『スカイキャプテン ワールド・オブ・トゥモロー』:2004、アメリカ&イギリス&イタリア

1939年、ニューヨーク。気球船ヒンデンブルグ三世が、エンパイアステートビルにやって来た。それを待っていたポーターは、ヴァルガス 博士から「ヒンデンブルグが到着したらウォルター・ジェニングズ博士に届けて欲しい」と荷物を預けて去った。ポーターが渡されたメモ には、「尾行されている。この荷物を頼む」と書かれていた。
クロニクル紙の記者ポリー・パーキンスは、ヴァルガス博士の失踪事件に関する記事を執筆した。そんな彼女の元に、「次が誰か知って いる。今夜6時、ラジオシティー劇場で」というメッセージが届いた。ポリーが『オズの魔法使』を上映中の劇場へ赴くと、そこには 化学者のジェニングズ博士が待っていた。博士は、「大戦前にベルリンに集められて恐ろしいものを作った。残るのは私だけ」と語る。 彼は「トーテンコフが狙っている」と告げ、設計図らしきものを渡して立ち去った。
ポリーが劇場の外に出ると、巨大ロボット軍団が飛来していた。彼女はペイリー編集長に連絡を取った後、避難命令を無視してロボットに 近付く。緊急指令を受けたスカイキャプテンことジョー・サリヴァンは、戦闘機で現場に現われ、ロボット軍団と戦う。ロボットは、急に 動きを止めた。ロボットに襲われたのはニューヨークだけでなく、世界各地で資源や発電機が奪われていた。
基地に戻ったジョーは、技師のデックスからロボットが音波によって操作されていることを聞かされる。ジョーの元に、ポリーが現われた。 2人は3年前まで交際していたが、ポリーが飛行機を壊したことによってジョーは満州で収監され、別れていた。今も怒っているジョーは、 ポリーを追い払おうとする。だが、ポリーは設計図を見せてジョーの興味を惹き、記事を書く協力を求めた。
ジョーとデックスは、倉庫に収容していた複数のロボットをポリーに見せた。これまでもロボットは何度か出現していたが、都市部では なかったために騒ぎにならなかったという。ポリーはジョーに、トーテンコフのことを語る。調べても詳しいことは分からなかったが、 大戦前にユニット・イレヴンという科学者グループをベルリン郊外に集めていたことは判明した。そして、そのユニット・イレヴンの マークが、ロボットに付いていた。
ジョーとポリーは、ジェニングズ博士の研究所を訪れた。すると研究所は荒らされ、博士は深手を負っていた。ジョーは女暗殺者を発見し 、後を追うが逃げられる。瀕死のジェニングズ博士は、ポリーに「トーテンコフがこれを奪ったら世界は終わりだ」と告げて試験管を渡し 、息を引き取った。ポリーは、試験管のことをジョーには内緒にした。
再びニューヨークにロボット軍団が来襲した。ジョーが出撃しようとすると、ポリーが強引に戦闘機に乗り込んできた。ジョーは音波を 出しているロボットを発見し、追跡する。ジョーが戦っている間に基地は襲撃され、音波を分析していたデックスは女暗殺者に拉致された。 基地に戻ったジョーとポリーは、ロボットに襲われる。だが、ロボットは急に退却した。ジョーとポリーは、デックスが基地に残した メッセージを発見し、ネパールへ向かう。
ネパールに到着したジョーとポリーは、ジョーの友人である元外人部隊の偵察員カジーに会った。カジーによると、音波の発信源は ラマ教の修道僧に守られた禁断の地、チベット密教の奥義の発祥地であるシャンバラだという。無人の掘削場を発見したジョーとポリーは 、カジーと部下の案内でそこへ向かう。そこはウラン鉱山で、放射能に汚染されていた。
すぐに脱出しようとしたジョーだが、ポリーが待ち受けていた暴漢に捕まってしまう。暴漢はポリーが隠し持っていた試験管を奪い、2人 を閉じ込めて逃亡した。ジョーとポリーは仕掛けられたダイナマイトで吹き飛ばされそうになるが、助けに来たカジーと共に間一髪で脱出 した。3人は、修道僧に救われた。トーテンコフのことを話すと、修道僧は協力を承諾した。
修道僧によると、トーテンコフはウラン鉱山で研究者を働かせていたが、数年前に姿を消したという。ジョーたちは、トーテンコフの 人体実験の生き残りである男に面会した。男は杖を渡し、「ラナを追え」と告げた。ラナが星のことだと気付いたジョーは、杖に隠された 暗号を解き、トーテンコフの居場所を突き止めた。それは、海の真ん中だ。
ジョーとポリーは戦闘機に乗り、トーテンコフのアジトへ向かう。だが、途中で燃料が切れたため、ジョーは旧友であるフランキー・ クック中佐に連絡を取り、彼女の可動式飛行場に着陸する。すると、トーテンコフは潜水艦で攻撃してきた。ジョーとポリーはフランキー の協力を得て、地図には載っていないトーテンコフの島へと向かった…。

監督&脚本はケリー・コンラン、製作はジョン・アヴネット&サディー・フロスト&ジュード・ロウ&マーシャ・オグレズビー、 製作総指揮はラファエラ・デ・ラウレンティス&オーレリオ・デ・ラウレンティス&ビル・ヘイバー、撮影はエリック・アドキンス、編集はサブリナ・プリスコ、美術&衣装はケヴィン・コンラン、 衣装デザイナー(ジュード・ロウ&グウィネス・パルトロウ)はステラ・マッカートニー、視覚効果監修はダリン・ホリングス、アニメーション・シークエンス・スーパーバイザーはデヴィッド・ワインスタイン、 アニメーション・スーパーバイザーはスティーヴ・ヤマモト、音楽はエドワード・シェアマー。
出演はジュード・ロウ、グウィネス・パルトロウ、アンジェリーナ・ジョリー、ジョヴァンニ・リビーシ、マイケル・ガンボン、バイ・ リン、オミッド・ジャリリ、サー・ローレンス・オリヴィエ、トレヴァー・バクスター、ジュリアン・カリー、ピーター・ロー、ジョン・ ラムニー、カーン・ボンフィス、サムタ・ギャツォ、ルイス・ヒルヤー他。


ケリー・コンランは自宅のパソコンを使い、4年の歳月を費やして6分間のCGフィルムを製作した。
その映像を見た映画監督であり製作者でもあるジョン・アヴネットは、その作品の長編映画化におけるプロデュースを買って出た。ジュード・ロウも映像に惚れ込んで サポートを約束し、グウィネス・パルトロウはシナリオが無い段階で出演をOKした。
ケリー・コンランは6年という歳月を掛けて、この映画を完成させた。通常の作品と違い、出演者は全てのシーンをブルーバックの前で演技を行った。
そうやって撮影した映像に、後からCGで背景やロボットを付け加えるという作業手順が取られた。
こうして出来上がった映画が、この『スカイキャプテン ワールド・オブ・トゥモロー』である。

ジョーをジュード・ロウ、ポリーをグウィネス・パルトロウ、フランキーをアンジェリーナ・ジョリー、デックスをジョヴァンニ・ リビーシ、ペイリー編集長をマイケル・ガンボン、女暗殺者をバイ・リン、カジーをオミッド・ジャリリが演じている。
トーテンコフ役はサー・ローレンス・オリヴィエだが、既に亡くなっているので普通なら出演は不可能だ。
しかしケリー・コンランは、サー・オリヴィエが過去に出演した映画のフィルムを(もちろん許可を得て)拝借し、加工して使ったのだ。

この映画には、ケリー・コンランが好きだった映画、影響を受けた映画の要素を紡いで作られている。
“インディ・ジョーンズ”シリーズやマックス・フライシャー製作の『スーパーマン』、『宇宙戦争』、『メトロポリス』、『キングコング』、『オズの魔法使』、 『禁断の惑星』などだ。
だが、「拝借したモノを集めて、いかに面白く見せるか」ということへの関心は示さない。
集めて繋ぎ合わせた段階で、コンランは満足しているようだ。
過去の作品からの拝借を彼はオマージュとして意識しているようだが、こちらとしては「子供の悪ふざけ」に見える。
本人は楽しんでやっているのだろうが、そこにリスペクトの気持ちが無いものをオマージュと呼ぶことは難しい。
リスペクトが無いことは、亡くなったサー・オリヴィエを『オズの魔法使い』チックに巨大な頭だけのキャラにして好き勝手に動かしていることからも明白だ。
ただし、これはケリー・コンラン発信ではなく、ジュード・ロウが「ローレンス・オリヴィエと共演させてくれ」と持ち掛けて、コンランがそれに乗ったらしい。
そういう意味では、ジュード・ロウも同罪だ。

セピア調でソフトフォーカス、影を強調した映像は、アクションの迫力を減退させる要因となっている。
そもそもカメラワークがTVゲーム的であり、危機感を全く煽られない。心をときめかせるものも無い。
かなり激しいアクションをやっているのだが、あくまでも淡々としているように感じられるのだ。
また、コミカルな雰囲気にしたかったようだが、そこに感情が入っていないため(だからといってスカした笑いにしているわけではない) 、残念ながら軽薄なだけにしか見えない。

ケリー・コンラン監督の中でのオマージュを繋ぎ合わせて一応の物語は作られているが、全体のバランスやドラマツルギーには関心が 無かったようで、かなりテキトーなままになっている。
そのことは、主人公がスカイ・キャプテンと呼ばれるパイロットであるにも関わらず、クライマックスのアクション・シークエンスで全く戦闘機に乗らないことからも明らかだ。
基本的にドラマ部分(とても薄いものだが)はセリフで段取りを説明し、次にアクションをやり、それが終わったら再び段取りの説明と いう繰り返しによって構成されている。
『マトリックス』シリーズや『CASSHERN』と同様だ。
オタク系の監督にとっては、そういった構成がやりやすいってことなのだろうか。

ジョーはなぜ戦っているのか、彼の傭兵はどういう組織なのか、どういう形で誰に雇われているのか、ただの空軍パイロットだった人間がどうやって巨大組織のボスとして戦うようになったのかなど、 設定が不明だらけになっていることが魅力の無さに繋がっている。
これは謎めいているということではなく、興味が無いから最初から設定していなかったのではないかと推測される。
ポリーは自分勝手でウソつきで傍迷惑なだけの女であり、何の魅力も無い。

レトロなコミックっぽい映像にしてあるが、「コミックとしての在りよう」は徹底している。
通常、漫画やアニメというのは、そこに登場するキャラは実際には生きていないが、クリエーターが工夫して血の通った存在に仕立て上げる。
しかし、この作品における登場人物は、出来るだけ人間らしさを排除した平坦な存在として配置される。
まるでデク人形を動かして芝居をしているように見せ掛けているかのようなものだ。
そもそも、俳優は何も無いブルーバックの前での演技を強いられるわけだから、かなり表現が難しいことは確かだ。
その上、ケリー・コンラン監督がマトモに演技指導をすることもままならなかったらしいので、そりゃあデク人形になっても当然と言える。
どうやらケリー・コンランはタランティーノのようなアッパー系のオタクでなく、ダウナー系のオタクだったようだ。

というか、演技指導が云々という以前に、そもそも監督が人間にそれほど興味を示していないことは手に取るように分かる。
この人は、ようするにCGによるSF世界、CGによるバトル、CGによるロボットやメカを見せたいのだ。
だが、それだけでは映画として成立しない。物語を作る上で人間が必要だった。そういうことに過ぎない。
いっそのこと、キャラクターを人間ではなくモンスターやサイボーグにしてしまえば、もう少し何とかなったのかもしれない。
つまり、それは完全にアニメになってしまうわけだが。
というか、基本的にケリー・コンランは映画ではなくCMやミュージック・フィルム向きの人だと思うんだが。
とりあえず、ケリー・コンラン監督の「やりたいこと」と「映画としてやるべきこと」、「やれること」と「本作品で やらなきゃいけないこと」の間には、かなり大きな開きがあったようだ。


第27回スティンカーズ最悪映画賞

ノミネート:【最悪の助演女優】部門[アンジェリーナ・ジョリー]
<*『アレキサンダー』『スカイキャプテン ワールド・オブ・トゥモロー』の2作でのノミネート>

 

*ポンコツ映画愛護協会