『サハラ 死の砂漠を脱出せよ』:2005、アメリカ&イギリス&スペイン&ドイツ

ナイジェリアのラゴス。WHO(世界保健機関)のエヴァ・ロハス博士とフランク・ホッパー教授は、疫病の流行する村へやって来た。 感染した男の母親によると、マリから戻った後に症状が発生したという。同様の例が既に5件も起きており、エヴァは伝染病だ確信した。 感染源を突き止めるためにはマリへ行く必要があるが、内戦中のためにWHOの許可を取るのは困難だ。
男と一緒に感染した父親を尋ねるため、エヴァは彼が働く灯台へ赴いたが、既に死んでいた。灯台を立ち去ろうとしたエヴァは複数の男たち に襲撃されるが、海にいたダーク・ピットという男に救われ、気を失った。エヴァが意識を取り戻すと、そこはNGO組織であるNUMA (国立海中海洋機関)の探査船だった。ダークは仲間のアルやルディーと共に、772年前の王の棺を海底から引き揚げた。エヴァは、 NUMAを率いるサンデッカー提督と対面した。
夜、ラゴス博物館では棺のお披露目パーティーが開かれた。会場には今回のプロジェクトの支援者である実業家イヴ・マサードも来ている。 サンデッカーは、エヴァとフランクをマサードに引き合わせた。マサードはマリでもビジネスを手掛けている。エヴァはマサードに、調査 チームを送るための協力を要請するが、カジーム将軍が支配する現在のマリは外国人には危険だと言われる。
ダークはパーティーに出席せず、情報屋オショディーに会っていた。南北戦争時代に莫大な財室と共に沈んだと伝えられている装甲艦 テキサスの情報を得るためだ。サンデッカーの元へ戻ったダークは、入手した金貨を見せた。それは、テキサスの艦長が所持していたと される南軍製造の金貨だ。ダークはサンデッカーに、彼のボート“カリオペ号”を使って調査させて欲しいと申し出た。サンデッカーは 3日間の期限を指定し、ダークとアル、ルディーの3人による調査を許可した。
ダークたちが船着き場へ赴くと、そこにはエヴァとフランクが待っていた。マリまで乗せていってほしいと頼まれたダークは、承諾して ニジェール川を移動した。マリのラベザンガでエヴァとフランクを降ろした後、ダークはテキサスに関する情報を古文書で調べた。再び ボートに戻ったダークは、アルとルディーと共にソナーで川を探索する。マサードはマリの首都バマコでカジームに会い、賄賂を渡す。 マサードはカジームに、WHOのエヴァ達が来ていることを報告した。
ダークたちが停泊していると、そこへ民間監視局のボートが近付き、臨検すると言って来た。「女の医者はどこだ」と問われたダークは、 それが通常の臨検ではないと気付いた。ダークたちはボートを急発進させるが、監視局の連中も追跡してきた。ダーク達は川に飛び込んで ボートを爆破し、追跡を逃れた。ダークはルディーにサンデッカーへの報告を任せ、自分はアルと共にエヴァとフランクのいるアッセラー へ向かうことにした。
アッセラーに到着したエヴァとフランクは、大勢の死者に遭遇した。封鎖された井戸を発見したエヴァは、水が疫病の原因だと気付いた。 調査のためにエヴァが井戸の底へと下りた直後、カジームの一味が現われた。彼らは調査チームを射殺し、エヴァを探し始めた。そこへ ダークとアルが駆け付け、一味と戦闘になる。井戸から上がったエヴァも戦いに加わり、3人は現場から脱出した。ダークたちは反政府 部族のトゥアレグ族に出会い、彼らの村へ連行された。井戸で採取した水を調べたエヴァは、病気の原因が毒だと知った。
サンデッカーはCIAの親友カールに会い、ダークたちを助け出す協力を要請した。子供たちと遊んでいたアルはサッカーボールを追い掛け、 偶然にも洞に描かれたテキサスの壁画を発見した。それを見たダークは、かつて川が流れていた砂漠にテキサスが埋もれていると確信する。 さらに彼は、地下水脈を通じて毒が広まっており、テキサスを探し出せば川が見つかり、感染源を辿れると考えた。
マサードの太陽光発電所を発見したダークたちは、調査のため潜入した。彼らは処理されず地下に保管された廃棄物を発見し、そこから毒が 地下水脈に染み込んでいることに気付いた。3人は応援を呼ぶため発電所を出ようとするが、マサードの一味に捕まってしまう。マサード はエヴァを監禁し、ダークとアルをカジームの元へ送る。移送の途中で脱出したダークとアルは、トゥアレグ族の首長モディボの協力を 得て発電所に乗り込んだ。だが、マサードはヘリで脱出し、証拠隠滅のために施設を爆破しようと企んでいた…。

監督はブレック・アイズナー、原作はクライヴ・カッスラー、脚本はトーマス・ディーン・ドネリー&ジョシュア・オッペンハイマー& ジョン・C・リチャーズ&ジェームズ・V・ハート、製作はステファニー・オースティン&ハワード・ボールドウィン&カレン・ ボールドウィン&メイス・ニューフェルド、製作総指揮はヴィッキー・ディー・ロック&ガス・ガストーズ&ウィリアム・J・イマーマン &マシュー・マコノヒー、撮影はシーマス・マッガーヴェイ、編集はアンドリュー・マックリッチー、美術はアラン・キャメロン、衣装は アンナ・シェパード、音楽はクリント・マンセル。
出演はマシュー・マコノヒー、ペネロペ・クルス、スティーヴ・ザーン、ウィリアム・H・メイシー、ランベール・ウィルソン、デルロイ ・リンド、レニー・ジェームズ、レイン・ウィルソン、グリン・ターマン、ポーリン・F・フォドゥープ、クリント・ダイヤー、 パトリック・マラハイド、ロバート・カヴァナー、アブドゥル・サリス、エディー・オセイ他。


クライブ・カッスラーの冒険小説“ダーク・ピット”シリーズ第11作「死のサハラを脱出せよ」を基にした作品。
ダークをマシュー・マコノヒー、エヴァをペネロペ・クルス、アルをスティーヴ・ザーン、サンデッカーをウィリアム・H・メイシー、 マサードをランベール・ウィルソン、カールをデルロイ・リンド、カジームをレニー・ジェームズ、ルディーをレイン・ウィルソン、 フランクをグリン・ターマン、モディボをポーリン・F・フォドゥープ、オショディーをクリント・ダイヤーが演じている。
監督は、当時のディズニーの会長だったマイケル・アイズナーの息子ブレック・アイズナー。テレビ作品は何本も手掛けているが、 劇場映画は初めて。

かつて“ダーク・ピット”シリーズは、「タイタニックを引き揚げろ」が『レイズ・ザ・タイタニック』として映画化されている。
だが出来映えに納得できなかったクライブ・カッスラーは、それ以降、同シリーズを映画化する企画を断ってきた。
今回は25年ぶりの映画化となったわけだが、この映画の出来映えを見る限り、再び凍結期間に突入しそうな気がしてならない。

かなりのお気楽ご気楽モードで全体を包んでいる。
マシュー・マコノヒーはアドベンチャー大作の主人公としては少し軽すぎるという印象を受けるが、「おバカっちなノリの映画」という ことだけを取ってみれば、合っている。
ただし軽妙なノリは意識しているが、ギャグ満載のコメディーというわけではない。「明朗快活なアドベンチャー映画」ということだ。
もちろんアドベンチャーだから様々なトラブルやピンチに見舞われるのだが、そこでさえ緊迫感を煽ることよりもお気楽モードを優先する。
ただ、それが悪いのではなく、それに見合うような小気味良いストーリーテリング、流れるようなテンポの良さに欠けていることが問題だ。
この映画に必要だったのは、見終わった後に何も残らない頭すっからかん状態でいいから、次から次へとアクションを繰り出していく ジェットコースター・ムービーとしての意識だったはずなのだ。
しかし実際には、歩みがノロい。

あと、なんかアクションがおとなしいんだよな。
それなりに派手さを出して、頑張っているとは思うよ。ただ、それをハイライト、見せ場にするってことを考えた時に、なんか普通だなあと。
主人公に超人的なアクションをさせないのなら、知恵や機転で上手く立ち回るという形での活躍を見せればいいものを、どっちも「程々」 って感じなのよね。
また、壮大なスケール感が今一つ感じられないのも厳しい。アフリカでロケした意味があるのかとさえ思うぐらいだ。

ダークのお調子者で軽薄なノリと、疫病で大勢の人々が次々に死んでいるという出来事、その様子が全く馴染まないのも痛い。
お気楽なノリで描くなら、選ぶ作品を間違えたと言わざるを得ない。
カジーム一味の無慈悲な殺人劇も、やはりダークのお気楽モードとは全く馴染まないし。
原作はそこまで軽妙なノリじゃないらしいんだが、なぜ軽いテイストにしたのかな。

物語がフラフラしているのも痛い。
ダークの行動としては、まず装甲艦を探そうとする。
兵士に襲われたので、危機を知らせるためエヴァの元へ向かう。
ここまではいいとしよう。
そこから、毒の源を探す目的と、装甲艦を探す目的を、「方向は同じ」ということで一つにまとめる強引さ。
でも「テキサスを探せば川が見つかり、毒の源が分かる」とか言っていたのに、直後に発電所で廃棄物を発見するので、何の意味も無い。
テキサスを探す展開なんて全く無いまま、毒の源を見つけてるじゃん。

ラッキーな偶然、つまり御都合主義に、あまりにも頼りすぎているのもいかがなものかと思う。
話のノリからすれば、ピンポイントでギャグ的に使うのなら効果的だし、ある程度は構わないと思うよ。
ただ、次の展開へ転がしていく時に、そればっかりじゃん。
例えば、ラッキーなことにサッカーボールを追い掛けたらテキサスを描いた壁画が見つかり、ラッキーなことにテキサスを見つければ毒の 源にも辿り着くことが判明する。
その御都合主義は、安っぽさしか感じない。
装甲艦の発見さえ、ラッキーな偶然だし。

ダークが感染源の発見という目的に辿り着くまでに、映画のほぼ半分が経過しているってのもどうなのよ。
結局、「装甲艦を探している」という設定自体が、要らなかったんじゃないのかと。ここが邪魔になっている気がしてならない。
毒の源を探したり発電所を調べたりする展開は、その目的が無くても描くことは可能だ。マサードやカジームとの戦いの構図には、装甲艦 は全く必要が無い。
そうなると、「砂漠での戦闘において装甲艦を利用する」という部分でしか、装甲艦を持ち込んだ意味は生じていないことになる。
それなら、無理して持ち込まなくてもいいだろうと思うのよ。

あと、マサードの隠蔽工作を阻止し、カジームを倒した時点で「目的達成でハッピーエンド」みたいに締め括りに入るけど、それで本当に いいのかね。
まだまだ蔓延が続く毒で死んでいる人々は大勢いるわけで、そこは放置したままなのかと。
地下水脈を何とかして毒の広がりをストップするとか、何か行動しなくていいのか、そこに関して。

(観賞日:2007年12月13日)

 

*ポンコツ映画愛護協会