『ザ・キープ』:1983、イギリス&アメリカ

1941年、ルーマニア。クラウス・ボーマン大尉が率いるドイツ国防軍の小隊は、カルパチア山脈のディヌ山道に入った。「もはや我々は世界を制した」と自信満々のボーマンは、山道を守る任務のために小さな村へと足を踏み入れた。ボーマンは短い橋を渡って“キープ”と呼ばれる城郭に入り、周囲を確かめる。そこへ城郭の番人だと称するアレクザンドルが2人の息子を連れて現れ、「百八つのニッケルの十字架が、キープの壁に埋められている」と述べた。
ボーマンが「キープに人がいるとは思わなかった」と口にすると、アレクザンドルは「夜は家に帰ります」と告げる。「ここの主人は?」と問われたアレクザンドルは、「知りません」と答える。彼の一族は先祖代々、キープを守り続けて来たのだと言う。アレクザンドルはボーマンに、「キープに居てはいけない。旅人が何名か来たが、夜を過ごした者はいない」と忠告する。悪夢が理由だと言われたボーマンは軽く笑い飛ばし、部隊をキープに入れた。
ボーマンはアレクザンドルに、キープの案内を要求した。城壁の作りに彼が疑問を呈すると、アレクザンドルは「ここは外敵から守るための城郭ではない」と言う。「ここは何だ?」とボーマンが尋ねると、彼は「誰も知りません」と答えた。アレクザンドルは兵士のハンスが十字架を取り外そうとしているのを見つけ、慌てて「やめろ、壁が開く」と叫ぶ。ボーマンに尋問されたハンスは、「銀が隠されているという噂が」と話す。ボーマンは「十字架は銀ではなくニッケルだ」と告げ、ハンスを追い払った。
アレクザンドルはボーマンに、「決して十字架に触れてはいけない。出て行くのだ」と警告した。その夜遅く、見張りを命じられていたハンスは銀の十字架を見つけ、仲間のオットーに知らせる。その奥に大量の銀が隠されていると確信した2人は、石を外して壁の穴を出現させた。ハンスは足にロープを結び、穴に入る。オットーはロープが強い力に引っ張られたため、慌てて引き戻そうとする。力が弱まり、オットーがロープを引くと、無残に引き裂かれたハンスの下半身だけが戻って来た。オットーは穴から放出された強烈な風に吹き飛ばされ、壁に激突して死亡した。
ギリシャのピレウス。グレッケン・トリスメグストゥスという男は両目からまばゆい光を放ち、ベッドで起床した。彼は箱を持ち、部屋を後にした。彼は漁師に金を渡し、ルーマニアのコンツタンツァまで船を出すよう頼んだ。村では兵士の死亡者が5人を数え、ボーマンは本部に移動要請を出すが許可は得られていなかった。そんな中、ケンプヘル隊長の率いるドイツ親衛隊が村に現れ、村人3名を銃殺する。ボーマンが詰め寄ると、ケンプヘルは「今度は私が指揮を執る。邪魔は許さん」と通達した。
ケンプヘルは村人数名の連行を部下に命じ、「この村にパルチザンなどいません」と告げるフォネスク神父に「我が兵が死ねば、捕虜は皆殺しにする。1人が死ぬ度に、お前たち5人を殺す。パルチザンが反抗を止めない限り、村は全滅だ」と言い放った。ボーマンは「入口には機関銃、周囲も照明で守っている。ところが中で殺されている。何の守りも役に立たない。パルチザンなどいない。何かがいる」と主張するが、ケンプヘルは「自分の無能を幽霊のせいにでもするのか。君の防衛は方法が間違っている。恐怖を与えるのだ。もう奴らは手を出せない」と相手にしなかった。
兵士の殺害現場に記された謎の文字について、ケンプヘルは捕虜を尋問する。そこへフォネスク神父が駆け付け、「これはルーマニア語ではありません」と告げる。フォネスクは「テオドール・クザという中世史の教授がいます。村の出身で、キープの研究をしていました」と語り、ユダヤ人である彼が収容所にいることを告げる。すぐにケンプヘルは、クザを連れて来るよう命じた。クザは娘のエヴァと共に、収容所で過ごしていた。
グレッケンはバイクでディヌ山道に現れ、見張りの兵士たちに「キープへ行く」と告げる。兵士が箱に触れようとするとグレッケンは両目を光らせ、「箱に触れるな」と告げた。兵士たちが怯んでいると、グレッケンはバイクで走り去った。クザはエヴァと共にキープへ連行され、「3日以内に答えを出せ。でなければ収容所へ戻す」とケンプヘルから脅された。彼は壁の文字について、古代スラブ語で「我を解き放て」と書かれていることを教え、「五百年前に滅びた言語をパルチザンが書くのかね」と告げた。
クザが軟禁部屋に移動させられると、エヴァはボーマンに「火を焚くわ」と言う。「そんなに寒くない」とボーマンが言うと、エヴァは「父は硬皮症よ。この温度では1時間で指が腐り始める。3日も持たない」と言う。ボーマンは彼女に、「ケンプヘルは君たちを殺すかもしれない。早く犯人の正体を見つけてくれ。そうすれば安全にブカレストへ逃がす」と告げた。エヴァはボーマンを全く信用しておらず、「期待しないわ」と冷淡に述べた。
ボーマンが去った後、クザはフォネスクに「良く出してくれた。どんな作り話をしたんだ?」と問い掛ける。フォネスクは「彼らが勝手に作ったのです。私は貴方が解決できると吹き込みました。後はキープから出るだけです。教会で古代スラブ語の写本を見たいと申し出て下さい。教会から山を越えてドニエブルへ」と語った。親衛隊の兵士2人は食事を運ぶエヴァを捕まえ、強姦しようとする。そこへ白い煙に包まれた謎の怪物が襲来し、兵士たちの肉体を一瞬で崩壊させた。
怪物は気絶しているエヴァをクザの元へ運び、「お前は何故、ここにいる?」と問い掛ける。「兵隊殺しの正体を暴くためだ。見つけたぞ。お前だ」とクザが話すと、怪物は「手を結ぶ者が欲しい。だが、お前は奴らの手先だ」と言う。クザが「私はナチを倒すためなら何でもするぞ」と告げると、怪物は彼の頬に手を伸ばして気絶させた。目を覚ましたエヴァに起こされると、クザは年相応の肉体と活力を取り戻していた。彼はエヴァの反対を押し切り、ナチを打ち砕くために怪物と手を組むことを決意した。
ボーマンはエヴァに「また2人が死んだ。君の安全を保障できない」と言い、宿屋へ移るよう指示した。エヴァは「父を置いて行けない」と拒むが、クザは指示に従うよう促した。エヴァが宿屋へ行くと、グレッケンがキープの見える部屋を借りようとしていた。エヴァの父がキープで捕まっていることを知ったグレッケンは、「戻るのか、待つのか」と問い掛ける。「待つわ」とエヴァが答えると、グレッケンは「だったら私と一緒にいよう」と告げた。2人は同じ部屋に泊まり、激しく体を求め合った…。

監督はマイケル・マン、原作はF・ポール・ウィルソン、脚本はマイケル・マン、製作はジーン・カークウッド&ハワード・W・コッチJr.、製作総指揮はコリン・M・ブルーワー、製作協力はテレサ・カーティン&ギャヴィン・マクファディン、撮影はアレックス・トムソン、美術はジョン・ボックス、編集はドヴ・ホーニグ、衣装デザインはアンソニー・メンドルソン、音楽はタンジェリン・ドリーム。
出演はスコット・グレン、イアン・マッケラン、アルバータ・ワトソン、ユルゲン・プロホノフ、ロバート・プロスキー、ガブリエル・バーン、モーガン・シェパード、ロイストン・ティックナー、マイケル・カーター、フィリップ・ジョセフ、ジョン・ヴァイン、ジョナ・ジョーンズ、ウォルフ・カーラー、ロザリー・クラッチェリー、フレデリック・ウォーダー、ブルース・ペイン、デヴィッド・カーディー、ジョン・イーサム、フィリップ・ブルームフィールド、ヤッシャー・アダム他。


劇場映画デビュー作『ザ・クラッカー/真夜中のアウトロー』でカンヌ国際映画祭パルム・ドール候補となったマイケル・マンが、次に手掛けた作品。
音楽には前作に続き、タンジェリン・ドリームを起用している。
原作はF・ポール・ウィルソンの同名ベストセラー小説(旧題は『城塞』)。
グレッケンをスコット・グレン、クザをイアン・マッケラン、エヴァをアルバータ・ワトソン、ボーマンをユルゲン・プロホノフ、フォネスクをロバート・プロスキー、カンプファーをガブリエル・バーンが演じている。

後のフィルモグラフィーを見てみれば、マイケル・マンにモダンホラー映画の監督をオファーした時点で間違いであることは明白だろう。
マイケル・マン作品の特徴としては「夜の都会」「男臭さ」「男同士の対決」「銃撃戦のリアリティー」「リアリズム」「犯罪」「警察」などの要素が思い付くが、どれもモダンホラー向きとは言い難い。この映画にマッチした要素とも言えない。
ただ、まだ当時は若手だったので、製作サイドもマイケル・マンの得意分野が何なのかなんて知らなかったわけで。
そしてマイケル・マン本人も、たぶん「ホラーも行けるのよ」という自信があっただろうしね。

この映画、日本では劇場公開されているし、過去にはビデオもリリースされているものの、未だにDVD化されていない。
これは日本だけのことじゃなくて、どうやら世界的にもDVDはリリースされていないらしい。
マイケル・マンほどのビッグネームにも関わらず、世界的にDVD化されていないってのは、どう考えたって普通じゃないだろう。
ってなわけで、今やマイケル・マンにとって唯一と言ってもいい黒歴史と化している作品である。

原作者のF・ポール・ウィルソンは本作品を見て「小説と全く違う内容に改変されている」とマイケル・マンに激怒した。
その気持ちを晴らすため、彼は「原作の映画化を手掛けた監督を作家が殺害する」という内容の短編『Silver Screen』まで書いたほどだ。
原作者が認めないからDVD化されないという未確認情報もある。
ただ、この映画の致命的な欠陥は「原作との違いが云々」ということよりも、「原作を読んでいなければ何が何やらサッパリ分からない」ってことにあると思う。ようするに、説明不足が甚だしいのだ。

世の中には、過剰な説明が疎ましいと感じる映画もあるし、ある程度は観客の想像に任せることで深みが出るケースもある。
しかし、この映画は、そういう問題ではない。
基本的な情報からして教えてくれないので、観客は登場キャラクターやストーリー展開、場面の繋がりなど、あらゆる事柄に対して首をかしげたくなってしまう。
そんなに理解が難しい状況が訪れているわけではないが、少なくとも「映画に奥行きや深みを与える効果」など生んでいない。むしろ、話は浅くなっている。

序盤から「雑だなあ」と感じる箇所が幾つも出て来るのだが、まずはハンスが十字架を取り外そうとしてボーマンに叱責されるシーン。
ボーマンがアレクザンドルにキープを案内させていることは、兵士たちだって把握しているはずだ。しかも、近付いて来るんだから、声が聴こえているはずだ。
それなのに堂々と十字架を取り外そうとして、アレクザンドルが止めに入っても全く悪びれた様子が無い。
ボーマンに怒鳴られて、ようやく弁明する始末。どうにも違和感が否めないぞ。

ひょっとすると、「当時のドイツ軍にとって、略奪なんて当たり前」ということで、そのシーンを描いているんだろうか。
だとしたら、それは先に言及しておくべきだろう。
っていうか、やっぱり「ハンスやオットーだけが一部の問題ある兵士で、隊長に見つからないように盗みを働こうとする」ってことにしておいた方がいい。
それに、ハンスが十字架を外そうとして叱責される手順を経なくても、事前に「銀が隠されているという噂が部隊の中で広まっている」ということに触れておけば、「夜の見張りを任されていたハンスたちが銀の十字架を見つけ、それを取り外して殺される」というシーンだけで事足りるのよね。

グリッケンが目覚めてルーマニアを目指すシーンの後、ボーマンが部下から「昨夜はシュタイナーが。これで5人目です」と報告を受けるシーンがある。
どうやらハンスたちの後、3人が死を遂げているらしい。描写は無いが、どうやら「謎の死を遂げた」ということらしい。
その後、急にドイツ親衛隊が現れ、いきなり村人3名を銃殺するシーンが描かれる。ケンプヘルは村人数名を連行し、「我が兵が死ねば捕虜は皆殺しにする」などと言い放つ。
この辺りは非常に分かりにくいが、どうやら「兵士が次々に死亡し、村に潜むパルチザンの仕業と誤解したドイツ軍司令部が親衛隊を差し向けた」ってことのようだ。

この時、ボーマンはケンプヘルの考えが過ちであることを指摘している(もちろん聞き入れてもらえないが)。
だが、なぜボーマンが「ハルチザンの仕業ではない」と確信するに至ったのか、その根拠は示されていない。
「パルチザンの仕業ではない」と主張するからには、兵士たちが死んだ理由について何らかの推理を持っているはずだ。
そこは「キープの中に潜む得体の知れない力によって殺された」という推測になっているべきだと思うが、それを彼は体験していないのよね。

ボーマンは「入り口には機関銃、周囲も照明で守っている。ところが中で殺されている。何の守りも役に立たない。パルチザンなどいない。何かがいる」と、ケンプヘルに語っている。
しかし、そのセリフによる説明があるまで、こっちは「ボーマンが兵士の死について調査する」とか、「厳重に警備して外からの侵入者を防いでいるのに、城郭の中で殺されているという状況を確認する」とか、そういうことを教えてもらっていないわけで。
ボーマンの台詞で、そういうことが初めて理解できるのだ。

フォネスクはケンプヘルから壁の文字について尋問されると、「中世史の研究をしていたクザ教授がいる」と口にする。この時点では、キープの謎についてフォネスクが何かしらの情報を知っており、それに基づいてクザを呼び寄せたのだと思われた。
ところがクザがキープへ来た後、「良く出してくれた。どんな作り話をしたんだ?」「彼らが勝手に作ったのです」というやり取りがある。
つまりフォネスクは何も情報を持っておらず、クザとエヴァを収容所から脱出させるために嘘をついただけだったのだ。
で、この設定が物語に広がりや厚みをもたらしているかというと、答えはノーだ。
残念ながら、無闇に手を広げて上手く処理できずに終わっているという印象だ。

そこに限らず、「とにかく詰め込み過ぎじゃないか」という印象を強く感じる作品である。
この映画って、ちょっとクトゥルー神話に近いテイストを持った話が肝だと思うのよね。
それを考えると、主人公であるボーマンと、謎の男であるグリッケンの関係を、もっと重視した方がいいんじゃないかと思うのだ。
まり、「ボーマンが部下の不審死に疑問を抱き、キープに恐怖を抱く」という筋をあって、そこにグリッケンという謎めいた男が登場して物語が新たな展開を生むという構成に絞り込んだ方がいいんじゃないかと。

ケンプヘルがパルチザンの犯行を疑って村人を虐殺するとか、フォネスクがクザとエヴァを逃亡させようとするとか、グレッケンとエヴァの恋愛劇とか、そういった諸々の要素を盛り込んでいる。
だが、そういうのは全てバッサリでも良かったんじゃないかと。
もちろん、それらも全て含有した上でキッチリと絡ませつつ描写できれば問題は無いけど、実際は破綻しちゃってるわけでね。
序盤にキープの番人であるアレクザンドルが登場して意味ありげなことを言っていたのに、それ以後は全く登場しなくなるなど、キャラの出し入れも上手く処理できているとは言い難いし。

グレッケンとエヴァの恋愛劇に関しては、出会った直後にキスからセックスへと至るもんだから、まるで付いて行けないわ。
そんなに強引な手口を用いてまで、濡れ場を用意する必要性がどこにあるのかと。
むしろ、恐怖や不安を観客に与えなきゃいけない状況の中で、そこから遠ざけるようなマイナスの効果しか生んでいないでしょ。
っていうかさ、「モダンホラー」と前述したけど、そんな余計な濡れ場が到来する以前から、これっぽっちも怖くないからね。

キープに潜む謎の存在は当初、風と煙だけで表現される。だから実体の無い存在という設定なのかと思いきや、エヴァを兵士から救う際には「煙の中に二足歩行の怪物っぽい感じの何かが隠れている」ってのが見える。
それだけでも既に陳腐さが匂って来るのだが、クザの前に現れて「お前は何故、ここにいる?」「手を結ぶ者が欲しい。だが、お前は奴らの手先だ」などと言い出すもんだから、ますます陳腐になってしまう。「得体の知れない恐怖」は一気に減退するし、すっかり安っぽい存在に成り下がってしまう。
なんでベラベラと喋らせてしまうかねえ。
もはや特撮ヒーロー物の怪人レベルになっちゃってるぞ。

1時間を経過した辺りで、元気になったクザがキープの中を探索していると、もはや煙を捨て去ってしまった怪物が出現する。
煙という鎧によって何とか「脅威」や「不気味さ」を醸し出していたのに、それを放棄したことによって、完全に「作り物」としての正体が露呈してしまう。
「幽霊の正体見たり」ではないけど、堂々と姿を見せて、クザに「ここから出るために、私の力の源をキープから取り出して山に隠すのだ」と取引を持ち掛ける様子が描かれることによって、「人間に頼らなきゃ何も出来ないのかよ」と情けなくなる。
キープを出るために人間の力が必要だとしても、狡猾に操るぐらいの形にしておけばいいのに。

終盤、ボーマンはケンプヘルに銃殺され、怪物ともグレッケンとも遭遇しないまま退場してしまう。
そこでもキャラの出し入れがマズいと感じるわけだが、その後に登場する怪物の姿には愕然とさせられる。
それまでの印象とは違い、ゴムみたいな素材の鎧っぽいモノに身を包んでいるムキムキ男になっているんだけど、その行動だけじゃなくて姿形まで、すっかり特撮ヒーロー物の怪人なのよ。
「話が進むに従い、どんどん怪物がスケールダウンして恐怖や脅威が減って行く」ってのは、本来あるべき状態とは真逆でしょうに。

この映画、マイケル・マンが関与しないトコロで製作したパラマウント・ピクチャーズが勝手に編集し、96分の上映時間に仕上げたらしい。
説明不足だったり、場面と場面の繋がりがスムーズじゃなかったりするのは、そういう事情が大きく影響しているんだろうと思われる。
ただし、そのように書くと「マイケル・マンに落ち度は無い。全てはプロデューサーの責任」と思うかもしれないけど、そもそも完成したフィルムは3時間半もあったのだ。
そうなると、「じゃあ編集されても文句は言えないだろ」ってことになるぞ。

(観賞日:2016年4月1日)

 

*ポンコツ映画愛護協会