『ジェット・ローラー・コースター』:1977、アメリカ

オーシャン・ヴュー遊園地のローラーコースターに、1人の青年が小型爆弾を仕掛けて、爆発させた。コースターは脱線事故を起こし、犠牲者が出た。コースターの検査を担当していた安全基準局のハリー・コールダーは、上司サイモンから調査を命じられる。
数日後、青年はピッツバーグの遊園地に現れ、ローラーコースターではボヤ騒ぎが起きた。2つの事故に関連があると考えたハリーは、シカゴのホテルに遊園地のオーナー達が集まると聞き、面会に出掛けた。そこでハリーは、犯人からの脅迫テープを聞く。100万ドルを支払わねば、他の遊園地にも爆弾を仕掛けるというのだ。
ハリーはFBIに連絡し、対応を任せることにした。そんなハリーやオーナー達の会話を、犯人は盗聴機で聞いていた。犯人はFBIのホイットに対して、金の引き渡し役をハリーにするよう要求した。嫌がるハリーだが、結局は引き受けることになった。
ハリーは指定された遊園地に行き、無線機で犯人の指示を受ける。犯人はFBIにもハリーにも姿を見せず、金の入ったトランクを受け取ることに成功する。だが、紙幣に暗号が入っていることに気付いた犯人はハリーに電話を掛け、新たな爆破事件を起こすと告げる。ハリーは、犯人がマジック・マウンテンのコースターを狙うと確信する…。

監督はジェームズ・ゴールドストーン、原案&製作協力はトミー・クック、原案はサンフォード・シェルドン&リチャード・レヴィンソン&ウィリアム・リンク、脚本はリチャード・レヴィンソン&ウィリアム・リンク、製作はジェニングス・ラング、撮影はデヴィッド・M・ウォルシュ、編集はエドワード・A・ビアリー&リチャード・スプラグ、美術はヘンリー・バムステッド、衣装はバートン・ミラー、音楽はラロ・シフリン。
出演はジョージ・シーガル、リチャード・ウィドマーク、ティモシー・ボトムズ、ヘンリー・フォンダ、ハリー・ガーディノ、スーザン・ストラスバーグ、ヘレン・ハント、ドロシー・トリスタン、ハリー・デイヴィス、スティーヴン・パールマン、ジェラルド・ロウ、ウェイン・ティペット、マイケル・ベル、チャーリー・ツナ、ロニー・スティーヴンス、トム・ベイカー、アヴァ・リーディー他。


『大地震』『エアポート'75』のジェニングス・ラングが製作した作品。ハリーをジョージ・シーガル、ホイットをリチャード・ウィドマーク、犯人をティモシー・ボトムズ、サイモンをヘンリー・フォンダ、ハリーの娘をヘレン・ハントが演じている(これが映画デヴュー)。
また、アンクレジットだが、スティーヴ・グッテンバーグが捜査官の1人として出演している。ほんの少ししか映らないが、たぶん分かると思う。終盤の遊園地のシーン、ハリーやホイット達の集まっている部屋にドアから入ってくる若い捜査官が彼である。

この作品が公開された時の最大の売りは、何と言ってもセンサラウンド方式であった。センサラウンドとはユニヴァーサル映画が開発した音響システムで、劇場に設置した大型スピーカーから発する超低周波で空気を振動させ、観客に臨場感を与えるのだ。
さて、この映画では、序盤にあるローラーコースターの事故シーンで、そのセンサラウンドが使われている。のっけから使うのだから、観客は「次はいつ、どこで?」と期待するだろう。
しかし、それ以降、最後までセンサラウンドは使われない。つまり、センサラウンド方式が使われるのは、最初の1シーンだけなのだ。
何しろ大きな事故や爆発が一度も無いのだから、使えないのも当然だ。だからパニック映画として見た場合、完全に頭でっかち尻すぼみという状態になっているのである。

しかし、ジェニングス・ラングが製作していることもあってパニック映画と考えがちだが、少なくとも脚本家はパニック映画とは考えていなかったと思う。そうではなくて、サスペンス映画と見るのが適切なのだろう。考えてみれば、最初のシーンの「爆弾があるのを見せておき、事故が起きるぞ、起きるぞ」と盛り上げるのはサスペンスのやり方だ。
この映画の脚本を書いたリチャード・レヴィンソン&ウィリアム・リンクは、刑事コロンボの原作者だ。パニック映画よりは、サスペンスの人達だろう。最初に犯人の正体を観客に知らせておき、犯行シーンも見せてしまうというのは、コロンボと同じパターンだ。

サスペンス映画だと考えると、最初のローラーコーター事故を除けば、派手な爆発&事故も大きなパニックも無いという内容には納得がいく。それよりも、ハリー&FBIと犯人の息詰まる攻防戦、ジリジリとした緊迫感を見せようとしているのだろう。
しかし、サスペンス映画として考えた場合、最初のセンサラウンドは、完全にバランスを壊しているということになる。そこでセンサウランドを使うことが、観客に「これはパニック映画だ」と思わせてしまう大きな要因にもなっているのだし。
これは邪推だが、ひょっとすると、ジェニングス・ラングは、センサラウンドを持て余していたのではないだろうか。『大地震』で使ったものの、他に使える映画は数少ない。そこで、この映画でムリに使ったのではないだろうか。
そんな気がしてならない。

ところで、サスペンス映画として見た場合は面白いのかと問われると、残念ながら、そうでもない。ハリーは遊園地で犯人に指示されて色んな乗り物に乗ったりするが、その1つ1つに意味があるわけではない。ようするに、ただの時間稼ぎである。
そこに辿り着くまでのタイムリミットがあるとか、難しいアトラクションに挑戦させられて、それをクリアしないと爆発させると脅されるとか、そういうサスペンスも無い。犯人の頭脳プレーでFBIが「そこに犯人がいるのでは」と思い込むという展開はあるが、観客は犯人の正体も行動も見せられているので、そこに犯人がいないことを知っているし。

ハリーが「犯人はマジック・マウンテンに来る」と思うのは、単なる予感だ。これでは、終盤に向けてのエンジンが掛からない。ここは、「ヒントを得て謎解きをする」という形が欲しい。幾つか候補が挙がり、その中でヒントから推測する形にするとか。
終盤はマジック・マウンテンで話が進むが、爆弾処理の現場にハリーはおらず、そこで初めて登場する処理班が作業をする。ハリーは別室で待機しており、危険な場所には現れないのである。これでは、観客のハラハラする気持ちも弱くなるだろう。おまけに、処理班がレールから落ちそうとなるという、爆弾処理と無関係な所でピンチを作るし。
ハリーの妻と娘が現れるが、「ハリーの知らない内に2人がローラーコースターに乗ってしまう」という展開でハラハラさせることも無い。この2人、何のために登場したんだろうか。
結局、センサラウンドが無くても、頭でっかち尻すぼみだったかもしれない。

 

*ポンコツ映画愛護協会