『新ポリスアカデミー/バトルロイヤル』:1989、アメリカ

ハリス分署長と部下のプロクター警部補は連続強盗団のウィルソン・ギャングが宝飾店を襲撃するという情報を入手し、車で張り込んだ。しかしハリスはギャングが盗みを働いて車で去ったことに、まるで気付かなかった。それどころかギャングは、ハリスの車に悪戯まで仕掛けていた。その失態は新聞記事になり、市長はハリス、プロクター、ハースト本部長を呼んで叱責する。彼は3人に、「知事が犯罪撲滅のために特別チームを編成して送り込んで来た。情報漏れを避けるため、全員が所轄外の人間だ」と告げた。
ハリスに捜査協力を命じた市長が部屋に通したのは、ラサール校長だった。彼が特別チームの指揮官だったのだ。ラサールはハイタワー、ジョーンズ、タックルベリー、フックス、キャラハン、ニックを集め、そこにハリスとプロクターを加えた面々に対し、「強盗団に情報を流している者が署内にいる可能性がある。そこで作戦は、ここにいる面々だけの極秘情報とする」と語った。ファックラーが遅れて登場し、チームに加わった。ファックラーが騒ぎを起こしたため、ハイタワーは「先が思いやられる」と溜め息をついた。
ギャングのエース、フラッシュ、オックスは銀行を襲撃し、金を奪って逃亡した。特別チームが銀行へ赴き、捜査を開始する。ラサールが捜査方針に関する意見をハーストに話そうとすると、ハリスが割り込んだ。ハリスはラサールを敵視し、捜査の主導権を握ろうとする。ハイタワーたちは行員に聞き込みを行い、ギャングの会話の内容を知る。そこから彼らは、一味が雇われ強盗であり、3人の背後には黒幕がいると確信した。
ハイタワーたちの確信した通り、エースたちは黒幕の指示で動いていた。しかし黒幕は姿を隠して指示を出しているため、エースたちは相手の正体を知らなかった。黒幕は彼らに、「あと数回の強盗を実行した後、パニック作戦に着手する。街は無政府状態となって大混乱となるのだ」と述べた。ハリスは市長に、「ラサールたちに任せておいては捜査が進みません」と訴えた。市長は「私にも立場がある。知事には逆らえない。しかしラサールたちのせいで捜査が遅れている証拠を君が見つけたら、知事に進言しよう」と告げた。
特別チームは手分けして聞き込みを行い、ハリスとプロクターは窓拭き業者に化けてユニオン・ビルを張り込むが、捜査に進展は無い。ニックは高価な宝石が展示されることを報じる新聞記事を見つけ、「これをエサにして犯人を釣りましょう」と提案した。特別チームは様々な格好に変装し、各ポイントで張り込む。ジョーンズとニックは輸送車の運転を担当し、ハリスとプロクターと共に宝石を警護する。しかしハリスとプロクターはギャングの行動に全く気付かず、まんまと宝石を盗まれてしまった。
ニックは襲撃地点を再確認し、次に狙われる宝石店を推理する。彼が仲間たちと車で張り込んでいると、ギャングが宝石を奪って店から出て来た。ギャングは車で逃走しようとするが、特別チームが包囲した。しかし手柄を横取りしようとしたハリスがプロクターを率いて飛び込んで来たため、その隙にギャングは逃亡してしまった。黒幕はギャングに、「ラサールたちが、こちらの動きを嗅ぎ付けた」と言う。「片付けましょうか」と問われた黒幕は、「いや、私が対処する」と述べた。
匿名の電話を受けたハーストとハリスが署内を捜索した結果、ラサールのオフィスから盗まれた宝石が発見された。もちろんラサールは潔白を訴えるが、市長は彼とチームに謹慎を命じた。チームはラサールの濡れ衣を晴らすため、自分たちで独自に捜査しようと考える。ニックは犯行が51番バスの路線沿線に集中していることについて改めて考え、フックスがコンピュータで調べようとする。彼女は誤って計画中の電車路線図を出してしまうが、ニックは「正解かもしれない」と告げた。
ニックは仲間たちに、黒幕が犯罪を続発させて地価を下げて土地を買い占め、線路が開通してから高く売り払おうと目論んでいるのだと語った。クレイトン・プレイティングという会社が土地を買い占めていることを知ったチームは、建物に乗り込んだ。無人の建物には、リモコン付き爆破装置やダイナマイトが保管されていた。置かれている図面を見たニックは、ギャングが市内を停電させるつもりだと知る。ギャングが送電所を爆破して市内を一斉に停電させたため、チームは手分けしてパトロールに赴いた…。

監督はピーター・ボナーズ、キャラクター創作はニール・イズラエル&パット・プロフト、脚本はステファン・J・カーウィック、製作はポール・マスランスキー、共同製作はドン・ウエスト、撮影はチャールズ・ロッシャーJr.、編集はヒューバート・C・デ・ラ・ブーユーリー、美術はソー・E・アザーリ、衣装はピーター・フラハーティー、音楽はロバート・フォーク。
出演はババ・スミス、マイケル・ウィンスロー、デヴィッド・グラフ、ジョージ・ゲインズ、G・W・ベイリー、ジョージ・R・ロバートソン、マリオン・ラムジー、レスリー・イースターブルック、ランス・キンゼイ、ブルース・マーラー、ケネス・マース、ゲリット・グレアム、マット・マッコイ、ビリー・バード、ブライアン・シーマン、ダーウィン・スウォルヴ、アーサー・バタニデス、ビーンズ・モロッコ、アレクサンダー・フォーク、マイケル・フォスバーグ、フリッツ・ブロナー、アラン・ハンター、マーク・ジェイ・グッドマン、ダニエル・ベン・ウィルソン、グレッグ・コリンズ他。


シリーズ第6作。ビデオ化の際には『ポリスアカデミー6/バトルロイヤル』という邦題に改められた。
監督は『アメリカを斬る 』『複数犯罪』のピーター・ボナーズ、脚本は『ポリスアカデミー5/マイアミ特別勤務』のステファン・J・カーウィック。
ハイタワー役のババ・スミス、ジョーンズ役のマイケル・ウィンスロー、タックルベリー役のデヴィッド・グラフ、ラサール役のジョージ・ゲインズ、ハリス役のG・W・ベイリー、ハースト役のジョージ・R・ロバートソン、フックス役のマリオン・ラムジー、キャラハン役のレスリー・イースターブルック、プロクター役のランス・キンゼイは、シリーズのレギュラー。
ニック役のマット・マッコイは、前作と今作だけの出演者。ファックラー役のブルース・マーラーは3作目までのレギュラーで、久々の復帰。タックルベリーの義父役のアーサー・バタニデスは2〜4作目のレギュラー。
市長をケネス・マース、エースをゲリット・グレアム、スタンウィックをビリー・バード、フラッシュをブライアン・シーマン、オックスをダーウィン・スウァルヴが演じている。

邦題には「新」という文字が付いているが、原題を見ると「Police Academy 6: City Under Siege」であり、特に何か新しくなっているわけではない。
実際、中身に関しても、新機軸を打ち出したり、リニューアルを図ったりしているわけではない。むしろ前作の方が、主役の交代という大きな変化があったぐらいだ。
ただ、日本の配給会社としても、愚かなるマンネリズムで惰性のように続いているシリーズに何とか観客を呼び込もうとして、そういう邦題を付けちゃったんだろう。
そこまでするぐらいから劇場公開しなきゃいいんじゃないかと思ったりもするんだが、そこは色々と大人の事情もあるんだろう。

このシリーズは2作目にして既にマンネリズムに陥っており、そこからはマンネリズムを繰り返してダラダラと続いてきた。
それでも、2作から4作目までは、新しいキャラクターを何人も登場させることで違いを出そうと試みていた。
主演のスティーヴ・グッテンバーグが4作目で降板したため、5作目ではマット・マッコイを新しい主役に据えることで延命を図り、観客を惹き付けようと目論んだ。
だが、それが成功したかというと、答えはノーだった。

この6作目に至って、プロデューサーのポール・マスランスキーは「何をやってもマンネリズムの解消には繋がらないな」と諦めたのか、もしくは達観したのか、それとも投げやりになったのか、どういう心境だったのかは知らないが、ともかく複数の新しいキャラクターを投入して変化を付けるという考え方を捨てている。
これまでのレギュラーだけを使って物語を作り上げようという意識になっている。
で、それが成功しているかというと、答えはノーだ。
そもそも、シリーズを続けていること自体が間違いなので、たぶん何をやってもダメなモンはダメだろうと思うし。

ラサールが市長室に現れた後は、「これから特別チームとして捜査に当たる人々」を紹介する手順として、御馴染みの顔触れが順番に登場する。
キャラハンはスポーツジムで腕っぷしの強さをアピールし、ジョーンズはパーティーで歩いている人の効果音を口で鳴らす悪戯を仕掛け、フックスはオドオドした態度で駐車違反を取り締まるが相手が脅して来ると厳しく罰する。タックルベリーは夜中にキッチンで腹ごしらえしようとした義父を強盗と間違えて威嚇発砲する。
「これが第1作」とか「そいつらが初登場」とかいうことであれば、そういうキャラの特徴をアピールするための紹介シーンは必要だ(っていうか初登場だとすると、むしろ足りないけど)。
しかし、既にシリーズ6作目であり、そいつらは御馴染みの顔触れだ。だから、そこで紹介される「男勝りで腕っぷしが強い」とか「声態模写が得意」とか「普段は弱気だが急に変貌する」とか「やたらと銃を撃つ」といった特徴は、今さら描かなくても全て分かっていることばかりなのだ。

その描写に工夫があって、コントとして笑える中身になっているならともかく、そういうわけでもない。
あえて何か触れるとするなら、タックルベリーの息子が登場するというところは今までとの違いだ。
しかし「父親と同じように銃を撃ちたがる」という設定ではあるが、タックルベリーを超える荒っぽさってわけでもないし、付け足しみたいなモンだから存在意義は低い。
あと、やるなら全員を紹介すべきだろうに、会議に遅刻して特別扱いされるファックラーはともかく、ハイタワーとニックの紹介が無いのは中途半端でしょ。

前作でマホーニーに代わる新たな主人公として投入されたニックは、この映画でも一応は主人公という扱いになっている。しかしながら、演じるマット・マッコイの表記順が10番目というだけでなく、実際にも明らかに脇役と化している。
「他の脇役が魅力的で個性が強いので主役を食っている」ということなら、映画としてのバランスは悪くなるが、魅力的な部分が他にあるだけ救いが見える。ところが本作品の場合、レギュラーキャストは今までと同じパターンを段取りとして処理しているだけなので、そこに魅力や面白さなど無い。
一応は数名の新キャラもいるのだが、前述したように「そいつらを使って話を作り上げよう」という意識は無いので、そこに重点は置かれていない。当然のことながら、新登場のキャラに物語を引っ張ったり観客を惹き付けたりする力など無い。
つまり、脇役が主役を食ってしまうほど光っているわけではなくて、単純に主役が主役としての光を放っていないだけだ。

それはマット・マッコイの力不足というよりも、シナリオや演出に大きな問題がある。
まず、ハイタワーが「単なる普通の常識人」になってしまったため、「ごく普通の常識人」であるニックはキャラとして被っているという問題がある。
それと、マホーニーは「ハリスに悪戯を仕掛ける」という「やんちゃキャラ」が付いていたけど、ニックはそういうのが無くて、ただの凡庸な男でしかないんだよね。
ハイタワーには「巨漢で怪力」という特徴があるけど、ニックはホントに何も無いのよ。ただの要らない子なのよ。

っていうか、ニック以外の面々にしても、あまり個性を発揮して活躍しているわけではないんだよね。
それは仕方の無い部分もあって、なんせ個々の特徴設定が薄いので、それを使って活躍させようとすると、似たようなネタの繰り返しになってしまうんだよな。だから出し惜しみしたのか、紹介シーンの後は、後半の停電シーンまで個々の得意技を披露することが無い。
後から特別扱いで登場したファックラーなんかは、もっと積極的に使えばいいものを、登場シーンで「無意識のヘマで騒ぎを起こす」というネタをやって以降は、すっかり埋もれてしまう。
後半に入って「交通整理をしていたら虫の群れが寄って来たので追い払おうとして棒を振り回し、渋滞を起こしてしまう」というネタはあるけど、それぐらいかなあ。わざわざ他の連中とは別の扱いにして登場させるほどの意味は無いね。
まあ、別の扱いにしたのは、彼だけが久々の登場だったからなんだけどさ。

そんなわけで、肝心のポリスアカデミー出身者が全く当てにならない中、憎まれ役のハリスが孤軍奮闘している。彼が特別チームを出し抜こうとしたり、調子に乗ってヘマをやらかしたりしないと、なかなか喜劇にならない。
マホーニーが消えた後はハリスに悪戯を仕掛ける役回りを担当するキャラもいなくなったので、ハリスが勝手にドジをやらかすという形になっている。
もはやハリスが実質的な主人公と言っても過言ではないのだが、クライマックスはキッチリと事件を解決しなきゃいけないので、ドジをやらかすハリスを活躍させるわけにもいかず、ちょっと難しいことになっている。
っていうか、この映画自体が、かなり難しいシロモノではあるんだが。

(観賞日:2014年5月17日)

 

*ポンコツ映画愛護協会