『最後の初恋』:2008、アメリカ&オーストラリア

エイドリアン・ウィリスは、反抗期のアマンダと喘息持ちのダニーという2人の子供たちと暮らしている。夫のジャックは女を作って出て行き、今はフロリダで暮らしている。子供たちを預ける期間になったので、ポールは迎えに来た。ジャックから「やり直したい。過ちは反省する」と言われたエイドリアンは、「女と切れたからって、戻りたいなんて」と呆れたように告げる。「僕らは親だ。子供たちの幸せを考えてくれ。一緒にフロリダへ行こう」とジャックは持ち掛けるが、彼女は「ジーンを手伝う約束があるの」と断った。
ノース・カロライナのアウター・バンクスにあるロダンテという町で、エイドリアンの親友であるジーンは海辺の小さなホテルを営んでいた。エイドリアンは彼女に頼まれ、5日間だけ仕事を手伝うことにしたのだ。エイドリアンはジーンに、ジャックに戻りたいと言われたことを打ち明けた。「彼を許すつもりなの?」と問われたエイドリアンは、「子供たちはパパに戻ってほしいのよ」と答えた。「お父様が亡くなった時、あの男はどこにいた?」と、ジーンはジャックに対する怒りを示した。
エイドリアンから客について問われたジーンは、「1人だけ。オフ・シーズンなのに、倍額を出すと言われたから」と告げた。ジーンが外出してエイドリアンが留守番をしていると、唯一の客である医者のポールがやって来た。バルコニーで泣いていたエイドリアンは、「風が強くて」と嘘をついた。ポールはチェック・インで署名する際、エイドリアンに承諾を得て住所を空欄にした。エイドリアンが夕食を作って食堂へ運ぶと、ポールは「一人では味気ないから」とキッチンに来た。
エイドリアンはポールの隣で食事を取りながら、「夫と子供たちと何年も来ていた。最近は子供たちとだけ。出て行く前の夫は家で食事をしていた。でも、また戻るかも。まだハッキリしないけど」と曖昧な言葉を口にする。ポールは「僕には住む家が無い」と言い、ある人と話すためにロダンテへ来たことを明かす。家族について問われたポールは、「医者をやっている息子がいる」と告げる。エイドリアンが「立派に育てたのね」と言うと、彼は「僕じゃなくて妻がね」と述べた。
食事の後、エイドリアンはポールに、かつて美術学校へ通っていたこと、父が数ヶ月前に他界したことを語った。部屋に戻ったポールは、妻のジェニーが出て行った時のことや、息子のマークが反発した時のことを回想する。翌朝、彼は朝食を取らず、町へ出掛けた。部屋を掃除しようとしたエイドリアンは、R・トーレルソンという男からポール宛ての手紙を発見した。ポールが向かったのは、そのロバート・トーレルソンという男性の家だった。
ポールがトーレルソン家に到着すると、家の前にはロバートの息子であるチャーリーがいた。チャーリーは相手がポールだと知ると「何しに来た?」と敵対心を剥き出しにした。「ロバートから話があるという手紙が届いたんだ」とポールは説明するが、「親父が許すとでも思ったか」とチャーリーは彼を追い払った。ポールがホテルに戻ると、エイドリアンは窓を塞ぐための材木を運んでいた。ポールが「僕がやろう」と言うので、エイドリアンは町へ買い物へ行くことにした。
エイドリアンは雑貨店へ行き、顔見知りである女主人のベッキーと挨拶を交わす。トーレルソンという人物についてエイドリアンが訊くと、ベッキーは「今は旦那と息子の2人暮らし。全財産をはたいて有名な外科医に頼んだのに、奥さんは可哀想に」と語った。エイドリアンが帰宅すると、ポールはチケットが取れたらロダンテを去るつもりだと話す。トーレルソンの名を出すと、ポールは苛立った態度を示した。彼は「奥さんに血管腫の摘出手術を依頼された。良性だし、何百回も成功してきたが、彼女は死んだ」と語った。
ポールが「夫は過失致死で訴訟を起こしたが、急に話したいと言って来た。しかし息子は車まで蹴って追い払った」と刺々しい口調で言うと、エイドリアンは「死の責任を負わされて、貴方は辛かったのね」と告げた。エイドリアンから電話を受けたジーンは、ポールとの関係を勘繰るような言葉を口にする。エイドリアンは笑いながら「何も無いわよ」と否定するが、まんざらでもない様子だった。ジーンは大事な商談があるとエイドリアンには言っていたが、実際は恋人との逢瀬を楽しんでいた。
夕食の時、エイドリアンはポールに子供たちのことを語って写真を見せた。ポールは彼女に、マークがエクアドルで診療所を開いていることを話す。最後に話したのは約1年前だと彼が言うと、「娘は反抗的だけど、1年も話さないなんて想像できない」とエイドリアンは告げる。ポールは「あの手術のせいだ。患者の遺族には、看護婦から説明させた。朝から4件も手術があったし、次の手術も控えていた。マークは僕を責めた。その1ヶ月後にエクアドルへ発った」と語った。
エイドリアンはポールにジーンのアトリエを見せ、「彼女の曾祖母は南北戦争直後、ここに来たの。ここは様々な神々に守られている」と言う。アトリエにはエイドリアンが流木で作った木箱も置いてあった。「大切な物や守りたい物を入れるんですって」と彼女が言うと、ポールは「君なら何を入れる?」と問い掛ける。エイドリアンが「子供たち、ジーン、父の思い出」と答えると、ポールは「君のことは誰が守る?」と訊く。「誰かと恋に落ちて家族が出来たら、自分の仕事を果たさなきゃいけない。例え夢を諦めることになっても。後悔しても、もう遅い」とエイドリアンが言うと、ポールは「遅くないさ。また始めたら?」と告げた。
エイドリアンはアマンダから電話を受け、「パパは戻りたいのよ。チャンスをあげると言った約束は守って」と告げられる。エイドリアンはジャックと電話を代わってもらい、「私は何も約束してない。大人の問題に子供を巻き込むなんて、なんて無責任なの。貴方が家を出た時、私は子供たちに真相を隠したわ。貴方は愛したい、戻りたいと言うだけで、許せと要求するの?」と声を荒らげた。電話を切った彼女は好きなレコードを掛けて踊り、ポールを誘って一緒に酒を飲んだ。ポールとエイドリアンは、ジーンが貯蓄している缶詰を次々にゴミ箱へと投げ込んだ。
翌朝、エイドリアンはポールに、「沿岸警備隊から正式な警報が発令されたわ。帰るなら急いだ方がいい」と告げる。ポールが「唯一の便が取れなかった」と言った直後、ホテルにロバートとチャーリーがやって来た。「何があったか知りたい」とロバートに言われたポールは、「奥さんの死因は、5万人に1人の確立で起きる麻酔の副作用です。何度も振り返りましたが、手術に落ち度は無かった」と告げた。ロバートは「43年連れ添った妻を失ったんだぞ」と言い、チャーリーと共に車で去った。
エイドリアンから「彼は奥さんを亡くしたのよ。私も父親を亡くした。彼がここへ来るのに、どれだけ勇気が必要だったか。彼の悲しみを少しも思いやらなかった。自己弁護だけ」と非難されたポールは、「当然だろ、僕を訴えてるんだぞ」と反論した。「僕は彼女を救おうと手を尽くした。それを説明しただけだ」とポールが言うと、エイドリアンは「説明なんて求めてない。彼は貴方が向き合うのを待ってる。何を恐れてるの」と怒鳴った。
ポールは「そっちこそ。人生は選択の連続だ。今の人生も、夫も君が選んだ。また繰り返す気か」と言うと、エイドリアンは「やめて」と腹を立てた。大型ハリケーンの到来でホテルは停電になり、電話も通じなくなった。エイドリアンは緊急用の発電機を使おうとするが、まるで役に立たなかった。吹き込む強風で箪笥が倒れた時、ポールは下敷きになりそうなエイドリアンを助けた。ポールとエイドリアンは、抱き締め合い、そして激しい口づけを交わした。
翌朝、ハリケーンは通り過ぎ、静かな中でポールは目を覚ます。エイドリアンは砂浜にいて、「ダニーが発作を起こしたの。近くにいてあげられなかったのは初めて」とポールに告げる。「電話は通じなかった。自分を責めるなよ」という励ましに、エイドリアンは「無理よ。責めずにいられない。私の誇りは良き母親でいることだけ。子供を犠牲にしてまで好きなことは出来ないの」と苛立ちを見せた。ポールはエイドリアンに、「君が羨ましい。いい母親を持って、君の子供は幸運だ。君の夫も、素晴らしい妻を持って幸運に思うべきだ」と話す。ポールが車で出掛けようとすると、エイドリアンは助手席に乗り込んだ。ポールはロバートと会い、彼の妻であるジルの話を聞く。夫婦が深い愛情で結ばれていたことを聞かされたポールは、彼に謝罪した。ポールとエイドリアンは埠頭で開催された蟹パーティーへ出掛け、大いに楽しんだ。桟橋でキスを交わした2人はホテルへ戻り、肌を重ねた…。

監督はジョージ・C・ウルフ、原作はニコラス・スパークス、脚本はアン・ピーコック&ジョン・ロマーノ、製作はデニーズ・ディ・ノヴィ、製作総指揮はダグ・クレイボーン&アリソン・グリーンスパン&デイナ・ゴールドバーグ&ブルース・バーマン、撮影はアフォンソ・ビアト、編集はブライアン・A・ケイツ、美術はパトリツィア・フォン・ブランデンスタイン、衣装はヴィクトリア・ファレル、音楽はジャニーン・テソリ。
出演はリチャード・ギア、ダイアン・レイン、スコット・グレン、クリストファー・メローニ、ヴィオラ・デイヴィス、メイ・ホイットマン、パブロ・シュレイバー、チャーリー・ターハン、ベッキー・アン・ベイカー、アトー・エッサンドー、リンダ・モロイ、キャロリン・マコーミック、テッド・マンソン、テリー・デニース・ジョンソン、ジェシカ・ルーカス、マリセラ・ラミレス、キンバリー・ソウルズ、アイリーン・ジーグラー、ディヘドリー・アギラー、ウィリアム・D・フーパー他。


ニコラス・スパークスの同名小説を基にした作品。
2005年のテレビ映画『ブルース・イン・ニューヨーク』で高い評価を受けたジョージ・C・ウルフが、初めて劇場用作品の監督を務めている。
脚本は『ナルニア国物語/第1章:ライオンと魔女』のアン・ピーコックと『奇蹟の詩 サード・ミラクル』のジョン・ロマーノ。
ポールをリチャード・ギア、エイドリアンをダイアン・レイン、ロバートをスコット・グレン、ジャックをクリストファー・メローニ、ジーンをヴィオラ・デイヴィス、アマンダをメイ・ホイットマン、チャーリーをパブロ・シュレイバー、ダニーをチャーリー・ターハン、ベッキーをベッキー・アン・ベイカー、ジーンの恋人をアトー・エッサンドーが演じている。
アンクレジットだが、マーク役でジェームズ・フランコが出演している。

ニコラス・スパークスは映画界から重宝されている小説家であり、この作品以前には『メッセージ・イン・ア・ボトル』『ウォーク・トゥ・リメンバー』『きみに読む物語』の3作が映画化されている。
それらに共通しているのは、「しっとりとした雰囲気の中で、じんわりと感動させることを狙った恋愛劇」ということになるだろうか。
そして本作品も、そういう映画だ。
別の言い方をするならば、ベタベタなメロドラマである。

製作サイドが主演コンビにリチャード・ギアとダイアン・レインを起用したのは、「『運命の女』の夢よ、もう一度」ってことなんだろう。
あざとい部分はあるけれど、そういう狙いで2人を起用するのは、そんなに悪くない考え方だ。
この手の映画を見る観客、特に成人女性の中には、『運命の女』を見ている人も多いだろう。そういう観客は、リチャード・ギアとダイアン・レインの組み合わせで『運命の女』を連想して、そこで勝手にロマンスの雰囲気を脳内補完してくれる可能性もある。
そうなれば、製作サイドとしては万々歳だろう。

映画が始まって最初に引っ掛かるのは、ジャックが「やり直したい」と切り出した時のエイドリアンの反応。
もちろん驚きや動揺を見せるのは当然だが、そこに「怒り」とか「完全なる拒絶」といった態度が見えないのだ。むしろ、フロリダへ行くことを拒むのに「ジーンを手伝うから」と理由を付けているし、「また来週話そう」という言葉には応じている。
そうなると、「まだジャックに対する恋心が残っている」とか、「ヨリを戻す可能性が充分に残されている」という風に感じられる。
しかし、そこはジャックに対する完全なる拒絶を示した方がいい。そこに揺らぎや迷いを盛り込むのは、その後の展開を考えると得策に思えない。

そこでエイドリアンが完全に拒絶せずに迷いを示すのは、「子供たちはパパに戻って欲しいと思っているから」ってのが、ジーンとの会話から読み取れる。
それは腑に落ちる理由ではあるんだけど、まだジャックが「子供たちのことを第一に考えてくれ」と言う前の段階から、既にエイドリアンの中には迷いが見える。
たぶん「子供たちのことも考えてジャックとヨリを戻そうか迷っていたエイドリアンが、ポールと出会ったことで迷いを断ち切り、新たな人生を歩み始めようと決意する」という話にしたかったんだろう。
だけどアマンダからの電話でジャックが子供たちを巻き込んだと知った時に激怒しているぐらいだし、別にポールが絡もうが絡むまいが、エイドリアンはヨリを戻すことは無いと思うんだよね。それに、序盤で迷いを持たせておいたことが、物語の中で上手く使われているとも思えないし。

ポールがロバートからの手紙を受け取って会いに来たのは、謝罪の意思があるのかと思いきや、まるで違っていた。
確かに「弁明したい」とは言っていたけど、だったら「「奥さんの死因は、5万人に1人の確立で起きる麻酔の副作用です」というコメントで終わればいいのよ。
ところがポールは、続けて「何度も振り返りましたが、手術に落ち度は無かった。訴えても無駄です」と言い放つのだ。
妻を手術で亡くした男を前にして、そこまで悪びれずに堂々とした態度を取れるのは、凄いっちゃあ凄いけど、好感度を一気に下げる。

実際、ロバートが去った後でエイドリアンが激しく非難するのだが、そこに来てポールを不愉快な奴にしている意味が全く分からない。
さすがにポールを嫌な奴のままで終わらせるわけもなく、その後には「ロバートの元を訪れて詫びを入れる」という展開があるんだけど、前述したシーンで感じた不愉快な印象の負債は、それでは返し切れないのよね。
それに、なぜポールが詫びようという気持ちになったのか、変化のきっかけが全く分からんのよ。
その直前にエイドリアンがダニーのことで自分を責めるシーンがあるんだけど、「だからポールはロバートに詫びる気になりました」ってのが、方程式として全く成立していない。ワシには理解できないような、難解な方程式が使われているんだろうか。

ジーンの経営する古そうなホテルは、海辺の砂浜にポツンと建っている。
周囲には何の建物も無く、そのホテルだけが不自然なぐらい孤立した状態で建っている。
序盤でジーンが「ハリケーンで停電したら緊急用の発電機がある。動くかどうか分からないけど、思い切り蹴れば大抵の物は直る」と言っている。
ロングショットで立地条件に違和感を覚えるようなホテルの設定にしてあるのは、後で「ハリケーンの直撃を受けてポールとエイドリアンが巻き込まれる」という展開を用意したいからだ。

ポールとエイドリアンはハリケーンの直撃を受ける中、その直前まで喧嘩していたのに、抱き合ってキスを交わす。
いや、理屈としては分かるのよ。どれだけ喧嘩をしていようと、不安や恐怖の中で2人きりになることで火が付いてしまうってのはね。
ただ、それってホントの恋愛感情じゃなくて、いわゆる吊り橋効果に過ぎないわけで。あるいは、「危機的状況の中で、本能がもたらした性欲の高まり」に過ぎないわけで。
そういうのを、メロドラマの盛り上がりにしちゃっていいのかと。

ハリケーンが去った後、エイドリアンは「私の誇りは良き母親でいることだけ。子供を犠牲にしてまで、好きなことは出来ないの」と語る。彼女のアイデンティティーがそこにあったことが、初めて明かされる。
言葉として明示されるのは、そこが初めてでも構わない。
だけど、そこまでのドラマの中で、そういうことが見えて来なきゃダメでしょ。そういう描写があった上で、そのセリフに辿り着くべきでしょ。
でも実際には、その台詞があって初めて「そういう女だったのか」と分かるわけで、描写の手落ちがあると言わざるを得ない。

冷静に考えると、ジャックの不倫を批判していたエイドリアンも不倫していることになる。
もちろん先に不倫して家を出たのはジャックだし、実質的に夫婦関係は破綻しているのだから、「そんな状況でエイドリアンが他の男と関係を持っても何ら責められることなど無い」と主張するのは簡単だ。それに、大抵の観客は、そんなことでエイドリアンを批判しようとは思わないだろう。
しかし本作品は、それだけで留まっていない。さらに巧みな方法で、エイドリアンを擁護するための状況を用意する。
それが「ポールの死」だ。

終盤、エクアドルへ旅立ったポールの帰りを待っていたエイドリアンの元にマークが現れ、父親の死を伝える。突然の嵐の中で診療所から医薬品を運び出そうとしたポールは、土砂崩れに巻き込まれて命を落としたのだ。
ポールを死なせることによって、エイドリアンは全面的に「悲劇のヒロイン」という立場を確立することが出来る。もはや不倫相手も死んでしまったので、そこに関して責めることも出来なくなる。
ポールの事故死というのは、あざといと言えなくもないが、これがメロドラマであることを考えると、そういうのは珍しくない。
っていうか、この映画から「あざとさ」という要素を排除したら、何も描けなくなってしまう。
あざとくても、ベタベタでも、古臭くても、男女関係や親子関係の変化を描写するドラマが弱くても、ターゲットにしているであろう女性客(たぶん主に20代から40代)が感動すれば映画としては勝利なのだ。

(観賞日:2014年11月25日)

 

*ポンコツ映画愛護協会