『スプリング・ブレイカーズ』:2012、アメリカ
田舎町で暮らす女子大生のフェイスは、変化の無い毎日にウンザリしていた。信者仲間のベスやフォレストと共に若い牧師の講義を受けている時も、フェイスの気持ちは冷めていた。フェイスはスプリング・ブレイクに、友人のキャンディー、ブリット、コティーとフロリダへ出掛ける約束をしていた。それを知ったベスとフォレストは、「気を付けて、ヤバい連中よ。特にブリットとキャンディー」と忠告する。「幼稚園から知ってるけど、優しいわ」とフェイスが言うと、2人は「普通じゃないわ」と告げた。
フェイス、キャンディー、ブリット、コティーは所持金を集めるが、たった345ドルしか無かった。「ホテルに一泊しか出来ない」と4人は嘆く。しかしフェイスは「スプリング・ブレイクは違う何かを見るチャンス」と考えており、フロリダ行きを諦めるつもりは無かった。キャンディー、ブリット、コティーは教授の車を盗み、覆面を被ってダイナーに押し入った。強盗で大金を手に入れた3人は、教授の車を焼却した。3人はフェイスの元へ戻り、金を見せて浮かれた。
フェイスたちがフロリダへ行くと、他にも大勢の若者が集まっていた。フェイスたちはビーチで踊り、酒とコカインで盛り上がり、購入したスクーターで夜道を走り、プールで泳いだ。4人は自由気ままに遊びまくり、フロリダ生活を大いに満喫する。4人は自分の居場所を見つけたと感じ、ずっとフロリダで暮らしたいと考える。しかし麻薬所持の容疑で、双子の青年たちと共に逮捕された。裁判に掛けられた4人は、判事から「吸った後だから麻薬所持は不起訴になる。ただし罰金を支払わないと2日間の拘留だ」と言われた。
フェイスたちは宿泊代とドラッグで金を使い果たしており、罰金を支払う余裕が無かった。しかし裁判を傍聴していた麻薬ディーラーのエイリアンが、代わりに罰金を支払ってくれた。彼は4人に、「稼がせてやる。一緒に楽しもう。一年中、ビーチで暮らせる」と告げる。彼は「ギャングスターにならないか」と持ち掛け、4人を仲間の元へ連れて行った。しかしフェイスは楽しそうな他の3人と違い、泣き顔で「ここは嫌。こんな目的で来たんじゃない。楽しくパーティーがやりたくて来たの」と口にした。
フェイスが「楽しくない、家に帰りたい」と泣くので、キャンディーたちは彼女を慰める。エイリアンは優しい口調で、「帰りたければ、そうすればいい。でも友達は残る。君が好きだ。ここに残れよ」と説得する。しかしフェイスの気持ちは変わらず、仲間と別れて帰郷するバスに乗り込んだ。残った3人は、エイリアンと共に享楽的な生活を楽しんだ。かつてエイリアンの仲間だった黒人ギャングのアーチーは、彼らが縄張りを荒らすことに怒りを覚えていた。アーチーから「シマを荒らすな」と脅されたエイリアンは、それを拒否した。
エイリアンはキャンディーとブリットに大金と大量の銃を見せ付け、「黒人野郎にミサイルを撃ち込んでやる。アメリカン・ドリームだ。ビッチども、たまらないだろ」と自信に満ちた態度で告げる。キャンディーとブリットは彼に拳銃を突き付け、「跪くのよ。私たちを奴隷にでもしたつもり?必要な物は全てある。利用しただけよ」と不敵に笑った。エイリアンは拳銃をペニスに見立ててフェラチオすると、「お前らは最高だ」と楽しそうに笑った。
キャンディー、ブリット、コティーはエイリアンと共に武装し、覆面強盗でアーチーの縄張りを荒らし回った。アーチーは我慢の限界に達し、4人が車を走らせている場所へ手下を連れて現れた。アーチーは「ここは俺のストリートだ。その頭に叩き込んでおけ」と言い放ち、拳銃を発砲して車で去った。コティーは弾丸を左腕に受け、怪我を負った。すっかり怯えたコティーは、フロリダを去ることにした。残るキャンディーとブリットは臆病風に吹かれるエイリアンを焚き付け、アーチーの元へ殴り込むことにした…。脚本&監督はハーモニー・コリン、製作はクリス・ハンレイ&ジョーダン・ガートナー&デヴィッド・ザンダー&チャールズ=マリー・アントニオーズ、共同製作はスーザン・キール&マイク・ウェバー、製作総指揮はフェルナンド・サリシン&テッド・フィールド&ミーガン・エリソン&クリス・コントグーリス&ジェーン・ホルザー&マイルズ・レヴィー&ヴィンス・ジョリヴェット&アニエス・ベー&ヴィクラム・チャトワ&ステラ・シュナーベル&エイシャー・ウォルシュ&ウィックス・ウォーカー、製作協力はジョナサン・フォング&スコット・ピアース&ブライアン・フィッツパトリック&デブラ・ロッドマン&ノエミ・デヴァイド、撮影はブノワ・デビエ、編集はダグラス・クライズ、美術はエリオット・ホステッター、衣装はハイジ・ビヴェンズ、音楽はクリフ・マルティネス&スクリレックス、音楽監修はランドール・ポスター。
出演はジェームズ・フランコ、セレーナ・ゴメス、ヴァネッサ・ハジェンズ、アシュレイ・ベンソン、レイチェル・コリン、グッチ・メイン、ヘザー・モリス、アシュリー・レンジオン、シドニー・シーウェル、サーマン・シーウェル、エマ・ジェーン・ホルザー、リー・アービー、ラッセル・カリー、ジョシュ・ランドール、トラヴィス・ダンカン、ジョン・マックレイン、ペイジ・アンダーソン、レベッカ・カウフマン、トニー・ロビネット、メーガン・ラッセル、キャスリン・トレイル他。
『ジュリアン』『ミスター・ロンリー』のハーモニー・コリンが脚本&監督を務めた作品。
エイリアンをジェームズ・フランコ、フェイスをセレーナ・ゴメス、キャンディーをヴァネッサ・ハジェンズ、ブリットをアシュレイ・ベンソン、コティーを監督の妻であるレイチェル・コリン、アーチーをグッチ・メイン、ベスをヘザー・モリス、アシュリー・レンジオンが演じている。
ディズニー・チャンネルの番組でディーンズ・アイドルになったセレーナ・ゴメスやヴァネッサ・ハジェンズがこういう映画に出演したのは、たぶん女優としての方向転換を狙っていたってことなんだろう。
2人ともゴシップがあったりして、アイドル的なイメージが崩れちゃったしね。映画の導入部から、「退屈な日々に辟易していた若者が都会への憧れを抱いて田舎町を飛び出すが、苦い現実と直面することで今までの自分が受けていた幸せに初めて気付き、故郷へ帰る」という展開が透けて見える。
『フラミンゴ・キッド』的な大枠になることを感じさせる雰囲気が、何となく漂っている。
ただし実のところ、「フェイスたちが退屈な日々に辟易している」ということは全く伝わって来ない。
オープニングから抽象的で断片的な映像が続くだけで、ボンヤリとした映像のコラージュ状態なので、フェイスたちの置かれている状況や、そこで感じている気持ちなんかは、まるで伝わって来ない。金が全く足りないと分かった後、フェイスの「毎日変わらない景色にウンザリ。同じようなベッド、同じような家。みすぼらしい街灯、ガソリンスタンドは1つ。全てが同じで哀れだわ。あんな風になる前に町を出たい」というセリフで、彼女の心情を全て説明してしまう。
そのセリフが語られるまで、彼女が感じている田舎町の閉塞感、同じことの続く毎日への焦燥感ってのは、まるで伝わって来ない。
そして、そんな台詞だけで説明しても、こっちの心には響かない。段取りとして処理していることが、理解できるだけだ。
「惨めだわ」なんて愚痴っても、共感を誘わない。そういうことを言ってるのが浅薄で愚かしいと思ってしまう。そもそも、スプリング・ブレイクにフロリダへ行くことを半年前から決めていたはずなのに、なぜ全く貯金が足りていないのかと。
目的を半年前に決めていたのなら、そこまでに金を溜めておけよ。今さら金を集めて「全く足りない」って、どんだけテキトーなんだよ。
そんな奴が「あんな風になる前に町を出たい」と吐露しても、ちっとも同情できねえよ。
そこは例えば、「本来は予定の金額に到達するはずが、何かのトラブルで足りなくなってしまった」という形にでもしておけばいいだろうに。金が全く足りないので、フェイスを除く3人はダイナー強盗をやらかす。
この時点で、「田舎町の暮らしに閉塞感を抱いていた若者が都会へ出て云々」というところに共感することが出来なくなる。「追い詰められて仕方なく」って感じはゼロで、安易に強盗をやらかしているだけでなく、強盗そのものを楽しんでいるし。
そこにフェイスは参加しておらず、明らかに他の3人とは異質なので「なぜメンバーに入っているのか」という疑問もあるのだが、だからと言って強盗を知って抗議するでもなく、一緒に楽しんでいるんだよな。普通に酒とドラッグでラリラリになっちゃうし。
だったら、彼女だけ強盗に参加していない設定に、何の意味があるのかと。そんなの、何の免罪符にもならないぞ。田舎町の退屈な日常風景や、冴えない日々に対するフェイスたちの鬱屈した感情が全く描かれない中で、「強盗で金を作ってフロリダへ出て乱痴気騒ぎ」という展開に入るので、ただ単にアーパーな若者たちがスプリング・ブレイクで浮かれポンチになっているだけとしか受け取れない。
享楽的な毎日の様子が断片的に描かれる映像の中に、それ以外の何かを見出すことは難しい。「自分の居場所を見つけたと感じる」と言われても、「バッカじゃなかろか」って感じだ。
麻薬所持で警察に連行されたフェイスは「楽しんだけど悪いことしてない。理想の場所を見つけたのに、終わらせたくない」と言うけど、悪いことはやってるでしょ。麻薬をやってる時点でアウトだし、その前に強盗で金を作ってるんだからさ。
それと、スプリング・ブレイクの乱痴気騒ぎを「理想の場所」と言っちゃうのは、すんげえバカバカしい。「若い頃なら、そういう気持になるよな」とは思えんよ。
そんで、「理想の場所と思っていたけど、現実に打ちのめされて過ちに気付く」という風に話を転がしていくわけでもないのよね。エイリアンは、いかにも「世間知らずで浮かれポンチな少女たちを裏社会へ引きずり込む」という悪党キャラっぽく登場するが、フェイスが「楽しくない。帰りたい」と言い出すと、脅して命令に従わせるようなことは無くて、あっさりと帰らせてやる。
フェイスは「こんな目的で来たんじゃない。楽しくパーティーがやりたくて来たの」と甘っちょろいことを言っているのだが、「麻薬所持で裁判に掛けられ、すぐに解放されました」という罰だけで終わりになる。
前述した「理想の場所と思っていたけど、現実に打ちのめされて過ちに気付く」という展開としては、あまりにもヌルい。
そしてフェイスは途中退場し、二度と登場しない。苦い思いを味わったフェイスの「その後」については、全く触れられない。他の3人は、エイリアンがヤバい稼業に手を出しているギャングスターだと知っても全く気にせず、むしろ彼と一緒に犯罪行為をやらかす ことを楽しんでいる。アーチーたちと抗争になりそうな雰囲気が高まっても、まるで怯えることが無い。
それどころかキャンディーとブリットに至っては、エイリアンを跪かせて子分的な扱いにしてしまう。
コティーは腕を撃たれると途端に怯えて「スプリング・ブレイクは終わり。普通の生活に戻る」と言い出すが、「そこまで行き着かないと気付かないのか」と言いたくなる。
それはヌルすぎたフェイスと全く逆で、ニブすぎるわ。最後に残ったキャンディーとブリットは、もはや『テルマ&ルイーズ』の如き世界に突入している。
っていうか、ちょっと1970年代に日本で数多く作られたスケバン映画を連想してしまったよ。
ひょっとすると「野良猫ロック」シリーズみたいに、「アプレゲールな若者たちが駆け抜ける刹那的な青春」ってなテイストを狙ってるのかな。
で、キャンディーとブリットは黒人ギャングの元へ乗り込むという無茶な行動を取るのだが、破滅的な最期を迎えることは無い。この2人は過ちに気付かないまま暴走を続けるのに、やらかしたことに対する罰を受けずに帰路に就くのだ。この映画は、「こうあるべきだ」「こうなってほしい」というセオリーを、ことごとく無視している。
「基礎をマスターした上で大胆に崩したピカソの絵画」と「何の技術も無い素人が描いたピカソっぽい絵画」は全く異なるが、「セオリーを理解した上で崩した映画」と「最初からセオリーなんて完全シカトで作った映画」も全く別物だ。
ただし本作品の場合、「どちらなのか」ってのは重要な問題じゃない。
なぜなら、どっちにしても、セオリーを無視していることが面白さに繋がっていないからだ。(観賞日:2014年12月12日)
2013年度 HIHOはくさいアワード:10位