『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』:2007、アメリカ&イギリス

19世紀のロンドン。スウィーニー・トッドは世話になった船乗りのアンソニー・ホープと共に、船を降りた。15年前、彼はベンジャミン・バーカーという名の理髪師で、妻のルーシーと幼い娘のジョアナの3人で幸せに暮らしていた。しかしルーシーに横恋慕したターピン判事は警官に指示し、ベンジャミンに罪を着せて逮捕させたのだ。トッドはアンソニーと別れて、フリート街へ赴いた。彼がパイ屋に入ると、経営者のラヴェット夫人は「ロンドンで一番不味い」と自認するパイを出した。
トッドが「上は空き部屋か。貸せば金が入る」と言うと、ラヴェット夫人は「幽霊が出る噂があって、誰も寄り付かない」と述べた。彼女はベンジャミンが終身刑の判決を受けたこと、2階で暮らしていたルーシーはターピンを無視したことを話す。役人のバムフォードから「判事が謝罪したいと言っている」と聞いたルーシーが案内された場所に行くと、仮面舞踏会が開かれていた。酔い潰れた彼女はターピンに凌辱され、毒を飲んで死んだ。ターピンはジョアナを養女として引き取り、今も自宅で一緒に暮らしている。
話を聞いたトッドがターピンへの復讐心を明かすと、彼に惚れているラヴェット夫人は協力を申し出た。彼女は2階の部屋を理髪店として使うよう勧め、隠しておいた銀細工の剃刀を渡した。ハイドパークを探していたアンソニーは、ターピン邸の2階で窓の近くに座っているジョアナに気付いて心を奪われた。アンソニーはは物乞いの女に話し掛けられ、金を恵んでやった。彼の質問を受けた女は、ジョアナが後見人の判事に閉じ込められていること、忍び込んだ男は鞭で打たれることを教えた。
アンソニーは必ずジョアナを連れ出そうと決意するが、タービンに気付かれた。アンソニーはタービンに脅され、バムフォードの暴行を受けた。ラヴェット夫人はトッドを聖ダンスタン市場へ案内し、ロンドンで一番だと自称する理髪師のアドルフォ・ピレリが来ることを説明した。バムフォードを見つけたトッドが殺そうとすると、多くの人がいるのでラヴェット夫人が制止した。ピレリは少年のトビーを助手に従え、発毛剤を売っていた。トッドはピレリがペテン師だと指摘し、自分の方が10倍は鮮やかに髭を剃れると主張した。
トッドが5ポンドを賭けた対決を要求すると、ピレリは承諾した。トッドはバムフォードに判定を頼み、ピレリより速く滑らかに仕上げて勝利した。バムフォードはトッドの理髪店がパイ屋の上にあると聞き、今週中に訪ねると告げた。ジョアナはアンソニーに気付き、窓から鍵を投げ落とした。なかなかバムフォードが来ないのでトッドが苛立つと、ラヴェット夫人は焦らず待つよう諭した。そこへアンソニーが来て、ターピンからジョアナを救いたいので力を貸してくれと頼む。彼は「判事が法廷にいる間に忍び込んで駆け落ちしたい。馬車を用意する間、ここを彼女を隠す場所として使わせてほしい」と話す。トッドが黙っていると、夫人が「いいわよ」と快諾した。
アンソニーが去った後、ピレリがトビーを連れて訪ねて来た。トッドはラヴェット夫人に、トビーを引き留めるよう指示した。外に出た夫人はトビーに「パイを御馳走するわ」と言い、自分の店へ案内した。ピレリはトッドの元へ来て、正体がベンジャミンだと知っていると告げる。彼が「バラされたくなければ儲けの半分を寄越せ」と要求すると、トッドは即座に殺害した。トビーはラヴェット夫人から「なぜピレリの下で働いてるの?」と質問され、「施設から引き取ってくれた」と答えた。
トッドはトビーも始末しようと考え、ラヴェット夫人に連れて来るよう要求する。しかし夫人が「あの子には店を手伝わせる」と言うと、彼は受け入れた。ターピンはバムフォードに、「世の中の悪から守るため、ジョアナと結婚する。だが、なぜか求婚を喜ばなかった」と話す。バムフォードは身だしなみを整えるよう助言し、トッドの理髪店で髭を剃るよう勧めた。トッドはターピンが来たので、髭を剃ると見せ掛けて殺そうと目論む。しかしアンソニーが飛び込んできて「今夜、ジョアナと駆け落ちを」と言うので、計画は失敗に終わった。怒ったターピンは出て行き、トッドは助けを求めるアンソニーに「失せろ」と言い放って追い払った。
トッドはラヴェット夫人に「判事は二度と戻らない」と激しい苛立ちをぶつけ、「この世に住む虫ケラどもを退治してやる。みんな死んで当然だ」と吐き捨てた。夫人からピレリの死体をどうするのか問われた彼は、「暗くなったら秘密の場所に埋める」と答えた。ピレリの肉を調理してパイにすることを夫人が持ち掛けると、トッドは賛成した。彼は今後も理髪店にくる客を殺し、パイの肉にしようと決めた。ターピンはジョアナに「新しい家に移す」と通告し、バムフォードに精神病患者の収容所へ連行させた。トッドは理髪店に来た客を次々に殺害し、夫人がパイ屋を新装オープンすると大繁盛した…。

監督はティム・バートン、原作はスティーヴン・ソンドハイム&ヒュー・ホイーラー、原作演出はハロルド・プリンス、翻案はクリストファー・ボンド、脚本はジョン・ローガン、製作はウォルター・パークス&ローリー・マクドナルド&ジョン・ローガン&リチャード・D・ザナック、製作総指揮はパトリック・マコーミック、共同製作はカッテルリ・フラウエンフェルダー、製作協力はデレク・フレイ、撮影はダリウス・ウォルスキー、編集はクリス・レベンゾン、美術はダンテ・フェレッティー、衣装はコリーン・アトウッド、作曲&作詞はスティーヴン・ソンドハイム、音楽監修&指揮はポール・ジェミグナーニ、音楽プロデューサーはマイク・ハイアム。
出演はジョニー・デップ、ヘレナ・ボナム=カーター、アラン・リックマン、ティモシー・スポール、サシャ・バロン・コーエン、ジェイミー・キャンベル・バウアー、ローラ・ミシェル・ケリー、ジェイン・ワイズナー、エドワード・サンダース、グレイシー・メイ、エヴァ・メイ、ガブリエラ・フリーマン、ジョディー・ハルス、アーロン・パロマー、リー・ウィットロック、ニック・ハヴァーソン、マンディー・ホリデイ、コリン・ヒギンズ、ジョン・パットン、グラハム・ボヘア、ダニエル・ルサルディー、イアン・マクラーノン、フィル・ウッドファイン他。


トニー賞で8部門を獲得した舞台劇を基にした作品。
監督は『ビッグ・フィッシュ』『チャーリーとチョコレート工場』のティム・バートン。
脚本は『ラスト サムライ』『アビエイター』のジョン・ローガン。
トッドをジョニー・デップ、ラヴェット夫人をヘレナ・ボナム=カーター、ターピンをアラン・リックマン、ビードルをティモシー・スポール、ピレリをサシャ・バロン・コーエン、アンソニーをジェイミー・キャンベル・バウアー、ルーシーをローラ・ミシェル・ケリー、ジョアンナをジェイン・ワイズナー、トビーをエドワード・サンダースが演じている。

原作はヒュー・ホイーラーが脚本を執筆し、スティーヴン・ソンドハイムが作詞と作曲を担当したミュージカル『スウィーニー・トッド』。イギリスの都市伝説がモチーフとなっており、1979年にブロードウェイで初演された。
ティム・バートンは若い頃に舞台劇を観賞して衝撃を受け、長きに渡って映画化を希望していた。
当初、本作品はサム・メンデスが監督を務める予定だったが、『ジャーヘッド』の仕事を優先して降板した。
これを受けてティム・バートンが後任のオファーを受け、念願が叶うことになった。

ミュージカル映画ではあるが、何しろシリアスな復讐劇なので、明るさや楽しさは全く無い。
トッドの犯罪をシニカルに描いたりユーモアに包んだりすれば、悪趣味ながらも楽しい雰囲気を醸し出すことは出来なくも無い。しかし本作品は、徹底的にシリアスで恐ろしい復讐劇として演出されている。
復讐や殺人を派手に飾り付けて話を盛り上げるような趣向も無く、ひたすら陰気で暗い。いわゆるアンサンブルのキャストは登場せず、メインキャストが踊ることも無い。
ミュージカル形式ではあるが、かなり地味な映画になっている。

ミュージカル映画ではあるが、それに合わせたキャスティングをしているわけではない。メインのカップルがジョニー・デップとヘレナ・ボナム=カーターってのは、「毎度お馴染みのティム・バートン組」である。
そして両者は共に、歌唱力に定評のあるミュージカル俳優というわけではない。なので、2人の歌を映画の大きな売りにすることは出来ない。
昔のMGMミュージカルであれば、歌や踊りが得意な特別ゲストを起用して見せ場を作るケースもあったが、この映画にそんな趣向は無い。
なので、ミュージカル映画なのに、ミュージカルシーンが何の売りにもなっていないという、とっても奇妙な仕上がりになっている。

ミュージカルシーンになると背景が変化するとか、映像で工夫を凝らすとか、そういう方法でドラマパートとの違いを際だたせるようなことも無い。同じ場所で、同じような映像のまま、ただ台詞をメロディーに乗せているだけだ。
後半、ラヴェット夫人が将来の夢についてトッドに話すシーンでは、彼女の妄想を具現化した映像が次々と切り替わる。だけど、そういう演出って、ここだけなんだよね。それ以外だと、音声を消して映像だけを見ていたら、どこがミュージカルシーンなのか、ほとんど分からないんじゃないかと思うぐらい差が無い。
しかも、多くの歌を担当しているのはジョニー・デップとヘレナ・ボナム=カーターだ。それで多くの観客を引き付けようってのは、簡単な仕事じゃないよ。
周囲の面々も、「歌が云々」という以前に、キャラクターとして全く魅力を感じさせてくれないし。

原作の舞台劇がミュージカルなので、それを踏襲して映画もミュージカルにしていることは言うまでもない。
でも、ストレート・プレイで作った方が良かったんじゃないかと思ってしまう。
復讐劇としてのカタルシスが無いことは、序盤から容易に予想できる。しかし、だからと言って悲劇のカタルシスがあるわけでもない。
ただ虚しさだけが残る結末は狙い通りなのかもしれないけど、2時間の尺を耐えた結果として貰えたモノは少ないなあ。

トッドはアンソニーのせいでターピンの殺害に失敗した途端、「この世に住む虫ケラどもを退治してやる」と言い出す。そしてラヴェット夫人の提案を受け、理髪店に客を誘い込んで殺害し、その肉をパイにして売る計画を進める。
いや、なんでそうなるのよ。あまりにも思考回路がデタラメでキテレツすぎるだろ。
しかも、「もうターピンの殺害は絶対に無理だし、ジョアナにも会えない」と絶望し、ヤケクソで連続殺人鬼になるのかと思いきや、そうじゃないからね。その解釈ですら強引なんだけど、トッドはターピンの殺害を諦めておらず、その後も「どうすれば殺せるのか」と思案を巡らせているからね。
原作でどう処理しているのかは知らないけど、この映画だと「トッドが客を殺して肉をパイにする殺人鬼に変貌する」という展開は無理があり過ぎるよ。
ダーク・コメディーなら少しは何とかなったかもしれないけど、そういう感じでもないし。

(観賞日:2024年12月15日)

 

*ポンコツ映画愛護協会