『ザ・カー』:1977、アメリカ
ユタ州。若いカップルのピーターとスージーが、山中のハイウェイでサイクリングを楽しんでいた。そこへ一台の車が現れ、猛スピードで2人の自転車を追って来た。車はクラクションを鳴らして幅寄せし、スージーを崖下へ転落させる。さらに車はスピードを上げ、必死で逃げるピーターの自転車に激突する。ピーターは絶叫し、橋から落下した。田舎町のサンタ・イネスで保安官助手をしているウェイドは、小学校教師である恋人のローレンに起こされた。ウェイドは結婚を望んでおり、ローレンも基本的には同意しているが、まだ踏み切れずにいる。ウェイドにはリン・マリーとデブラという2人の娘がおり、急に母親になることへの不安があるからだ。
道端でホルンを演奏していたジョニー・ノリスは、エイモスという男が妻のバーサに暴力を振るう現場を目撃した。夜遅くまで遊び歩いて浮気していることを咎められたエイモスが、激怒して殴り掛かったのだ。ノリスが止めようとすると、エイモスは「こいつは女房だ。お前には関係ない、さっさと消えろ」と凄んだ。エイモスがバーサを連れて家に入った後、一台の車が走って来た。モリスはヒッチハイクしようとするが、車はわざと砂煙を浴びせて走り去った。モリスが悪態をつくと、車は急ブレーキを掛けた。車は来た道をバックで戻り、モリスをひき殺して逃走した。その様子を、エイモスは窓から目撃していた。
ウェイドはデブラから、「あの女の人、どうしてこっそり帰っちゃうの?なぜ一緒に暮らさないの?ママが帰って来るまでいいじゃない」と問われる。困惑するウェイドに、リンは「デブラは寂しいの。ママがパパと喧嘩して家出してから2年が経つわ。新しいママが欲しいのよ」と告げた。子供たちが結婚に賛成していると知り、ウェイドは「じゃあ決まりだな」と笑顔を見せた。ウェイドは保安官事務所のトンプソンから指示を受け、子供たちを学校へ送った後でエイモスの家へ直行した。既に署長のエヴェレットとウェイドの相棒であるルークが到着し、エイモスに事情聴取していた。
エイモスは車が4度もモリスをひいて去ったことを証言し、特徴について「2ドア」「屋根は低かった」「ナンバープレートは無かった」と述べた。エヴェレットは部下のレイやチャスたちに、パトロールを命じた。ウェイドはルークと共にパトカーで学校に行き、ローレンと同僚のスージーに声を掛ける。ルークとスージーは交際している。ウェイドは同僚のファッツから連絡を受け、スージーの死体が発見された現場へ急行した。スージーはサンタ・イネスの住人だった。
エヴェレットはウェイドとルークに、スージーが先週木曜にピーターとサイクリングへ出掛けたことを話した。するとルークは「ピーターは近所に住んでいて、僕に懐いていた。彼は就職の面接へ行くと行っていた」と告げる。エヴェレットは「ピーターはスージーのことを母親に隠すため、嘘をついたんだ」と言うが、ルークは「彼が俺に嘘をつくはずがない」と反論した。エヴェレットは周辺を捜索してもピーターを発見できなかったことを告げ、道路封鎖を命じた。ルークの調べで、ピーターが面接に行っていないことは分かった。
エヴェレットはエイモスの家庭内暴力に気付いており、訴訟書類にサインするようバーサの説得を試みた。彼は「家に帰る必要は無い。今夜は息子とモーテルにでも泊まればいい」と告げるが、バーサは息子を連れてエイモスの元へ戻ってしまう。ルークは同僚の目を盗み、車に隠してある酒を飲んだ。エヴェレットはウェイドに、バーサが初恋の相手であることを明かした。酒場へ行こうとしたエヴェレットは、不審な車が停まっているのを目撃した急発進した車はエイモスを狙うが回避され、エヴェレットをひき殺して逃走した。
ウェイドはエイモスに事情聴取し、モリスを殺したのと同じ車の仕業だと知る。エイモスは道を横切ろうとしたら車が突っ込んで来たこと、飛び退いたらエヴェレットをはねたことを説明した。事件を目撃していた先住民の老女は、車の色が黒かったと証言した。さらに彼女は、悪いことが風と共に訪れるという知らせが入ったので、家族と共に奥地へ避難すると述べた。チャスから「逃げた方がいいのか?」と質問されたウェイドは、「俺には分からんよ」と漏らした。
翌朝、エヴェレットに代わって指揮を担当することになったウェイドは、今までと変わらず道路封鎖とパトロールを続けることを同僚に説明した。無線担当のドナは、小学校のマクドナルド校長からパレードの予行演習について問い合わせがあったことを報告した。ウェイドは午後に変更するよう要請し、パレードの警備について話し合いを持つことにした。ウェイドは葬儀屋のマッケイから、エヴェレットに身寄りがいないので遺体の引き取りを頼みたいと言われて承知した。
ドナはウェイドに、先住民の老女が「車には誰も乗っていなかった」と話していたことを教えた。ウェイドはルークに、「パレードの予行演習は中止にするか」と相談した。橋の下で若い男性の死体が発見されたという知らせが届き、ウェイドはピーターだろうと推測し、現場へ向かった。ピーターの遺体を確認したウェイドは、ドナに連絡を入れた。ローレンたちがパレードの予行演習を行っていると、急に強い風が吹いて砂煙が巻き起こった。黒い車が現れたので、警備の保安官助手は避難を指示した。
ローレンたちは必死で逃げ出すが、車は数名をはねて暴走する。しかし一行が墓地に入ると、車は敷地に入って来なかった。ローレンは物陰から出て行き、運転している人物に対して挑発的な言葉を浴びせた。マージーは墓地を抜け出してパトカーへ滑り込み、無線で助けを要請した。パトカーのサイレンが聞こえると車が走り去ったので、ローレンたちは喜んだ。保安官助手のレイは車を目撃し、事務所に連絡した。彼はショットガンを2発撃つが、車には当たらなかった。
車が走り去ったため、本部のウェイドはレイに追跡を命じた。別の場所にいるメトカーフやデンソンたちにも、彼は合流を指示した。レイは一本道で車を追い詰めるが、パトカーごと崖下に落とされた。車はメトカーフたちの乗る2台のパトカーも始末し、バイクで駆け付けたウェイドの前で停止した。ウェイドは拳銃を構え、警戒しながら近づいた。すると車のドアが急に開き、ウェイドを弾き飛ばした。車は走り去り、ウェイドは軽い怪我で済んだ。彼は念のために入院することになり、ローレンはチャスのパトカーで自宅へ送ってもらう。そこへ車が出現して家に突っ込み、ローレンを殺害した…。監督はエリオット・シルヴァースタイン、原案はデニス・シュリアック&マイケル・バトラー、脚本はデニス・シュリアック&マイケル・バトラー&レイン・スレート、製作はマーヴィン・バート&エリオット・シルヴァースタイン、撮影はジェラルド・ハーシュフェルド、編集はマイケル・マクロスキー、美術はロイド・S・パペッツ、特殊視覚効果はアルバート・ウィットロック、音楽はレナード・ローゼンマン。
出演はジェームズ・ブローリン、キャスリーン・ロイド、ジョン・マーリー、R・G・アームストロング、ジョン・ルビンスタイン、ロニー・コックス、エリザベス・トンプソン、ロイ・ジェンソン、キム・リチャーズ、カイル・リチャーズ、ケイト・マータフ、ロバート・フィリップス、ドリス・ダウリング、ヘンリー・オブライエン、エディー・リトル・スカイ、リー・マクラフリン、マーガレット・ウィリー、リード・モーガン、アーニー・オーサッティー、ジョシュア・デイヴィス、ジェラルディン・キームズ他。
『キャット・バルー』『馬と呼ばれた男』のエリオット・シルヴァースタインが監督を務めたスリラー映画。
脚本は『悪党谷の二人』のデニス・シュリアック、『ブラニガン』のマイケル・バトラー、『大捜査』のレイン・スレートによる共同。
ウェイド役のジェームズ・ブローリンはジョシュ・ブローリンの父親で、3番目の妻はバーブラ・ストライサンド。
他に、ローレンをキャスリーン・ロイド、エヴェレットをジョン・マーリー、エイモスをR・G・アームストロング、モリスをジョン・ルビンスタイン、ルークをロニー・コックス、マージーをエリザベス・トンプソン、レイをロイ・ジェンソン、リンをキム・リチャーズ、デブラをカイル・リチャーズ、マクドナルドをケイト・マータフが演じている。ウェイドの娘たちのキャラクター設定には、大いに違和感がある。
ウェイドとローレンの関係に好意的なのは別にいいんだけど、リンの「デブラは寂しいのよ。ママがパパと喧嘩して家出してから2年が経つわ。新しいママが欲しいのよ」という説明で「それはどうなのよ」と感じた。
ウェイドが死別しているとか、デブラが物心つく前に離婚したってことなら分かるけど、2年前に出て行っただけなのだ。そんな状態で「ママが戻らなくて寂しいから新しいママが欲しい」ってのは、子供の心理として変だろ。
だって、本当のママを知っているし、しかも「ママが帰って来るまでいいじゃない」と言っている。つまり離婚したママが戻ることを期待しているんでしょ。
だったら、そもそもローレンを受け入れている時点で不自然だわ。
物語の進行に大きな影響を与えるわけじゃないから、別に大したことではないけど、余計な引っ掛かりは排除した方がいいでしょ。スージーの死体が発見された時点で、まだピーターの死体は発見されていない。
ピーターが嘘をついてスージーと出掛けたことが説明されており、どうやら「エヴはピーターに少なからず疑いを抱いている」という形で見せたいようだが、まるで意味が無い。
なぜなら、観客は車が2人をひき殺したシーンを目撃しており、ピーターが犯人でないことを知っているからだ。少なくともミスリードとしての機能は無い。
例えばピーターが生きていて、「無実の罪で逮捕されて」という展開でもあるならともかく、既に死んでいるから、そんなことも無い。
どうせ既に2件目の事件が発生しており、ウェイドも「同じ車が犯人ではないか」と疑っているんだから、ピーターに疑いが掛かる手順など入れても全く意味が無い。
さっさとピーターの死体も発見して(っていうか同時に発見される形にすればいい)、すぐに「同じ車の運転手が犯人だ」と保安官事務所が睨んで捜査する流れにしちゃった方がスッキリする。チャスが老女の証言を通訳する際には、「車には誰も乗っていなかった」というコメントをウェイドに教えない。翌朝になって、ドナが「実は老女がこんなことを話していた」と教えて、そのことが初めて明らかにされる。
だが、そこで「チャスが通訳した内容の一部を伝えない」という手順を挟んでいる意味が全く無い。
その時点でウェイドたちに「車には誰も乗っていなかった」という内容を説明しても、全く支障は無い。
っていうか、そっちの方がスッキリする。翌朝まで引っ張っても、何かしらの効果が生じることは無いぞ。それと、「車には誰も乗っていなかった」という老女の証言を聞いた途端、ウェイドとルークの顔が強張り、特にルークは酷く怯えた様子を見せているのは、かなり違和感がある。
なぜ最初から「誰も乗っていない」という証言を全面的に信じるんだろうか。
「そんなバカなことは有り得ない」と否定する手順があって、実際に無人で走る車をみた時に初めて「やっぱり本当だったのか」と認識する流れにした方がいいんじゃないかと思うんだけど。
これが例えば、同じ先住民であるチャスは老女の証言を信じて怯え、だけど他の同僚は「それは有り得ない」と否定する形ならともかく、なぜウェイドとルークが異様に怯えるのかが良く分からん。パレードの予行演習をしていた面々が逃げようとすると、ローレンが「みんな待って」と呼びとめて墓地に逃げ込むよう指示する。
だが、なぜ墓地に避難するよう指示したのか、その理由がサッパリ分からない。
墓地の入り口のゲートが頑丈というわけでもないし、段差があるわけでもない。しかも、その頑丈じゃないゲートは開きっぱなしだ。だから、その気になれば車は簡単に突入できるような場所なのだ。
おまけにローレンは、車に向かって「腰抜け」だの「ウジ虫野郎」だのと挑発的な言葉を浴びせる。
そこには「その隙にマージーを脱出させ、助けを呼びに行かせる」という目的があるんだけど、もしも車が墓地に突入したら一貫の終わりなわけで。そんな大胆なことが出来る理由が全く分からん。ただのアホじゃないか。
それは「車が墓地に入れない」と確信していないと成立しないような行為だけど、「車は墓地に入れない」と確信できるような根拠なんて何も無かったはずだし。「ヒロインが死亡する」「暴力亭主のエイモスが生き延びるどころか怪物退治に大きく貢献する」ってのは、意外性があるか無いかで言えば、もちろん意外性はある。
しかし、その意外性を全面的に歓迎できるか、楽しめるかと問われたら、答えはノーだ。「誰が死ぬか」「誰が生き残るか」というところで意外性を出すのは悪くないけど、前述した展開は両方とも、モヤモヤしたモノが残るんだよね。
特にヒロインを殺したことに関しては、「そこで悲劇性を出してどうすんのか」と言いたくなる。「オツム空っぽのお色気要員」とか、殺しても構わないようなヒロインだったらともかく、ローレンには「ウェイドは結婚を望んでおり、子供たちも賛成している」という設定があるわけで。つまり、無事に事件が解決すれば、その後には結婚が待ち受けていることが予想できるわけで。
そんなキャラを殺害すると、事件が解決した後の虚しさが強すぎるでしょ。
そりゃあホラー映画だからハッピーエンドである必要は無いけど、その後味の悪さはホラーであってもモヤモヤが過ぎる。そこはベタでいいんじゃないかと。ただし、前述のようにローレンが「車の運転手を口汚く罵って扱き下ろす」というアホすぎる行動を取っているせいで、「そりゃ殺されても仕方が無いわ」と思わせる形になっちゃってるんだよなあ。
でも、「だからローレンが殺される形でもOK」ってことじゃなくて、愚かな行動を取らせたことが間違い。
車を挑発して攻撃を誘発するような愚かすぎる行動は、他のキャラに任せておけばいい。
ヒロインがやるようなことじゃないわ。なぜ車がウェイドだけは殺さずに走り去るのか、それがサッパリ分からない。
そこは何かしらの理由を付けておくべきだろう。
「墓地は神聖な場所だから狙われなかった」という設定があるんだから、それと共通するような要素を持ち込めばいいんじゃないのか。
あと、せっかくウェイドが車に近付いたんだから、そこは「クルマに誰も乗っていないのを見て驚愕する」という様子を描くべきだろうに。病院での様子を見る限り、明らかに彼は誰も乗っていないのを見ているはずなんだから。エイモスがバーサに暴力を振るっているとか、ルークがスージーと交際しているとか、ルークが密かに酒を飲んでいるとか、エヴェレットの初恋相手がバーサだとか、ローレンが結婚に迷っているとか、リンとデブラが結婚に賛成しているとか、そういった様々なキャラクター設定は、まるで意味の無いモノになっている。
それらの1つとして、後の展開には繋がらないのだ。
そうなると「ドラマ部分の大半が無駄」ということになってしまうわけで。
もうちょっと有効活用すべきでしょ。この映画の大きな失敗は、車に「意思」を持たせすぎてしまったということだ。
「人を殺そうとする」という意思を持たせるのは構わない。っていうか、それが無かったら話が始まらない。
ただし、あくまでも「人を殺す」という目的だけに限定しておくべきだった。
しかし悪態をついた相手、挑発してきた相手を殺すことによって、殺害は仕返しのための「手段」になってしまう。そして「腹を立てて仕返しする」という形にすることで、妙に人間臭い存在になってしまう。
そこに車の人間的な感情が見えるのだ。そうではなく、せっかく車という「機械」を使っているのだから、もっと「無機質な恐怖」を徹底すべきだったのだ。「車という意思を持たない存在が人間を襲う」ってのが怖いのであって、「車が人間のように意思を持って人間を襲う」てのが怖いわけではないのだ。
車に人間のようなキャラクター造形を付けてしまうと、「何を考えているか分からない」「得体が知れない」という恐怖が弱まってしまう。
しかし本作品は、車に人間臭い味付けをするだけでなく、「その正体は悪魔(の憑依した存在)である」という設定まで用意してしまう。アメリカ人の悪い癖で、どうしても「恐怖の正体」を明らかにしようとする傾向があるんだよな(っていうかハリウッド映画だと、ほぼ100パーセントじゃないか)。
しかも、正体が殺人鬼のような人間ではなく「この世の物ではない」という設定の場合、その多くは「悪霊」か「悪魔」だ。アメリカはキリスト教国家だから、悪魔を怖がる感覚が身に染み付いているってことはあるんだろう。お国柄の違いはあるから、恐怖の正体を明らかにしようとする方針を全面的に否定することは出来ない。
だが、少なくとも本作品に関しては、その要素を持ち込んだのは大間違いだ。せめて「悪魔」ってのは避けるべきだ。
なぜなら、車の行動がチンケすぎるからだ。
まず田舎町の人々を標的にしている時点でチンケだし、「悪態をついたり挑発したりした奴に腹を立てて殺す」ってのもチンケだ。悪魔なのに、スケールの大きさがゼロだ。
だからルークが「奴は地獄からの使者だ。長きに渡って虐げられてきた。これは人間に対しての反逆なんだ」と訴えても、まるで恐怖を煽らないのだ。車の行動を派手にしちゃってるのも失敗だ。
「追い詰めていたはずなのに、いつの間にか反対を向いていてパトカーを崖に追い詰める」とか、そういうのは不気味だからいいのよ。
だけど、「グルングルンと横転してパトカーの屋根に乗り、クラッシュを誘発して爆発させる」とか、「家に突っ込んでローレンを殺し、勢いを殺さず走り去」とか、そういう方向性でケレン味を付けたのは失敗だった。
そのせいでホラーじゃなくてアクション寄りになってしまうし、不気味さが失われてしまうのだ。(観賞日:2015年2月15日)