『幸せの1ページ』:2008、アメリカ

ニム・ルソーにとっての母は、父のジャックから聞く話が全てだった。海洋学者である母のエミリーは、巨大シロナガスクジラの胃を調査するために口の中を覗き込んだ。しかし「海賊号」と書かれた船が現れ、驚いて口を開いたクジラに飲み込まれてしまった。ジャックはニムに、「そのクジラを見つければママは必ず戻って来る」と言っている。ニムは幼い頃から父に連れられ、世界中を旅して回った。2人は無人島に辿り着き、そこで暮らすようになった。
ニムにとっては動物たちが先生で、ジャックがくれた本からも多くのことを学んだ。ジャックは海洋生物学者で、ナノプランクトンを研究している。世界中の科学者からパソコンにメールで質問が寄せられ、科学雑誌にも寄稿している。1ヶ月に1度、島では入手できない物資を補給船が届けに来る。ジャックたちはボートで物資を貰いに行くので、船員も島には上陸したことが無い。人気の冒険小説『アレックス・ローヴァー』シリーズ最新作が届いたので、ニムは大喜びした。彼女は主人公であるアレックスの大ファンで、彼が実在すると思って妄想を巡らせている。
そんな『アレックス・ローヴァー』シリーズの作者は、主人公と同じ筆名を使っている。しかし実際はアレクサンドラ・ローヴァーという女性であり、冒険とは無縁の生活を送っている。彼女は神経質で、極度の潔癖症だった。さらには外出恐怖症でもあり、家から一歩も出ないで生活していた。彼女は現在、新作の執筆に行き詰まっていた。アレックスを現地部族が捕まえて火山の山頂へ運んだのだが、そこへ噴火口に投げ込むかどうかで悩んでいたのだ。ネット検索した彼女は、ニムの島にある火山の写真を発見した。
ジャックは藻の大量繁殖を観察する絶好のチャンスが来たため、ボートで出掛けることにした。彼はニムに「2晩で戻る。メールが来たら、留守だから木曜に返すと打っておいてくれ」と言い、島を後にした。アレックス・ローヴァーからジャックに助力を求めるメールが届き、ニムは興奮して「ジャックは喜んでお手伝いします。彼は木曜に戻ります」と返信した。アレクサンドラは「貴方は研究助手ですか?雑誌に掲載されていた火山について知りたい」とメールを送った。
次の夜、ニムは海ガメのチッカの卵が孵化したのを確認し、ジャックに連絡を入れる。ジャックはプランクトンを採取したことを話し、通信を終えた。その直後に天候が悪化し、ジャックは大波に飲まれた。島にも嵐が到来し、ニムの家は室内の物が激しく散らかった。翌朝になると、嵐は過ぎ去っていた。しかし電気は来なくなり、ニムはジャックに連絡するが応答は無かった。ニムが可愛がっているペリカンのガリレオは島を飛び立ち、ボートに辿り着いた。ガリレオの鳴き声で目を覚ましたジャックは、ボートの浸水に気付いて穴を塞いだ。ボートはマストが折れた状態で漂流しており、通信用の衛星アンテナは無くなっていた。
ジャックは島に戻るための栄養補給として、魚を獲ろうとする。ガリレオは彼のために何匹かの魚を獲ってやり、島に戻った。父のことを心配死ながら過ごしていたニムは、アレックスからの新たなメールを受け取った。ニムが火山について説明すると、すぐに次のメールが来た。ニムは質問に答えるため、火山に登った。噴火口の中が乾いた岩ばかりだと知った直後、激しい揺れが起きた。慌てて避難しようとしたニムは崖から転落し、脚に傷を負ってしまった。
帰宅したニムはアレックスにメールを送り、傷口の周囲が腫れて膿が出ているので手当ての方法を教えてほしいと頼む。アレクサンドラは医学辞典を調べて消毒するよう指示し、「クック諸島では消毒にシタルバの樹液を使う」と教えた。彼女はニムのメールに「パパ」の文字があるのを見て驚き、「年は幾つ?一人ぼっちなの?」とメールで質問した。ニムは「海賊号」と書かれた船が島に近付くのを目撃し、「海賊が襲って来る」と確信した。船長と3人の船員がボートに乗り、島へ上陸する様子をニムは隠れて観察した。
船長たちは海賊ではなく、クルーズ船のスタッフだった。彼らはツアー客に海賊気分を味わってもらうため、そこが無人島だと思って下見に来たのだ。船長は「2日後に戻ろう」と言い、船員たちと島を去った。ニムは彼らが海賊だと誤解したままジャックに連絡しようとするが、応答は無かった。そこへアレックスからのメールが届いたので、ニムは「私は11歳。パパは海へ出て戻らない。海賊が襲って来る」と返した。驚いたアレクサンドラが「どうすれば助けられる?」と送ると、ニムは「来て」と返した。
アレクサンドラは動揺し、「外出恐怖症で、16週間も家から出ていない」と送る。しかしニムは本の主人公と混同しているため、「貴方は世界最高の冒険家よ」と返す。アレクサンドラは地元警察に連絡するが、管轄外だと告げられる。彼女はニムから島の正確な位置を教えてもらうと、覚悟を決めて外出することにした。アレクサンドラから「島へ向かう」というメールを受け取ったニムは、海賊の上陸を阻止するために投石器を作り始めた。ガリレオはジャックの元へ必要な道具を運び、船を修繕しようとする彼を助けた。
アレクサンドラはタクシーで空港へ行き、飛行機へ乗り込んだ。乗り継ぎのためにボルネオで降りた彼女は、ラロトンガ行きの飛行機が小さなプロペラ機だったので狼狽した。ニムは海賊に無人島だと思わせるため、人が住んでいる痕跡を残さないよう注意しながら過ごした。ラロトンガに到着したアレクサンドラは、町の人々に「火山の島へ行きたい」と呼び掛ける。すると1人の男が「連れて行く」と言って彼女を車に乗せ、港まで案内した。
クルーズ船のツアー客がボートで島へ近付くと、ニムはアシカのセルキーに放屁で追い払うよう指示した。しかしアシカを見たツアー客は「歓迎してくれている」と誤解し、作戦は失敗した。ジャックは船を修理し、島を目指す。アレクサンドラは老漁師のモーターボートに乗せてもらい、島へ向かう。上陸したツアー客がビーチで遊び始めると、ニムは投石器でトカゲを飛ばして追い払おうとする。しかし船員が松明に火を放ち、トカゲを退散させた。両親と共にツアーへ来ているエドモンド少年はニムを目撃し、後を追った。ニムは火山の後ろで狼煙を焚き、噴火するように見せ掛けようとする。さらにツアー客を脅かすため、彼女は岩を落とそうとする。しかし誤って岩が噴火口に落下し、本当に噴火活動が起きてしまう…。

監督はマーク・レヴィン&ジェニファー・フラケット、原作はウェンディー・オルー、脚本はジョセフ・クォン&ポーラ・メイザー&マーク・レヴィン&ジェニファー・フラケット、製作はポーラ・メイザー、共同製作はアラン・ベル&マーレイ・ポープ、製作総指揮はスティーヴン・ジョーンズ、撮影はスチュアート・ドライバーグ、美術はバリー・ロビソン、編集はスチュアート・レヴィー、衣装はジェフリー・カーランド、視覚効果監修はスコット・ゴードン、音楽はパトリック・ドイル。
出演はアビゲイル・ブレスリン、ジョディー・フォスター、ジェラルド・バトラー、マイケル・カーマン、マーク・ブレイディー、アンソニー・シムコー、クリストファー・ベイカー、マディソン・ジョイス、ピーター・カラン、ロンダ・ドイル、ラッセル・バトラー、コリン・ギブソン、ブライアン・プロベッツ、アンドリュー・ネイソン、ドロシー・トールセン、ペニー・エヴァリンガム、トニー・ベレット、ジェフ・ドーナン他。


ウェンディー・オルーの児童文学『秘密の島のニム』を基にした作品。
監督は『小さな恋のものがたり』のマーク・レヴィンと妻のジェニファー・フラケット。
脚本はPlayStation 2のゲーム『怪盗スライ・クーパー』を手掛けたジョセフ・クォン、プロデューサーのポーラ・メイザー、監督夫妻による共同。
ニムをアビゲイル・ブレスリン、アレクサンドラをジョディー・フォスター、ジャック&アレックスをジェラルド・バトラーが演じている。

ニムの語りで映画が始まると、「母親はシロナガスクジラに飲まれた」と説明される。
あくまでも「ジャックによれば」という設定だし、「娘のための作り話」なのだろうと、その時点では思っていた。だが、しばらく見ている間に、戸惑いを覚えるようになる。
例えば、島で暮らしている間に、ニムが動物と仲良くなるのは理解できる。アシカがボールを巧みにドリブルしてニムとサッカーするのも、「アシカなら有りかな」とは思う。
ただ、ガリレオが獲った魚をニムの前に落とすのは、「んっ?」となる。
ジャックが出掛けた夜、猿とアシカが音楽に合わせて踊るシーンが描かれると、これまた「んっ?」となる。

ファンタジーならファンタジーで、別に構わないのよ。現実離れした描写を入れちゃいけないってわけではない。
ただ、その世界観を観客に受け入れさせるための仕掛けが上手くないので、「どこまでは許容されるのか」という基準が良く分からないまま映画を見せられる状態になっている。
それが戸惑いに繋がってしまうのだ。
っていうか、そもそもファンタジーとしての世界観が微妙っていうか、フワフワしちゃってんのよね。

もっと思い切って、「動物たちがニムの友達で、人間のようにコミュニケーションを取ることが出来る」という設定にしても良かったかもしれない。
で、そういう世界観を導入部で明確にアピールしておけば、「そういう映画なのね」と順応することも出来ただろう。
ただし、冒険小説のシーンがニムの妄想として描かれている上、アレクサンドラが妄想のアレックスと話す描写も盛り込まれているのよね。
そこで「非現実」を見せるなら、ニムの世界はガッチリと現実的な設定にした方がいいかもね。

アレクサンドラがニムとメールでやり取りする際、まるで男性の冒険家であるかのように装っているのは、ちょっと引っ掛かる。
彼女は家から全く出ないし、覆面作家みたいな状態で活動しているのかもしれない。だけど、「主人公と作者は同一人物」という設定で活動しているんだろうか。
普通に考えれば、ノンフィクションじゃないんだから、そこは別人として広く認知されているはず。
例えばエラリー・クイーンと「国名」シリーズに登場する警視の息子、ダレン・シャンと「ダレン・シャン」シリーズの主人公が同一人物だなんて、誰も思っちゃいないでしょ。

これが「相手が子供で主人公と作者は同一人物だと信じており、だからアレクサンドラは夢を壊さないように芝居をした」ってことなら、それは分かるのよ。
でもアレクサンドラは、相手がジャックの研究助手だと思ってメールを送っているわけで。
つまり、ちゃんとした大人が相手だと思い込んでメールを送っているわけだから、まるで自分は小説の主人公と同一人物であるかのように装うのは不自然でしょ。
なので、違和感が否めないのよ。

漂流しているジャックはクジラの背中を見た時、「エミリー?」と妻の名を呼ぶ。ってことは、ニムのママがクジラに飲まれたってのはジャックの作り話じゃなくて、事実という設定なのか。
だとしたら、それを真実だと思わせるための見せ方は全く出来ていない。なので、そのセリフには違和感しか抱かない。
そもそも、「そのシーンってホントに必要か?」と思っちゃうしね。
そのクジラがジャックを助けてくれるとか、エミリーがクジラの中から脱出するとか、そういう展開があるわけでもないし。
まあ実際に「エミリーがクジラの中から脱出する」という展開を用意されたら、それはそれで「いや無いわ」と感じることは確実だろうけどね。

ニムがジャックのいない数日間を島で過ごす様子、アレクサンドラが家を出て島を目指す様子、ジャックが船を修理して島へ戻ろうとする様子が、並行して進行する構成となっている。
どこまで原作に忠実なのかは知らないが、その3つの「冒険」が並行して描かれる効果は感じられない。
その理由は簡単で、それぞれがバラバラになっているからだ。
アレクサンドラはニムを助けるために島を目指し、ジャックはニムの元へ戻るため島を目指すのだから、表面的には関連性がある状態になっている。でも実質的には、上手く融合していない。
どうせアレクサンドラが島へ来ようと、ジャックが島へ戻ろうと、ニムの海賊退治には大きな影響を与えないしね。相手は本物の海賊から襲撃される恐れは無いし、日程が来れば島を出て行くし。

タイトルからして「Nim's Island」なんだし、もっと「ニムの冒険」を徹底的に重視した方が良かったんじゃないか。ジャックが島を留守にして、何らかの理由で連絡を取れない数日間を1人で過ごすニムの「小さな冒険」として、ストーリーを構築したらどうかと。
ただし、それでジャックの冒険は大幅に短縮できるとして、問題はアレクサンドラだ。
ニムが小説シリーズのファンで、アレクサンドラとメールでやり取りしている以上、「アレクサンドラがニムを救うために島を目指す」というパートを完全に無くすわけにもいかない。
いっそのことアレクサンドラの存在ごと抹消しちゃうのが手っ取り早いけど、それだと原作を使う意味が無くなっちゃうだろうし。

その辺りを原作がどのような形で上手く処理しているのか気になるけど、だからって確かめるためにわざわざ読むつもりはない。
ともかく、映画版では上手く行っていないとだけ評しておく。
「外出恐怖症」という設定が、そんなに上手く機能しているわけでもないしね。
アレクサンドラ役にジョディー・フォスターを起用した結果として、ある程度は彼女の扱いを大きくしなきゃいけなくなって、バランスが崩れちゃった部分もあるんじゃないかなあ。

(観賞日:2017年7月26日)

 

*ポンコツ映画愛護協会