『サンシャイン2057』:2007、イギリス&アメリカ

西暦2057年、太陽は死滅を迎えつつあり、地球は凍てついていた。7年前、太陽の活性化を目的としたイカロス計画が実施されるが、太陽への到着直前で失敗に終わった。16ヶ月前、イカロス2号は8人のクルーを乗せて、地球を旅立った。メンバーは船長のカネダ、通信技官で副船長のハーヴェイ、物理学者のキャパ、植物学者のコラゾン、操縦士ののキャシー、エンジニアのメイスとトレイ、精神科医のサールだ。イカロス2号には、マンハッタン島ほどの大きさの核爆弾が積み込まれている。クルーに課せられた使命は、核爆弾を投下し、太陽の中に太陽を創り出すことだ。
その日の食事の席で、カネダはクルーに対して「プラズマの測定値が予想より高い。通信不能域に入るのが、予想より7日早くなる。地球メッセージを送りたければ、これがラストチャンスだ」と述べた。最初にキャパが姉と会話し、他のクルーは順番を待った。コラゾンは酸素菜園の手入れをした後、展望室へ赴いてカネダに会い、「酸素量は問題ありません。むしろ製造過剰ですが、太陽に近付くと共に減少します。今の備蓄量で、帰路の4分の1まで持つでしょう」と報告した。
キャパが長く喋り過ぎたせいでイカロス2号は通信不能域に入ってしまい、メイスは激怒して彼に殴り掛かった。他のクルーが制止し、サールはメイスに地球室でリラックスするよう促した。通信機材のチェックをしていたハーヴェイは、7年前に消息を絶ったイカロス1号からの救難信号をキャッチした。トレイは針路を変更して救助に向かうべきだと意見を述べ、メイスは任務遂行を優先すべきだと主張した。サールは「核爆弾が2個になれば、成功確率は2倍に増える」という観点から、針路変更に賛同した。
カネダは最終的な判断について、爆弾の専門知識を持つキャパに委ねた。キャパは爆弾投下のシミュレーションを行うが、イカロス2号の人工知能は「有効な予測は得られない。可能性は無数」という答えを出した。キャパはカネダに「この爆弾を作るために、地球上の核物質は全て使い果たした。もう2度と作れない。サールの言うように希望は2倍ある方がいい」と言い、針路を変更するよう告げた。
トレイは計算した座標を登録し、手動で針路変更の操作を行った。だが、他の計算で頭が一杯だった彼は、太陽へのアプローチ角度が変わることに後から気付いた。彼は警報を鳴らしてクルーを集め、シールドの角度を変え忘れていたことを打ち明けた。センサーが焼けたため、損傷の度合いは分からない。そこでカネダはキャパを伴い、確認に向かう。カネダが損傷した4枚のパネルを修理している最中、酸素漏れが発生した、そのため、人工知能はコンピュータ制御で回転を元に戻してしまった。
酸素菜園で火災が発生し、キャシーはその区域を遮断して機能を停止させた。キャシーは手動制御に戻そうとするが、メイスは船の炎上を防ぐため、指令撤回を人工知能に告げた。カネダはメイスの判断を受け入れた。メイスは酸素を放出することで、酸素菜園の火を消した。カネダはキャパに戻るよう指示し、自分はパネルの修理を続ける。全てのパネルは修復されるが、カネダは太陽に焼かれて死んだ。
船長に就任したハーヴェイは、責任を感じて自殺する恐れのあるトレイを治療室に収容した。ハーヴェイは大量の酸素を放出したために爆弾投下地点まで持たないことをクルーに話し、「頼みの綱はイカロス1号だ。任務遂行のため、1号とランデブーするんだ」と告げた。コラゾンは通路でメイスとキャシーの3人になり、「全員でなければ酸素は持つ。7人の内、4人分なら問題ない」と述べた。
イカロス2号は1号とドッキングし、キャパ、メイス、サール、ハーヴェイが調査に向かう。4人は手分けして捜索し、酸素菜園に入ったハーヴェイは見事に育っている植物を見つけ、コラゾンに「これで酸素の心配は無い」と通信した。操縦室に入ったメイスは、システムに異常が無い中でフライト・コンピュータだけが停止していることを知った。サールは休憩室と寝室を調べるが、そこに1号のクルーの遺体は無かった。
メイスが操縦室を調べていると、1号の船長であるピンバッカーが残した映像が写し出された。ピンバッカーは「任務は放棄する。我々は愚かだった。人間など塵に過ぎない。神に逆らうことは許されない」と話していた。それは6年半前、爆弾投下の直前に撮影された映像だった。キャパは爆弾が使えることを確認するが、メインフレームが人為的に破壊されているため、1号を動かすことが出来なかった。そのため、1号の爆弾を使うことは無理だった。
展望室に足を踏み入れたハーヴェイたちは、太陽光線で灰となった1号のクルーたちを発見した。その直後、船体が突如として切り離され、ハッチが切り裂かれてしまう。再びドッキングすることが不可能になる中、1号の外壁が破損して空気が漏れ始めた。メイスは宇宙服を1着だけ発見し、核爆弾を扱えるキャパを2号に戻らせようとする。するとハーヴェイは「キャプテンは俺だ」と声を荒らげ、自分に宇宙服を渡すよう要求した。メイスは「エアロックが真っ二つで、どうやって船内を加圧できるんだ」と怒鳴った。
メイスはキャシーに連絡を入れ、船を近付けるよう指示した。彼はイカロス1号の断熱材を剥がして体に巻き付け、2号に向かって飛ぼうと考える。するとサールは「コンピュータが死んでいる。内側からシールを動かさないと」と言い、自分が留まることを告げた。メイスとハーヴェイは断熱材を巻き付け、キャパは宇宙服で準備を整える。サールが扉を開けると同時に、3人は外へ放出された。キャパとメイスは2号のエアロックに滑り込むが、ハーヴェイは吹き飛ばされて凍死し、サールは1号の展望室へ移動して自害した。
メイスがコラゾンと共に調査した結果、ドッキングが切り離されたのは誰かの仕業であることが判明した。メイスはトレイが犯人だと確信するが、キャパは「彼は薬浸けで、ろくに歩けない状態だ」と反論する。コラゾンは「トレイが死ねば、爆弾投下地点まで酸素が持つ」と言い、メイスは「俺が彼を殺す」と口にした。多数決を取ると、3人は賛同し、キャシーは棄権した。メイスは治療室へ行くが、トレイは手首を切って自害していた。キャパは人工知能に対し、クルーの生体機能測定と酸素の消費量データの算定を命じる。すると人工知能は「貴方たちは投下まで生きられません。クルーが5人います」と告げ、5人目が展望室にいることを教える…。

監督はダニー・ボイル、脚本はアレックス・ガーランド、製作はアンドリュー・マクドナルド、共同製作はバーナード・ベリュー、撮影はアルウィン・カックラー、編集はクリス・ギル、美術はマーク・ティルデスリー、衣装はスティラット・アン・ラーラーブ、視覚効果監修はトム・ウッド、音楽はジョン・マーフィー&アンダーワールド。
出演はキリアン・マーフィー、クリス・エヴァンス、ミシェル・ヨー、ローズ・バーン、真田広之、クリフ・カーティス、トロイ・ギャリティー、ベネディクト・ウォン、マーク・ストロング。


『ザ・ビーチ』では監督と原作、『28日後...』では監督と脚本の関係でコンビを組んだダニー・ボイルとアレックス・ガーランドが、3度目のタッグを組んだ作品。
キャパをキリアン・マーフィー、メイスをクリス・エヴァンス、コラゾンをミシェル・ヨー、キャシーをローズ・バーン、カネダを真田広之、サールをクリフ・カーティス、ハーヴェイをトロイ・ギャリティー、トレイをベネディクト・ウォン、ピンバッカーをマーク・ストロングが演じている。

序盤、サールはわざとシールドの太陽光を網膜が焼け死ぬギリギリまで強めてみたり、食事の席で「リフレッシュにお勧めだ。浮遊療法みたいな感じだ。自分と暗黒は別々の存在。暗黒とは何が欠けた空間、つまり真空だ。だが光は違う。全身を包み込み、人と一心同体になる」とイカれたことを言ったりしており、既にヤバい雰囲気は漂っている
やはりダニー・ボイル、「選ばれし面々が地球を救うために頑張る」という真っ直ぐな話ではなく、ひねくれた映画だった。
だが、そのひねくれたセンスが、今回は完全に凶と出た。

太陽の死滅によって地球は凍てついているという設定なのだが、温暖化が声高に叫ばれている時代に「地球が凍てついている」という設定の話を用意されても、そこにリアリティーは微塵も感じない。
遠い未来ならともかく、2057年の設定だからね。
あまり遠い未来の設定にしてしまうと、進化したテクノロジーを表現するのが難しくなるという問題は生じるだろうが、だからって2057年は無いわ。
2007年の時点で、「50年後に太陽が死滅して地球が滅びます」と言われても、絵空事にしか感じないでしょ。

「核爆弾を投下して太陽の動きを活性化させる」という計画も、あまれにも無理がありすぎる。
すぐに爆弾を使いたがるのはハリウッドだけかと思っていたら、「イギリスよ、お前もか」って感じだ。そんなモンで太陽が活性化するとは思えないんだよな。
しかも、その計画に付けられた名前が「イカロス」って、どういうセンスだよ。
イカロスってギリシア神話の登場人物で、太陽に近付きすぎて蝋で作った翼が溶けてしまい、墜落死した男だぞ。
そんな奴の名前を使うってことは、もう計画に失敗する気満々じゃねえか。

そんなこんなで、もう初期設定の段階で、おバカな映画としてじゃなきゃ成立しないような匂いを感じる。
でも実際はシリアス一辺倒で進んでいくので、だったらオープニングで「凍てつく地球を救うため、太陽へ核爆弾を投下して活性化させる」という目的が示されているわけだし、「任務は無事に遂行されるのか、太陽の活性化で地球は救われるのか」というところで話を盛り上げ、「任務は成功に終わる」というところへ着地する構成にするのがスジってモンだろう。
だが、途中で脱線し、二度とコースへは戻って来ない。

後半に入ると太陽という神の狂信者となったピンバッカーがイカロス1号に乗り込み(どうやって気付かれずに侵入したのかは不明)、クルーを次々に襲っていくというサイコキラー物になる。
そりゃあ、真っ当に「任務遂行で地球を救う」という筋書きをやったところで、どうせ陳腐な内容にしかならないことは目に見えている。でも、だからって、この映画みたいな展開は無いわ。
最終的にはキャパか爆弾を投下して太陽が復活するので、表面上は帳尻を合わせている形になるが、中身が全く違う。「狂信的モンスターとの戦い」という部分が強くなりすぎて、もはや「地球を救う」という目的は忘却の彼方となる。
「ピンバッカーの襲撃をかいくぐって爆弾を太陽に投下する」ということ自体が目的化してしまうのだ。
ホントは、爆弾を投下しても、それで太陽が活性化するかどうかは分からないはずなのに。

サールは「核爆弾が2つになれば成功の確率も2倍になる」ということでイカロス1号へ向かうことを主張し、最終的にはキャパも同じ意見になる。
でも、その話し合いの時点で言われている通り、それは「イカロス1号を動かすことが出来れば」という条件付きだ。
それに対してサールは「リスクを冒しても成功確率を高めるべきだ」と言うけど、リスクまで含めて考えると、成功確率が高まるとは限らないでしょうに。
針路変更によるトラブル発生の可能性、1号が動かない可能性などを考えると、「成功の確率も2倍になる」ってのは、頭のいい連中が集まっているにしては、あまりにも安易な考えじゃないかと。

で、キャパは爆弾投下のシミュレーションを人工知能にやらせるのだが、それは爆弾1個によるシミュレーションなんだよね。
2個でやらないのかよ。1個の場合のシミュレーションなんて、地球にいる時にやっておけよ。なんで今になってシミュレーションなんだよ。
ってことは、成功の確率なんて全く計算しないまま、その計画に「地球を救う唯一の方法」としてゴーサインが出たのかよ。
しかも途中で信頼度が45パーセントに落ちて「有効な予測は得られない」とか言われちゃうし。
地球の存亡が全て懸かっている計画なのに、すげえアバウトなのね。

トレイのミスによってピンチが訪れるのだが、彼がシールド補正を忘れた時に、それを人工知能は分からなかったのか。トレイは他の計算で頭が一杯だったと言うけど、それを人工知能に任せることは出来なかったのか。
サールが太陽光フィルターを遮断するよう指示した時は「上げますか、下げますか」と尋ねるぐらい気が利く奴なのに、そこは都合良く、柔軟性に乏しいコンピュータになっちゃうのね。
あと、エンジニアはトレイだけじゃなくてメイスもいるんだから、二重でチェックすれば良かったんじゃないのか。
トレイに任せっきりで、誰もチェックしないってのは、ちょっと杜撰じゃないかと。

サールが太陽光を見ることにハマっていたり、キャパが太陽の表面に落下する夢にうなされたり、みんな多かれ少なかれ、精神をやられているような印象を受ける。
そして、かなり陰気な雰囲気に包まれている。
人々が太陽という「神」に魅入られたり翻弄されたりする様子を描き、「人間が神を制御しようとすることは云々」という宗教的な話にしたいのかもしれんが、ただひたすらに辛気臭いだけ。

カネダが犠牲になっても、そこに悲劇性は全く感じない。
なぜなら、彼はちっとも逃げ出そうとしておらず、むしろ太陽光に魅入られて、包み込まれることを望んでいるように見えるからだ。
あと、そんな危機的状況なのにサールが「何が見える?」と尋ねるとか、カネダを見殺しにする決定を下すメイスが冷酷な奴にしか見えないとか(全く葛藤が無いし、後になって苦悩する様子も無い)、色々と引っ掛かる問題が多いぞ。

ハーヴェイが「酸素が減って爆弾の投下地点まで行けない」と言うと、コラゾンはメイスとキャシーの前で「全員だと無理だが、4人分なら大丈夫」と恐ろしいことを言い出す。
でも、じゃあコラゾンが「4人ならOKだから」ってことでドッキングの阻止を目論むとか、3人を始末しようとするとか、そういう展開に移行することは無い。それを言われた時に、メイスやキャシーが批判するわけでもない。
では、何のためにコラゾンがそんな物騒なことを言い出したのかっていうと、「4人なら酸素が持つ」ってことを観客に伝えるためだ。
でも、説明の手口が下手なので、何か物騒なことが起きることへの伏線なのかと思ってしまう。

それに、コラゾンが「4人なら酸素が持つ」と言い出した直後、1号で酸素菜園が発見されて「これで酸素の心配は無い」という状況になるので、コラゾンのセリフでサスペンスを煽ったことが全くの無意味になるし。
あと、そもそも「4人なら酸素が持つ」ってことを伝えるのが目的だとすれば、そこで言う必要は無いし。
サールやハーヴェイが死んだ後、コラゾンが「トレイが死ねば酸素が持つ」と言い出すシーンがあるが、そこで初めて言及する形でもいいでしょ。

そんで最後はキャパが手動で核爆弾を切り離すんだが、その核爆弾がある格納庫(と呼んでいいのかどうかは良く分からないが)、あんなに大きい必要性ってあるのか。
あのスペースを満たす酸素も計算に含まれているとしたら、すげえ無駄でしょうに。色々と設備が積まれているならともかく、何も無い空間なんだぜ。
で、手動で核爆弾を投下したキャパは、カネダやサールみたいに太陽光線に魅入られたかのようになり、光に包まれて気持ちよさそうに死亡する。
どんとはらい。

(観賞日:2013年10月19日)

 

*ポンコツ映画愛護協会