『スチュアート・リトル2』:2002、アメリカ

ニューヨークに暮らす父のフレデリック、母のエレノア、息子ジョージのリトル家が、養護施設で見つけたネズミのスチュアートを養子に迎えて3年が過ぎていた。リトル家には娘のマーサが誕生し、スチュアートはお兄さんになった。スチュアートはサッカーの試合に出たりオモチャの飛行機で遊んだりするが、エレノアは体の小さい彼を心配する。
ジョージは同級生ウィルと遊ぶことが多くなり、飼い猫スノーベルにも相手にしてもらえないスチュアートは友達が欲しくなる。そんなある日、ミニカーを運転していた彼は悪党の鳥ファルコンに追われている小鳥のマーガロを救った。スチュアートがマーガロを自宅に連れ帰ると、リトル家の面々は彼女を暖かく迎え入れた。
しかし、実はマーガロはプロの詐欺師で、ファルコンの仲間だった。マーガロは金目の物が無いかを調べるため、リトル家に潜入したのだ。スチュアート達の優しさに触れたマーガロは、リトル家での盗みを中止しようとする。しかしファルコンの命令には逆らえず、マーガロはエレノアの指輪を盗んで姿を消した。何も知らないスチュアートはマーガロがファルコンに連れ去られたと思い込み、スノーベルを連れて捜索の旅に出た…。

監督はロブ・ミンコフ、キャラクター創作はE・B・ホワイト、原案はダグラス・ウィック&ブルース・ジョエル・ルービン、脚本はブルース・ジョエル・ルービン、製作はルーシー・フィッシャー&ダグラス・ウィック、製作協力はミッシェル・マードッカ&レイチェル・シェーン、製作総指揮はジェフ・フランクリン&スティーヴ・ウォーターマン&ロブ・ミンコフ&ゲイル・ライオン&ジェイソン・クラーク、撮影はスティーヴン・ポスター、編集はプリシラ・ネッド・フレンドリー、美術はビル・ブルゼスキー、衣装はモナ・メイ、視覚効果監修はジェローム・チェン、音楽はアラン・シルヴェストリ、音楽監修はボニー・グリーンバーグ=グッドマン。
出演はジーナ・デイヴィス、ヒュー・ローリー、ジョナサン・リップニッキー、アンナ・ホーク、アシュレイ・ホーク、マーク・ジョン・ジェフリーズ、アンジェロ・マサグリ、ジム・ドゥーハン、ブラッド・ガーレット、コナン・マッカーティー、マリア・バムフォード、ダニエル・ハンセン、ケヴィン・ジョンソン・オルセン他。
声の出演はマイケル・J・フォックス、ネイサン・レイン、メラニー・グリフィス、ジェームズ・ウッズ、スティーヴ・ザーン他。


アメリカで長く親しまれてきた児童文学を基にした1999年の作品『スチュアート・リトル』の続編。
エレノア役のジーナ・デイビス、フレデリック役のヒュー・ローリー、ジョージ役のジョナサン・リップニッキーが前作から引き続いて登場し、声優陣もスチュアートのマイケル・J・フォックス、スノーベルのネイサン・レイン、野良猫モンティーのスティーヴ・ザーンが続投。他に、マーガロの声をメラニー・グリフィス、ファルコンの声をジェームズ・ウッズが担当している。

前作に関して、私は強い違和感を抱いた。登場する全ての人間が、ネズミが人間のように喋ることも、養子にすることも、当たり前のように受け入れることに違和感を感じたのだ。明らかに奇妙奇天烈な設定なのだが、そこを乗り切るだけの(スムーズに納得させるだけの)充分な世界観が作られておらず、「スチュアートが可愛い」という点だけで突破しようとしているように感じたのだ。
今回も、当たり前のようにスチュアートは人間同様に扱われる。サッカーのコーチも、学校の同級生も、スチュアートを「極端に体の小さい人間」であるかのように扱っている。もはや前作を「ネズミが喋ったり人間同様の扱いを受けたりするのは当たり前」ということで突っ切ったので、完全に開き直っている。

そして、その開き直りは、さらに増幅する。マーガロが登場すると、小鳥が人間の言葉を喋っていることに対して誰も違和感を抱かず、リトル家の面々は最初から平然と会話を交わすのだ。
既に「不条理が罷り通る世界」が前作において構築されているため、小鳥が人間と会話を交わすことぐらい、屁でも無い。ネズミと小鳥の恋愛だって、珍しくも無い。

そして相変わらず、スノーベルは人間と言葉を交わすことが出来ない。
前作において「ネズミは家族の一員になれるのに猫はペットでしかない」という不条理極まりない状況があったわけだが、今回のスノーベルはスチュアートに意地悪をすることもなく、完全にコメディー・リリーフになっているので、前作にも増して不憫な印象を受ける。

今回はスチュアートの「冒険したい」という欲求が強くアピールされるわけだが、排水口の中を探る短い冒険の時は、「指輪を探す」という目的がある。そしてマーガロを探す時は、「ファルコンから助け出す」という目的がある。
しかし両方とも、観客はスチュアートが勘違いしていることを知っている。だから、その冒険に心を委ねることが難しい。
結局のところ、ストーリーは二の次で、とにかくマーガロやファルコン、飛行機に乗ったスチュアートが空を飛ぶ映像を見せたかったんじゃないだろうか、という推理が浮かんだりもした。
まあオコサマ映画だから、この程度でOKってことなのかもしれない。
ただし「ファミリー映画」と呼ぶには苦しいモノも感じるが。

 

*ポンコツ映画愛護協会