『ソウ2』:2005、アメリカ&カナダ

マイケル・マークスが目を覚ますと、そこは見知らぬ部屋だった。右目は血に染まり、首には奇怪な仮面が取り付けられていた。室内に置いてあるモニターにビリー人形が登場し、「お前は他人の人生を監視しながら、卑劣に生計を立てて来た。自分を見つめられるか。生き残るために、ある物を捨てられるか試そう。その装置はデスマスクだ。タイマー式でバネ仕掛け。時間内に鍵を見つけないと閉じる」と述べた。人形はヒントとして、マイケルを麻酔で眠らせている間に撮影したレントゲン写真を見せる。そこには右目の奥に仕込んだ鍵が写っていた。人形は「鍵は目の前にある。生きるために血を流せ」と告げ、モニターは消えた。マイケルは室内にあったメスを手にするが眼球を抉り出すことは出来ず、時間切れで仮面は閉じられた。
内勤の仕事をしている刑事のエリック・マシューズは泥棒で捕まった息子のダニエルを引き取るため、警察署を訪れた。ダニエルが反抗的な態度を取るので彼は怒鳴り付け、「行ってしまえ」と言い放った。アリソン・ケリー刑事からの電話で呼び出されたエリックは指定の建物へ行き、情報屋として使っていたマイケルの死体を確認した。アリソンはジグソウの手口だと話し、天井に残されたエリック宛ての「近くで見ろ」というメッセージを教えた。
アリソンから捜査協力を求められたエリックは、「ジグソウは君の専門だ。俺には関係が無い」と拒否した。帰宅した彼は、装置に刻印されていたウィルソン鉄鋼の紋章を思い出した。エリックはアリソンに知らせ、廃屋となっているウィルソン鉄鋼の建物に赴いた。SWAT隊長のダニエル・リッグが部下を率いて突入すると、掛けられていた罠によって1名が負傷した。しかし残りの面々は奥へと足を踏み入れ、そこにいたジグソウを見つけ出した。
ジグソウは逃げようともせず、エリックに「君が問題を解く間、私もここにいないと」と告げた。彼は「あの部屋の問題だ」とケージで囲われた部屋を示し、そこに入ったエリックたちはモニターを見つけた。彼らがモニターを見ると、そこにはダニエルを含む数名が部屋に閉じ込められている様子が写っていた。ジグソウはエリックに、「手遅れになる前に問題を解け。約2時間後、神経ガスが肉体を破壊して血の海となる」と語った。
部屋に閉じ込められているのはダニエルの他、ザヴィエル、ジョナス、ローラ、アディソン、オビ、ガス、そしてアマンダという8名だ。最後に目覚めたアマンダは壁を探り、煉瓦の奥に隠されていたレコーダーを発見した。彼女は他の面々に、「この中に答えがある」と言う。レコーダーを再生すると、「この家の正面扉が3時間後に開くが、お前たちは2時間しか生きられない。ずっと神経ガスを吸っている。解毒剤が幾つか隠されている。1つは金庫の中だ。全員が開錠の番号を持っている。頭脳の後ろにある。その順番は虹の彼方に見つかるだろう。全員の共通点が分かれば、ここにいる理由が分かるはずだ。Xに答えがある」という声が録音されていた。
鍵と「ドアに差し込むな」というメモを見つけたザヴィエルがドアへ向かったので、アマンダは指示に従うよう告げる。ザヴィエルは彼女の忠告を聞こうとせず、ガスは覗き穴に顔を近付けた。ザヴィエルが鍵を差し込むと、ガスは仕掛けてあった拳銃の発砲によって死亡した。アマンダは残った面々に、これはジグソウのゲームだからルールに従うよう説いた。なぜ知っているのか問われた彼女は、自分がゲームの経験者であることを明かした。
ジグソウはエリックに、「2人だけで話したい。承知すれば息子に会える」と持ち掛けた。エリックは拒否しようとするが、アリソンは「画像解析班を読んで場所を突き止める。奴の機嫌を取って時間を稼いで」と告げる。一方、監禁場所のドアが自動的に開き、中にいた面々は廊下に出た。ザヴィエルは「出口」と書かれたドアに近付くが、鍵は合わなかった。エリックは人払いをして、ジグソウと2人きりになった。するとジグソウは、「ゲームがしたい。ルールは簡単だ。座って私と話すだけでいい。最後までゲームを続けることが出来れば、息子は無事に戻る」と述べた。
ザヴィエルは斧で出口を破壊しようとするが、その向こうには頑丈な金属の扉があった。地下室が見つかったので彼らが中に入ると、死体と「オビ」と書かれたメモがあった。テープを再生すると、「オビよ、ゲームに挑戦しろ。その装置に解毒剤が2本ある。1本は皆を誘拐した君への礼だ。もう1本は代償を払って権利を得た者に与えてやれ」という声が聞こえてきた。その声でローラは、車に潜んでいたオビに拉致されたことを思い出した。
ザヴィエルはオビにナイフを突き付け、脱出させるよう要求した。オビは全く動じず、「出口は知らない」と答えた。彼は地下室の装置に入り、2本の解毒剤を発見する。しかし蓋が閉じられ、装置の中で炎が噴射した。他の面々は装置を破壊しようとするがオビは死亡し、解毒剤の注射器は溶けてしまった。一方、エリックはジグソウから、「なぜ息子を取り戻したい?」と質問されて「息子だからだ」と言う。するとジグソウは「別れ際に何と言った?なぜ死の間際でないと考えを変えない」と口にした。
ジグソウが「死ぬ日時を教えたら、君の心は崩れ去る」と言うと、エリックは「末期癌を言い訳にするのか」と批判する。するとジグソウは「いや、死を決意した時に仕事を思い付いた。自殺を試みたが、失敗した。癌細胞には勝てないのに、崖から落ちても無事だった。その時に決意したのだ、命果てるまで人間の本質を試そうと」と語った。ジグソウの勝手な主張に激昂したエリックは、席を立って去ろうとする。ジグソウは冷静な口調で、「ルールを忘れるな」と釘を刺した。
ジョナスが鍵の掛かっていない扉を見つけるが、なぜか開かなかった。ザヴィエルが力尽くで開けると仕掛けが作動し、タイマーが残り3分から動き始めた。タイマーの向こうには扉があったが、頑丈で全く開かなかった。室内には「ザヴィエル」というメモがあり、テープを再生すると彼にゲームを要求するジグソウの声が吹き込まれていた。ジグソウは「時間が来ると、その扉は永遠に閉ざされる。時間内に鍵を見つけて扉を開ければ、解毒剤が手に入る」と語っていた。
部屋の中央にあるベッドをザヴィエルが退かすと、大量の注射器を詰めた穴があった。ザヴィエルはアマンダを穴に投げ込み、鍵を見つけ出せと要求した。アマンダは何本もの注射器に体を突き刺され、苦しみながら鍵を探した。彼女は鍵を見つけ出すが、時間切れで扉は封鎖されてしまった。一方、ジグソウはアリソンたちがトランシーバーで会話を盗み聞きしていると知っており、机の引き出しを開けるよう指示した。アリソンが引き出しを開けると、そこにはダニエルを覗くゲーム参加者の資料が入っていた。それはエリックが逮捕した面々であり、彼は有罪にするために証拠を捏造していた…。

監督はダーレン・リン・バウズマン、脚本はダーレン・リン・バウズマン&リー・ワネル、製作はグレッグ・ホフマン&オーレン・クールズ&マーク・バーグ、共同製作はダニエル・ジェイソン・ヘフナー&グレッグ・コープランド、、製作総指揮はピーター・ブロック&ジェイソン・コンスタンティン&ジェームズ・ワン&リー・ワネル&ステイシー・テストロ、撮影はデヴィッド・A・アームストロング、編集はケヴィン・グルタート、美術はデヴィッド・ハックル、衣装はアレックス・カヴァナー、音楽はチャーリー・クローザー、音楽監修はソーシャル・キャピタル。
出演はドニー・ウォールバーグ、フランキー・G、ショウニー・スミス、トビン・ベル、グレン・プラマー、ビヴァリー・ミッチェル、ディナ・メイヤー、エマニュエル・ヴォージエ、エリック・ヌードセン、ノーム・ジェンキンス、ティモシー・バード、リリク・ベント、トニー・ナッポ、ケリー・ジョーンズ、ヴィンセント・ローター、リネット・ロビンソン、グレッチェン・ヘルビグ、コフィー・ペイトン、ジョン・ファロン、ホー・“オイスター”・チョウ他。


2004年の映画『ソウ』の続編。
前作のメガホンを執ったジェームズ・ワンは製作総指揮に回り、これがデビューとなるダーレン・リン・バウズマンが監督に起用された。
脚本は前作のリー・ワネルとバウズマンによる共同。
アマンダ役のショウニー・スミスとジグソウ役のトビン・ベルは、前作からの続投。エリックをドニー・ウォールバーグ、ザヴィエルをフランキー・G、ジョナスをグレン・プラマー、ローラをビヴァリー・ミッチェル、アリソンをディナ・メイヤー、アディソンをエマニュエル・ヴォージエ、ダニエルをエリック・ヌードセン、マイケルをノーム・ジェンキンス、オビをティモシー・バードが演じている。

「鉄は熱い内に打て」という言葉がある。映画がヒットした時、特に低予算の映画が予想外の大ヒットを記録した時に、映画会社が続編を作ろうとするのは当然のことだ。その際、1作目の熱が冷めない内に、なるべく早く作りたいと考えるのも当然のことだ。
しかし『ソウ』の続編を作ろうとしたら、そう簡単には行かない。
1作目は幾つもの伏線を張り巡らせ、手の込んだ仕掛けを用意し、複数の謎やドンデン返しを盛り込んでいた。
それと同じか、あるいは超えるような脚本を執筆するには、それなりの期間が必要だ。

そこで製作サイドが取った方法は、「ちゃんと時間を掛けて質の高い脚本を用意する」ということではなく、「別のシナリオを転用する」という選択だった。
ダーレン・リン・バウズマンが2004年から売り込んでいた『The Desperate』というオリジナル脚本に目を付け、それを『ソウ2』に仕立て直して世に出そうと決めたのだ。
それは、製作サイドが「質の高い映画」ではなく、「質は二の次で、とにかく簡単に搾取できる映画」を選んだという意味でもある。

そうして完成した映画は、「バカが次々に死んでいく」という、良くあるスプラッター映画のフォーマットに落とし込んだような内容に仕上がった。
ゲームの仕掛けや伏線、謎といった要素を高めるのではなく、「残虐描写」の部分だけを強めることで観客に受けることを狙った内容になった。
ゲームの参加者は増えたが、それは明らかに「質より量」である。
悪趣味な暴力性だけを強めて、質の部分は明らかに劣化している。

何しろ、マイケルが登場する冒頭のゲームからして、すぐにビリー人形がモニターに登場して事情を説明し、ヒントまで全て詳しく喋ってくれる。
前作の導入部と比較すると、その分かりやすさは大きく異なる。
そりゃあ、前作で既にジグソウの正体や目的は割れているので、隠したところで「それはジグソウのゲーム」ってことは最初から分かり切っている。
しかし、だからってマイケルが情報を得るまでに全く手間を掛けさせず、さっさと処刑しちゃうってのは、ただの手抜きにしか思えない。

目を覚ましたアマンダが、いきなり一方向の壁を探り、すぐに煉瓦を退かしてレコーダーを見つけ出すってのは、かなり不自然な動きだ。
そもそも前作でゲームをクリアしているわけだから、また参加させられるってことからして不自然だ。
他の面々と比べても、明らかに1人だけ浮いている。
だから、「実はアマンダが協力していました」というのがドンデン返しとして用意されているんだけど、そんなに大きな衝撃は無い。「ああ、なるほどね」という感じだ。

この映画には、「ジグソウの中身が前作と別人になってねえか」と思わせる箇所が幾つも出て来る。
そもそも別の作品の脚本だったモノを改変する上で、そこを摺り寄せる作業まで手が回らなかったのだろう。
でも、「だから仕方が無いよね」なんてことは、これっぽっちも思わない。別の作品の脚本だったことは、観客からすると「だから何だよ」という事情だ。
どういう事情であろうと、『ソウ2』として製作する以上は、ちゃんと前作と繋がるように仕上げるのが映画人としての矜持だろう。

そりゃあ前作のジグソウも、偉そうな屁理屈はあっても実際にやっていることは単なる醜悪な殺人ゲームであり、卑劣なクズ野郎でしかなかった。しかし、それでも製作サイドは、ジグソウを神格化しようとしている向きがあった。
ところが今回は、ジグソウの神秘性やカリスマ性が完全に崩壊している。
一応、エリックに脅されても動じないとか、常に落ち着き払っているとか、そういうトコはあるものの、なんせ死に掛けているしね。そもそも簡単に捕まっている時点で、なんだかなあと感じるし。
前作で正体が割れているとは言え、それにしても一気に矮小化されていると感じる。

ザヴィエルたちのゲームは、まず簡単にレコーダーが見つかり、すぐに再生できる。レコーダーを見つけたり再生したりするために、何か知恵を使わなきゃいけないってことは無い。
レコーダーにはジグソウの解説が録音されており、すぐにヒントをくれる。しかも「番号は頭脳の後ろ」「順番は虹の彼方」という、かなり分かりやすいヒントだ。
それなのに参加者は、なかなかヒントから答えを見つけ出そうとせず、他の行動ばかり取っている。
そこに限らず、とにかく参加者が総じてボンクラで、だから「ジグソウの巧みな罠に落ちていく」というのではなく、「バカがバカな行動を取ったからバカな死に方をしました」というだけにしか見えない。

ジグソウがゲームに参加させる標的は、命を粗末にする者か、悪人に限定されていたはずだ。
しかし、まずマイケルが標的になっている時点で首をかしげたくなる。
ジグソウは「他人の人生を監視しながら、卑劣に生計を立てて来た」と言うが、それは卑劣な行為だろうか。警察の情報屋ってのは、そんなに糾弾されるような犯罪行為ってわけではないと思うのだ。
それにマイケルは、命を弄んでいるわけでもない。
だから前作のルールからすると、「ジグソウの標的」になる条件には合致していないと感じるのだ。

ザヴィエルたちのゲームに関しては、そもそも参加者の詳しい情報が終盤まで明かされない。だから、どういう事情で参加させられたのか、それまでは全く分からない。
ただしダニエルに関しては、ちょっとした泥棒を働いて捕まっただけなので、明らかにルールからは外れている。それだけでも、既にルールが崩壊していると言っていいだろう。
で、メンバーの情報に関しては、最初のテープでジグソウが「全員の共通点が分かれば、ここにいる理由が分かるはずだ。Xに答えがある」と語っている。
だが、共通点が分かったところで脱出の手掛かりになるわけではないので、その謎解きには何の興味も沸かない。参加者も、その謎に対しては強い興味を示さないし。

後半に入り、ジグソウがエリックやアリソンたちに資料を見せて、「ゲーム参加者はエリックに逮捕された面々。その面々を逮捕する際、エリックは証拠を捏造していた」ということを明らかにしている。そしてジグソウは、「息子の正体が知られたら大変なことになるぞ」とエリックを脅す。
それによってエリックは焦るのだが、こっちは彼に同調できない。あまり大変なことになるとは思えないからだ。
捏造した証拠で逮捕した刑事の息子がいると分かっても、そっちに怒りをぶつけている場合じゃないでしょ、参加者からすると。そんなことより、今は一刻も早く脱出する方法を見つけ出さなきゃいけないわけで。
つまり、そこの仕掛けは全く効果的じゃない。さっさと全員の共通点を明かしても、まるで支障は無いよ。

ジグソウは息子を助けようとするエリックに、「なぜ死の間際でないと考えを変えない?」と言う。
しかし、死の間際にいるのはエリックじゃなくてダニエルなので、その段階で既にブレている。エリック自身に死の危機は迫っていないのだ。
しかもエリックは、死の間際になったから息子を心配しているわけではない。暴言を浴びせてしまった夜には反省しており、謝罪のメッセージを留守電に残して心配している様子を見せているのだ。
つまり、ジグソウの論理は完全に破綻しているのである。

エリックが「ずっと息子を愛してる」と言うとジグソウは「いや、今だから気が変わった」と反論するが、それは間違いだ。ジグソウが自分の説を押し通すために、エリックの息子に対する気持ちを否定しているだけだ。
「自分の死が迫ることによって命が惜しくなり、考えが変わる」ってことはあるだろう。だが、それと息子への愛情ってのは、まるで別物なのだ。
そこを無理に一括りにしてしまうことで、ジグソウが論理破綻者と化している。
そんな論理破綻を強引に押し倒そうとした後、次にジグソウは「死ぬ日時を教えたら、君の心は崩れ去る」と言い、自分が癌と診断された時の気持ちを吐露する。その直前まで「息子に死が迫った時の父親の気持ち」というテーマで話していたのに、急に「自分の死が迫った時の気持ち」に摩り替えてしまうのだ。
そんな感じだから、ジグソウが喋れば喋るほど、どんどん彼が陳腐で愚かな男になっていく。

『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクターのように、持論を饒舌に喋ることで不気味さや神秘性、カリスマ性が高まるケースもあるだろう。
しかしジグソウの場合、あまり出張って喋らない方がいい。
しかも、彼が喋ることによって、肝心のザヴィエルたちのゲームを描く時間が短くなってしまう。
っていうか、そもそもゲームの内容が薄いから、時間稼ぎのためにジグソウをベラベラと喋らせているんじゃないかとさえ思ってしまう。

ザヴィエルを指名したゲームでは、「何かを犠牲にすれば命が助かる」というルールが成立していない。大量の注射器の中に身を投じて怪我を負っても、絶対に鍵が見つかるとは限らないからだ。
その一方で、「注射器が体に突き刺さる」というのは、鍵を手に入れるための代償としては、これまでのゲームと比較すると甘すぎる。
実際、そこに放り込まれたアマンダは、それほど大きなダメージは負っていない。
なんせ今までのゲームだと、自ら足首を切断しなきゃならなかったりしたわけで。

ジグソウは捏造した証拠で容疑者を逮捕したエリックを責めているが、そうやって逮捕された面々をゲームに参加させている。
ってことは、証拠が捏造であろうと、そいつらがゲームによって裁きを受けるべき悪人であることは認めているわけで。
そして、そいつらを悪人としてゲームに参加させた時点で、「だったらエリックをゲームに参加させる必要性は無くなるよね」と思ってしまう。
悪人を逮捕するために証拠を捏造したのなら、ゲームに強制参加させられるほど悪いことだとは思えない。そして彼は、命を粗末にしているわけでもない。
だから、「それでもエリックがゲームに参加させられる意味って何?」と思ってしまう。

ジグソウはエリックに、「最後まで自分と喋っていれば息子は助かる」と話している。しかしエリックがタコ殴りにして脅すと、ジグソウは監禁場所に案内すると告げる。
実際は地下室へ誘い込むための罠なので、「仮にエリックが約束を守っていたら、どうなったのか」という疑問が残る。
最初からエリックをゲームに参加させることが目的だったことを考えると、たぶん最後まで話に付き合ったとしても、やっぱり何かしらの方法で監禁された可能性が高い。そうなると、ジグソウは自ら言い出したルールも破るってことになる。
それと、もうエリックが行動を起こす前にダニエルは助かっているので、「何かを犠牲にすることで救われる」というルールが破綻している。ダニエルの命が助かることと、エリックの行動は、まるで無関係なのだから。

ジグソウは最初に「解毒剤が幾つかある」と言っているが、金庫の1本、オビのゲームの2本、ザヴィエルのゲームの1本、アディソンが終盤に見つけるゲームの1本までは確認できる。
ただ、それだと全員が助からない。
もしかすると劇中に登場しないだけで、全員分が用意されているのかもしれない。
ただ、それなら全員が時間内に自分を指名したゲームを試すことが出来るよう、上手く誘導すべきでしょ。そうじゃないと、自分宛てのゲームに挑戦できないまま、不戦敗で死んじゃう可能性もある。
それは「ジグソウのゲーム」のルールから外れているんじゃないかと。

ザヴィエルがヒントを得るために他の参加者を殺そうと次々に襲い掛かっているが、そんな風に参加者の中で殺し合いが始まるってのも、やはり「ジグソウのゲーム」のルールから外れていると言っていいだろう。
彼のゲームは「参加者に究極の選択を迫り、成功すれば命が助かる」というものだ。
しかし他の参加者によって殺されてしまったら、もはやゲームもへったくれもありゃしない。
そういう状況が起きないようにするのも、ゲームマスターとしての役目じゃないのかと。

っていうか、そもそも「装置に拘束された状態で目が覚めて、ビリー人形がゲームのルールを説明し、参加者は肉体を犠牲にしないと絶命することになる」というのが、ジグソウが仕掛ける本来のゲームだったはずで。
しかし本作品の場合、それに合致するのは冒頭シーンのマイケルだけだ。
ダニエルたちのゲームは室内に監禁されているだけで、誰一人として装置に拘束されていない。
だからザヴィエルが他の連中を襲うという展開も起きているわけだが、実は最初の段階でルールは崩れちゃってるんだよな。

最終的に、ジグソウが標的にしていたのはエリックであったことが明かされる。ダニエルたちのゲームは罠に過ぎず、エリックが地下室に誘い込まれたところでゲームが開始される運びとなる。
でも、それなら最初からエリックを拉致監禁すればいいだけのことであり、彼にダニエルを巻き込んだゲームの映像を見せる必要など全く無いのだ。
そして、エリックが標的であるならば、彼を誘い出すためにゲームを仕掛けているってのも、これまたルールが破綻していると言えよう。
ゲームが参加者に生きる意味を見出させる「目的」のためではなく、エリックを誘い出すための「手段」として開催されるってのは、完全にデタラメでしょ。

しかも、エリックをゲームに参加させるのはアマンダなのだが、その目的は自分を逮捕したことへの復讐だ。もう完全にルールから逸脱しているでしょ。
それをアマンダは「自分の最初のゲーム」と言っているんだけど、そのゲームにエリックを誘い込むための罠にはジョンも関わっているわけで。
ってことは、アマンダが勝手に私怨を晴らすゲームを進めたわけではなく、ジョンも協力していることになる。それがルール違反なのは最初から分かり切っているのに協力している時点で、ジョンも「アマンダが勝手にやったこと」という言い訳が成立しなくなる。
ようするに、ジョンのルールも破綻しているってことになるわけだ。

(観賞日:2015年7月15日)

 

*ポンコツ映画愛護協会