『スター・トレック』:2009、アメリカ

U.S.S.ケルヴィンはロミュラン人のネロが指揮する宇宙船ナラーダに動きを封じられ、攻撃を受けた。ナラーダの副長を務めるアイエルはケルヴィンのロバウ船長に対し、1人で交渉に来るよう要求した。ロバウは副長のジョージ・カークに、自分が戻らなければ徹底するよう指示してナラーダへ赴いた。ジョージはネロから「スポックはどこだ?」と訊かれ、「そんな人物は知らない」と正直に答える。ネロは現在の日時を確認すると、ジョージを殺害した。ジョージは乗組員に脱出するよう指示し、臨月を迎えた妻のウィノナも避難させる。彼は皆を救うためにケルヴィンへ留まり、シャトルで男児を出産したウィノナは船の大爆発を目にした。
ジョージとウィノナの息子であるジェームズ・T・カークは、無軌道な少年に成長した。アイオワ州で育った彼は義父の車を勝手に乗り回して暴走し、警官に追われても悪びれる様子を見せなかった。一方、バルカン星ではスポックという少年が仲間たちに感情を試す侮辱行為を受けていた。スポックはバルカン人のサレクが地球人のアマンダと結婚して産まれた息子であり、純潔のバルカン人ではないことでイジメの対象になっていた。
バルカン人は論理的思考に基づいて行動する種族だが、スポックは挑発されると感情的になることが多かった。サレクはスポックを諌め、アマンダは彼を元気付けた。スポックは科学アカデミーへの進学が認められる優秀な成績を残したが、艦隊勤務を選択した。一方、カークは酒場で士官のウフーラをナンパし、その同僚である男たちに注意される。カークは士官たちを侮辱し、喧嘩を吹っ掛ける。そこへ大佐のパイクが現れ、部下たちを制した。
パイクはジョージを知っており、カークの才能を勝っていた。カークは成績優秀にも関わらず問題行動ばかり起こしていたが、パイクは宇宙艦隊アカデミーに入学するよう誘った。入学を決めたカークは、「3年で士官になる」と自信たっぷりに告げた。シャトルに搭乗した彼は、レナード・マッコイという医療士官と知り合った。3年後、カークは難関とされているコバヤシマルの試験に3度目の挑戦をすると決めた。マッコイから「合格するのは無理だ」と止められても、カークの気持ちは変わらなかった。
カークはマッコイやウフーラたちを指揮する船長としてコバヤシマルの模擬戦闘に臨み、余裕の態度で試験を楽々と突破する。しかし問題を考えたスポックがデータを書き換える不正を見抜き、聴聞委員会に報告した。カークは「絶対に解けない試験が不正なのだ」と訴えるが、スポックは「試験の意味を間違えている」と説いた。スポックが試験で士官たちに考えさせようとしたのは、どうしても生き残れない状況下で指揮官として取るべき行動だった。
バルカンからの救助信号が入ったため、士官たちは出撃することになった。しかしカークは謹慎処分を受けたため、出撃を許されなかった。マッコイは彼を自分の担当する病人に偽装し、配属されたU.S.S.エンタープライズへ連れ込んだ。エンタープライズには船長のパイクや副長のスポック、通信士官のウフーラ、病気で休んだ操舵主任の代役を務めるヒカル・スールー、航海士のパヴェル・チェコフらも乗り込んだ。その頃、エンタープライズを含む宇宙艦隊の到来を、罠を仕掛けたネロが待ち受けていた。
バルカン付近で嵐が起きていると知ったカークは、すぐにロミュラン人の罠だと確信する。彼はパイクの元へ行き、ケルヴィンで自分が誕生した時も同じ嵐が起きていたことを告げる。パイクが書いた論文や、ウフーラが捉えた救難信号は、カークの主張を裏付けていた。先にワープを終えた船に通信すると応答が無く、カークは交戦中なのだと訴える。エンタープライズがワープを終えると、宇宙艦隊を崩壊させたナラーダが待ち受けていた。
ネロはエンタープライズの転出装置が使えないことを指摘した上で、ナラーダに来るようパイクに要求した。パイクはカーク、スールー、エンジニアのオルソンに対し、「妨害電波の装置に飛び乗って破壊し、転送装置で船に戻れ」と指示した。彼はスポックに自分の代理として艦長を務めるよう告げ、カークを副長に任命した。パイクはシャトルでナラーダへ向かい、カークたちはパラシュートで妨害電波の装置へ降下した。しかし爆弾を運んでいたオルソンは、着地に失敗して死亡した。
カークとスールーは何とか装置に着地し、出て来たロミュラン人を倒した。爆弾が使えないため、2人は銃で妨害電波の装置を破壊した。転送装置の機能は復活するが、ネロは赤色物質をバルカン星に投下して消滅させようと目論む。それを知ったスポックは長老や両親たちを救うため、転送装置を使って母星へ降り立つことを決める。チェコフは危機に陥ったカークとスールーを無事に転送させ、スポックは両親や長老たちに脱出を促す。チェコフは転送装置を作動させるが、崖崩れに飲み込まれたアマンダだけは救えなかった。
バルカン星は消滅し、パイクはナラーダに拉致された。パイクから攻撃理由を問われたネロは、スポックがロミュラスを見殺しにしたからだと告げる。パイクは「ロミュラスは滅びていない」と言うが、ネロは「連邦から独立したロミュラスを作り出す。そのために、まずは地球を破壊する」と告げる。彼は防衛網の周波数を吐かせるため、パイクに自白剤を投与した。スポックは論理的な思考により、ネロたちが未来人だという結論に達した。カークはパイクの救助を主張するが、スポックは艦隊と合流することを決定した。
カークが激しく反発したため、スポックは拘束するよう乗組員に命じた。カークが暴れて抵抗すると、スポックは彼を失神させて船外へ追放した。デルタ・ヴェガに投下されたカークは、洞窟で老いたバルカン人と遭遇する。彼がスポックだと自己紹介したので、カークは驚愕した。カークの事情説明を聞いた老スポックは、ネロの仕業だと悟った。彼はカークに、ロミュラスを消滅から救おうとしたが失敗したこと、そのせいでネロが自分への復讐心を抱いていることを話した。
老スポックとネロは、ブラックホールに飲み込まれた。先にネロが過去へ到着し、後から現れた老スポックをデルタ・ヴェガに追いやった。かつてのネロと同様、老スポックも母星の消滅を眺めることしか出来なかった。老スポックはネロのせいで歴史が書き換えられたことを話し、カークを研究所へ案内した。そこにはトランスワープ理論の提唱者でありながら左遷されたスコッティーがおり、スポックはワープ中のエンタープライズにカークを転送するよう持ち掛けた。老スポックはカークに、ネロを止めるために船を指揮するよう促す。そのために彼、「艦隊規則では司令官が精神的に破綻した場合は解任される」とスポックを解任に追い込む策を授けた…。

監督はJ・J・エイブラムス、原案はジーン・ロッデンベリー、脚本はロベルト・オーチー&アレックス・カーツマン、製作はJ・J・エイブラムス&デイモン・リンデロフ、共同製作はデヴィッド・ウィッツ、製作協力はデヴィッド・バロノフ、製作総指揮はブライアン・バーク&ジェフリー・チャーノフ&ロベルト・オーチー&アレックス・カーツマン、撮影はダン・ミンデル、美術はスコット・チャンブリス、編集はメアリー・ジョー・マーキー&メリアン・ブランドン、衣装はマイケル・カプラン、視覚効果監修はロジャー・ガイエット、視覚効果プロデューサーはシャーリー・ハンソン、音楽はマイケル・ジアッキノ。
出演はクリス・パイン、ザカリー・クイント、レナード・ニモイ、エリック・バナ、ブルース・グリーンウッド、カール・アーバン、ゾーイ・サルダナ、サイモン・ペッグ、ジョン・チョー、アントン・イェルチン、ベン・クロス、ウィノナ・ライダー、クリス・ヘムズワース、ジェニファー・モリソン、クリフトン・コリンズJr.、ファラン・タヒール、レイチェル・ニコルズ、アントニオ・エリアス、ショーン・ジェラーチェ、ランディー・パウシュ、ティム・グリフィン、フリーダ・フォー・シェン、カタルジーナ・コワルチェク、ジェイソン・ブルックス他。


1966年から1969年まで放送されたTVドラマ『宇宙大作戦』及び映画シリーズをリ・イマジネーションした作品。
監督は『M:i:III』のJ・J・エイブラムス。脚本は『M:i:III』『トランスフォーマー』のロベルト・オーチー&アレックス・カーツマン。
カークをクリス・パイン、スポックをザカリー・クイント、老スポックをレナード・ニモイ、ネロをエリック・バナ、パイクをブルース・グリーンウッド、マッコイをカール・アーバン、ウフーラをゾーイ・サルダナ、スコッティーをサイモン・ペッグ、スールーをジョン・チョー、チェコフをアントン・イェルチン、サレクをベン・クロス、アマンダをウィノナ・ライダーが演じている。

かつて『スター・トレック』は、TVドラマが5作、劇場版が10作も作られた人気シリーズだった。
しかしTVシリーズ第5作『スタートレック:エンタープライズ』の視聴率は低迷し、何度もテコ入れを図ったが第4シーズンで打ち切られた。
これにより、TVシリーズの長い歴史が途絶えることになった。
一方、劇場版も第10作『ネメシス/S.T.X』が興行的に失敗し、こちらも終了となった。

そもそも映画に関しては、TVシリーズ『宇宙大作戦』と『新スタートレック』の劇場版しか作られていない。つまり、『ディープ・スペース・ナイン』や『ヴォイジャー』に関しては、劇場版を作るほどの人気が出なかったという見方も出来るのだ。
何しろ、『新スタートレック』の劇場版が作られていたのは、その2つのTVシリーズが放送されていた時期だしね。
ともかく、『スタートレック:エンタープライズ』と『ネメシス/S.T.X』の失敗でシリーズは終焉を迎えたわけだが、復活を目指す動きは早い段階で生まれていた。
終焉を迎えた事情が「マンネリ化やネタ切れによる人気の低迷」であることを考えれば、復活させる方法はリブートかリメイクしか無いと言っていいだろう。
そこで、TVシリーズで最も人気のあった『宇宙大作戦』を使い、最初から作り直すことにしたわけだ。

派手なアクションや視覚効果を売りにしたスペース・オペラの『スター・ウォーズ』シリーズとは異なり、『スター・トレック』シリーズは哲学的なテーマを含む人間ドラマを重視していた。
その部分の面白さが、トレッキーと呼ばれる多くの熱狂的なファンを生み出していた。
ただし、それは皮肉なことに、「熱烈なファンじゃないと入り込むのが難しい」という排他的な状況も招いてしまった。
軽い気持ちで鑑賞できるシリーズではなく、新規の客を取り込めなかったことが、シリーズの終焉に繋がった部分も大きいだろう。

シリーズを最初からやり直すに当たって、製作サイドは「トレッキーじゃない人には敷居が高すぎる」という状況を避けようと考えた。
間口を広げ、新規の客にも楽しんでもらうことを最優先に考えた。
トレッキーではなく『スター・ウォーズ』シリーズのファンであるJ・J・エイブラムスやアレックス・カーツマンを起用したのも、そういうことが大きく影響しているのだろう。
その甲斐もあってか、確実に映画の間口は広がっており、トレッキーじゃなくても容易に観賞できる映画になっている。

ただ、「これでホントにいいんだろうか」という疑問が頭をもたげてしまったことも、確かなのだ。
私は今までの劇場版を全て観賞しているものの、TVシリーズはほとんど見ていなかったし、だからトレッキーというわけではない。
ただ、ここまで大きく変化させてしまうと、もはや『スター・トレック』のタイトルを借りて、「俺たちの『スター・ウォーズ』」をやりたかっただけじゃないのかという気がしてしまうのだ。

まず、カークのキャラクターがオリジナル版と全く違うことに違和感を抱いた。
何しろリブートしているわけだし、「歴史の改変」ってことで「オリジナル版のカークとは別人」という都合のいい設定を持ち込んでいるので、キャラが異なるのは別にいいとしよう。
しかし、この映画のカークは、ただの無軌道なイカレ野郎になっている。何の経験も無い若僧が、ただ感情だけで暴走しているだけにしか見えない。
オリジナル版のカークだって、時には荒っぽい行動を取ることもあったが、もっと知恵や分別のある生真面目なリーダーだったぞ。
この映画のカークは、悪い意味で「軽い」のよね。

そもそも、カークが荒れまくっている原因がサッパリ分からない。
映画を見る限り、「父が死んだから」ってことぐらいしか見当たらないけど、そんなことで荒れているのか。だとしたら、まるで同情心を誘わないぞ。
で、アカデミーに入学した後も、こいつは全く人間的に成長しないのだ。まるで実戦経験が無いのに偉そうな態度を取っているだけでなく、不正を働いて試験をパスしようとする奴なのだ。
こんなリーダーシップもカリスマ性も無く、好感度も低い奴なんて、応援できないよ。

しかも、スポックとの対比ってことでカークの感情的な部分を強調したのかと思いきや、スポックも冒頭から感情的な部分を見せるのだ。
いやいや、スポックは基本的に冷静沈着で理論的なキャラにしておくべきだろうに。で、普段はそういう奴なのに、たまにカークたちに影響されて感情的な言動を取るからこそ、スポックというキャラの面白さが出るんでしょうに。
のっけから「感情豊かな奴」ってことをアピールしてしまったら、スポックのキャラが死んじゃうでしょうに。
リブートだからって、なんでもかんでも変更すりゃいいってモンじゃないのよ。オリジナル版の面白かった要素、重要だった要素は、踏襲すべきなのよ。

カークは試験で不正を働き、エンタープライズへの乗船も本来は違反行為なのに、なぜかパイクから副官に任命される。
いやいや、なんでだよ。えこひいきが過ぎるだろ。
「みんな経験の浅い連中ばかり」という『機動戦士ガンダム』のホワイトベースみたいな状況に陥ったのならともかく、そうじゃないんだからさ。
しかも、後半には「スポックが精神破綻」という状況に追い込んで艦長に就任するが、無理がありまくりだわ。
ようするに、そこからの逆算でパイクが副官に任命する手順を用意したんだろうけど(スポックが艦長を降りても、副官じゃないと後任になれないから)、それも含めて無理がありまくりだぞ。

派手なアクションで観客を引き付けようという狙いは理解できるが、そこに特化し過ぎている。
しかも、肝心のアクションシーンはカメラが慌ただしく動き回り過ぎて、何が何やら分かりにくい。また、メリハリに欠けており、どこを見せ場として捉えればいいのか微妙だ。
それと、やたらとアクションシーンを入れたことによって、クルーが思慮深さに欠ける連中に貶められている。
終盤、やたらと武器を撃ちまくるカークと、それを止めようとしないどころか自らも撃ちまくるスポックは、ただのアホな若僧たちにしか見えない。

また、アクションに次ぐアクションという構成にしたせいで、人間ドラマがペラペラになっている。
この1作で終わらせるわけではなくシリーズ化を狙って作られているんだから、これは「登場篇」という扱いでいいはず。
ってことは主要メンバーの紹介に重点を置くべきなのに、キャラの厚みが乏しい。あまりにも慌ただしくストーリーが進められていく中で、キャラの魅力が充分に伝わって来ない。
敵側のネロにしても、ただのイカれたチンピラでしかない。

で、そんな風に薄っぺらくなっている一方で、カークやスポックの少年期は描いているのよね。そんなの、どうでもいいわ。
どこに厚みを持たせるかという判断を間違えているとしか思えない。ぶっちゃけ、もうカークとスポックが艦長&副官として登場しても構わないぐらいなのに。
そもそも、カークが産まれるシーンから始めて、次に少年期のカークが登場したのに、そこからスポックの少年期に移るという序盤の構成からしてバランスが取れていない。
そういう形を取るなら、スポックも誕生シーンから描かないとバランスが取れないでしょ。
あと、哲学的なテーマを完全に排除しちゃったのも、いかがなものかと。

(観賞日:2016年4月14日)

 

*ポンコツ映画愛護協会