『サンタクローズ』:1994、アメリカ

玩具会社で開かれたクリスマス・イヴのパーティーで、社長のウィットルは今期の売り上げを飛躍的に伸ばした功労者であるスコット・カルヴィンとスーザン・ペリーを表彰した。スコットはパーティーが終わると、急いで自宅へ戻った。家の前では別れた妻のローラ、息子のチャーリー、ローラの再婚相手で精神科医のニールが待っていた。クリスマス・イヴはスコットがチャーリーを預かることになっていた。スコットは「ちょっと寄って行けば?」とローラに告げて家に招き入れ、ニールへの皮肉を並べ立てた。
スコットはチャーリーから、ニールが「サンタクロースはいない」と言っていたことを聞かされる。「そんなことを教えてんのか」と彼が憤ると、ローラは「違うのよ。意地悪な上級生からサンタはいないって言われて、チャーリーが泣いて帰って来たから、サンタは感覚的な存在で心の中にいるんだってニールが教えたの」と説明した。スコットは「何の権利があって子供の夢を壊すんだ」と口を尖らせた。チャーリーはローラと離れることを嫌がり、「明日、迎えに来るよね?」と問い掛けた。
スコットはロースト・ターキーを調理するが失敗し、チャーリーを連れて外食に出掛ける。どの店も閉まっていたので、スコットは渋るチャーリーを連れてデニーズに入った。店にはスコットと同じように、子供連れの父親たちの姿があった。まるで楽しくない夕食を終えたスコットは帰宅し、サンタの絵本を読んでチャーリーを寝かし付けようとする。チャーリーがサンタについて矢継ぎ早に質問して来ると、彼は適当に答えた。スコットは「サンタを信じている」と口では言っているが、実際は全く信じていなかった。
チャーリーは夜中に屋根の上から物音がするのを聞いてスコットの元へ行き、「サンタかもしれない」と告げた。スコットが下着姿のまま外に出て屋根を見上げると、サンタの格好をした男が煙突の近くにいた。スコットが大声で呼び掛けると、驚いた男は足を滑らせて転落した。そこへチャーリーが出て来て「本物のサンタだ」と言うので、スコットは「違うよ」と否定した。彼は気絶して動かない男に歩み寄り、上着の胸ポケットに入っているカードを見つけた。カードには「サンタクロース 連絡先:北極」とだけ記されていた。
スコットがカードを裏返すと、「何かあった時は私の服を着るように。どういうことなのかはトナカイが知っている」と記されていた。彼が屋根を見上げると、ソリを曳く数頭のトナカイの姿があった。視線を地上に戻すと、男はサンタの服だけを残して姿を消していた。絵本に書かれていた梯子が出現したので、チャーリーは屋根に登った。スコットはサンタ服を抱えて屋根に登り、ソリに乗っているチャーリーに「下りよう。さあ、行くよ」と声を掛けた。するとトナカイたちは出発し、ソリは空を飛んだ。
トナカイたちは空を移動し、どこかの家の屋根に着陸した。「どういうつもりなんだ?」と苛立つスコットに、チャーリーは「袋を担いでサンタの服を着て、煙突を下りて行くんだよ」と告げる。スコットが相手にせず、「早く逃げよう。バカな話だよ」と言うと、チャーリーは「僕の言うことは全てバカな話なの?」と悲しそうに尋ねた。スコットは「そういう意味じゃないんだ」と否定した後、寒さを凌ぐためにサンタの服を着た。彼が袋の紐を持つと体が浮き上がり、煙突に吸い込まれた。
暖炉から家の中に下りたスコットは、プレゼントを床に置いた。番犬が現れて吠えたので、スコットは慌てて暖炉に逃げ込む。すると彼の体は吸い上げられ、煙突から屋根に出た。ソリに戻ったスコットが袋を確かめると、空っぽだったはずなのに新たなプレゼントが入っていた。トナカイが出発し、向かいの家の屋根に停まった。その家には煙突が無かったが、スコットが袋の紐を持つと、暖房の排気口から室内へと吸い込まれた。その時だけ室内に暖炉が出現し、スコットはプレゼントを置いた。
スコットが複数の家にプレゼントを配ると、夜明けが訪れた。彼はチャーリーを連れて家に戻ろうとするが、ソリは北極に降り立った。トナカイたちが去ったところに少年が現れ、雪の中からポールを出現させた。少年がポールの操作ボタンを押すと、地面に昇降装置が出現してソリは迫り下げられた。地下には大きな施設があり、たくさんの子供たちが作業に忙しくしていた。スコットが近くに来た少年に「ここの責任者は?」と尋ねると、「貴方です」という答えが返って来た。そこにいる子供たちは、みんな妖精だった。
一番の年長者であるバーナードが、スコットとチャーリーの元に現れた。彼はチャーリーにスノードームをプレゼントし、「大事に持っていて。いつか役に立つから」と告げた。彼は2人を工房へ連れて行き、スコットに「カードを読んだでしょ?服を着たら契約を結んだことになるんです」と述べた。改めてカードを見せられたスコットは、模様に見せ掛けた細かい文字で「この服を着てソリに乗った者は、理由の如何を問わずサンタとなり、その責任と義務を継承する。万一の事故などにより義務の遂行が不可能になる時点まで、契約は継続する」と書かれているのを知った。
「いつ出られる?」とスコットが訊くと、バーナードは「明日の朝に。それから11ヶ月を費やして準備し、感謝祭には戻って来る。リストは貴方の家に送るので、いい子にはPのマークを付けておいて」と告げた。バーナードは妖精のジュディーに案内を指示し、スコットとチャーリーは寝室に入った。翌朝、スコットが目を覚ますと自宅にいた。しかし、着ていたのは北極で渡されたパジャマだった。
ローラが迎えに来ると、チャーリーは昨夜の出来事を興奮した様子で話す。もちろんローラは実際にあった出来事とは思わず、訝しげな様子でスコットに「御伽噺でもしたの?」と尋ねる。スコットは「不思議な夢を見たんだよ」と説明した。チャーリーはニールにも昨夜の出来事を話すが、やはり信じてもらえなかった。スコットが「あれは全て夢なんだ」と言っても、チャーリーは受け入れなかった。
保護者が参加する小学校の授業で、チャーリーは「パパはサンタだ」と発表した。スコットは校長に呼ばれ、父親がサンタでないことをチャーリーに話すよう注意された。スコットが「あれは夢なんだ」と告げても、チャーリーは「パパはサンタだ」と考えを変えなかった。チャーリーが自宅でトナカイのソリを曳く練習をしている様子を目にしたローラは、心配になった。ニールが論理的にサンタの存在を否定しようとしても、実際にサンタやトナカイのソリを見ているチャーリーは、真っ向から反発した。
スコットはローラに呼ばれ、チャーリーを説得しようとする。チャーリーが主張を曲げないので、スコットは「他の人に話しても信じてもらえないから、2人だけの秘密にしておこう」と持ち掛けた。次の朝、スコットが目を覚ますと体が急に太っており、口の周りには白いヒゲが生えていた。ヒゲを剃ったスコットが出勤して会議の場へ行くと、体型の急激な変化に同僚たちは戸惑った。昼食の時、スコットは複数のデザートを注文してペロリとたいらげ、同僚たちは呆れた。
同僚の1人が新製品のプレゼンに立ち、サンタが登場するTVスポットについて説明を始めた。妖精が年寄りだったり、サンタが戦車に乗って街へ来たりという内容に対し、スコットは一つ一つ否定した。饒舌に喋り続けるスコットを、ウィットルは会議室の外へ呼び出した。ウィットルが「いつもと違うぞ。その太った体もそうだし、落ち着きが無い。どうしたんだ?」と訊くと、スコットは「自分でも良く分からないんですよ」と答えた。
スコットはウィットルから「医者かカウンセラーに相談しろ」と指示され、病院へ出向いた。しかし検査を受けても、健康状態には何の問題も無かった。スコットの体はますます太り、ヒゲも濃くなる一方だった。また、髪もヒゲも色がグレーに変化していた。そんな彼の姿を見たローラとニールは、わざとサンタに似せているのだと感じ、チャーリーから遠ざけないと危険だと考える。ローラから不安を吐露されたニールは判事に申し立てを行い、スコットはチャーリーとの面会を禁じられてしまう…。

監督はジョン・パスキン、脚本はレオ・ベンヴェヌーティー&スティーヴ・ルドニック、製作はブライアン・ライリー&ジェフリー・シルヴァー&ロバート・ニューメイヤー、共同製作はウィリアム・W・ウィルソン三世&キャロライン・バロン、製作協力はジェニファー・ビリングス&スーザン・E・ノヴィック、製作総指揮はリチャード・ベイカー&リック・メッシーナ&ジェームズ・ミラー、撮影はウォルト・ロイド、編集はラリー・ボック、美術はキャロル・スピアー、衣装はキャロル・ラムジー、音楽はマイケル・コンヴァーティノ。
出演はティム・アレン、ジャッジ・ラインホールド、ウェンディー・クルーソン、ピーター・ボイル、エリック・ロイド、デヴィッド・クラムホルツ、ラリー・ブランデンバーグ、メアリー・グロス、ペイジ・タマダ、ジュディス・スコット、ジェイン・イーストウッド、メリッサ・キング、ブラッドリー・ウェントワース、アズーラ・ベイツ、ジョシュア・サトク、ザック・マクレモア、ジョイス・ガイ、リンゼイ・ルピエン、アレクサンドラ・ペトロッキ、ジェシー・コリンズ、デヴィッド・ポール・グローヴ、スティーヴ・ヴィノヴィッチ、エイミー・マッキンタイア他。


1991年から放送が開始されたシットコム『Home Improvement』の主演で人気者になったティム・アレンの映画初主演作(映画デビューとなっているデータもあるが、映画デビューは1988年の『Tropical Snow』)。
監督は同番組の製作と演出を担当していたジョン・パスキンで、これが映画デビュー。
スコットをティム・アレン、ニールをジャッジ・ラインホールド、ローラをウェンディー・クルーソン、ウィットルをピーター・ボイル、チャーリーをエリック・ロイド、バーナードをデヴィッド・クラムホルツ、ジュディーをペイジ・タマダが演じている。
『サンタクローズ』という表記は、決して間違いではない。原題は『The Santa Clause』(Santa “Claus”ではない)で、「Clause」は契約条項のことだ。
っていうか、そもそも「Santa “Claus”」だとしても、正しい発音は「サンタクローズ」であって、「サンタクロース」という日本での表記が違っているのだ。

冒頭、スコットは表彰の挨拶で「我が社は利益のことだけを考えてオモチャを作っているわけではないですよね。いつでも家族を考えています」と話す。
それがサラッと流され、ジョークの一環のように扱われているのは上手くない。
そこからスコットが急いでローラたちの元へ行き、「そういう挨拶をしたスコットの家庭は壊れている」という見せ方をするんだから、その挨拶で家族の重要性について語る部分は、彼が家庭を大切にしているように感じさせた方が効果的なはずだ。
そういう風には感じられなかった。

ソリが発進した後、チャーリーがスコットにサンタの仕事をさせようとするのは不自然だ。
サンタの存在を信じていても、「スコットが本物のサンタだ」と思っているわけではないんだし。
屋根から落下したサンタが姿を消して、ソリが知らない家の屋根に到着したからって、なぜサンタの服を着て煙突から入るよう促すのか、ちょっと理解に苦しむ。
そうじゃなくて、そこは「スコットが寒さを凌ぐためにサンタの服を着て、何が入っているのか調べるために袋の紐を掴んだら体が浮かんで煙突に吸い込まれる」という形にでもしておけば良かったのではないか。

それと、スコットはサンタの存在を信じたわけでもなければ、自分がサンタの仕事をやることを受け入れたわけでもないのに、煙突から入った家で、すぐに袋からプレゼントを出し、それを置くってのも不自然。
そこに何の迷いも見られないんだよな。
その後も普通に複数の家を巡ってプレゼントを配っているんだけど、自分がサンタだと思っているわけでもないのに、なぜ他人の家に入ってプレゼントを置いてくる作業をキッチリと遂行しているのか、その感覚が良く分からん。

その辺りは、「トナカイに全ての説明を委ねる」という設定にしてあることがマズいんだよな。
前任者が消える前に軽く説明するとか、ソリにマニュアルか何かが置いてあるとか、そういう形にしておいた方がスムーズに事が運んだだろう。
そこで説明しないのは「スコットが北極に行ってから、初めてサンタ契約について説明を受けるという展開にしたい」という事情があるからなんだろう。
だけど、サンタの代役をスコットが託されるということに関してはとりあえず先に明示しておいて、詳しい説明は北極に移動してから行われる、ということでも良かったんじゃないかと。

この映画を見て最初に思ったのは、「これって、どういう観客層に向けて作られているんだろう」ってことだ。
ディズニー映画だし、サンタクロースが主人公だし、たぶん子供向け映画、ファミリー向け映画だろうとは思うのだ。
しかし、それにしては、とても子供向けとは思えないような内容に仕上がっている。
それはサンタクロースに関する子供の幻想を平気で打ち砕くような内容だからだ。

この映画は、「サンタクロースなんて存在しない」という内容を描いているわけではない。
しかし、サンタクロースの正体に関しては、「強引な契約のせいで渋々ながら任務を遂行することになった普通のオッサン」という設定だ。
これが「本物のサンタクロースはいるけど、たまたま一時的に普通のオッサンが代役を務める。もしくは手伝いをする」とか、そういうことなら別にいいと思うのだ。
しかし、この映画では、そのオッサン以外にサンタクロースは存在しないことになっているのだ。

ってことは、この映画を見た幼い子供たちは、「クリスマスの夜に自分の家へプレゼントを届けてくれるのは、バツイチのオッサン」と解釈することになる。
それはマズいでしょ。仮に親子で一緒に観賞したとして、親は子供にどう言って説明すればいいのよ。
しかも、冒頭で落下するサンタ姿の男も「スコットの前に契約を交わしていた普通のオッサン」という設定だから、ずっと前からサンタクロースは普通のオッサンがやっていたってことになるし。
あと、そのオッサン、姿が消えちゃうけど、どうなったんだよ。死んだのか。

序盤に「スコットとチャーリーがトナカイのソリで空を飛ぶ」というシーンを用意しているのは、構成としていかがなものかと。
それって、クライマックスに配置してもいいんじゃないかと思うようなシーンでしょ。
例えば、「前任のサンタは最後の配達先がチャーリーで、そこで転落事故を起こしたのでスコットが後任になり、翌年のクリスマスのために作業をすることになる」という入り方にして、スコットがソリで空を飛んでプレゼントを配るのは翌年のクリスマスが初めてってことにしても良かったんじゃないかと。
もしも序盤にソリで空を飛ぶシーンを用意するにしても、それはスコットだけにして、チャーリーは翌年に初めて乗る形にした方がいいんじゃないかと。

北極でバーナードと会ったスコットは、カードに契約条項が書かれていることを知らされるが、それは模様のように描かれた非常に細かい文字だ。
それは笑いのネタとしてやっているんだろうけど、単純に「それはダメだろ」と思うだけだ。
そんな詐欺まがいの契約で縛り付け、嫌がっている人に無理強いして仕事をさせているのがサンタクロースの実態ってさ、そんな夢の無い話を子供に見せるのか。
これが例えば、「かつてはサンタクロースを志願する愛や慈善に溢れた大人たちが大勢いたが、原題では自分のことしか考えられない大人ばかりになってしまったため、仕方なく卑怯な手口で契約を結ばせている」という設定で、「スコットもそういう大人だったが、子供たちの笑顔に充実感を覚え、サンタとして働くことに前向きな気持ちが芽生える」という展開に繋げているなら、まだ分からないでもないが、そうじゃないしね。

スコットが北極から戻っても、来年のクリスマスに向けての行動が開始されるわけではない。誰かが来てサンタの仕事をこなすよう要求するとか、何かしらの手紙なりメッセージなりが届いてプレッシャーを掛けるとか、そういうことも無い。
そもそも、大半の作業は北極の妖精たちがやっており、スコットが担当するのはリスト作成だけ。そのリスト作成作業にしても、ほんの少し描かれて終わりだ。
で、来年に向けての作業が行われない代わりに、「自分の体験を信じているチャーリーをスコットが説得する」という作業が、しばらく続く。
だけど、そこはストーリー進行が停滞しているという印象になっちゃうんだよね。だって、スコットがサンタ契約を結び、実際に北極へ行っているわけだから。
チャーリーの話している出来事が事実ってのは、観客もスコットも分かっている。だから、モタモタせずに、スコットに「やはり本当だった」と気付かせて、さっさと次のステップに移行してほしいと思ってしまう。

「スコットが自分の承知しない状態でサンタ契約を結ばされた」ということで話が動き始めるのであれば、どう考えたって「最初はサンタの仕事を拒否したり、嫌々ながらサンタの仕事をやったりしていたスコットが、次第にサンタとしての喜びや充実感を抱くようになり、全力で取り組むようになる」という筋書きにすべきだろう。
ところが、この映画では、スコットは時間経過と共に少しずつ体が変化し、それと共にサンタクロースとしての精神状態に変えられていくのだ。
つまり、彼は自らの意思でサンタとして生きることを選ぶのではなく、洗脳されているのだ。
それはダメだろ。

「少しずつ体が変化し」と書いたけど、実際は「ある朝、目が覚めると急に太っていて濃いヒゲが生えている」という形だ。少しずつの変化ではない。
それはいいとしても、その変化が起きるのは北極から戻った次の朝じゃなくて、数日が経過してからなので、中途半端に感じる。
それと、出社したスコットがデザートをたくさん頼んで美味しそうに食べるのは、描写として変だ。
起きたら急に太っていたんでしょ。食事の分量が増えて太ったわけじゃないでしょ。
体型の急激な変化が起きた後で、「甘い物が欲しくなる」というのを描いても意味が無い。それを描くなら、「甘い物や食事の量が増えて、だんだん太って行く」という見せ方をすべきでしょ。

スコットは離婚しており、息子は妻&妻の新しい夫の元で暮らしている。
つまりスコットは家庭を失っているのだが、そこを「彼が契約でサンタになってしまう」というプロットと組み合わせるのであれば、最終的には「スコットがサンタになることで、家族の絆を取り戻す」というところへ着地するのが筋ってモンだろう。
ただし妻は再婚して幸せに暮らしているので、ヨリを戻させるってのはよろしくない。
そうなると、「サンタになったことでスコットと息子の絆が深まる」という展開にすべきではないだろうか。

ところが、この映画では、そもそもスコットとチャーリーは仲良くしている。
そして、もう前半の時点でチャーリーはスコットがサンタになったことを知っており、それを喜んでいる。
「息子との関係がギクシャクしていたスコットだが、サンタになったことで仲良くなる」とか、「サンタを信じていなかったチャーリーだが、スコットがサンタとして頑張る様子を見て気持ちが変化する」とか、そういう展開は無いのである。
スコットがサンタになることは、息子との関係性に大きな影響を与えていない。

スコットがサンタになることで顕著な変化がみられるのは、ローラとニールだ。
最初は2人とも、スコットがサンタになったことを信じておらず、彼の親権を剥奪してチャーリーと会わせないようにする。そしてスコットがチャーリーと一緒にプレゼントを配っていると、警察に通報して逮捕させる。しかしスコットが本当にサンタだと分かり、2人は子供の頃の純粋な気持ちを取り戻す。
でもね、そいつらが子供の頃の気持ちを取り戻しても、「だから何なのか?」ってことでしょ。
2人がスコットを見直して、それだけなのかと。スコットが手に入れるのは、そんなモノだけなのかと。
そんで結局、スコットは北極へ行ってしまうので、チャーリーとは会えなくなるし。

それまでチャーリーがどれだけ「パパはサンタだ。僕とパパは北極へ行った」と話しても、ローラとニールは全く信じず、サンタの存在を否定してきた。そんな2人が、スコットが本物のサンタであることを知って、チャーリーとの関係も修復される。
だから、この話が最終的に、ローラ、ニール、チャーリーの「家族の絆」という部分で着地していると言えないこともない。
ただし、スコットがサンタになる以前の3人の関係がどうだったのかというと、上手くやっていたのだ。決してギクシャクしていたわけ ではない。
スコットがサンタになったことで関係がギクシャクして、でも修復されて、という流れだから、ただのマッチポンプに過ぎないのだ。
そうじゃなくて、そこは絶対にスコットを中心とする「家族の絆」の物語として構築すべきだったと思うのよ。

(観賞日:2013年11月28日)

 

*ポンコツ映画愛護協会