『シー・デビル』:1989、アメリカ
会計士のボブ・パチェットは、醜悪な女ルースと結婚している。ある日、ボブはパーティー会場で人気の女流作家メアリー・フィッシャーと出会い、彼女と肉体関係を持った。やがてボブはルースの元を去り、メリーと同棲生活を送るようになった。
復讐に燃えるルースはボブの屋敷を燃やし、2人の子供ニコレッタとアンディをメアリーの家に置きざりにした。ルースは看護婦として老人ホームに潜入し、メリーが疎んじていた彼女の母親を送り返した。ルースの攻撃によって、メアリーの生活は狂わされる。
ルースは老人ホームで知り合ったフーパーと共に、女性専用の人材派遣会社を設立した。そしてルースは、オリヴィア・ハニーというセクシーで若い女性を秘書としてボブの元に送り込んだ。女好きのボブは、すぐにオリヴィアと関係を持った。
ルースのアドバイスを受けたオリヴィアは積極的な態度を取るが、煩わしく思ったボブにフラれてしまう。ルースはオリヴィアから、ボブが顧客の金を横領している事実を聞き出した。ルースはボブのコンピューターを操作して犯行を発覚させ、彼を逮捕させる…。監督はスーザン・シーデルマン、原作はフェイ・ウェルドン、脚本はバリー・ストルガッツ&マーク・R・バーンズ、製作はスーザン・シーデルマン&ジョナサン・ブレット、共同製作はG・マック・ブラウン、撮影はオリヴァー・ステイプルトン、編集はクレイグ・マッケイ、美術はサント・ロクァスト、衣装はアルバート・ウォルスキー、音楽はハワード・ショア。
出演はメリル・ストリープ、ロザンヌ・バー、エド・ベグリーJr.、リンダ・ハント、シルヴィア・マイルズ、エリザベス・ピータース、ブライアン・ラーキン、A・マルティネス、マリア・ピティロ、メアリー・ルイーズ・ウィルソン、スーザン・ウィリス、ジャック・ギルピン、ロビン・リーチ、ニッチー・バレット、ジューン・ゲイブル、ジャニーン・ジョイス、デボラ・ラッシュ他。
フェイ・ウェルドンの小説を基にした作品。
メアリーをメリル・ストリープ、ルースをロザンヌ・バー、ボブをエド・ベグリーJr.、フーパーをリンダ・ハント、メアリーの母をシルヴィア・マイルズ、ニコレッタをエリザベス・ピータース、アンディをブライアン・ラーキンが演じている。この映画は、ルースのナレーションによって進行する。つまり、復讐を行う彼女が主役ということだ。ルースは器量がよろしくない女だが、それだけではない。性格も良いとはいえず、とてもじゃないが浮気されても「かわいそうな被害者」には見えない。
もちろん浮気をしたのはボブであり、そういう意味ではルースは被害者なのだが、同情できるような人物ではない。2人の子供の写真を見て悲しそうな顔をしたところで、自分が復讐のために子供を利用しているのだから、同情心は全く誘われない。むしろ、被害者としての立場にいるのはメアリーであろう。他人の子供を押し付けられ、厄介な母親を押し付けられるのだから。
しかし、高慢な態度が目立つなど、完全に「かわいそうな被害者」として同情を誘うように描写されているわけではない。
終盤には、ボブが法廷で裁かれ、刑務所に収容されるという展開が描かれる。その間は、“ルースがメアリーを苦しめる”という構図は消えている。では、そのボブが「かわいそうな被害者」に見えるのかというと、ロクでもない浮気男なので不可能である。これは、「醜悪な女が旦那と浮気相手の女に復讐する」という話である。ボブやメアリーが一方的に被害者として描かれていれば、そしてシリアスなタッチに演出していれば、これはスリラー映画やサスペンス映画になるような話と言える。
しかし、ボブやメアリーは前述したようなキャラクターなので、共感して一緒に恐怖することは難しい。そもそも、ルースのナレーションで進行されるのだから、その見方はおかしいのだ。
だが、それは別にいい。
なぜなら、これはコメディー映画だからだ。そう、これは「ルースの復讐計画によってメアリーやボブが追い込まれて行く」という筋書きを笑う映画なのだ。ルースの仕掛ける作戦や、メアリーが困る姿で笑わせようとする映画だ。
ただし、「それは笑えますか」という質問に対して、「ただルースがグロテスクなだけで笑えない」と答えざるを得ないというのが、この映画の大きな問題点だ。