『ザ・ワン』:2001、アメリカ

アル・ゴアが大統領を務めるアメリカ合衆国で、囚人ロウレスが監獄から移送されようとしていた。そこへロウレスに瓜二つの男ユーロウが現れ、ロウレスを殺害して逃亡を図った。そこへ多次元宇宙捜査局(MVA)の捜査官ローデッカーとファンチが駆け付け、ロウレスを逮捕した。2人はロウレスを連行し、牢獄へと閉じ込めた。
元MVA捜査官ユーロウは、この世に存在する125の別次元宇宙にいる別の自分を殺せば、残った自分がパワーアップすることに気付いた。そこで彼は多次元宇宙を不法に移動し、124人の自分を殺害して全知全能の存在「ザ・ワン」になろうと企んでいたのだ。しかしザ・ワンが誕生すれば全宇宙が崩壊するとも言われているため、ローデッカーとファンチはユーロウを必死で追っていたのだ。
ユーロウは幽閉されることになるが、恋人マッシーの協力を得て逃亡する。彼は既に123人の自分を殺しており、残るのはブッシュが大統領を務めるアメリカのロサンゼルス郡保安官ゲイヴだけだった。ユーロウはゲイヴを殺そうとするが、追って来たローデッカーとファンチに妨害される。ゲイヴは自分と瓜二つの男に襲われたことを妻TKだけに知らせ、仲間のボビー達には何も言わなかった。
負傷したゲイヴは病院に収容されるが、そこにもユーロウが現れる。しかしユーロウの姿を見たボビー達は、ゲイヴが暴走したのだと勘違いしてしまう。警察に追われる身となったゲイヴは、ファンチからユーロウに関する情報を聞かされる。一方、ユーロウはローデッカーを殺害し、さらにボビーとTKも射殺する…。

監督はジェームズ・ウォン、脚本はグレン・モーガン&ジェームズ・ウォン、製作はスティーヴン・チャスマン&グレン・モーガン&チャールズ・ニューワース&ジェームズ・ウォン、製作総指揮はトッド・ガーナー&ラタ・ライアン&トム・シェラック&グレッグ・シルヴァーマン&ハッピー・ウォルターズ、撮影はロバート・マクラクラン、編集はジェームズ・コブレンツ、美術はデヴィッド・L・スナイダー、衣装はクリシ・カルヴォニデス=ダシェンコ、マーシャルアーツ・アクション・コレオグラファーはコーリー・ユエン、音楽はトレヴァー・ラビン。
主演はジェット・リー、共演はカーラ・グギーノ、デルロイ・リンド、ジェイソン・ステイサム、ジェームズ・モリソン、ディラン・ブルーノ、アーチー・カオ、リチャード・スタインメッツ、スティーヴ・ランキン、タッカー・スモールウッド、ハリエット・サンソム・ハリス、デヴィッド・キーツ、ディーン・ノリス、ロン・ジマーマン、ダリン・モーガン、マーク・ボーチャート、ジョエル・ストッファー、キンバリー・パットン、デニー・ピアース他。


『ファイナル・デスティネーション』のジェームズ・ウォンが監督&脚本&製作を務めた作品。
ゲイヴ&ユーロウ&ロウレスをジェット・リー、TK&マッシーをカーラ・グギーノ、ローデッカーをデルロイ・リンド、ファンチをジェイソン・ステイサム、ボビーをジェームズ・モリソンが演じている。アクション・コレオグラファーはコーリー・ユエン。

なぜかゲイヴがわざとユーロウに疑われるような行動を取るとか、多次元宇宙が125しか無い理由は不明だとか、ユーロウがザ・ワンになって具体的に何がやりたいのか不明確だとか、ストーリーや設定がチープだったり雑だったりするのは、この際、多めに見よう。
しかし、肝心のアクションシーンがサッパリなのは、どうにも甘受し難いものがある。
公開時のコピーは『125人のジェット・リー“バトル・ロワイアル”が始まる!!』だったが、映画が始まった時点で残っているのは3人だけ。しかも、戦うのは善玉と悪玉の2人だけ。
つまり、宣伝用コピーから予想される「ドキッ!ジェット・リーだらけの格闘大会」というのは、この映画の中では1秒たりとも描かれることが無いのである。
ほとんど詐欺だ。

香港のアクション俳優がハリウッドに進出した時に、大きな障害となるのは言葉の他に「高いレヴェルの格闘シーンを見せられるだけの腕前を持つ相手役がいない」ということではないだろうか。
上質の格闘シーンを見せるためには、敵役の質も重要なのである。
しかし、ハリウッドにはドニー・イェンやション・シンシンのような人材は、そうそう見当たらない。
そこで、この映画ではジェット・リーと対等に戦える相手として、ジェット・リー本人を起用した。
なるほど、ジェット・リーならば、申し分の無い腕前の持ち主だ。
しかし、実際にジェットが2人いるわけではないのだから、スタント・ダブルを使って格闘シーンを撮影し、後からデジタル合成するという形になる。
正直に言って、あまり上手い方法だとも思えない。

そもそも、この映画はジェット・リーのカンフー・アクションの良さを活かそうという意識は薄い。まず映画の方向性があって、そこに後からジェットをハメ込んだだけだ。
だから最初に出演予定だったザ・ロック様と主役を入れ替えても、あるいはジェイソン・ステイサムが主人公を演じても、一向に構わないような映画に仕上がっているのだ。
ジェット・リーのカンフー・アクションを生かす気持ちが薄いから、ガン・アクションのシーンが多い。格闘シーンでも、過剰なぐらいにワイヤー・ワークを使用し、VFXによる加工を施す。
まるで格闘の出来ない人間が主演するアクション映画を撮っているかのように、「生の格闘が持つスピード感や迫力」というものを打ち消そうとするのだ。

「ジェット・リーが主演している」というポイントを最大限に活かそうとするならば、それこそドニー・イェンやション・シンシンを敵役に据えた方がいいだろうし、もしアジア系ばかりでダメだというのなら、例えばマーク・ダカスコス辺りを連れて来た方が遥かに面白くなったような気もするのだが、まあ、それは余計なお世話というものだろう。

ジェット・リーがハリウッドに進出した時、私はてっきり「アメリカでもアクション俳優としてトップを目指すのだろうな」と思っていたのだが、『マトリックス』のオファーを蹴ってまで本作品に出たことを考えると、どうやら勘違いだったようだ。
たぶんジェット・リーは、ジャン=クロード・ヴァン・ダムを目指しているのだろう。

 

*ポンコツ映画愛護協会