『ステイ』:2005、アメリカ

精神科医のサム・フォスターは病気で2週間の休養を取った同僚のベスに代わり、ヘンリー・レサムという患者を担当することになった。大学で美術を専攻しているヘンリーは不服そうな態度を示し、「彼女は僕から逃げ出したんだ。怖いから」と告げた。車に火を付けた理由を問われたヘンリーは、「覚えてない。目が覚めたら車の中にいて、燃えてたんだ」と答えた。ヘンリーは早々に診察を切り上げ、「雹が降って来る前に帰りたいんだ」と述べた。
サムの恋人のライラは過去に自殺未遂を起こしたことがあり、手首の傷は今も残っている。2人が会っていると、雹が降り出した。列車に乗ったヘンリーは向かいに座っていた女性から、「見たことがあるわ」と言われ、講義でトリスタン・リヴァーの精神病について発表していたことを確認される。ヘンリーが煙草を吸っていたので、ビジネスマンが「禁煙だぞ。表示が出てるだろ」と要求する。ヘンリーが「分からない」と無視すると、ビジネスマンは「煙草を消せ」と声を荒らげる。ヘンリーが腕に煙草を押し付けて消すと、ビジネスマンは「病院に入ってろ」と怒鳴った。
翌日、サムのオフィスにヘンリーが現れ、「僕には声が聞こえてる」と言う。サムが聞こえている声を教えるよう求めると、ヘンリーは「もう見てられない」「しっかりしろ」など全く脈絡の無い言葉を並べた。彼は「今までの報いで地獄へ行く」と言い、土曜日の真夜中に自殺することを仄めかした。彼が「患者が来てる。診察してあげなよ。また次に話そう」と言うので、サムは「次があるのか」と尋ねる。ヘンリーは「あと3日ある」と答え、その場を後にした。
サムが精神病院へ行くと、「あいつが来る」と暴れている患者のデイジーを看護師たちが取り押さえ、友人のレン医師が注射を打っていた。サムはレンに訪問の理由を問われ、患者が自殺を予告したことを話す。レンは「永遠に拘束することは不可能だ」と言うが、「金曜に入院させ、週末は預かろう」と約束した。帰宅したサムはライラからヘンリーのことを質問されるが、「患者の秘密は話せない」と口をつぐむ。「自殺したがってるのね。だから話したくないんでしょ」とライラに指摘された彼は悩みながらも、ヘンリーが土曜の夜に自殺すると予告したことを明かした。
次の日、サムはヘンリーが気になり、大学へ行ってみた。するとヘンリーは講義の途中で、教室を抜け出した。サムは声を掛け、なぜ土曜に自殺するのか質問した。するとヘンリーは「21歳になるから」と答え、画家のトリスタン・リヴァーが同じ年に自殺したことを話した。「両親が心配してるぞ」とサムが言うと、ヘンリーは既に死んでいることを明かす。「恋人は?」という質問にヘンリーは動揺を示した。彼はキャナル・ストリートのダイナーで働くアシーナに一方的な好意を寄せていると言うが話し掛けたことも無いと話す。さらに彼は結婚を望んで指輪も購入したこと、しかしアシーナは姿を消したことを語った。
サムはライラと会い、「何週間も前から薬を飲んでないね」と指摘する。「飲んでると絵を描けないの」と釈明するライラに、「黙って辞めるなんて、いい気はしないな」と彼は告げる。ライラが「私に黙って薬の数を数えるの?お互いを信じないと。死なないって約束したでしょ」と言うので、サムは受け入れることにした。サムが去ろうとすると、彼女は「ヘンリー」と呼ぶ。しかしサムが「ヘンリーって呼んだ?」と確認すると、ライラは「間違えるはずがないでしょ」と否定した。
サムは盲目のレオン・パターソン医師と会い、ライラとの関係を問われる。指輪を購入したが渡せずにいることをサムが明かすと、レオンは「何をためらってる?」と問い掛ける。サムが「不安なんだ。またやったらどうしよう」と吐露すると、彼は「その時はその時だ」と述べた。そこにヘンリーが現れるが、レオンを見て激しく動揺した。ヘンリーは「死んだはずだ。なぜ戻って来た?」と言い、立ち去ったレオンは自分の父だとサムに告げた。「彼に子供はいないよ」とサムは否定するが、ヘンリーは「嘘つけ」と声を荒らげた。
ヘンリーが失踪したため、サムはレンたちと共に彼のアパートへ赴いた。すると壁一面に小さな文字で「Forgive Me」と書かれており、弾丸が残されていた。留守電のメッセージを再生すると「大丈夫か、しっかりしろ」というサムの声が録音されていたが、彼は全く覚えが無かった。警察が頼りにならないことをレンに聞かされたサムは、ヘンリーを捜そうと決めた。彼はトリスタン・リヴァーのことをライラに尋ね、18歳の時に「3年後にニューヨークで自殺する」と宣言したこと、作品を全て焼いて死んだことを知った。
サムはベスのアパートを訪れ、ヘンリーに関する情報を尋ねる。ベスは「彼には触ってない。体は動かしてないわ」と言うが、サムには意味が分からなかった。ベスが「彼の母親に聞いて」と言うので、ヘンリーは「死んだはずだ」と告げる。「とにかく聞いて」とベスが言うので、サムはヘンリーの自宅へ向かった。するとヘンリーの母のモーリーンがいて「ずっと待ってたわ」と述べ、「オリーブに会いに来たのね」と愛犬を紹介する。サムがヘンリーの居場所を尋ねると、彼女は「私が憎いから、こんなことをするの?」と言う。
「息子さんを助けたいだけです」とサムが告げると、モーリーンは「ゲームはやめて。ヘンリーでしょ」と言う。サムが「明日は誕生日だ。何をしようかな」と質問すると、彼女は「最近は何も教えてくれない。秘密はアシーナに話してるんでしょ」と述べた。モーリーンの頭から血が流れ落ち、彼女はサムに「貴方は悪くないわ」と告げた。オリーブに腕を噛まれたサムが病院で治療を受けていると、ケネリー保安官が来た。ケネリーはモーリーンと夫が数ヶ月前に事故で死んでいること、住まいは空き家になっていることを語った。
翌朝、外を歩いていたサムは、ピアノを吊り上げる業者や風船を手から離してしまう少年の姿を見て動揺した。それらは全て、木曜日と同じ光景だった。部屋で軽く休息を取った彼が外出しようとすると、ヘンリーが待っていた。サムが「お母さんと会って来た」と言うと、「生きてるのか」とヘンリーは驚いた。サムが「オリーブが怒ってたぞ」と告げると、彼は「12歳の時に安楽死させた」と述べた。「本気で自殺する気なら、とっくに出来たはずだ」とサムが詰め寄ると、ヘンリーは「僕を救えるのは先生だけだ」と口にした。
「ライラは先生が救ったの?」というヘンリーの質問に、サムは「彼女は自力で立ち直った」と答えた。サムは自殺を思い留まらせようとするが、ヘンリーは「もう遅すぎる。両親を殺した。だから地獄に行く」と言う。彼はサムを脅して付いて来ないよう要求し、その場を去った。サムはキャナル・ストリートのダイナーを片っ端から当たり、アシーナを捜索した。ある店で彼は、もう辞めたアシーナと同じ演劇学校に通っているという店員と出会った。
演劇学校の場所を聞いたサムは、アシーナが男と芝居の稽古をしている様子を目にした。サムは彼女に声を掛け、ヘンリーが自殺しようとしていることを説明した。アシーナはヘンリーのことを覚えており、美術系の書店で会ったこともあると話す。サムはアシーナに書店まで案内してもらおうとするが、途中で彼女を見失う。慌てて追い掛けたサムは螺旋階段を踏み外して転落し、意識を失った。目を覚ました彼が階段を上がると、アシーナは演劇学校で先程と同じ行動を取っていた…。

監督はマーク・フォースター、脚本はデヴィッド・ベニオフ、製作はアーノン・ミルチャン&トム・ラサリー&エリック・コペロフ、製作総指揮はビル・カラッロ&ガイモン・キャサディー、撮影はロベルト・シェイファー、美術はケヴィン・トンプソン、編集はマット・チェシー、衣装はフランク・フレミング、視覚効果監修はケヴィン・トッド・ホーグ、音楽はアッシュ&スペンサー。
出演はユアン・マクレガー、ナオミ・ワッツ、ライアン・ゴズリング、ジャニーン・ガラファロー、B・D・ウォン、ボブ・ホスキンス、ケイト・バートン、マイケル・ガストン、マーク・マーゴリス、エリザベス・リーサー、ジョン・トーメイ、ホセ・ラモン・ロサリオ、ベッキー・アン・ベイカー、リサ・クロン、グレゴリー・ミッチェル、ジョン・ドミニチ、ジェシカ・ヘクト、スターリング・K・ブラウン、エイミー・セダリス、マイケル・デヴァイン、ジョリー・エイブラハム、メアリー・テスタ、アンジェラ・ピエトロピント他。


『チョコレート』『ネバーランド』のマーク・フォースターが監督を務めた作品。
脚本は『25時』『トロイ』のデヴィッド・ベニオフ。
サムをユアン・マクレガー、ライラをナオミ・ワッツ、ヘンリーをライアン・ゴズリング、ベスをジャニーン・ガラファロー、レンをB・D・ウォン、レオンをボブ・ホスキンス、モーリーンをケイト・バートン、ケネリーをマイケル・ガストン、ビジネスマンをマーク・マーゴリス、アシーナをエリザベス・リーサーが演じている。

冒頭、橋で自動車の事故が発生している現場が写し出される。ヘンリーは路上で座り込んでいたが、立ち上がって歩き始める。彼が画面に接近すると、ベッドで寝ていたサムが目を覚ます様子にカットが切り替わる。
印象としては、「ヘンリーが突如としてサムに替わる」という感じだ。
この導入部からして、既に違和感は始まっていると言ってもいい。
ただし、ここでの違和感は決して欠点ではなく、仕掛けとして機能しているという意味だ。
その違和感は伏線であり、それを回収してドンデン返しに繋がる構成になっている。

この冒頭シーンだと、「サムがヘンリーの登場する夢を見ていた」という解釈が成り立つ。たぶん、そう感じる人も少なくないだろう。
実際、その直後のシーンで「ヘンリーが車に火を付けた」という出来事が語られるので、これから彼を担当するサムが該当する夢を見たと解釈できる。
ただ、そういう推測が頭に浮かんだとしても、たぶん見ている途中で忘れてしまうんじゃないかな。
色々と謎めいたシーンを盛り込んであるので、そこで神経を使うことによって、序盤のことなんて覚えていられなくなるんじゃないかと。

ヘンリーがアシーナと車内で話すフラッシュバックが何度か挿入されるので、彼の「アシーナと話したことも無い。姿を消した」という証言とは矛盾する。
ただし、フラッシュバックはミステリアスに描かれているため、ヘンリーの証言が虚偽だと断定することは出来ない。
「何だか良く分からないけど、とにかく謎めいているってことだね」という印象を持ったまま、映画の観賞を続けることになる。
あるいは途中で「つまらない」という気持ちになり、投げ出してしまうことになる。

ヘンリーがトリスタン・リヴァーの言葉を語ったり、レオンがフロイトによる「燃える少年」の意味を解説したりと、意味ありげな台詞が幾つか用意されている。
同じ俳優が複数人物を演じていることに気付くと、それも謎を深めることに繋がる。
例えば列車でヘンリーに声を掛ける女性と、サムを手当てする看護師は同じ俳優だ。ヘンリーを列車で注意する男と、書店でサムに「ヘンリーの絵と本を交換した」と話す男も同じ俳優だ。
BGMも含めて、とにかくミステリアスな映画ってことを、これでもかとアピールする趣向になっている。

批評に必要なので、そろそろ本作品のオチとなる部分のネタバレを書く。
この映画、ザックリ言うと「夢オチ」である。もう少し詳しく書くと、「全ては死の間際にヘンリーが膨らませた妄想」ってことだ。
ヘンリーは自動車事故を起こし、路上に投げ出されて瀕死の状態に陥った。事故を目撃したベスは「動かしてないわ」と狼狽し、サムや看護師のライラ(全員が赤の他人)がヘンリーを救おうとして駆け寄った。
そんな面々を見たヘンリーが、彼らの登場する妄想を膨らませたってことだ。

夢オチの作品は今までに幾つも作られて来たが、この映画は「主人公の夢ではなく、主人公が接する相手の見ていた夢」という仕掛けで他との違いを付けようとしている。
通常の夢オチであれば、ヘンリーの夢なのだから、夢のシーンでも彼が主人公として描かれる。しかし本作品の場合、ヘンリーの夢なのに彼は脇役で、サムが主役として描かれている。
それは確かに、今までの様々な夢オチ作品には無かったアイデアかもしれない(私が知らないだけで、同じアイデアを使った映画が既に製作されているかもしれないが)。
そして、それによって夢オチが途中でネタバレしにくいという効果もあるかもしれない。

様々な伏線の中で、ライラがサムを「ヘンリー」と呼ぶシーンは、かなり大きなヒントになっている。
きっと勘のいい人なら、そこで「サムとヘンリーは同一人物」→「ってことはどちらかが実在しない」→「つまり全てヘンリーの夢」という推理に辿り着くのではないか。それを考えると、そのシーンは、ちょっと過剰なヒントになっているかなあと。
その後に訪れる、サムがヘンリーの母と会うシーンも、これまた大きなヒントになっている。
一応は「サムはヘンリーの母が自分を息子だと思い込んでいる」という形で描写しているが、ほぼネタバレみたいなモンだよね。

ただし不幸中の幸いで、仮に途中でネタバレしようが、この映画の評価に大きな影響を及ぼすことは無い。
その理由は簡単で、「ネタバレしようがしまいが、どっちにしろダメな映画だから」ってことだ。
ヘンリーがサムにトリスタン・リヴァーの言葉として、「駄作は名作より痛ましい。なぜなら人の失敗の証だから」という台詞を語るシーンがある。
ひょっとすると監督や脚本家は、この映画に対してその言葉を投げ掛けているのだろうか。

夢オチだからと言って、必ずしも駄作になるとは限らない。ただし、よっぽど上手く作らないと、オチが訪れた時に観客をガッカリさせてしまうリスクの高い作戦であることは確かだ。
ハッキリ言って、オチの部分で観客を満足させることは不可能に近い。どういうルートを辿ってゴールに辿り着いたとしても、夢オチってことが判明すると「何でも有りじゃねえか」「今までの話は何だったんだよ」ってことになるからだ。
なのでオチが訪れるまでの物語を、いかに充実させて魅力的に構築するかってことが、とても重要な要素になる。その部分の面白さが、この映画は決定的に足りないってことだ。
ザックリとした印象としては、デヴィッド・クローネンバーグの出来損ない、もしくはデヴィッド・リンチの下手な模倣って感じだ。

整合性が取れていない部分、オチが訪れても「あのシーンはどういうことだったのか」と腑に落ちないシーンが、気になる人もいるかもしれない。
余計な助言かもしれないが、そういう人に言いたいのは「気にしちゃダメ」ってことだ。
ハッキリ言って、そんなに細かいトコまで整合性を気にして作ってないよ。
だって、全ては夢なんだから。
夢ってのは、全てが理路整然とした内容になっているわけじゃなくて、途中で話の辻褄が合わなくなったりするのが仕様だからね。

(観賞日:2017年12月7日)

 

*ポンコツ映画愛護協会