楽しみ方が出来るだろう。
問題は、それほどエドガー・アラン・ポーに詳しくない観客が観賞した場合である。
もちろん、ポーのファンが楽しめるマニアックなネタを盛り込んでおくのは、決して悪いことじゃない。そうやってファンを楽しませようとするサービス精神は、むしろ歓迎すべきことだ。
ただし、ファンでなくても、ポーに詳しくない人でも、ちゃんと楽しめる内容に仕上げておくことは必要だ。それなりの予算を使って製作され、世界の映画市場で展開される作品なのだから、幅広い観客層を掴むための作業はやっておくべきだ。
しかし残念ながら、この映画には「ポーに詳しくない人でも楽しんでもらえるように」という意識が欠け落ちているようにしか思えない。

まず見立て殺人については、元ネタになった小説を知らないと面白味が伝わらない。
バネの仕掛けや振り子の装置などについては、それがポーの小説に登場したことを知っているからこそニヤニヤできるのであって、知らない場合はピンと来ないだろう。
映画や小説では、聖書やマザー・グースなどが見立て殺人のネタとして良く使われるが、それに比べるとポーの小説は明らかに認知度が下がるわけで、なかなか厳しいモノがあるんじゃないか。
ポーの小説を知らなくても、この映画で「ポーの小説でこんな描写があります」ってのを先に説明しておいて、それを模した殺人が描写されるという流れにしておけば、見立て殺人の面白さが少しは伝わりやすくなる可能性がある。舞踏会の殺人に関しては、そういう手順になっている。
しかし、そこで実際に『赤死病の仮面』を模した殺人は行われず、エミリーが誘拐されるという展開になってしまうので、それだと意味が無いんじゃないかと。

犯人の要求に従って、ポーは遂行される殺人をモチーフにした作品を新聞紙上で発表する。
だけど、その展開に全く面白味を感じない。
その小説をヒントにして、ポーが犯人の動機を推理したり、犯人像を絞り込んだりしていくわけでもない。ポーが犯人を誘い出したりエミリーの居場所を突き止めたりするために、小説を上手く利用するわけでもない。
ポーが事件をモチーフにした小説を書くことによって、何がどうなるのかと考えた時に、筋書きとしては特に意味が無いんだよな。
それと、遂行される殺人は、全てポーが過去に執筆した小説の模倣なわけで。
これが例えば「遂行される殺人をモチーフにした小説を発表して、それが『モルグ街の殺人』や『落とし穴と振り子』になった」ということなら、そこに面白味が生じたかもしれないけど。

ミステリーとしての面白さが全く感じられないってのも、この映画の大きな欠点だ。
まず「容疑者は誰なのか」というところからして、実は「誰も容疑者がいない」という状況が続く。
怪しい人物を何人か配置して、ポーたちに捜査させたり、ミスリードを狙ったりするのかと思いきや、そういう筋書きが用意されていない。容疑者として浮上するのは、モーリスという男だけ。
しかも、モーリスが犯人でないことは、どれだけミステリー作品に親しんでいない人間でも容易に分かるだろう。何しろ、途中で唐突に名前が出て来るだけで、ミスリードのためのネタも見当たらない。しかも姿さえ見せない内に、死体となってしまうのだ。

そもそもモーリスが容疑者として浮かび上がった時点で、もう映画は半分ほど経過している。
その構成もいかがなものかと思うし、おまけにモーリスが死ぬと、もう誰も容疑者が残っていない。そこに来て「あの時はスルーしていたけど、あいつが犯人じゃないか」という展開に転がって行くこともない。
終盤に入って、真犯人に繋がる手掛かりが初めて1つだけ用意される。そして新たな容疑者が浮かぶが、次のシーンでは死体となって発見される。
で、直後に真犯人が明らかになるんだが、そいつが自ら姿を現すという淡白な処理。

真犯人は「驚きました?」とポーに言うけど、別の意味で驚いたわ。何しろ、そこまでの存在感が、とても薄かったのでね。
犯人が明らかになった時、「お前は誰なんだよ」と思ってしまった人もいるのではないか。
「そんな奴がいつ、どこで出て来たのか覚えていない」ということになったとしても、「それはアンタが悪いんだ」とは言えないわ。
犯行の動機も「ポーのファンだったので、小説のアイデアを与えるために事件を起こした」というもので、脱力感しか沸かないし。

後から振り返った時に「あの時のアレは、犯人に繋がる手掛かりだったのか」と思わされるような箇所は1つも無い。
一方で、ポーの小説を模した犯行であっても、「大掛かりな振り子の装置はどうやって用意したのか」「最初の殺人でフィールズは犯人が大男だと言っているが、そこの矛盾はどう説明するのか」など、残しちゃいけない類の謎が幾つも残ったままになっている。
犯人は長々と喋るけど、犯行の手口については全く解説しないし。
そしてポーが推理して言い当てることも無いし。

あと、エミリーを発見するのも、ヒントを集めて推理するのではなく、偶然なのよね。
だから終盤の展開が、ちっとも盛り上がらない。
最終的に「犯人の名前がレイノルズだった」というトコで事実と重ねているのも、ポーが死の間際に「レイノルズ」と言っていたことを知らないと、まるで効果的じゃないし。
「ポーが犯人の要求に従って毒薬を飲み、それで死んだ」というのを「死の真相」としているのも、やっぱり乗れないし。

そりゃあ、最期の5日間を描く内容にしている以上、「ポーの死」が着地点になるのは必須だろう。
だけど、そこで犯人に屈して死んだらダメだろ。そんな展開で終わられても、スッキリしないわ。
そう考えると、いっそのこと、描く内容はポーの最期の5日間じゃなくても良かったんじゃないかと思ってしまうわ。
あるいは史実を思いっきり改変して「死んだと思われていたポーが実はその後も密かに生き続けていた」という設定にするとか、そういう形でもいいんじゃないかと。

(観賞日:2014年10月14日)

 

*ポンコツ映画愛護協会