『ザ・ファン』:1996、アメリカ

ナイフ販売会社でセールスマンをしているギル・レナードは、サンフランシスコ・ジャイアンツの熱狂的なファンだ。彼は元ブレーブスの打点王ボビー・レイバーンがジャイアンツに入団したことを、非常に喜んでいる。スポーツキャスターのジュエルが司会をするラジオ番組で、ギルはボビーと会話を交わし、有頂天になる。
ギルには別れた妻エレンとの間にリッチーという息子がいるが、ギルの勝手で強引な行動に愛想を尽かしたエレンは裁判所に連絡を取った。裁判所からの差し止め命令を出されたギルは、息子に近付けなくなってしまった。客を脅すような手口を非難され、仕事もクビになったギルは、とうとう野球だけが生きがいになってしまった。
同じ頃、ボビーはスランプに陥っていた。一方、同じジャイアンツでボビーのライバルであるプリモは、絶好調で活躍している。ボビーは背番号11を入団時に要求したが、11番を付けていたプリモは手放さなかった。選手の良く来るバーで飲んでいたギルは、トイレでボビーとプリモが背番号について言い合っているのを聞く。
ボビーの不調が背番号のせいだと思い込んだギルは、プリモを殺害する。その頃から、ボビーはスランプを脱出する。ボビーに会ったギルは、「プリモが死んだからツキが戻ったんだろ?」と尋ねる。彼はボビーからプリモが死んだことを感謝するような発言を引き出したかったのだが、その手の言葉を聞くことは出来なかった。
完全に常軌を逸してしまったギルは、ボビーの息子を連れ去ってしまう。彼はボビーに電話を掛けて、自分がプリモを殺害したことを告白する。息子を返すように頼むボビーに対し、ギルは自分のためにホームランを打つことを要求してくる…。

監督はトニー・スコット、原作はピーター・エイブラハムズ、脚本はフォエフ・サットン、製作はウェンディ・ファイナーマン、製作総指揮はビル・アンガー&ジェームズ・W・スコッチドポール&バリー・M・オズボーン、撮影はダリウス・ウォルスキー、美術はアイダ・ランダム、音楽はハンス・ジマー。
出演はロバート・デ・ニーロ、ウェズリー・スナイプス、エレン・バーキン、ジョン・レグイザモ、ベニチオ・デル・トロ、パティ・ダーバンヴィル=クイン、クリス・マルケイ、アンドリュー・J・ファーチランド、ブランドン・ハモンド、チャールズ・ハラハン、ダン・バトラー、カート・フラー、マイケル・ジェイス、フランク・メドラーノ、ドン・S・デイヴィス、ジョン・クラック、ストーニー・ジャクソン他。


ピーター・エイブラハムズの原作を映画化したスリラー映画。ギルをロバート・デ・ニーロ、ボビーをウェズリー・スナイプス、ジュエルをエレン・バーキン、プリモをベニチオ・デル・トロ、エレンをパティ・ダーバンヴィル=クインが演じている。

ギル(&彼を演じるデ・ニーロ)が最初から怖い。まず目が怖いし、顔をクローズアップするカメラワークも、怖さを助長している。おまけに彼の仕事が、ナイフのセールスマン。
既に映画が始まった瞬間に、彼が「怖い人間」として存在してしまっているのだ。

そのため、「最初は普通の野球ファンだった男が、仕事や息子を失うことで野球だけが生きがいとなり、狂気へと走っていく」という筋書きが成立しない。
仕事をクビになったり、息子と会えなくなったりする以前から、既に彼は異常者なのだ。

最初から怖いということが、完全にマイナスになってしまっている。
最初は普通の人間として描かれていた方が良かった。その方が、彼が次第に狂暴化していく姿を、もっと効果的に見せることが出来たはずだ。そういう意味では、ロバート・デ・ニーロをキャスティングした時点で、もう失敗は始まっていたのかもしれない。

ところで、一応のヒロインとして登場するジュエルというキャラクターは、この映画に必要だったのだろうか。どう考えてみても、全く必要が無かったように思うのだが。
やっぱりハリウッド映画だから、「女もいなくちゃマズイだろ」ってことなのかしらん。

 

*ポンコツ映画愛護協会