『セイフ ヘイヴン』:2013、アメリカ

ボストン。ケイティー・フェルドマンは刑事のケヴィン・ティアニーに追われ、バスターミナルへ赴いた。ティアニーが必死で捜索する中、ケイティーは何とかアトランタ行きのバスで脱出した。サウスポートに到着した彼女は、船着き場の近くにある雑貨店に立ち寄った。アレックスという男が営む雑貨店で、ケイティーは他の客からの評判が悪いコーヒーを購入した。彼女は桟橋の下で野宿し、翌朝を迎えた。アイヴァンズというカフェを見つけた彼女は、オーナーのマディーに頼んで働かせてもらうことになった。一方、ティアニーは入手したバスターミナルの監視映像をチェックし、アトランタ行きのバスに乗り込むケイティーを見つけ出した。
ケイティーは森の中にある古いロッジを借り、そこで暮らすことにした。彼女が雑貨店を訪れるとアレックスは不在で、幼い娘のレクシーが店番をしていた。ケイティーが「床にペンキを塗ってキッチンを明るくしたいの。何色がいいと思う?」と相談すると、レクシーは「黄色。お日様の色よ」と告げた。そこでケイティーは、色のサンプルを用意してもらうことにした。そこへアレックスが戻り、「まだ町にいたんだ」とケイティーを見て告げた。アレックスが「ここは普通、通過するだけだ」と言うと、ケイティーは「気に入ったの」と述べた。レクシーがサンプルを持ってきて、買い物袋に入れた。
カフェで仕事をしていたケイティーは、警察署長のマリガンが来ると体を強張らせる。しかしマリガンの用件は、ケイティーとは無関係だった。ケイティーがロッジに戻ると、女性が中を覗き込んでいた。「何か?」とケイティーが声を掛けると、女性は「ごめんなさい、好奇心で。隣人なんて久しぶりだから」と釈明した。ケイティーが「近所に家は無いはずよ」と言うと、彼女は「隣と言っても離れてるの。私はジョー」と述べた。少し会話を交わした後、ジョーは「家はこの先よ。力持ちだから何でも手伝うわ」と告げて立ち去った。
ティアニーはバスターミナルへ出向き、窓口係に「アトランタから先は、どこへ行ける?」と尋ねる。しかし「アトランタは南部の中心で、どこへでも行けますよ」と言われ、ティアニーは頭を抱えた。ケイティーはペンキの色を決めて雑貨店へ赴き、アレックスに注文した。「届くのは月曜日になるかな」と告げられ、ケイティーは「電話が無いから月曜日に店へ来るわ」と言う。彼女が店を出た後、アレックスは叔父のロジャーに「いつからペンキなんて扱い出したんだ?」と訊かれて「今日からだ」と答えた。
ケイティーは店の前で絵を描いているレクシーと会話を交わし、その出来栄えを褒めた。レクシーが「あげるわ」と絵をくれたので、彼女は礼を述べた。桟橋ではレクシーの兄であるジョシュが釣りをしながら、その様子を眺めていた。ケイティーがロッジへ向かっていると、ジョーが声を掛けて来た。2人は喋りながら森へ向かい、途中で別れた。ティアニーはケイティーが暮らしていた地域で聞き込み調査を行うが、何も情報は得られなかった。ケイティーを手助けした隣人のフェルドマン夫人は、何も知らないフリをした。
ケイティーはマディーから、アレックスが癌で妻を亡くしていることを知らされた。アレックスは帰路に就くケイティーに声を掛け、注文のペンキが届いたことを知らせる。アレックスは下塗り用のペンキも渡し、「重いから送って行くよ」と申し出た。ケイティーは大丈夫と告げ、歩いて帰ろうとする。しかしペンキが重くて家まで持ち運べそうになかったので、アレックスに車で送ってもらう。アレックスがペンキを家の中まで運ぼうとすると、ケイティーは「ここでいいわ」と玄関先に置いてもらった。
夜、ケイティーは外で誰かが動ている物音を耳にした。体を強張らせていたケイティーだが、しばらくすると物音は止んだ。翌朝、彼女が外へ出ると自転車が置いてあり、駕籠にはアレックスからの手紙が入っていた。アレックスは納屋で眠っていた自転車を見つけ、彼女にプレゼントすることにしたのだ。しかしケイティーは彼に自転車を返し、「夜中に家の前をうろつかれるのは嫌。親切心でしょうけど、受け取れない」と告げた。立ち去る彼女の後ろ姿に、アレックスは「素直に礼ぐらい言うべきだ」と文句をぶつけた。
ケイティーはジョーを家に招き入れ、アレックスの行動を話した。ジョーが「他人と距離を置きたいのは分かるけど、南部では人に物を貰うのは普通のことよ」と言うと、彼女は「借りが出来る」と口にする。「大げさに考え過ぎよ」と言われたケイティーは、「過剰反応だったわ」と反省した。彼女は雑貨店へ行き、アレックスに謝罪して「素直に礼を言うべきだったわ」と述べた。しかしアレックスは冷たい態度を取り、「勝手に置いて俺が悪い。二度とやらない」と告げて客の相手に戻った。
ボートの舳先で遊んでいたジョシュが誤って海へ転落し、慌ててアレックスが飛び込んだ。ジョシュはアレックスに救われるが、すぐに「やめてよ、離せ」と拒んだ。その間、レクシーの面倒を見てくれていたケイティーに、アレックスは礼を述べた。ケイティーは彼の好意を素直に受け入れ、自転車を貰うことにした。一方、ティアニーは第一級殺人罪でケイティーの指名手配書を作成し、それはサウスポートの警察署にも届けられた。
アレックスはジョシュとレクシーを連れて、ビーチへ遊びに行くことにした。ケイティーはレクシーから誘われ、同行することになった。ビーチに到着したアレックスが集合写真を撮影しようとすると、ジョシュは早々と釣りを始める。彼が魚を釣り上げたので、アレックスは写真を撮ろうとする。しかしアレックスが用意している間に、ジョシュは魚をリリースしてしまった。「ジョシュの態度には手を焼くよ」とアレックスが愚痴ると、ケイティーは「年頃のせいだと思ってる?問題は他にあると思うけど」と述べた。アレックスは「レクシーと違って、ジョシュは母親を覚えてる。その分、乗り越えるのが難しいんだろう」と語った。
アレックスはケイティーをロッジまで送り届け、「そう言えば、床はどうなった?」と質問する。ケイティーは「見たい?」と問い掛け、アレックスは子供たちを車に残して中に入った。床板が抜けてアレックスの足がハマったので、彼はケイティーと笑い合った。「トラックに道具がある」とアレックスはいい、すぐに修理した。ティアニーはフェルドマン夫人に聞き込みを行おうとするが、冷たく拒否された。ケイティーはマディーたちに誘われ、伝統漁で魚を手に入れた。彼女アレックスに魚を渡し、「感謝の気持ちよ」と告げた。
アレックスは子供たちの世話をロジャーに頼み、ケイティーを誘ってカヌー遊びに出掛けた。突然の豪雨に見舞われたため、2人は近くのダイナーに避難した。2人は夜まで語り合い、音楽に合わせて踊った。キスしようとしたところへ、マリガンが車で迎えに来た。2人はロッジまで送ってもらい、キスを交わした。帰宅したアレックスは亡き妻の部屋に入り、彼女が子供たちの卒業式や結婚式に合わせて書き溜めておいた手紙を眺めた。ジョシュは「そこはママの部屋だ。入っちゃダメだ」と怒鳴り、アレックスへの不快感を示した。
ティアニーはケイティーの家に入り込み、そこに置かれていたメモを目にした。彼はフェルドマン夫人の郵便受けを勝手に調べ、筆跡が一致することを確認した。彼は窓を叩き、フェルドマン夫人に「騙していたな。彼女の居場所を教えろ。中に入れろ」と凄んだ。「令状を持って来たらね」とフェルドマン夫人が言うと、ティアニーは「分かった。逃げるなよ」と言い放った。ケイティーとアレックスは人前でも平気でキスする仲になり、肉体関係も持った。そんな中、警察署を訪れたアレックスは、ケイティーの手配書に気付いた…。

監督はラッセ・ハルストレム、原作はニコラス・スパークス、脚本はダナ・スティーヴンス&ゲイジ・ランスキー、製作はライアン・カヴァナー&ニコラス・スパークス&マーティー・ボーウェン&ウィク・ゴッドフリー、共同製作はケネス・ハルスバンド&アダム・フィールズ、製作総指揮はタッカー・トゥーリー&ロン・バークル&ジェイソン・コルベック&ロビー・ブレナー&シャノン・ゴールディング&トレイシー・ニーベリ、撮影はテリー・ステイシー、編集はアンドリュー・モンドシェイン、美術はカーラ・リンドストロム、衣装はリー・レヴァレット、音楽はデボラ・ルーリー、音楽監修はハッピー・ウォルターズ&ボブ・ボーウェン。
出演はジョシュ・デュアメル、ジュリアン・ハフ、コビー・スマルダーズ、デヴィッド・ライオンズ、ノア・ロマックス、ミミ・カークランド、アイリーン・ジーグラー、レッド・ウェスト、ロビン・マリンズ、リック・レイツ、マイク・ニュースキー、フアン・カルロス・ピエドライータ、ダン・ドノヴァン、カレン・モス、トーラ・ハルストロム他。


ニコラス・スパークスの同名小説を基にした作品。
監督は『HACHI 約束の犬』『砂漠でサーモン・フィッシング』のラッセ・ハルストレムで、『親愛なるきみへ』に続いて2度目のニコラス・スパークス作品となる。
脚本は『シティ・オブ・エンジェル』『ラブ・オブ・ザ・ゲーム』のダナ・スティーヴンスと、これがデビュー作となるゲイジ・ランスキー。
アレックスをジョシュ・デュアメル、ケイティーをジュリアン・ハフ、ジョーをコビー・スマルダーズ、ティアニーをデヴィッド・ライオンズ、ジョシュをノア・ロマックス、レクシーをミミ・カークランド、フェルドマン夫人をアイリーン・ジーグラー、ロジャーをレッド・ウェストが演じている。

ニコラス・スパークスは映画界では非常に人気が高く、本作品までに7作が映画化されている。
ただし『きみに読む物語』だけはニック・カサヴェテスの手腕もあって高い評価を受けたものの、それ以外の『メッセージ・イン・ア・ボトル』『ウォーク・トゥ・リメンバー』『最後の初恋』『ラスト・ソング』『親愛なるきみへ』『一枚のめぐり逢い』は全て、あまり高い評価を得られていない。
だから、もはや「ニコラス・パークス原作の映画はポンコツ」というイメージさえ出来上がっているぐらいだ。

最初にケイティーがティアニーから逃亡する様子が描かれ、「どういう事情で彼女が逃げているのか」というミステリーが示される。その後、ジョーが登場すると、「彼女は何者なのか」というミステリーが発生する。
2つのミステリーに関連性があるなら、一向に構わない。ミステリーが2つあるから必ずしもダメってわけではなくて、複数の謎を融合させる話なんてのは良くある。
だが、その2つは何の関連性も無い。だったら2つ目のミステリーは排除して、1つ目だけに限定した方が得策だろう。
っていうか、実は1つ目のミステリーも邪魔なんだけど。

普通であれば、彼女は単なる「ケイティーが新天地で知り合った友人」に留まるはずだ。っていうか、そういう風に描くべき存在なのだ。
ところがジョーは登場した時点で、「いかにも何か意味ありげ」という形になっている。単なる「ケイティーが仲良くなる同性の人物」というだけに留まらない。
それ以降も、アレックスやマディーたちとは異なり、ジョーだけは他の住民たちと全く交流しないという不自然さがある。
そういうことも含めて、違和感の強いキャラクターになっているのだ。
もちろんオチを考えれば他の住民と交流させることは絶対に不可能なわけだが、そのせいで前述した「2つのミステリーが打ち消し合う」という結果を招いては本末転倒だろう。

ケイティーのジョーに対する接し方にも、かなりの違和感がある。
彼女はアレックスがペンキを屋内へ運ぼうとした時、それさえも拒否するぐらい他人と距離を置こうとしている。それなのに、ジョーだけはあっさりと仲良くなり、簡単に家へ招き入れている。
そりゃあアレックスに関しては「男に対する恐怖心や警戒心」ってのもあるのかもしれない。ただ、最初にケイティーが話し掛けた女性はマディーであり、彼女の親切で雇ってもらったのに、そこの交流よりもジョーとの親密度の方が圧倒的に高いってのは違和感がある。
そこはオチに向けて2人を親密にさせておかなきゃいけないという事情のせいで、キャラの動かし方に無理が出ていると感じるぞ。
オチで抱かせる違和感については、ひとまず置いておくとしてさ。

ケイティーが逃亡するところで発生したミステリーには、もう少し細かく言うと、「ケイティーの居場所がティアニーに発見されるかも」というサスペンスも付随する。一方、「ジョーは何者なのか」というミステリーに関しては、ラスト近くになって明らかにされることだが、ファンタジーも含まれている。
それらとは別に、恋愛劇も用意されている。最初にアレックスが登場した時点で、もう「ケイティーと彼の間で恋愛が芽生えるんだろう」という予想が付くし、その通りになる。
恋愛劇と人間ドラマを組み合わせるとか、ミステリーと恋愛劇を組み合わせるとか、そんなのは普通に行われていることだ。複数の要素を組み合わせることは、必ずしも悪いことではない。
ただし、この映画の場合、それらが上手く融合せず、相乗効果を生まず、「多すぎて邪魔」と感じさせる結果になっている。

ケイティーが悪者じゃないことは、早い段階でバレバレになっている。彼女が握っている包丁を慌てて投げ捨て、誰かが倒れている家から逃げ出すという回想シーンを入れるなどしているものの、何のミスリードにもなっていない。
まあ「悪人かもしれない」という見せ方をすると完全にサスペンス方向へ舵を切ることになるわけで、そこじゃなくてロマンスがメインってことを考えると、間違ってはいない。
ただし、そうなるとミステリーとしての効果が薄くなるという問題は避けられない。
もちろん、ケイティーが悪党じゃないのをバレバレにしても、まだ「仕方の無い事情があって誰かを殺したんじゃないか」「警察に追われるようなことはしたんじゃないか」という問題は残っているが。

どうであれ、ケイティーの過去に関しては「心に傷を負ったヒロインが新天地の生活で癒やされ、アレックスと触れ合う中で心を解放していく」という感じで恋愛劇に連動させていく。
だけど、「ティアニーが追っている」という要素は邪魔でしかない。
サスペンスとロマンスが、どんな時でも融合しないわけではない。
ただし本作品の場合、サスペンスに対してロマンスの方が圧倒的に配合が多いので、「もう警察は要らないでしょ」と思ってしまうのよ。

そもそも、ティアニーが悪人ってのがバレバレになっているのも厳しい。
1人でケイティーの手配書を作成しているから、「殺人罪は彼の捏造なんじゃないか」ってのが何となく推測できるし。聞き込み捜査にしても、2人1組じゃなくて単独行動だしね。
彼が正式な捜査じゃなくて個人的な情念で動いているってのは、もう早い段階から見えちゃうわけで。後半に入ると、それは断言できるぐらいになっちゃうわけで。
だからミステリーとしての仕掛けを放棄しているとしか思えず、だったら要らないでしょ、と言いたくなる。

とどのつまり、この映画が描きたいのはケイティーとアレックスのロマンスだ。ようするに、いつものニコラス・パークス作品だ。
だから他の要素は、そこに厚みや広がりを持たせるためのモノであるべきなのだ。
ところが実際には、むしろ余計な飾り付けになっている。全く噛み合っていないので、「だったら排除した方がいいのに」と思ってしまう。
「ミスマッチの妙」ってのがあるわけでもないしね。

アレックスが深夜の内に自転車をロッジの前へ置いて去るのは、ケイティーじゃなくても怖いよ。彼女がカフェで働いているのも、帰る 時に雑貨店の前を通るのも分かっているんだから、その時に声を掛けて「余ってる自転車があるんだけど、良かったら使わないか」と 言えば済むことでしょ。
そりゃあサプライズしたかったんだろうけどさ、大きな物音はするし、そりゃ怖いよ。自転車を返されると彼は「人の好意には礼を言うべきだ」と怒っているけど、これに関してはケイティーが正しいぞ。
ジョーは「南部では物を貰うのは普通」と言っているけど、ケイティーが嫌がったのはプレゼントされたことじゃなくて、夜中にロッジの外へ密かに自転車を置いた行為なのよ。やり方が怖いってことなのよ。
それに、ジョーは「下心は無いんだから」と言うけど、いやいや、明らかに下心があるっての。
そんでアレックスはケイティーが詫び入れて「素直に礼を言うべきだったわ」と言うと、すんげえ冷たい態度を取るんだけど、チンケな男だなあと思ってしまうし。

ジョシュはアレックスに救助されたのに「やめてよ、離せ」と拒絶するので父親を嫌っているのかと思ったら、ビーチへ出掛けるシーンでは普通に喋っているのよね。
ところがビーチに到着すると、集合写真の撮影を拒んでいる。
反抗期ってのを描きたいのかもしれないけど、どうもフワフワした感じになっている。
ジョシュがアレックスに対して嫌悪感を抱いている設定があるのなら、ビーチへ出掛けるシーンで普通に会話を交わすのは描かない方がいいでしょ。何の得も無いぞ。

映画はクライマックスに突入する前に、「アレックスとケイティーが喧嘩別れして、でも仲直りしました」ってことで、恋愛劇が最終地点へ着地してしまう。
そしてクライマックスには、「ティアニーがケイティーの居場所を突き止めて乗り込んでくる」というサスペンスを用意する。
せめてサスペンスと恋愛劇を絡ませる形でクライマックスを構築するならともかく、その前に恋愛劇はゴールしちゃってるもんだから、その後のサスペンスは蛇足にしか思えない。

そんなサスペンスを片付けた後、エピローグへ移行するのではなく、また本作品には新たな展開が残っている。前述した「ジョーの正体」についての答えが明かされる展開だ。
「他の住民たちとの交流がゼロ」って時点で、何となく予想できた人もいるかもしれない。
ネタバレを書いてしまうと、ジョーの正体は幽霊だ。で、本作品で幽霊として登場するような存在と言えば、アレックスの死んだ奥さんだ。彼女はアレックスの新しい奥さん候補と見込んでケイティーに接触し、助言を送って見守っていたわけだ。
でも、そのファンタジーには何の感動も無く、ただ苦笑させられるだけだ。

ここまでは文句ばかり書いて来たが、救いようの無い駄作というわけではなくて、この映画には大きな見所がある。
それは、「レクシーが可愛い」ってことだ。
歯並びは悪いし、決して典型的な美人顔ってわけではないのだが、その喋り方や仕草、表情などがハンパなく可愛い。
女から母性、男から父性を、ロリコンなら幼児趣味をたまらなく刺激されること請け合いだ(3つ目はヤバいヤツだけど)。
この映画は他の部分の低調さもあって、そこだけがダントツに魅力的な要素となっている。

ただし皮肉なことに、レクシーだけがズバ抜けて魅力的な存在になっているせいで、「ケイティーとアレックスがレクシーを通じて親密になっていく」という恋愛劇の部分だけに絞って欲しいと思ってしまう。
他の要素を全て排除して、そこだけに絞って欲しい。どうせ半端な存在になっているから、ジョシュも要らん。
っていうか、もっと言っちゃうと「アレックスとレクシーの親子関係」だけでもいいぐらいなんだけどね。
そうなると、もはや全くの別物になってしまうけど。
ってことは、肝心なトコはちっとも魅力的じゃないわけだよ。

(観賞日:2015年8月16日)

 

*ポンコツ映画愛護協会