『続・猿の惑星』:1970、アメリカ

言葉を話す猿が人間を支配する惑星に不時着したジョージ・テイラーは、ジーラ博士や恋人の考古学者コーネリアスの協力を得て、ノヴァを連れて禁断の地へと向かった。そこで彼は、猿の惑星が自分が出発してから2000年後の地球だということを知る。
テイラーを救出するために地球を出発した宇宙船が到着した。船長が死亡したために1人になった乗組員ジョン・ブレントの前に、馬に乗ったノヴァが現れた。テイラーは禁制地帯を進む途中で不審な場所に辿り着き、ジーラの元に行くようノヴァに言い残して岩壁の向こうに姿を消したのだった。
ノヴァがテイラーを知っていることに気付いたブレントは、彼の元に連れて行ってくれるよう頼む。ノヴァに案内されたテイラーは、猿の町の様子を見ることになった。そこではゴリラのアーサス将軍が、禁制地帯を侵略すべきだと訴えていた。
禁制地帯では急に猿が消えるという奇妙な現象が発生していた。アーサスは猿と人間以外の生物がいる可能性があると考え、科学長官ザイアス博士と共に禁制地帯へ向かうことになった。一方、ジーラとコーネリアスと会ったブレントは、2人から地図を受け取った。
ブレントとノヴァはゴリラ達に発見され、捕らえられた。射撃訓練の的にされそうになる2人だが、ジーラの協力で脱出する。ノヴァを連れて逃亡したブレントは、禁制地帯でニューヨーク・サマーフェスティバルの看板を発見し、この惑星が地球だということを知る。
ノヴァを連れて機械的な音のする方向へと洞窟を進んだブレントは、原子爆弾を崇拝し、超能力を使うミュータント達と遭遇し、厳しい尋問を受ける。その頃、アーサス将軍は武装した部下を引き連れ、科学長官ザイアス博士と共に禁制地帯へ向けて進軍していた…。

監督はテッド・ポスト、原案はポール・デーン&モート・エイブラハムズ、脚本はポール・デーン、製作はアーサー・P・ジェイコブズ、製作協力はモート・エイブラハムズ、撮影はミルトン・クラスナー、編集はマリオン・ロスマン、美術はジャック・マーティン・スミス&ウィリアム・クレバー、衣装はモートン・ハーク、特殊メイクアップはジョン・チェンバース、音楽はレナード・ローゼンマン。
出演はジェームズ・フランシスカス、キム・ハンター、モーリス・エヴァンス、チャールトン・ヘストン、リンダ・ハリソン、ポール・リチャーズ、ヴィクター・ボーノ、ジェームズ・グレゴリー、ジェフ・コレイ、ナタリー・トランディ、トーマス・ゴメス、デヴィッド・ワトソン、ドン・ペドロ・コリー、トッド・アンドリュース、グレゴリー・シエラ、エルドン・バーク他。


衝撃のラストシーンが待ち受けていた大ヒットSF映画の続編。
御丁寧なことに、その前作の終盤から物語は始まる。
エンターテイメント性を強めた結果なのかもしれないが、チープなSFにありがちな「外したことによって発生するバカバカしさの笑い」が、今作品には含まれている。

当初は、今作品で終わりにするつもりだったらしい。
だが、実際にはシリーズは5作目まで続いていくことになった。
第1作目で終わらせておくのがベストだったと思うが、この作品で終結させるぐらいなら、5作目まで続けて「元に戻す」という形を取ったのは、ベターな選択だったと言えよう。

ノヴァが前作に引き続いて登場するのだが、私には彼女の存在価値が分からない。
「女性も出さないと色気が無くてダメだろう」という、浅い考えがそこにあるような気もしてしまう。まあ、それも分かるけどね。ただ、実際のトコロ、地図を受け取った後は、ブレントがノヴァを連れて歩く必要性って、全く無いのよね、ホントは。

好戦派のゴリラと平和主義の猿が、ここでは対立している。
人間と猿の対立構造だけでなく、猿の世界にも対立構造を持ち込んでいるわけだ。
そこまではOK。
しかし、超能力とか、ミュータントとか、爆弾といった要素を入れてしまったのは大失敗だろう。猿と人間だけで、話をまとめるべきだった。

爆弾教団の連中は、どこかマヌケっぽく見えてしまう。
彼らはブレントとノヴァをキスさせたり、ブレントとテイラーを戦わせたりするが、だから何だというのだろうか。人間の顔の皮をかぶっているという意味も分からない。
観客を驚かせるためだけの設定であり、必然性は無視されている。

うがった見方かもしれないが、まずエンディングありきだったのではないだろうか。
「前作を超える衝撃のラストを用意しなければならない、そのために爆弾を使おう、でも猿は爆弾を持っていない、だから爆弾教団を登場させよう」と。
そういうことだったのではないだろうか。

 

*ポンコツ映画愛護協会