『サイン』:2002、アメリカ
ペンシルヴァニア州バックス郡。グラハム・ヘスは、元野球選手の弟メリル、喘息持ちの息子モーガン、娘ボーの4人で暮らしている。ある夜、グラハムはトウモロコシ畑にミステリー・サークルが出現しているのを発見した。彼は近くに住むライオネルたちのイタズラだと考えるが、彼の父親の証言で別の場所にいたことが分かった。
さらにヘス家では飼い犬が凶暴になったり、グラハムとメリルが不審な人物を目撃したりすると奇妙なことが続いた。巡回に来た婦人警官のパスキに「牧師」と呼ばれたグラハムは、その呼び方を嫌った。グラハムの妻コリーンは散歩の最中、居眠り運転をしていた獣医レイ・レディーの車に巻き込まれ、駆け付けた夫に別れを告げて亡くなっていた。その事故をきっかけに、牧師だったグラハムは信仰を捨てて農夫となったのだった。
テレビの報道により、ミステリー・サークルは他の場所でも出現していることが分かった。町の人々も、そのテレビに釘付けになっていた。さらに世界各地では、正体不明の飛行物体が目撃されるようになっていく。モーガンは書物で宇宙人について調べ、「考えを読まれないように」と言ってボーと共に手作りの帽子を被る。
無言電話を受けたグラハムは、相手がレイ・レディーだと確信し、彼の家へ赴いた。するとレイ・レディーは、家の前に停めた車の中にいた。レイ・レディーはグラハムに、「湖の近くにある畑にはミステリー・サークルが出来ていない。奴らは水が嫌いなんだ」と語る。そして「貯蔵庫を開けないで。アレを1匹閉じ込めてある」と告げ、湖の近くへと走り去った。
グラハムはレイ・レディーの家に入り、貯蔵庫を閉じたまま、隙間から中を調べようとする。すると、人間のものではない手が伸びてきた。慌ててグラハムは、ナイフで相手の手首を切り落とした。一方、メリルはテレビ番組で、視聴者から送られた家庭用ビデオが放送されるのを見ていた。そのビデオには、身長の高い宇宙人の姿が映し出されていた・・・。監督&脚本はM・ナイト・シャマラン、製作はフランク・マーシャル&サム・マーサー&M・ナイト・シャマラン、製作総指揮はキャスリーン・ケネディー、撮影はタク・フジモト、編集はバーバラ・タリバー、美術はラリー・フルトン、衣装はアン・ロス、音楽はジェームズ・ニュートン・ハワード。
出演はメル・ギブソン、ホアキン・フェニックス、ロリー・カルキン、アビゲイル・ブレスリン、チェリー・ジョーンズ、M・ナイト・シャマラン、パトリシア・カレンバー、テッド・サットン、マーリット・ウェヴァー、ラニー・フラハーティー、マリオン・マッコリー、マイケル・ショールター、ケヴィン・ピレス、クリフォード・デヴィッド、ロンダ・オーヴーバイ、グレッグ・ウッド他。
『シックス・センス』『アンブレイカブル』のM・ナイト・シャマランが監督&脚本&製作を務めた作品。
グラハムをメル・ギブソン、メリルをホアキン・フェニックス、モーガンをロリー・カルキン、ボーをアビゲイル・ブレスリン、パスキをチェリー・ジョーンズ、レイ・レディーをM・ナイト・シャマラン、コリーンをパトリシア・カレンバーが演じている。『シックス・センス』では『恐怖の足跡』から、『アンブレイカブル』では『ジャンボ・墜落/ザ・サバイバー』から、それぞれアイデアを拝借したシャマランだが、いずれも「影響を受けた」だの「参考にした」だのということは言っていない。
しかし、さすがに今回はヒッチコックの『鳥』という有名すぎる作品からネタを拝借しただけに、シラを切るのは難しいと考えたらしい。
ってなわけで、自分から先に、『鳥』を意識していたことをバラしている。
なんで今回に限って、マイナー作品からネタを拾わなかったんだろう。滑り出しは、ミステリーのような始まり方だ。
ミステリー・サークルの意味は何なのか、それを作った者の正体と目的は何なのか。
だが、そのミステリーとしてのハシゴは、あっけなく外される。
「全ては宇宙人の仕業です」ということで片付けてしまい、ミステリー・サークルの謎なんてことには全く触れないままで放置される。
ではSFの方向で話を掘り下げていくのか、広げていくのかというと、そちらもナッシング。
なぜなら、シャマラン監督がSFに何の興味も抱いていないからだ。
これは「妻の死で信仰を捨てた男が、再び信じる心を取り戻す」という話であり、宇宙人だのミステリー・サークルだのといったモノは、そのための道具に過ぎない。とどのつまり、そこに起きるのはポルターガイスト現象だって構わないし、ネッシー出現でも構わない。
キャンディーの雨が降るのでも、オレンジ色の虹が架かるのでもいい。
超常現象じゃなくたって構わない。
地震やハリケーンでもいい。
襲ってくるのは宇宙人でなく、殺人鬼や強盗グループだって構わない。
そこに兆候と奇跡があるならば。シャマラン監督のスゴいところは、「信仰を取り戻す」という人間ドラマを作ろうとする時、そこに「ミステリー・サークルに円盤で降り立つ宇宙人が襲ってくる」というB級SF映画の要素を取り入れたことだ。
これが『宇宙からのツタンカーメン』と並んでレンタルビデオ店に陳列されているようなB級カルト映画なら、まだ分からないでもないけれど、そうじゃないのだ。
宇宙人が襲撃してくるB級SFの中で信仰を取り戻す話をやるなんて、普通のセンスでは思い付かないだろう。
それを、ハリウッドのトップスターが主演するビッグ・バジェットのメジャー映画でやっちまうんだから、恐ろしい人だ。
そして、そんな脚本をメジャー会社に2千万で購入させるんだから、それもスゴい。
ジョー・エスターハスもビックリだ。この映画では、多くのサインが用意されている。
ボーが序盤から水の入ったコップを幾つも並べているが、それは終盤に宇宙人がぶつかって弱点が判明するという展開に繋がる。
モーガンの喘息は、毒ガスを吸わされても気道が狭くなっていたので吸い込まずに済むという展開に繋がる。
メリルの元野球選手という設定は、飾ってあったバットで宇宙人を攻撃するという展開に繋がる。
それは決して御都合主義などではない。
全てはサインなのである。この映画のハシゴの外し方は、故意的としか思えないほど強烈だ。
まず、「まさかミステリー・サークルを出しておいて犯人が宇宙人ってことは無いよな。そんなの今時、B級映画でもやらないよな」と思っていたら、ホントに宇宙人を出す。
「もし宇宙人にグラハムたちを襲撃させるなら、前半から姿を出しておいた方がいいよな。後半にサプライズとして宇宙人を出してもインパクトが無いし、白ける可能性が高いし」と思っていたら、終盤まで宇宙人の登場を引っ張っている。シャマラン監督がSFに何の関心も無いことは、その宇宙人の設定を見れば明らかだ。
まずデザインがショボいし、1匹しか出てこない。
メリルが見ているテレビ番組で初めて宇宙人が映し出される時の衝撃といったら、そりゃあスゴい。
そのバカバカしさは、コメディー以外の何物でもない。
というか、私は半分ぐらい、これがコメディーではないかと疑っているが。宇宙人は特殊なパワーで離れた所から攻撃したりするのではなく、武器も持っていない。
終盤に毒ガスをチョロッと使う程度で、後は「ただそこにいる」という感じ。
そしてバットでボコ殴りにされる。
この宇宙人の最もスゴいところは、弱点が水なのに、わざわざ水の星である地球へ来て、水分たっぷりの人間を襲うところだ。
地球まで襲来する科学力がありながら、どうやら地球や人間に関する知識ゼロで来たらしい。後半に入ると、この映画は『パニック・ルーム』に突入する。
それまで宇宙人を極度に怖がっていたモーガンに、グラハムが「湖の近くに逃げよう」と言い出した途端、急に「敵じゃないかもしれない」と不可解なことを言い出させてまで、かなり強引に「家に閉じこもって宇宙人に怯える」という篭城サスペンスの形に持って行く。
この映画では、テレビで飛行物体や宇宙人のニュースが放送されることはあるが、直接的に宇宙人が攻撃を仕掛けてくるという脅威を見せない。見せないままで、「世界中が宇宙人の攻撃に恐怖している」ことをテレビ番組を通じて伝え、『パニック・ルーム』に突入する。実際に脅威が近付いているという手触り、肌触りが薄いままで気持ちを入り込ませるには、信仰が必要だ。
シャマラン監督に対する信仰が。
それが無ければ、先走る登場人物に取り残される可能性が高い。