『スケルトン・キー』:2005、アメリカ&ドイツ

看護婦志望のキャロライン・エリスは、ホスピスとして働いていた。担当していた老人が死亡したため、キャロラインは遺品を箱に収めた。老人の家族に連絡を取った同僚は、「もう関わり合いになりたくない」という返事だったことを彼女に伝えた。遺品を処分されるよう言われたキャロラインがゴミ箱を開けると、これまでに処分された老人たちの遺品が捨てられていた。ビジネスしか考えていない病院にウンザリした彼女は、新聞の求人広告に目を留めた。それは看護人を求める広告で、住み込みで週給1000ドルという条件だった。
キャロラインは親友のジルに求人広告のことを告げ、翌日にテレボン郡へ行って面接を受けることを話す。貧しい沼地へ行くことにジルは反対するが、キャロラインの考えは変わらなかった。次の朝、キャロラインが車でテレボン郡へ行くと、雇い主であるヴァイオレット・デヴェローは田舎に広大な土地を保有していた。屋敷に到着したキャロラインは、玄関をノックしても返事が無いので中に入った。弁護士のルークが来て挨拶し、ヴァイオレットが介護している夫のベンは余命1ヶ月と宣告されていることをキャロラインに話した。
キャロラインはヴァイオレットに挨拶するが、無表情のまま冷たく対応される。ルークは「他人と暮らすことに抵抗がある。南部の人間だから気難しいんだ」と釈明した。彼はキャロラインに、1ヶ月前にベンが脳卒中で倒れ、全身麻痺で言葉も全く話せない状態だと説明した。南部生まれではないキャロラインを雇うことにヴァイオレットは難色を記すが、ルークの説得を受けて渋々ながら承諾した。
キャロラインは「望まれていない仕事を引き受けても意味が無い」と立ち去ろうとするが、ルークは「彼女は最愛の人を失う怖さで他人に八つ当たりしたいんだ。前任者は辞めた。どれだけ面接しても彼女は承知しない。君が嫌なわけじゃない。ベンのために引き受けてくれ」と語る。キャロラインは街へ戻って荷物をまとめ、ジルに見送られて車でテレボン郡へ向かった。屋敷に到着した彼女が荷物を片付けていると、壁には全ての鏡を取り外した形跡があった。
ヴァイオレットはキャロラインに、血を固めない薬を飲ませることなどベンの世話を説明した。彼女は「家のことは私しか分からないから、しなくていいわ」と告げる。いつ頃から暮らしているのか問われた彼女は、1962年にサヴァナから来たこと、マーティンとグレースという兄妹か屋敷を購入したことを話す。廊下の写真立てには、その兄妹の写真が飾られていた。その写真立てには、黒人の召し使いであるジャスティファイとセシル、そして兄妹の4人が写った写真も入っていた。
キャロラインはヴァイオレットから、全ての部屋の扉を開けられる鍵を渡された。花壇で作業を始めようとしたヴァイオレットは、屋根裏へ行って花の種を取って来るようキャロラインに頼む。屋根裏部屋に入ったキャロラインは、物音を耳にした。小さな扉が動いているのを発見した彼女はドアノブを回すが、開かなかった。鍵穴に鍵を差し込むが、合わなかった。その扉のことをキャロラインから聞かされたヴァイオレットは、「あのドアは引っ越して来た時から開かないわ」と告げた。
その夜、落雷で寝付けないキャロラインがベンの部屋を覗くと、彼がベッドから姿を消していた。慌てて捜し回ったキャロラインは、ベンが屋根を這って逃げ出そうとしているのを発見した。キャロラインは「そこから動かないで」と呼び掛けるが、ベンは屋根から落下してしまう。キャロラインがヴァイオレットを呼ぶと、車椅子を取って来るよう指示される。ベンの寝室へ行くと、シーツには、「助けて」と書かれていた。キャロラインはシーツをトランクに隠し、車椅子を運んだ。
翌日、ルークが用事で訪れたので、キャロラインはシーツを見せる。しかし文字は消えていたため、自分の勘違いだろうと彼女は考えた。キャロラインはヴァイオレットが庭掃除をしているのを確認し、屋根裏部屋に行く。ヘアピンを小さな扉の鍵穴に差し込むと、折れた鍵の先端が出て来た。改めて鍵を差し込むと扉が開き、小部屋に入ると古い人形や謎の瓶詰、写真などが置いてあった。呪文に関する書物や飾りの付いた指輪、「いけにえの呪文」と書かれたレコードも見つかった。
キャロラインはニュージャージーへ戻り、ジルの家でレコードを聴かせてもらう。それは男の人が神に救いを求め、悪魔の家から助けてほしいと訴える声が録音されたレコードだった。屋根裏の小部屋について聞かされたジルは、「それはフードゥーの部屋よ。ブードゥーはアフリカから持ち込まれた宗教で、フードゥーは民間伝承の呪術。ニューオーリンズが発祥の地で、叔母もハマってるわ」と語った。それは心理的な物であり、信じなければ害は無いのだと彼女は説明した。
キャロラインはジルに頼み、彼女の叔母が通っているという店に案内してもらう。そこは呪術の店という看板を出しているわけではなく、表向きは単なるコインランドリーだった。しかしジルは「関わり合いになりたくない」と入ることを拒み、キャロラインも店に入らずに立ち去った。翌朝、ヴァイオレットはベンの寝室に鏡が掛けてあるのを見つけ、キャロラインを非難した。するとキャロラインは小部屋を見たことを明かし、「話してくれないなら出て行きます」と強気な態度を取った。
ヴァイオレットはキャロラインに「あの部屋から勝手に物を持ち出してはいけない。ここは、あの人たちの家でもあるの」と言い、屋敷の歴史を語る。90年前、屋敷にはソープという名の冷血な銀行家が住んでいた。召し使いであるジャスティファイとセシルの夫婦も、一緒に暮らしていた。ソープは知らなかったが、ジャスティファイとセシルは優れた呪術師だった。しかしソープにとっては単なる召し使いであり、彼は2人を扱き使っていた。
ジャスティファイとセシルはソープの子供であるマーティンとグレースに頼まれ、呪術について教えていた。銀行の創立記念日パーティーの日、それを知ったソープと客は夫婦を惨殺した。事件は金で隠蔽され、誰も逮捕されずに片付けられた。その後、銀行は破綻し、ソープは妻を撃ち殺して自害した。人々は夫婦の復讐だと噂した。マーティンとグレースは1962年まで屋敷で暮らしたが、小部屋のことは秘密にしていた。「鏡を全て外していたのは、そこに写るジャスティファイとセシルを見たからよ」とヴァイオレットは推察を述べた。
キャロラインはベンの体を洗いながら、「奥さんは幽霊の存在を信じているみたいよ。貴方は鏡の中に幽霊を見たの?」と問い掛けた。彼女が手鏡を見せると、ベンは恐怖に苦悶した。キャロラインは買い物を理由にして町へ行き、コインランドリーに入った。呪術師のママ・シンシアと会った彼女は、レンガの粉について尋ねた。するとシンシアは、「部屋や家の入口に撒いて線を引いておけば、敵意のある者は入れない」と説明した。
キャロラインはフードゥーを単なる暗示だと考えており、「だったら信じている人が呪術で患った病気は、呪術で治せるの?」と尋ねる。シンシアは彼女のために、儀式の道具を揃えた。屋敷に戻ったキャロラインは、ベンの前で儀式を執り行った。するとベンは、かすれた声で「ここから出してくれ」と訴えた。何に怯えているのかキャロラインが訊くと、彼は部屋に入って来たヴァイオレットを指差した。何をしていたのか問い詰められたキャロラインは、「ベンがうなされていたので水を運んで来たんです」と取り繕って部屋を去った。
キャロラインは小部屋にある呪術関連の物品を写真に撮り、それをルークに見せた。しかしルークは「土地柄だよ」と軽く受け流すだけだった。キャロラインはルークに頼み、自分の前任者であるハリーに会わせてもらう。ハリーは彼女に、「前の所有者である金持ちの兄妹は、屋敷を売った直後に死んだわ。見てはいけない物を見たのよ。そして今度はベンも。屋根裏は怪しいけど、幽霊がベンを呪うなんて思えない。ヴァイオレットよ」と話す…。

監督はイアン・ソフトリー、脚本はアーレン・クルーガー、製作はダニエル・ボブカー&イアン・ソフトリー&マイケル・シャンバーグ&ステイシー・シェア、製作総指揮はクレイトン・タウンゼント、撮影はダン・ミンデル、編集はジョー・ハッシング、美術はジョン・ベアード、衣装はルイーズ・フロッグリー、音楽はエドワード・シェアマー。
出演はケイト・ハドソン、ジーナ・ローランズ、ピーター・サースガード、ジョン・ハート、ジョイ・ブライアント、マキシン・バーネット、ファンローニー・ハリス、マリオン・ジンサー、デニーン・テイラー、アン・ダリンプル、トルーラ・マーカス、トーニャ・スタテン、トム・アスカリ、ジェン・アプガー、フォレスト・ランディス、ジェイミー・リー・レドモン、ロナルド・マッコール、ジェリル・プレスコット・セールス、アイザック・デ・バンコール、クリスタ・ソーン他。


『隣人は静かに笑う』『ザ・リング』のアーレン・クルーガーが脚本を書き、『鳩の翼』『光の旅人 K-PAX』のイアン・ソフトリーが監督を務めた作品。
キャロラインをケイト・ハドソン、ヴァイオレットをジーナ・ローランズ、ルークをピーター・サースガード、ベンをジョン・ハート、ジルをジョイ・ブライアント、シンシアをマキシン・バーネット、ハリーをファンローニー・ハリス、盲目の老女をマリオン・ジンサーが演じている。

ヴァイオレットはキャロラインが来た時、冷淡な態度を取って拒絶しようとしている。
しかし完全ネタバレだが、ヴァイオレットは呪術で入れ替わるための人間を必要としているのだ。
そういうオチへの流れを考えると、「キャロラインを歓迎し、穏やかで優しい態度を取る」という形にしておいた方がいいんじゃないかという気がしてしまう。
一応、拒絶したのには「ヴァイオレットの正体はセシルであり、本当は黒人の方が良かった」という理由がある。
しかし、それが明らかになった時に伝わる「なるほど」と感じる効果と、「真相が明らかになるまでの流れ」という部分を天秤に掛けると、ヴァイオレットを「嫌な人には到底見えない」という造形にしておいた方が良かったんじゃないかと思ってしまうんだよな。

キャロラインが小部屋を見つけた後、ヴァイオレットに「御主人が倒れたのは屋根裏部屋ですよね。何をしてたんです?」と探偵か刑事みたいな質問をするのは、ちょっと不自然。
そこまで疑念を抱くぐらいなら、ただ鍵が開かないだけで早々に立ち去るんじゃなくて、もうちょっと小さな扉の前で粘るべきじゃないかと。行動と台詞にズレを感じるんだよな。
で、翌日になって小さな扉をヘアピンまで使って開けようとするんだけど、そういう行動を取る理由も良く分からん。
「屋根裏を調べたキャロラインは、そこでルークが倒れたことに疑問を抱いた」という風に解釈しなきゃいけないとしたら、観客に要求する推察力の負担がデカすぎるぞ。

ヴァイオレットが屋根裏部屋へ捜しに来た時、キャロラインが慌てて隠れるのも不可解っちゃあ不可解だ。
そりゃあ目を盗んで屋根裏の小部屋に入っていた時点で後ろめたさはあるんだろうけど、小部屋から出てしまえば、それなりに言い訳も出来そうなモンだし。決して「屋根裏部屋に入るべからず」と命じられていたわけでもないんだからさ。
そこまで怯えると、既に「キャロラインはヴァイオレットに対して何かしらの疑念を抱いている」という風に見えてしまう。
でも、そこまで推理が及んでいるようには見えなかったし、そういう状況だとしたら観客サイドには全く伝えられていない。

ザックリと分けると、ホラーやサスペンスには2通りのやり方がある。
最初から「怖いことが色々と起きますよ」という不気味な雰囲気を醸し出しておくパターンと、最初は平穏で何事も無いように見せておいて途中で何か恐ろしいことを起こすことによって落差を付けるというパターンだ。
この映画の場合、「最初は穏やかで何事も無さそう」という雰囲気は無い。
しかし、不気味な雰囲気を醸し出すという演出になっているのかというと、そこもヌルい。
たぶん、そっちのアプローチだと思うんだけど、それにしては中途半端だ。

屋根裏部屋の小さな扉が動いているのをキャロラインが発見するシーンでは、BGMによって明確な形で「ここは怖がるシーンですよ」とアピールする。ただ扉が動いているだけなので、ちょっとBGMが先走っている印象もあるが、まあ演出として間違っているわけでは無い。
しかし、その後で「大きな音がして屋根裏部屋の扉が開き、キャロラインがビビる」という展開を用意するのは、「ああ、そう来るか」と思ってしまう。
急にデカい物音を出してビビらせ、でも特に何が起きるわけでもないってのは、ダメなホラー映画の典型的なパターンだ。急にデカい物音を出せば誰だってビビるけど、それは「恐怖」と言うより「驚き」なのよね。
その後にある「キャロラインが階段を降りて歩いていたら、急にヴァイオレットが現れるってのも、やはり同様のパターンだ。

まあハリウッドのホラー映画ってのは、その手のショッカー描写に頼るケースが大半であり、この作品に限ったことではない。
ただ、この映画の場合は「殺人鬼が人を殺しまくる」とか「怪物が暴れまくる」といった分かりやすいB級ホラーのプロットじゃなくて、どちらかと言えば「ジワジワと忍び寄る恐怖」という雰囲気で怖がらせなきゃいけないはず。
それが「急にデカい音を立てたり現れたりして脅かす」というパターンを多用しているってのは、演出として違うんじゃないかと。
働き始めた最初の夜に雷の音を鳴らし、儀式のシーンでも落雷があるのだが、そういう「落雷でビビらせる」ってのも、もはやコメディーじゃないと成立しないぐらい陳腐だし。

前半の内に「フードゥー」なる民間伝承の呪術が台詞の中で説明されるが、じゃあオカルト方面で話を進めて行くのかというと、そこが弱い。
「オカルトなのか否か」というところをハッキリさせないことでサスペンスを生じさせ、「やっぱりオカルトでした」というオチに着地させようという狙いだったのかもしれない。
しかし、実際にオカルトのパワーが使われているか、それともオカルトを信奉する者が悪事を働いているだけなのかはともかく、いずれにせよオカルトが絡んでいることは間違いないと思える状態になっているので、そこをボカしても意味が無い。
むしろ、もっとオカルト方面の描写を増やした方がいいと思うんだけどね。

儀式でベンから助けを求められた後、キャロラインはヴァイオレットから聞かされた昔の出来事に関する夢を見て、自分の目と口を縫い付けられたところで目を覚ます。
そういう「オカルト的な悪夢を見る」という描写や、手鏡に誰かが写るという描写が後半に入ってから盛り込まれるってのも、アプローチとして中途半端に感じる。
やるのであれば、前半からやるべきだわ。1時間が経過した辺りで初めて悪夢や「鏡に誰かが写る」という描写を盛り込まれても、全体の構成を計算せず、後から付け加えたような印象を受けてしまう。
どっちの描写も、その気になれば前半から盛り込めたわけだし。

アーレン・クルーガーが脚本を書いた『隣人は静かに笑う』と同じで、この映画も後味が非常に悪い。
完全ネタバレだが、キャロラインはヴァイオレット(中身はセシル)とルーク(中身はジャスティファイ)に陥れられ、呪術によってヴァイオレットと体を入れ替えられてしまうのだ。
そしてベンと同じように薬で脳卒中を偽装され、2人まとめて病院送りになってしまう。
まんまと計画を成功させた兄妹は、次の標的としてジルに目を付ける。そういう終わり方だ。

ホラー映画の場合、バッドエンドが全面的にダメというわけではない。「殺したはずの殺人鬼が生きていて主人公を襲う」なんてパターンは良く使われるが、その手のバッドエンドはOKだ。
なぜなら、バッドエンドではあるが、ホラーとしては、ある意味でスッキリするオチになっているからだ。
しかし本作品の場合、単に嫌な気分にさせられるだけなのだ。しかも、この映画で、その後味の悪さが本当に必要なのかと考えた時に、それが無くても成立するでしょ、と言いたくなるのだ。
その前に事件の真相は明らかとなっているわけで、だったら真相を知ったヒロインは無事に逃げ延びる着地でもいいでしょうに。
ヒロインが生贄にされても、そこにサプライズの効果なんて無いのよ。ただ無意味に後味を悪くしているだけなのよ。「観客を嫌な気分にする」という効果しか無いのよ。

(観賞日:2015年1月14日)

 

*ポンコツ映画愛護協会