『シャッフル』:2007、アメリカ
リンダ・ハンソンは夫のジムから、サプライズで購入した新居を見せられた。リンダは感激し、ジムを抱き締めてキスをした。月日は流れ、夫婦には長女のブリジットと次女のメーガンが誕生していた。ジムが出張中の木曜の朝、リンダはブリジットとメーガンを学校へ送り届けた。帰宅したリンダは、ジョギングをしたり家事を済ませたりする。リンダは親友のアニーと電話で話し、彼女がハーディーという男性とデートすることを聞いた。
リンダが留守電を確認すると、ジムの「この前、娘たちの前で言ったことは本心だ。ただ、それが言いたくて」というメッセージが入っていた。そこでキャッチが入ったらしく、「君か」という言葉と共にメッセージは終わっていた。リンダはジムに電話を掛けるが、留守電になっていたので「これを聞いたら電話して」とメッセージを吹き込んだ。しばらくしてライリー保安官が訪問し、ジムの死亡をリンダに伝えた。ジムは昨日、トラックと衝突して即死したというのだ。ライリーが名刺を置いて去った後、リンダは悲しみを堪えて娘たちを迎えに行く。家に戻ったリンダは、ジムの死を娘たちに伝える。
彼女は母のジョアンヌを呼び寄せて娘たちの世話を委ね、アニーの留守電にメッセージを吹き込んだ。リンダは思い出の写真を抱えて、ソファーで普段着のまま眠り込んでしまった。翌朝、彼女はベッドで目を覚ます。写真は持っておらず、服装もスリップ姿になっている。彼女がキッチンへ行くと、そこには普段と変わらないジムの姿があった。リンダは困惑するが、娘たちはジムを見ても驚かず、普段通りの挨拶を交わした。ジムは娘たちに笑顔を見せ、「今日は月曜、朝から会議だ」と口にした。
娘たちを学校まで送って帰宅したリンダは留守電を確認するが、メッセージは無かった。運転中に不注意から事故を起こしそうになったリンダは、ライリーに声を掛けられる。だが、ライリーはリンダのことを全く知らない様子だった。アニーと買い物に出掛けたリンダは、「昨日、私、留守電入れた?」と尋ねる。アニーは「入ってなかったけど」と答えた。日課のジョギングを終えて家に戻ったリンダは、昨日洗ったはずのセーターが洗濯籠に入っているのを見つけた。庭でカラスの死骸に触れたリンダは、血の付着した手で窓を開けた。彼女は手を洗った後、ゴム手袋でカラスの死骸を掴んで庭のゴミ箱に捨てた。
夜、リンダはジムと同じベッドに入り、奇妙な気持ちを抱えたまま眠りに就いた。翌朝、彼女が目を覚ますと就寝時とは別の服になっており、隣にジムの姿は無かった。ベッドの近くにはワインボトルとグラスが置いてあり、鏡には布が被せてある。洗面所に行くと、洗面台の中にはリチウムの錠剤と容器が転がっている。彼女が1階へ下りると、喪服を着た人々が集まっていた。心配するジョアンヌに、リンダは「何かが変よ。ジムは生きてる」と告げた。
リンダが庭に出ると、娘たちも喪服姿になっていた。ブリジットの顔に複数の傷があるので、リンダは「どうしたの?」と問い掛ける。ブリジットは何も答えず、メーガンは「傷は無いよ。お姉ちゃんは綺麗なお姫様みたい」と告げた。教会へ赴いたリンダは、遺体を確認したい気持ちにかられた。「体で切断されているんです」と女性職員が説明するが、リンダは棺を開けるよう執拗に要求した。その時、職員2名が運ぼうとしていた棺の蓋が開き、切断されたジムの首が外に転がり出た。
埋葬に参列したリンダは、少し離れた場所から様子を見ている女性の姿が気になった。リンダは埋葬の場を離れ、車で去ろうとする女性に「主人と親しかったの?」と声を掛ける。すると女性は「昨日、お話したじゃないですか」と言い、車で走り去った。帰宅したリンダがリチウムの容器を確認すると、それは自分のためにノーマン・ロスという医師が処方した物だった。電話帳で調べようとしたリンダだが、該当するページだけが破り取られていた。
近くのゴミ箱に目をやったリンダは、破り取られたページを見つけた。彼女はロスの病院に電話を掛けてみるが、診療時間外だった。その夜、アニーが娘たちを寝かせようとしていると、ライリーと2人の男性がやって来た。男性の1人は「医者のロスだ。覚えてるね?」と言うが、もちろんリンダは会った記憶など無い。ジョアンヌは「ブリジットに何をしたの?」と責めるように言うが、リンダには何のことだか分からない。しかしジョアンヌはリンダがブリジットを虐待したと思い込み、ロスたちに連絡を取っていたのだ。
ライリーたちはリンダを取り押さえ、病院へ連行した。廊下の椅子に拘束されたリンダの耳に、部屋で話しているロスとライリーの会話が聞こえて来た。「水曜にご主人が死んで、木曜に私が連絡しました」とライリーが言うと、ロスは「それは妙だ。彼女が私の病院に来て主人の死について話したのは、火曜日だ。本当に事故なんですか」と述べた。ロスはリンダをベッドに縛り付け、注射で眠らせた。
朝になって目を覚ましたリンダは、自宅のベッドにいた。寝室を出た彼女は、シャワーを浴びるジムを目撃した。ブリジットの顔からは、傷が無くなっていた。娘たちを学校へ送ったリンダは、ブリジットに「絶対に走ったりしないで」と告げた。帰宅したリンダが庭のゴミ箱を開けると、腐ったカラスの死骸に群がっていたハエの群れが飛び出した。彼女が室内を調べると、リチウムの容器は無かった。電話帳をめくると、ロスの電話番号が書かれているページは破り取られていなかった。
リンダはページを破り、ロスの心療内科を訪れた。リンダが声を掛けると、ロスは初対面の様子だった。リンダは自分に起きている奇妙な現象について説明するが、ロスは全く信じなかった。妄想だと決め付けたロスだが、リンダが「貴方が処方した」と言ったリチウムを渡した。リンダはジムのオフィスを訪ね、「家族でどこかに行けない?」と求める。「無理だよ」とジムが困惑していると、埋葬の時にリンダが見掛けた女がやって来た。それはジムの助手を務めているクレアだった。クレアと挨拶を交わしたリンダは、ジムが彼女と浮気している雰囲気を感じ取った。
帰宅したリンダはリチウムの錠剤を全て出し、容器と共に洗面台に捨てた。それは前日の朝に彼女が見た時と同じ状況だった。外が雷雨になったため、リンダは庭で遊んでいた娘たちに急いで洗濯物を取り込むよう頼んだ。ブリジットは閉まっている窓に激突し、割れたガラスで顔に怪我を負った。リンダは血だらけになったブリジットを病院に運び、治療してもらった。帰宅したリンダは、ブリジットの傷が治るまで鏡に布を被せておくことにした。
割れたガラスを片付けたジムは、リンダに「目印のシールはどうした?」と尋ねる。リンダは「貼ったと思ったの」と言うが、ジムは「有り得ないだろ」と暗に彼女を責めて「出張中はお義母さんを呼んだ。子供の世話を手伝ってもらえ」と述べた。シャワーを浴びようとしたリンダは、ジーパンのポケットに入っている紙を見つけた。それはロスの心療内科の電話番号が書かれたページだ。それを丸めて近くのゴミ箱に捨てた瞬間、リンダはハッとした。
リンダは紙を広げて1週間の図を作成し、最近の出来事を書いてみた。ライリーが来てジムが死んだことを知らせたのは木曜日で、生きていたジムが「朝から会議だ」と言ったのは月曜日。ジムの葬儀があったのと、リチウムの容器を見つけたのは土曜日。ロスの心療内科を訪れたのは火曜日で、土曜日に強制入院させられた。ブリジットが怪我を負ったのは火曜日で、ジムが死んだのは水曜日だ。リンダはジムに、出張に行かないよう頼む。しかし事情を知らないジムは「無理だよ」と断り、執拗なリンダに対して苛立ちを示す。リンダは仕方なく、「変に聞こえるかもしれないけど、明日が水曜なら、家を出る前に必ず起こして」と頼んだ。
翌朝、リンダはソファーで目を覚まし、写真を抱えているのに気付いた。ジョアンヌが泊まっていることを確認したリンダは、金曜日の朝だと悟った。1週間の図を取り出した彼女は、火曜日にクレアと会ったことを書き加えた。リンダはクレアの家を訪れ、主人が関係していることで、何か私に話しておきたいことは?」と尋ねた。クレアは「誰からそれを?」と口にする。リンダはクレアを問い質し、ジムが彼女と浮気しようとしていたことを知った。
アニーと話したリンダは、「酷いわよね、交通事故に別の女。最悪だわ」という彼女の言葉に「最悪じゃないかもしれないわ。運命かもしれないし」と述べた。「浮気はまだだったけど、あのまま生きていたら、どうなったか。裏切る気になっただけで充分。単なる同居人。同居人が嘘つきだった」と、彼女は冷淡に語った。生命保険会社へ赴いたリンダは、担当者のダグ・カルザースが「言いづらいんですが、タイミングが良すぎる」と告げられる。ジムが水曜の出張前に来て、家族のために死亡保証を3倍に増やしたというのだ…。監督はメナン・ヤポ、脚本はビル・ケリー、製作はアショク・アムリトラジ&ジョン・ジャシュニ&アダム・シャンクマン&ジェニファー・ギブゴット&サニル・パーカシュ、製作協力はマルコム・ペタル&キム・アンダーソン、製作総指揮はアンドリュー・シュガーマン&ニック・ハンソン&ラース・シルヴェスト、撮影はトーステン・リップシュトック、編集はニール・トラヴィス、美術はデニス・ワシントン、衣装はジル・オハネソン、音楽はクラウス・バデルト、音楽監修はバック・デイモン。
主演はサンドラ・ブロック、共演はジュリアン・マクマホン、ピーター・ストーメア、ニア・ロング、ケイト・ネリガン、アンバー・ヴァレッタ、コートニー・テイラー・バーネス、シャイアン・マクルーア、マーク・マコーレー、ジュード・チコレッラ、マーク・ファミグリエッティー他。
2004年の長編デビュー作『影のない男』で注目を集めたメナン・ヤポが監督を務めた作品。
脚本は『タイムトラベラー/きのうから来た恋人』のビル・ケリー。
リンダをサンドラ・ブロック、ジムをジュリアン・マクマホン、ロスをピーター・ストーメア、アニーをニア・ロング、ジョアンヌをケイト・ネリガン、クレアをアンバー・ヴァレッタ、ブリジットをコートニー・テイラー・バーネス、メーガンをシャイアン・マクルーア、ライリーをマーク・マコーレーが演じている。「曜日がシャッフルされる」というアイデアは面白いが、それを上手く物語として消化できず、充分に機能させられずに終わっているという印象だ。
時間軸を動かす場合は必ずタイム・パラドックスの問題が生じ、そこを丁寧に処理しないと大きな傷になってしまうことが多い。
特に本作品の場合、そこに完璧な整合性を持たせることは必要不可欠と言ってもいい。
ところが残念ながら、かなり粗が多く、辻褄の合わない箇所が多い仕上がりとなっている。分かりやすいポイントとしては、「最初の木曜日、ブリジットの顔に傷が無い」ってことだ。
彼女が怪我をしたのは火曜日だから、木曜日は傷が残っているはずなのだ。
「その木曜日だけは、これから体験するシャッフルされた1週間で巡って来る木曜日とは別」という設定だと解釈しても、やはり整合性は取れない。なぜなら、ブリジットの傷以外の出来事は(ジムの事故死や彼からの留守電、夫が出張中だと認識しているリンダ)、これから体験する出来事と一致しているからだ。
そこも「これから起きる出来事」と別の内容になっていなければ、パラレル・ワールドの設定ということも成立しないはずだ。っていうか、キャッチの相手に対してジムが「君か」と言っているんだけど、それがリンダなのが終盤のシーンで明らかになるんだよね。
そうなると、やはり「木曜日を含む1週間がシャッフルされている」と解釈せざるを得ない。
で、そうなると、ますます最初の木曜日における疑問点が増える。その時点で窓にはガラスが入っているが、だとすれば「いつ入れたのか」という疑問が残る。水曜日にリンダはジムを助けようとして現場の近くへ行っているので、ガラスを入れるタイミングなど無かったはずなのだ。
また、木曜日にリンダは目印のシールを貼っているのだが、ブリジットが怪我をしたのは火曜日なので、それを木曜日に貼っているのは良く分からないし。しかし、そこの矛盾よりも、もっと大きな問題を本作品は抱えている。
それは「リンダの行動が不可解」という問題だ。
なぜテレビや新聞、携帯電話などで、曜日を確認しようとしないのか。
家にカレンダーが無いというのも不自然だ。まさか、カレンダーが無く、新聞も取っていないという設定だったりするのか。
しかし少なくとも、テレビと携帯があることは確実だ。最初にシャッフルが起きた朝、ジムが朝食を取りながらテレビを見ている。そして終盤、リンダは車から携帯でジムに連絡している。
ってことは曜日を確認できる道具はあるんだから、確認しないのは不自然だ。「曜日のシャッフル」という仕掛けを用意したのはいいが、それにリンダがなかなか気付かないという状況を作り出すために、色々と無理がありすぎるんだよな。
例えば留守番電話に録音された日付や時間が残らないってのも、かなり都合が良すぎる。
ジムが死んだのは水曜日なのに、翌日になってからライリーがリンダに知らせるってのも都合が良すぎる。
そういうところで色々と不自然さを感じてしまうので、「曜日のシャッフル」という仕掛けが華麗に機能していないのだ。リンダは途中で曜日のシャッフルに気付くんだから、その段階で、なぜ「では眠らずに翌日を迎えたらどうなるのか」というのを試そうとしないのか。就寝時と目覚めた時で場所や服装が変わるんだから、「もしも深夜に目を覚ましていたら、あるいは徹夜したら、どういうことになっていたのか」ってのは気にならないのか。
テレビや携帯電話などを見ながら、どのタイミングで曜日がシャッフルされるかを確かめようとしないのは不可解だ。今から起きる不可解な現実を変えるために、リンダが終盤に至るまで何の行動も起こさないのは、それこそ不可解なのよね。
で、ヒロインが未来を変えるために行動しないので、こっちも何を期待して物語を見て行けばいいのか分からなくなってしまう。
未来を変える努力をしないのなら、果たして曜日をシャッフルしている意味は何なのかと思ってしまう。どうでもいいという気持ちになってしまう。一応、この映画のテーマはミステリーやサスペンスにあるのではなく、「信仰心と家族愛の大切さに気付きましょう」ということらしい。
冒頭に用意されている「まだ愛が冷めていなかった頃の夫婦」のシーンなんかも、ミステリーやサスペンスだけを考えれば全く必要性の無いシーンなのだが、家族愛がテーマなので、そういうのを入れているんだろう。
だけど、曜日のシャッフルという大きな仕掛けを用意しておいて、その目的が「家族愛の再確認」ってことなのかと言いたくなってしまう。
それを描くのが目的なら、そのために選ぶ手段が違うんじゃないかと思ってしまうのよね。あと、あれだけジムが助かる流れを感じさせておいて「やっぱり事故死しました」という結末に至るのは、すげえゲンナリするわ。
宗教的な映画だから、「運命は変えられない」という着地にしてあるのは仕方が無いのかもしれないよ。だけど、「運命は変えられないけど愛は確認できたし、新たな命も授かったから、救いはあるでしょ」という主張が匂って来るけど、これっぽっちも賛同できないわ。
そりゃあ確かに救いはあるけど、それよりはモヤモヤの方が遥かにデカいわ。
それでヒロインが納得できているのも「なんでやねん」と言いたくなる。むしろ「なぜ助けられなかったんだろう」と悔いが残ったり、「自分がUターンを促したせいで死んでしまった」と自責の念に苛まれたりする方が自然だと思うんだけどなあ。(観賞日:2014年7月15日)