『Shall we Dance? シャル・ウィ・ダンス?』:2004、アメリカ

ジョン・クラークは、シカゴで遺言書の作成を専門にする弁護士として働いている。高級デパートに勤める妻ビヴァリー、ジェナと エヴァンという子供2人に囲まれて幸せな暮らしを送っているはずだが、日々の生活に虚しさを感じている。家族揃って誕生日を祝って もらっても、その虚しさは消えることが無い。
ある夜、帰宅途中の電車から外を眺めていたジョンは、社交ダンス教室の窓辺に佇む女性ポリーナに目を留めた。次の日も、また次の日も 、ジョンはポリーナに目を留めた。ジョンは途中下車し、ダンス教室に足を向ける。生徒の1人ボビーに押される形で教室に入ったジョン は、初心者コースでレッスンを受けることになった。
ジョンは同じ初心者のリンクとヴァーンと共に、経営者ミス・ミッツィーの指導を受ける。ジョンはボビーから、ポリーナが1年前に ブラックプールで踊ったほどの腕前だが、その時に組んでいた恋人に捨てられてダンス教室に来たことを聞かされる。教室に通い始めた ジョンは、ある日、頭の禿げ上がった同僚リンクがズラを被って激しく踊っている姿を目にした。
ビヴァリーはジョンが仕事で遅くなるとウソをついていることに気付き、浮気しているのではないかと疑いを持つ。彼女は私立探偵の ディヴァインに会い、ジョンの素行調査を依頼した。ジョンはリンクから、別のダンス教室が催すダンス・パーティーに誘われる。会場に 出向いたジョンは、ミッツィーに誘われて踊った。
ミッツィーが休みを取った日、ジョンたちはポリーナからレッスンを受けることになった。ディヴァインの部下スコットは、新聞記者に 成り済まして教室にやって来た。ポリーナはボビーが大切なコートにシミを付けたことで、ひどく落ち込んだ。ジョンは帰宅するポリーナ に声を掛けて慰め、食事に誘う。しかしポリーナは断り、「自分が目当てで来ているのなら、やめて」と告げる。
デヴァインはビヴァリーに、ジョンがダンス教室に通っているだけで浮気をしているわけではないと報告する。しかしビヴァリーは、なぜ ジョンがダンスを始めたのか全く理解できない。ジョンは教室に行こうとするが、直前で引き返す。その途中、ジョンは息子エヴァンと 遭遇し、会ってほしい女の子がいると言われる。エヴァンに誘われてクラブに出向いたジョンは、楽しそうに踊る面々を目にしてダンス への意欲を沸き立たせる。ジョンは走ってダンス教室へ向かい、遅れてレッスンに参加した。
ジョンはミッツィーから、ボビーと組んで競技会に出るよう勧められた。尻込みしていたジョンだが、結局は引き受けることにした。 ただしジョンはスタンダードだけで精一杯で、ラテン種目はリンクに頼んだ。ジョンは練習を積み、いよいよ競技会の日がやって来た。 最初のワルツを無難にこなしたジョンは、ボビーから「お父さんという声が聞こえたわよ」と言われる。クイックステップに入ったジョン だが、ビヴァリーとジェナが来ていることに気付いて動揺し、大失敗をやらかしてしまう…。

監督はピーター・チェルソム、原作は周防正行、脚本はオードリー・ウェルズ、製作はサイモン・フィールズ、共同製作は マリー・ジョー・ウィンクラー=イオフリーダ、製作協力はレイチェル・ハギンズ、製作総指揮はジュリー・ゴールドスタイン&ボブ・ オシャー&マリ・スナイダー・ジョンソン&ボブ・ワインスタイン&ハーヴェイ・ワインスタイン、共同製作総指揮はジェニファー・ バーマン&エイミー・イズラエル、撮影はジョン・デ・ボーマン、編集はチャールズ・アイルランド&ロバート・レイトン、美術は キャロライン・ハナニア、衣装はソフィー・デ・ラコフ、音楽はジョン・アルトマン&ガブリエル・ヤーレ。
出演はリチャード・ギア、ジェニファー・ロペス、スーザン・サランドン、リサ・アン・ウォルター、スタンリー・トゥッチ、アニタ・ ジレット、ボビー・カナヴェイル、オマー・ミラー、タマラ・ホープ、スターク・サンズ、リチャード・ジェンキンス、ニック・キャノン、 サラ・ラフラー、オナリー・エイムズ、ダイアナ・サルヴァトーレ、ダフネ・コロル他。


周防正行監督による1996年の日本映画『Shall we ダンス?』をハリウッドでリメイクした作品。
ジョンをリチャード・ギア、ポーリナをジェニファー・ロペス、ビヴァリーをスーザン・サランドン、ボビーをリサ・アン・ウォルター、リンクをスタンリー・トゥッチ、 ミツィーをアニタ・ジレット、チックをボビー・カナヴェイル、ヴァーンをオマー・ミラー、ジェナをタマラ・ホープ、エヴァンを スターク・サンズ、ディヴァインをリチャード・ジェンキンスが演じている。
ちなみにオリジナル版と配役を比較すると、役所広司がリチャード・ギア、草刈民代がジェニファー・ロペス、竹中直人がスタンリー・ トゥッチ、渡辺えり子がリサ・アン・ウォルター、徳井優がボビー・カナヴェイル、田口浩正がオマー・ミラー、草村礼子がアニタ・ ジレット、原日出子がスーザン・サランドン、柄本明がリチャード・ジェンキンスとなる。

リメイク版では、ジョンとビヴァリーの間に娘だけでなく息子もいるという設定になっている。
ただ、わざわざ新たにキャラを加えた割に、何の意味も無い存在でしかない。
父親に恋人を紹介する目的でクラブへ連れて行き、ジョンが踊る意欲を持ってダンス教室に行くというきっかけは与えているが、 そんなのはクラブのシーンが無くても余裕で可能だし。
しかも、そのシーンぐらいしかエヴァンがマトモに活動しているシーンって無いんだよな。

この映画に関しては、オードリー・ウェルズは「screenplay(脚本)」ではなく「adaptation(翻案)」と表記されるべきだと思う。
それぐらい、大まかなストーリー進行だけでなく、例えば初心者3人が並んでステップを教わるシーンとか、ジョンとリンク会社のトイレで 抱き合ってダンス練習をするシーンとか、細かい部分までオリジナル版を踏襲している。
それぐらいオリジナル版に似せているということは、「周防監督のヴァージョンとは全く別物」として観賞することは不可能と断言していいだろう。
つまりオリジナル版を見ている人は、どうしても比較しながら観賞することになる。
そして私は、ほぼ同じだからこそ、変更された点によって、オリジナル版の持っていた良さや意味が失われていると感じてしまった。

この映画の致命的なミスは、主役2人のキャスティングだろう。
リチャード・ギアは、とても「虚しさを感じている真面目で弱気な中年男」には見えない。
初心者3人を見た女たちが教室から逃げるように去っていくのも、そこにモテ男リチャード・ギアがいることを考えると、ちょっと解せない。
ポリーナを食事に誘う時も、いかにもスマートな感じに見える。
ジェニファー・ロペスは、さらに輪を掛けてミスキャスト。
どんなに淑やかに振舞っても、のっけから隠し切れないフェロモンが滲み出ており、どこか誘っているような感じにさえ見える。
大体、あまりにも肉付きが良すぎるし、エネルギッシュさが全身から満ち溢れている。
演技は素人だったオリジナル版の草刈民代よりも、ジェニファー・ロペスが大根に見えるのは、本人の演技力が云々と言う以前に、あまりにもミスキャストだったという ことが大きいんじゃないだろうか。

オリジナル版の主人公・杉山は中流階級のサラリーマンだが、ジョンは遺言書専門の弁護士だ。
ステータスとしてはランクアップしていると言っていいだろう。
そこにリチャード・ギアという配役も手伝って、主人公に「冴えない、くたびれている」という哀愁のイメージは無い。
実際、本人も後半で「充分に幸せなのに、それ以上の幸せを求めてしまった」と言っている。
で、金持ちで地位もあって家庭的にも何の問題も無い男が「虚しいからダンスを始めた」ということで、共感できるのかな、アメリカ人だと。
そもそも、この主人公が日々の生活に虚しさを感じている、という風には全く見えない。

ジョンが早い段階からノリノリでダンス教室に通っているという描写もどうかと思うぞ。
さらに困ったことに、ダンス・パーティーでミッツィーと踊るシーンで、もう完全にサマになっている。
もっと不器用で引っ込み思案な印象を強くアピールすべきだろうに。
で、その早々とサマになっている姿からしても、のっかけらイケてる印象を与えていることからしても、「なぜダンス教室に通うことを 家族に内緒にするのか」というのが、ちょっと理解しづらい。
「ポリーナに惚れたという不純な動機だから」というところに理由を求めたいんだが、そのポリーナに対する「ちょっとした浮気心」の描写は希薄だしなあ。
気にする素振りは見せても、ポリーナ目的で通っている感じがほとんど無いまま、もうダンスにハマっている様子に移り変わっていくのよね。

前述したようにリチャード・ギアのダンスは前半から早くもサマになっているのだが、そもそもアメリカ人が社交ダンスをやると、サマ になりやすいという問題がある。
だからオリジナル版の持っていた「冴えない日本人がオシャレな社交ダンスをやる」という不恰好さの妙を出すことが難しい。
それを考えると、ジョン役は決してモテモテのイメージが強いイケメン俳優を配置してはならなかった。
ここは、ビル・マーレイとかダン・エイクロイドのような三枚目の役者を配置すべきだったのだ。

一方のポリーナにも、ちょっと違和感を覚える。
ジョンの入門の受付をする際のポリーナはビジネスライクではあっても、突き放すような 冷たさは無い。また、コートのことで慰められるシーンでも、明らかにジョンの優しさを受け入れている。
その後に「不純な的なら教室に来ないで」と言うが、そこも冷たさが足りない。彼女には、もっと突き放す冷たさが必要だった。
もう1つ、ポリーナには「恋人兼ダンスパートナーとの別れがあってから心を閉ざし、周囲に対してトゲトゲしくなっている」という描写 が必要だったはずだ。
だが、そもそも恋人に捨てられたという部分の描写が薄い。
ポーリナが心を閉ざしてトゲトゲしくなっているいる描写が無いと、「なぜ一流のダンサーが小さなダンス教室で講師をしているのか」と いう理由付けが難しいと思うんだが。
それに、プライドの高さからトゲトゲしくなっている彼女が、ジョンの姿を見てダンスへの情熱や踊ることの楽しさを思い出すというドラマも作っていないし。
そこを薄めていることによって、ポーリナというキャラ自体の存在感も薄くなっているし。

ポーリナが薄い代わりに、というわけでもないんだろうが、オリジナル版に比べて妻の存在感がグッとアップしている。
オリジナル版では専業主婦だったが、キャリアウーマンにしてある。
で、夫婦愛の物語としてまとめようという節が見られるんだが、これは作品のバランスを悪化させただけだと思う。
夫婦ドラマはそれほど大きく扱わず、さりげない中でイイ関係を見せたオリジナル版の方が明らかに良かった。
そこは「ちょっとした浮気心でも許されない。家族を大切にね」という、キリスト教国家アメリカの倫理観(というか建て前)があるから 、ジョンの浮気心を薄くして夫婦ドラマを大きくするのは仕方が無いのかな。
たださ、それにしても、終盤の展開は幾らなんでもやりすぎだろう。
ポーリナのお別れパーティーに誘われたジョンが妻を連れて行くって、そんなアホな。
しかも、正装して勤務中の妻にバラ1本を渡し、その場で軽く踊るシーンがピークみたいになってるじゃん。
そこはジョンがポーリナと踊るシーンがピークにならなきゃ話が締まらないだろうに。

 

*ポンコツ映画愛護協会