『ストーン・コールド』:1991、アメリカ
アラバマの刑事ジョー・ハフは停職中だったが、スーパーマーケットでの強盗事件を勝手に解決して上司から非難される。そんなジョーの元を、FBIのカニンガム特別捜査官が訪れ、ミシシッピーの暴走族“ブラザーフッド”の逮捕への協力を求めて来た。
現在、“ブラザーフッド”の1人トラブル・オーエンスが逮捕され、裁判に掛けられていたが、担当判事が殺害されるという事件が起きていた。カニンガムは停職を取り消す代わりに、潜入捜査官として暴走族に入ることをジョーに依頼する。
ジョーは出所したばかりのジョン・ストーンという男に成り済まし、“ブラザーフッド”のガットと親しくなる。ガットに招かれて集会に参加したジョーは、リーダーのチェインズ・クーパーに気に入られ、誘いを受けて彼らの仲間になった。
ジョーは麻薬の取り引きをチェインズに持ち掛け、マルティネス率いるマフィアとの関係を知る。一方、州知事の座を狙うホイッパートン検事はブラザーフッドの取り締まりを厳しくするが、チェインズは検事の命令を受けた検問の州兵を殺害する。
ジョーは麻薬取り引きを利用してブラザーフッドとマフィアの両方を一網打尽にしようと考えていたが、州兵殺害事件の影響で潜入捜査の中止が決まる。だが、連絡役のランスから中止の指示を伝えられてもジョーは従おうとせず、潜入捜査を続行する。
しかし、ジョーはチェインズに素性を知られ、拘束される。ブラザーフッドはホイッパートン検事を殺害してオーエンスを救出するため、裁判所へ向かう。ジョーは時限爆弾と共にヘリコプターで空中に連れ去られるが、脱出して裁判所に乗り込む…。監督はクレイグ・R・バクスリー、脚本はウォルター・ドニガー、製作はヨーラム・ベン・アミ、共同製作はアンドリュー・D・T・フェファー&ニック・グリロ、製作総指揮はウォルター・ドニガー&ゲイリー・ウィチャード、撮影はアレクサンダー・グラジンスキー、編集はマーク・ヘルリッチ、美術はジョン・マンスブリッジ&リチャード・ジョンソン、衣装はタミー・モー、音楽はシルヴェスター・リヴェイ。
主演はブライアン・ボズワース、共演はランス・ヘンリクセン、ウィリアム・フォーサイス、アラベラ・ホルツボグ、サム・マクマレー、リチャード・ガント、グレゴリー・スコット・カミンズ、エヴァン・ジェームズ、ビリー・ミリオン、ディミトリ・フィリップス、トニー・ピアース、パウロ・トーチャ、ロバート・ウィンリー、デヴィッド・トレス、グレッグ・“マジック”・シュワルツ他。
NFLのシアトル・シーホークスで活躍した元アメリカン・フットボールの選手、ブライアン・ボズワースの映画デヴュー作。
ジョーをボズワース、チェィンズをランス・ヘンリクセン、ブラザーフッドの幹部アイスをウィリアム・フォーサイスが演じている。おそらく製作サイドとしては、ブライアン・ボズワースを例えば新人時代のアーノルド・シュワルツェネッガーのような感じで扱うべきだと考えたのだろう。
つまり演技力もアクションのセンスも期待するのは無理だが、マッチョな肉体だけはあるということだ。
だから、この作品は、いかに彼の肉体を見せるかが勝負なのである。肩の部分が尖った黒皮ジャケットにジーパン、白いバンダナに白いダブダブのシャツ、素肌にノースリーブの黒皮ジャケットなど、「いかにも」な衣装を着こなすボズワース。
彼のマッチョ・ファッションは、この作品の隠れたセールスポイントかもしれない。
ビキニパンツ一丁のサービス・カットなど、もちろん肉体を誇示する場面もたっぷりだ。この作品の最大のセールスポイントはボズワースの肉体だが、もう1つのセールスポイントとして、バイクが挙げられる。
だから「どこかに移動する」となった時には、別に省略しても構わない場合でも、バイクで移動する様子が映し出される。途中でドミッチというマフィアのボスがブラザーフッドの敵として登場し、金を奪い取ってジョーを銃で脅す。だが、そんな風に、まるでストーリーの中で大きな存在となるかのように登場したドミッチは、ジョーの関知しないところで知らない内に殺されてしまう。
他にもランスが潔癖症という設定など、意味ありげで意味の無い要素はたっぷり。とにかくマッスル&バイクをアピールすることが重要であり、物語の面白さや厚み、構成力なんかは二の次、三の次だ。というか、そんなものは必要無いのだ。
色々なシーンはあるのだが、とにかく話をまとめてスッキリさせようという気は全く無い。そんなことを考えているヒマがあったら、いかにマッスル&バイクをアピールするかを考えるべきだと、製作サイドは考えたのだろう、たぶん。利口なキャラクターを設定してもボズワースには演じ切れないと考えたのか、ジョーのキャラクターは完全にマッチョ・バカ。ポテトチップスやバナナ、卵にタバスコなどを混ぜて見た目の悪いスープを作り、飼っている大トカゲに「食わなきゃ強い奴にはなれないぞ」と説教する辺りからして、いかにもマッチョ・バカである。
主人公がバカということで、それに合わせて周囲もバカ。ジョーが付き合っている女は、他の男に裸を見られても笑顔で挨拶するようなタイプ。
ジョーは派手に暴れるような刑事なので有名なはずだが、そんな人物をFBIは潜入捜査官に指名する。その上、調べられた時のことを考えて、警察の記録を変更するようなこともやらない。ブラザーフッドの連中は、のっけから集まって互いに空き缶を頭や肩に乗せ、拳銃で撃ち合ってバカ笑いするという、何の意味も無くデンジャラスな遊びで盛り上がる。とにかく集会が好きなようで、特に意味も無く集まっては殴り合ったり騒いだりする。
全く素性の知れないジョーを簡単に仲間に引き入れるのは、バイカーがバカだから。
ジョーもバカなので、既にチェインズが仲間に誘う意志を示しているのに、わざわざ政府用の防弾チョッキをプレゼントしたりする。
ちなみに、その防弾チョッキは別に伏線でも何でも無い。
というか、この作品に伏線なんて気の利いたモノは無い。この映画は、おそらくボズワースを最大限に生かすための配慮を見せた結果、「マッチョな奴は脳味噌も筋肉でバカ」「バイカーは暴力的でバカ」という2つのステレオタイプを、見事に守り通している。
キャラクターが典型的というだけではなく、ストーリーの方も見事に良くあるようなパターンで、それを薄めて引き伸ばしている感じだ。
しかし、キャラクターがダメでも物語がバツでも、マッスルがあれば、それでいいのだ。
第12回ゴールデン・ラズベリー賞
ノミネート:最低新人賞[ブライアン・ボズワース]