『スクール・オブ・ロック』:2003、アメリカ

売れないロックバンド“No Vacancy”のギタリストであるデューイ・フィンは、派手なパフォーマンスでボーカルのテオよりも目立つ男だった。デューイは親友のネッドとルームシェアをしているが、全く家賃を支払っていなかった。家賃を肩代わりしているネッドは恋人のパティーから、デューイと話を付けるよう要求される。弱気なネッドが遠慮がちに家賃のことを口にすると、デューイは面倒そうに「金なんて無い」と吐き捨てる。
デューイは「今年のバンドバトルで優勝して払ってやる」と生意気な態度で言い放つが、パティーは「週末までに払わないと追い出す」と告げた。デューイはパティーへの不快感を示すが、ネッドから懇願されて「お前のためだ」と家賃の支払いを承諾する。しかしバンドはスパイダーという男を新しいギタリストとして呼び、デューイにクビを通達した。デューイはテオたちを罵り、「自分でバンドを組んで革命を起こしてやる」と告げて立ち去った。
家賃の捻出方法に困っていたデューイは、ホレス・グリーン小学院の校長を務めるロザリー・マリンズからの電話を受ける。彼女は教師が骨折したので補助教員を探しており、別の学校の校長からネッドを推薦されていた。ロザリーはネッドへの伝言を頼むが、週給を聞いたデューイは彼に成り済まして仕事を受けた。小学校へ赴いたデューイはロザリーと会うが、金のことばかり質問する。担当する小学5年生の教室へ案内されたデューイは、「誰か食べ物を持っている奴?」と尋ねる。
デューイは生徒のパンを頂くと、「俺は二日酔いだ。お前らは休み時間を楽しめ」と言う。ホレス・グリーンは厳しい規律がある進学校で、クラス委員のサマーはテストの点数を全員で競っていることを説明する。デューイは星取表を破り捨て、「成績は付かない。ずっと休み時間だ」と遊びに行くよう命じた。終業時間の午後3時が訪れると、デューイは早々に学校から去った。彼はバンドメンバーを募集するチラシを貼るが、何の反応も無かった。デューイはネッドを誘うが、「もう足は洗った」と断られる。
翌日もデューイは学校へ行くだけで、授業をせずに居眠りして時間を過ごす。サマーが授業を要求すると、デューイは「夢は諦めろ。大物が全てを破壊した」と語った。音楽の授業で生徒たちが移動すると、デューイは聴こえてくる音が気になった。音楽室へ赴いた彼は、生徒たちのクラシック演奏を覗いた。彼は生徒たちにロックを演奏させようと企み、車に積んである楽器を教室へ運び込む。デューイはザックにエレキギターを渡し、自分が教えたフレーズを演奏させる。さらに彼は、ローレンスにキーボード、ケイティーにはベース、フレディーにはドラムを担当させる。
デューイは生徒たちに、「お前らに素質があると見込んで、新しい研究課題を与える。課題はロックバンドだ。だが、親にも内緒にしろ」と語った。残った生徒たちから「バンドには入れないの?」という質問が出たため、デューイは歌声をチェックしてアリシアとマルタをバックコーラスに指名した。サマーも立候補するが、下手だったので却下した。デューイは給食の時間を利用して他の生徒たちの役割を考え、自分はボーカルとギターとリーダーを担当すると話す。彼は生徒たちに、「先生の指示には全て従います」と誓わせた。
グルーピーを担当するよう指示されたサマーが不満を漏らしたので、デューイはマネージャーに任命した。デューイは生徒たちに、好きなミュージシャンの名前を尋ねる。しかし期待する名前が全く出て来ないので、デューイは数学や社会の授業を潰して徹底的にロックを教え込むことに決めた。「ロックを聴こう」と彼が提案すると、生徒たちは自作の曲を聞かせてほしいと要求した。デューイは困惑しながらも作り掛けの曲を軽く歌い、演奏の指示を出した。
デューイはロザリーに月末の社会科見学を要請するが、「臨時教師は子供たちを引率できないルールなの」と却下された。ロザリーはデューイに、教師のグリーンやレモンズたちを紹介した。デューイは生徒たちにロックを学ばせるため、全員にCDを配った。ローディー担当のトミカから「歌いたい」と言われたデューイは彼女の歌声を聴き、バックコーラスに起用した。彼は「ロックをやりたきゃルールを破れ。怒りをぶつけろ」と生徒たちに促し、不満を喋らせる。それを歌にした彼は、ギターを演奏して「魂の叫びだ」と告げた。
デューイは生徒たちに協力させて教室で授業をしているように偽装し、バンドのメンバーをバンドバトルのオーディション会場へ連れて行く。トミカは「太ってるから笑われる」と懸念してコーラスを辞退しようとするが、デューイが説得した。会場へ入るとオーディションは既に終了していたため、デューイは責任者に詰め寄った。しかし警察を呼ぶと言われたため、仕方なく外へ出た。サマーから「いい考えがある」と告げられたデューイは、責任者に「子供たちは難病で助からない。バンドバトルが生きる希望だ」と嘘をついて同情を誘った。作戦は見事に成功し、バンドはオーディション無しで出場が決まった。
バンドの名前が「スクール・オブ・ロック」に決定する中、レモンズの「教室から音楽が聴こえた」という報告を受けたロザリーが教室にやって来る。隠し忘れたギターを発見されたデューイは、「退屈な授業に音楽が有効だ」と咄嗟に嘘をつく。ロザリーが授業を見学させてもらう」と言い出したので、デューイはギターを弾きながら生徒たちに問題を出した。生徒たちも彼に合わせたので嘘は露呈しなかったが、ロザリーは実験的すぎる授業だと否定的な見解を示す。
「今後はカリキュラム通りに進めるように」と指示されたデューイは「じっくり教育論を聞きたい」と持ち掛け、ロザリーを酒場へ誘う。デューイが店でスティーヴィー・ニックスの歌を流すと、ロザリーは「大ファンなの」とノリノリでリズムを取り始める。デューイが「子供たちをクラシックのコンサートに連れて行ってやりたいんだ」と提案すると、上機嫌のロザリーは例外として許可した。デューイはコンサートと偽って学校を抜け出し、バンドバトルに参加するつもりなのだ。ロザリーが「私だって昔はガチガチじゃなかった。でも面白いままじゃ、こんな気取った学校の校長なんて出来ない。何かあれば保護者から吊るし上げられるのは私」と愚痴をこぼしたので、デューイは「君はクールだよ」となだめた。
ザックが曲を書いたと知り、デューイは聴かせるよう告げる。気に入ったデューイは、それをバンドで練習する。本番前日、デューイがロザリーに子供たちをコンサートへ連れて行く予定を確認すると、「やっぱり学校の規則だと難しいと思う」と言われる。ロザリーは「夜に保護者会があるからカリカリしてるの」と打ち明け、一緒に参加してほしいと持ち掛けた。何とか断ろうとしたデューイだが、結局は承諾せざるを得なかった。
その夜、デューイがロザリーを待っていると、ネッドがホレス・グリーンから届いた小切手を見て首をかしげる。ネッドが学校へ電話を掛けようとするので、デューイは慌てて事情を説明した。「お前は関係ない、パティーには言うなよ」と彼は告げ、保護者会に赴いた。デューイは保護者たちから「子供が音楽の話ばかりするようになった」「ロックのCDが宿題とは、どういうことだ」と詰め寄られ、返答に窮する。同席していた生徒たちが「研究のことを話した方がいい」「州大会で研究課題を競うんだ」と言い出したため、デューイは仕方なく「子供たちには音楽の才能がある」と話し始める。そこへネッドから話を聞き出したパティーが警官を引き連れて現れ、偽の教師だとバレたデューイは学校を追放された…。

監督はリチャード・リンクレイター、脚本はマイク・ホワイト、製作はスコット・ルーディン、製作総指揮はスティーヴ・ニコライデス&スコット・アヴァーサノ、撮影はロジェ・ストファーズ、美術はジェレミー・コンウェイ、編集はサンドラ・アデール、衣装はカレン・パッチ、音楽はクレイグ・ウェドレン、音楽監修はランドール・ポスター。
主演はジャック・ブラック、共演はジョーン・キューザック、マイク・ホワイト、サラ・シルヴァーマン、リー・ウィルコフ、ケイト・マクレガー=スチュワート、アダム・パスカル、スザンヌ・ダグラス、ミランダ・コスグローヴ、ケヴィン・クラーク、ジョーイ・ゲイドスJr.、ロバート・ツァイ、アレイシャ・アレン、ブライアン・ファルデュート、ケイトリン・ヘイル、マリアム・ハッサン、レベッカ・ブラウン、ジョーダン=クレア・グリーン、ヴェロニカ・アフラーバック、アンジェロ・マッサグリ、コール・ホーキンス、ジェームズ・ホージー、ザッカリー・インファンテ、ニッキー・カット、ヘザー・ゴールデンハーシュ、キンバリー・グリスビー、ウォーリー・ダン、ルーカス・パパエリアス、クリス・スタック、ルーカス・バビン、ティム・ホッパー他。


『ウェイキング・ライフ』『テープ』のリチャード・リンクレイターが監督を務めた作品。
ネッド役で出演している『チャック&バック』『グッド・ガール』のマイク・ホワイトが、友人であるジャック・ブラックのために脚本を執筆した。
デューイをジャック・ブラック、ロザリーをジョーン・キューザック、パティーをサラ・シルヴァーマン、グリーンをリー・ウィルコフ、レモンズをケイト・マクレガー=スチュワート、テオをアダム・パスカル、トミカの母をスザンヌ・ダグラス、サマーをミランダ・コスグローヴが演じている。

アメリカではヒットした作品だが、個人的には全く乗れなかった。
その理由は簡単で、デューイが最初から最後まで自己中心的な奴だからだ。
彼が生徒たちにロックバンドを組ませるのは、「クラシックの授業を退屈そうに受けていたので、音楽の楽しさを分からせてあげたいと思った」からではない。自分がバンドバトルに出場したいから、生徒たちを利用しようと企んだだけだ。
デューイが子供たちにバンドを組ませてロックを演奏させるのは、ようするに「単なる押し付け」に過ぎないのだ。

学校では音楽の授業でクラシックを教えているが、それは「嫌がっているのに無理に押し付けている」とは言えない。なぜなら、生徒たちが嫌がっている様子は見えないからだ。
一方でデューイがロックを演奏させる時も、子供たちが嫌がる様子は無い。
だが、それは結局のところ、デューイが自分の目的を達成するために押し付けているだけだ。子供たちに楽しんでもらいたい、音楽の楽しさを知ってほしいという気持ちは全く入っていない。
なので、「子供たちのために」という意識で教えている学校の授業よりも、ある意味ではタチが悪い。
っていうか、「子供たちのため」として教えている音楽の授業が間違っていれば問題だが、クラシックを演奏させることは「ダメな授業」とは言えない。なので、そこの対比は全面的にデューイの方が負けだ。

生徒たちはバンド活動に最初から積極的な態度を示すが、それは「ロックや音楽が楽しいから」ってことではなく、デューイが適当な話で騙しているからだ。
つまりデューイは、まだ未熟で幼い子供たちを欺き、自身の野望に利用している酷い男なのだ。
だからデューイは生徒にバンドを組ませても、「自分が主役として目立つ」という意識を持ち続けている。
あくまでもバンドは「俺の所有物」であり、主役として活躍したいのは自分なのだ。

デューイは音楽担当の教師ではないので、「音楽の授業でクラシックを扱わず、ロックを演奏する」という形を取るわけではない。彼は数学や社会など他の授業を全て潰して、ロックの勉強に回すのだ。
勉強が大好きな真面目な生徒はともかく、大抵の子供たちからすれば、そりゃあ楽しいかもしれない。しかし、そうやってロックを教え込む様子を見ていても、こっちとしては素直に楽しめない。
「学校の授業は大切」とガチガチなことを言いたいわけではなくて、無造作に一線を越えているからだ。
デューイは「型破りな教師」としてロックを教えるのではなく、教師としての仕事を放棄して子供たちを扇動しているのだ。

そもそも厳しい規律に関しても、「そういう学校ですよ」ってのが台詞で軽く触れられるだけ。
つまり、「デューイと会うまでの生徒たちは厳しい規律に縛られて窮屈な学校生活を余儀なくされていたが、ロックバンドを組むことで解放される」という喜びも全く見えないのだ。
デューイが私欲のためにロック活動を始めたとしても、「それによって子供たちが解放されて人生や音楽の喜びを知る」という形が成立していれば、そういう話には乗れたかもしれない。
しかし「閉塞感」とか「がんじがらめのルール」といった前提条件が無いので、その形は成立していない。

生徒たちがロックバンドを組んで楽しそうにしていても、そこに「子供たちが音楽の楽しさに気付いた」という面白味は無い。
彼らはクラシックを演奏している時点で、それを「つまらない」と思っていたわけではないからだ。
それに、ザックだけは父親から「エレキはくだらない」と禁じられているが、他の生徒に関してはロックを禁止されているかどうか分からない。何しろ好きなミュージシャンについて質問された時、「クリスティーナ・アギレラ」「パフ・ダディー」という名前が挙がるのだ。
それはロック・ミュージシャンじゃないが、決して両親から「クラシック以外は聴いちゃダメ」と禁じられているわけではないってことだ。

ところがデューイは、その答えを全否定する。
なぜなら、「ロック」ではないからだ。
彼にとってはレッド・ツェッペリンやブラック・サバスこそが期待した名前であり、それを知らない子供たちは「呆れ果てた連中」なのだ。
そこで彼はロックについて徹底的に教え込むことを決めるが、それは完全なる「趣味の押し付け」である。

デューイが生徒たちにロックを押し付けているのは、例えば巨人ファンの親父が息子を巨人ファンに洗脳するようなモンだ。
その様子をコメディーとして描いているが、あまり賛同できるような行動ではない。っていうか、かなり醜悪に見える。
前述した「巨人ファンの親父が息子を巨人ファンに」ってのは、全てが醜悪というわけではなくて、それを「微笑ましい親子関係」として見られることもあるだろう。
つまり、この映画のデューイと生徒たちの関係が醜悪にしか見えないのは、描き方の問題ってことだ。

インチキ教師だとバレたデューイは、「俺に教師の資格は無いが、子供たちを愛してる。俺たちには深い絆が芽生えた」と語る。
しかし、それもまた嘘なのだ。
デューイは家賃を稼ぐために偽教師になった時や、大会で賞金を得るために子供たちを騙してバンド練習させた時から、根っこの部分は何も変わっちゃいない。
最初は私欲オンリーだった奴でも、話が進む中で「本気で子供たちを導きたい」「音楽の楽しさを教えたい」と思うような変化があれば、それは受け入れられる。
でもデューイの場合、ずっと変わらないのだ。「子供たちを愛してる」と言うけど、実際は「ロックを演奏するために必要だから仲良くしている」ってだけなのだ。

「それが彼の個性だから」と言われたら終わってしまうのだが、「とにかくジャック・ブラックという俳優がクドいぐらい目立ちまくり、生徒たちを手下に従えて目立ちまくる」という図式が最後まで続く。
最初から最後まで、デューイは脇に回って生徒をサポートしようという意識を見せない。
だからクライマックスとなるバンドバトルでも、彼は冒頭シーンと同じようなパフォーマンスで目立ちまくる。
結局、彼は何も反省しちゃいないし、何も成長しちゃいないのだ。

(観賞日:2016年12月2日)

 

*ポンコツ映画愛護協会