『スチュアート・リトル』:1999、アメリカ&ドイツ
ニューヨークに暮らすリトル家は、父のフレデリック、母のエレノア、幼い一人息子のジョージの3人家族。それに、飼い猫のスノーベルが1匹。リトル夫妻は弟を欲しがっているジョージのために養子を貰おうと考え、養護施設に向かった。
どの子供を養子にしようか迷っていたリトル夫妻は、小さなネズミのスチュアートに話し掛けられた。スチュアートを気に入ったリトル夫妻は、彼を養子にすることに決めた。だが、ジョージは弟が人間では無かったために、全く喜ばない。
スノーベルは、ネズミが自分の飼い主になったことが気に食わない。他の猫に知られたら恥だと考えるスノーベルだが、お喋りの野良猫モンティに知られてしまう。モンティの紹介で野良猫の親分スモーキーに会ったスノーベルは、助けを求めた。
最初はスチュアートに不満を抱いていたジョージだが、やがて彼と仲良くなった。模型ヨットレースに参加したジョージは、スチュアートのおかげで優勝する。優勝を祝って親戚一同も駆け付け、スチュアートを含めた家族4人で記念写真を撮った。
そこへ、スチュアートの本当の親だと名乗る夫婦が現れる。リトル家の面々は、仕方なくスチュアートを引き渡すことにした。だが、ネズミの夫婦はスモーキーに脅されて親のフリをしただけだった。スモーキー率いる野良猫軍団が、スチュアートを狙う…。監督はロブ・ミンコフ、原作はE・B・ホワイト、脚本はM・ナイト・シャマラン&グレッグ・ブルッカー、製作はダグラス・ウィック、製作総指揮はジェフ・フランクリン&スティーヴ・ウォーターマン&ジェイソン・クラーク、撮影はギレルモ・ナヴァロ、編集はトム・フィナン、美術はビル・ブレゼスキ、衣装はジョセフ・ポロ、音楽はアラン・シルヴェストリ。
出演はジーナ・デイビス、ヒュー・ローリー、ジョナサン・リップニッキー、ジェフリー・ジョーンズ、コニー・レイ、アリス・ビーズレー、ブライアン・ドイル=マーレイ、エステル・ゲティ、ハロルド・グールド、パトリック・オブライエン、ジュリア・スウィーニー、ダブニー・コールマン他。
声の出演はマイケル・J・フォックス、ネイサン・レイン、チャズ・パルミンテリ、スティーヴ・ザーン、ジム・ドゥーハン、ブルーノ・カービー、ジェニファー・ティリー他。
アメリカで長く親しまれてきた児童文学を映画化した作品。
リトル家の面々をジーナ・デイビス、ヒュー・ローリー、ジョナサン・リップニッキーが演じ、スチュアートの声をマイケル・J・フォックス、スノーベルの声をネイサン・レインが担当している。まず、養護施設に当たり前のように養子候補の1人としてネズミがいて、そのネズミが人間のように喋ることを当たり前のようにリトル夫妻が受け入れて、当たり前のように養子にするという滑り出しからして、この映画に対する違和感を覚えてしまった。
「ネズミが人間の言葉を喋るのは異常なことであり、スチュアートは特別なネズミなのだ」という形ならば、話は分かる。
リトル夫妻が極度のネズミ好きとか、ちょっと頭のイカれた連中というなら話は分かる。
しかし、そうではないのだ。最初に芽生えた違和感は、映画が展開する中で減少することは無く、むしろ増幅される。
リトル家の親戚一同までもが、スチュアートをすぐに受け入れるのも不可解だ。
たかがネズミがいなくなっただけで、当たり前のように警察が動くのも不可解だ。
不可解なことが大量にあるにも関わらず、それを当たり前だと思わせるに充分な世界観が作られていない。
奇妙な設定を観客に受け入れてもらうための説得力を、映画に持たせようとする工夫が全く見られない。
その辺りの問題点を、とにかく「CGネズミが可愛い」というポイントだけで強引に突破しようとする。大体、リトル家にはスノーベルという猫がペットとして存在しているのだ。
猫をペットとして飼っておきながら、ネズミを養子にするという感覚に付いていけない。
ネズミが養子として家族の一員になれるのなら、どうして猫はダメなのか。
そもそも、リトル一家はネズミの言葉は理解できるのに、なぜ猫の言葉は理解できないのか。とにかくスノーベルが可哀想になった。
スチュアートを口に入れたのは、エサであるネズミを食べようとする猫として当然の行動だ。
しかし彼はリトル夫妻に怒られ、「今度やったら追い出す」と言われる。
唐突に、エサだったネズミが主人になってしまったのだ。
そんな理不尽な状況を、急に受け入れろというのが無理な話だ。
にも関わらず、彼はスチュアートを苛める悪い奴にされてしまう。
それでも彼はリトル一家のことを思っているし、最後にはスチュアートを助けようとするんだから、ホントにイイ奴だ。それに比べて、スチュアートときたら。
スノーベルが「ネズミが飼い主になったなんて他の猫に知られると屈辱だ」と言っているにも関わらず、スチュアートはモンティに自分が飼い主だと明かす。
その無邪気な悪意に、腹立たしさを感じる。
作品への違和感と、主人公への腹立たしさだけを残して、子供騙しの時間は終わりを告げた。
第22回スティンカーズ最悪映画賞
ノミネート:【最悪の子役】部門[ジョナサン・リップニッキー]