『少年マイロの火星冒険記 3D』:2011、アメリカ

火星の地下に巨大な施設があり、土の中から火星人の子供が次々に誕生した。それを眺めていた火星人の総統は、科学者に指示して 監視モニターに地球を写し出させた。総統は複数の地球人をチェックし、一人の女性を標的に決めた。それは9歳の少年マイロのママだ。 ママからゴミを捨てるよう指示されたマイロは、「毎日やらされてる」と文句を言いながら、外にあるゴミ捨て場へ運んだ。
マイロが家に戻ると、電話が掛かって来た。ママから「出てくれる?」と頼まれたマイロは、また文句を言いながら受話器を取った。相手 はパパだった。今日は一緒に映画を見に行く予定だったのだが、悪天候で飛行機が欠航になり、間に合いそうにないとという。残念がる マイロに、ママは「夕食を全部食べたらケーブルテレビを見させてあげる」と持ち掛けた。マイロはママに内緒で、嫌いなブロッコリーを 飼い猫に与える。しかし猫が吐いているのを目にしたママは、マイロの仕業だと気付いて叱った。
マイロが屁理屈ばかり言って反発すると、ママは「ベッドに行きなさい」と命じた。マイロが眠らずにベッドの上で跳ねるので、またママ は叱った。マイロが「ママなんていない方がずっといいよ」と口にすると、ママは悲しそうな表情になり、黙ってドアを閉めた。マイロは 「言っちゃいけないことを言ってしまった」と反省し、謝りに行こうとする。しかし部屋に行くと、ママは火星人に眠らされて拉致される ところだった。マイロが慌てて追い掛けると、火星人は宇宙船にママを運び込んだ。
マイロは宇宙船を激しく叩き、「ママを返せ」と叫ぶ。宇宙船が発進する際、マイロはアーム部分にシャツを挟まれて浮かび上がった。 アームと共に宇宙船に格納されたマイロは、気を失ってしまう。宇宙船は火星に到着し、マイロは地下刑務所に連行された。マイロが意識 を取り戻すと、そこはカプセルの中だった。彼がカプセルの壁を叩いていると、ドアが自動的に開いた。マイロが外に出ると、どこからか 「第3シュートに飛び込め」と囁く声がした。マイロが「どうして?」とためらっていると、火星人の衛兵が現れた。衛兵に発砲された マイロは、慌てて第3シュートに飛び込んだ。
マイロは広大なゴミ集積場に落下し、毛むくじゃら族と遭遇する。彼は「僕はママを見つけたいんだ」と説明するが、言葉が通じない。 そこへ飛行ロボットのツーキャットが出現し、マイロを吊り上げた。「落ち着けよ」と先程の声が聞こえ、ロボットはマイロを別の場所に 運ぶ。ロボットがマイロを落とした場所にはグリブルという人間がいて、「俺は銀河系の共産主義を調査している宇宙スパイだ」と告げた 。グリブルは様々な道具を発明しており、ツーキャットも彼の発明だった。
グリブルはマイロに翻訳機を渡し、監視モニターに写る火星人の言葉を聞かせる。彼はウイングナットという毛むくじゃら族の一人と 暮らしていた。マイロは「ここで暮らそうぜ、一緒に遊ぼう」と誘うが、マイロは拘束されているママをモニターで発見する。総統が 「この者は抹殺する」と言うのを聞いたマイロは、グリブルに「どういうこと?」と尋ねる。グリブルは「言いたくない」と話を逸らそう とするが、マイロが詰め寄ると「火星にはママが必要なんだ」と口にした。
グリブルはマイロに、火星人の説明をする。火星人の子供は25年ごとに土から生まれる。しかし火星人は子育てが下手だ。一方でロボット 作りは得意なので、女の子用に子育てロボットを作っている。しかし一人を育てると壊れてしまうため、新しいロボットが必要になる。 子育てロボをプログラムするため、火星人は子育ての上手な人間を捜していた。そこでマイロのママから子育ての思い出を抜き取り、それ をロボットにインプットするつもりなのだ。太陽から出るプラズマで、記憶を抜き取る装置は動くのだという。
マイロが「ママを助けなきゃ」と焦ると、グリブルは「無理だよ、諦めるしかない」と言い、残り7時間弱しかないことを教える。しかし 不意にグリブルは、「いいこと思い付いた」と言う。彼はマイロを火星人に変装させ、地上へ行かせる。しかしグリブルは、すぐにバレる と確信していた。マイロがピンチになったところを助ければ、マイロが自分に感謝するだろうと考えたのだ。彼は「これで懲りたら、もう 出ないだろう」とほくそ笑んだ。
基地に侵入したマイロは、壁に花の落書きがあるのを目撃する。火星人の隊列に紛れ込んだマイロだが、要塞への検問所で変装がバレた。 グリブルはボタンを押してマイロをメンテナンスフロアに落下させ、救おうとする。しかし間違えて隣の列のボタンを押してしまい、 マイロは衛兵に捕まった。マイロはエレベーターでグリブルの指示を受け、衛兵の隙を見て逃げ出した。彼は薄暗い部屋に飛び込み、扉を 閉める。マイロは通信装置を外している間に、居場所を突き止められたグリブルは衛兵に捕まった。
再び通信装置を装着したマイロはグリブルに呼び掛けるが、もちろん応答は無い。衛兵が来たため、マイロは建物の外に逃れた。外壁を 伝って移動していると、花の落書きをしている火星人のキイが現れる。マイロが驚いて転落すると、キイが救出した。キイはヘルメットを 脱がし、相手が人間と知って驚いた。キイはマイロの背中に付いていた監視装置に気付き、「貴方が喋っていた相手を監視していたのよ」 と教えた。マイロはグリブルの元へ戻るため、慌ててエレベーターに乗り込んだ。
マイロを追い掛けて来たキイは、浮かれた様子で「地球人のことを教えてよ」とせがむ。「地球の言葉、どこで覚えたの?」とマイロが 質問すると、キイは行政ブロックで働いていたことがあることを話す。その時、総統と長老が極秘資料として見ていた地球の映像に強い 関心を抱き、こっそり記録を取ったのだという。それはヒッピーたちがワゴン車に花をペイントしている映像だった。それに影響を受けて 、キイも花を描くようになったのだ。
マイロは「ママを助けに行く」と言うが、キイには「ママ」という存在が理解できなかった。マイロ第3シュートに飛び込み、グリブルの 隠れ家に戻った隠れ家は破壊されており、そこにグリブルの姿は無い。マイロはグリブルの私物の容器を見つける。容器を開けたマイロは 、幼いグリブルと母親の姿がプリントされているTシャツを発見した。そのタグや写真を見たマイロは、グリブルが本当はジョージ・ リブルという名前であること、子供の頃に火星へ来たことを知った。
マイロはツーキャットを発見し、そのモニターに写るグリブルを目にする。グリブルは処刑場へ連行されていた。彼が銃殺されそうに なったところへ、マイロが駆け付けた。総統から射殺を命じられたキイだが、マイロに銃を投げ渡した。マイロは足元を撃ち、グリブルと 共に落下して処刑場から逃亡する。ゴミ集積場に落ちた2人だが、そこへも衛兵がやって来た。海に転落した2人は、陸地に辿り着いた。 マイロが時刻を確認すると、朝日が昇るまで3時間半を切っていた。
マイロが「ママを助けに行かなきゃ」と言うと、グリブルは「上に行くのは無茶だ。俺は殺されかけたんだぞ。俺はもう上には行かない」 と協力を拒んだ。マイロは「ジョージ」と呼び掛け、持って来たTシャツを見せた。マイロが「ママをさらわれたんでしょ。気持ちは良く 分かるよ」と告げると、グリブルは「お前に分かるわけないだろ」と涙声になった。彼は、母親をさらわれたこと、後を追って宇宙船に 乗り込んだこと、助ける間際で装置が動き出して母親が死んでしまったことを話した。
グリブルはマイロに、「上へ行って、2人でお前のママを助けよう」と告げた。そこにキイがツーキャットと共に現れ、手助けを買って 出た。マイロたちは上へ行く途中、火星人の両親と子供が描かれた絵を見つける。マイロは「ここにも家族があったんじゃない?」とキイ に言う。「総統は、火星人はずっとロボットに育てられてきたって」と動揺するキイに、グリブルは「それは嘘だな」と告げた。
キイはマイロとグリブルに、基地の構造を説明する。要塞のてっぺんの地表に管制センターがあり、記憶抽出マシンの中にママがいる。 地球へ戻る宇宙船はサイロの中だ。しかし衛兵たちがマイロとグリブルを捜しており、要塞に近付くのも難しい。そこでマイロは、刑務所 に行けばいいのだと思い付いた。宇宙船のサイロは、刑務所の隣にあるからだ。サイロを登れば、地表に出ることも出来る。
キイはマイロとグリブルを捕まえたことにして、監視室に連行した。キイは衛兵を気絶させ、グリブルが監視カメラを止めた。グリブルは 刑務所にウイングナットが捕まっているのを発見し、カプセルの扉を開ける。しかし他も全て開けたため、毛むくじゃら族が一斉に出て きた。その時、モニターに火星人の子供たちが写った。グリブルはマイロに、「女の子には子育てロボが付き、男の子は地下に落とされて 毛むくじゃら族に育てられる」と説明した。しかし今は全ての毛むくじゃら族が刑務所にいるので、このままだと地下に落とされた子供は 放置されてしまう。
マイロは「急がないと」と言うが、グリブルは火星人の子供たちを救うため、毛むくじゃら族に「第3シュートに入れ」と指示する。だが゛ 、毛むくじゃら族の物分かりが悪いので、グリブルはウイングナットを最初に行かせた。マイロたちはサイロに到着した。マイロはハシゴ を上がって地表に出る。その間にグリブルとキイが、宇宙船の発射準備に取り掛かる。マイロは地上を走って記憶抽出マシンへ向かうが、 穴に落ちてしまう…。

監督はサイモン・ウェルズ、原作はバークリー・ブリーズド、脚本はサイモン・ウェルズ&ウェンディー・ウェルズ、製作はロバート・ ゼメキス&ジャック・ラプケ&スティーヴ・スターキー&スティーヴン・J・ボイド、製作協力はライアン・チャン、撮影はロバート・ プレスリー、編集はウェイン・ワーマン、美術はダグ・チャン、視覚効果監修はケヴィン・ベイリー、アニメーション監修はハック・ ヴァーツ、デジタル製作総指揮はサンドラ・スコット、音楽はジョン・パウエル。
出演はセス・グリーン、ダン・フォグラー、ジョーン・キューザック、エリザベス・ハーノイス、ミンディー・スターリング、ケヴィン・ カフーン、 トム・エヴェレット・スコット、ジャッキー・バーンブルック、マシュー・ヘナーソン、アダム・ジェニングス、スティーヴン・キアリン 、アンバー・ゲイニー・ミード、アーロン・ラプケ、ジュリアン・レネ、カーステン・セヴァーソン、マット・ウルフ、レイモンド・ オチョア、ロバート・オチョア、ライアン・オチョア他。


バークリー・ブリーズドの絵本を基にした3Dコンピュータアニメーション映画。
監督は『プリンス・オブ・エジプト』『タイムマシン』のサイモン・ウェルズ。
パフォーマンス・キャプチャー(俳優の動きをモーション・キャプチャーで記録し、そのデータから登場人物を レンダリングする技術)が採用されている。
マイロをセス・グリーン、グリブルをダン・フォグラー、ママをジョーン・キューザック、 キイをエリザベス・ハーノイス、総統をミンディー・スターリング、ウィングナットをケヴィン・カフーンが演じている。
基本的にはモーション・キャプチャーを担当した俳優が声を出しているが、マイロだけはセス・ダスキーが吹き替えている。
日本語吹替版では、濱田龍臣がマイロの声を担当した。

製作を務めているロバート・ゼメキスは、パフォーマンス・キャプチャーに強いこだわりがあるようだ。
監督を務めた2004年の『ポーラー・エクスプレス』から、2006年の『モンスター・ハウス』(製作総指揮)、2007年の『ベオウルフ/ 呪われし勇者』(監督)、2009年の『Disney'sクリスマス・キャロル』(監督)、そして本作品と、5作もパフォーマンス・キャプチャー を使用した3Dアニメーション映画を手掛けている。
ただ、この作品がボロコケして大赤字を出したので、今後は製作が難しくなるかもしれない。
映画会社の方も、製作や配給を敬遠する可能性があるし。

これを言っちゃうと元も子も無いのかもしれんけど、パフォーマンス・キャプチャーって、それを使う必要性が全く分からないのよね。
だってさ、ここまで人間にリアルに近付けるために、俳優の動きをレンダリングするぐらいなら、俳優を起用して、そのまんま実写で 作ればいいでしょ。
ものすごく手間や金を掛けて、わざわざ「人間が演じた動きを、本物の人間に似せたリアルなCG映像に加工する」と いう作業を施す意味が分からんのよ。
登場キャラが人間と全く異なるのであれば話は別だけど、火星人はともかく、マイロとママとグリブルは、人間だからね。
しかも造形がリアルだから、なんか気持ち悪いんだよな。本物の人間に似せてあるけど、動きも表情も本物の人間と比べるとスムーズじゃ なくて違和感が残るモノだから、ちょっと不気味なのよ。
あと、ちっとも魅力的に見えないし、感情移入も難しい。
外見は人間に似ているけど、なんか血が通っていないというか、温かさを感じないんだよね。

マイロは外見だけでなく、中身にも可愛げが感じられず、全く感情移入できないんだよなあ。
ただのウザいガキンチョにしか感じられない。
9歳の子供という設定だから、バカだったり身勝手だったりするのも、ある程度は受け入れてやるべきなんだろうけど、ワシに寛容な 気持ちが不足しているのか、それが無理だった。
グリブルに頼ってばかりなのも、もちろん子供だから当たり前なんだけど、「グリブルには何のメリットも無いし、無関係なんだから、 助けてくれるのが当たり前、みたいな態度を取るなよ」と言いたくなる。
何とか自分で助け出そうという意識を持てと言いたくなる。

グリブルが母を殺された時のことを語り、「もう愛してるって言えない」と漏らした時、マイロは「愛してるって言えないって、どういう 意味?」と尋ねる。
それも子供だから理解できなくて当然なのかもしれないけど、「理解してやれよ。っていうかデリカシーを持てよ」と 言いたくなる。
母が殺された時のことを喋っているグリブルに対して、もう少し思いやりを持った態度を示せと言いたくなる。

火星人の子供たちが放置された状態になることを危惧したグリブルが、毛むくじゃら族に「第3シュートへ飛び込め」と必死に説明して いる時、マイロは「行こう、もう急がないと。もう分かってるって」と急かす。
そりゃあ、ママを助けるのに時間が無いことは分かるよ。
だけどさ、そこで毛むくじゃら族が指示に従わなかったら、火星人の子供たちが放置されちゃうのよ。
自分のママさえ助かれば、火星人の子供たちがどうなっても構わないという態度は、ちょっと不愉快に感じるぞ。

っていうか、そこに限らず、マイロってホントに自分本位なんだよね。
処刑されそうになっていたグリブルを助けるのだって、正義感とか「友達だから助けないと」ということじゃなくて、「グリブルがいない とママを助けられない」というのが理由だからね。
もしもママを助けるのに必要が無い存在だったら、たぶん助けになんか行かなかっただろう。
子供だから、ある程度は自分本位でワガママなのも許容してやるべきなのかもしれんが、ワシには無理だった。

そんなマイロとコンビを組むグリブルも、後半に入って母親を殺されたことが明かされると同情心も沸くが、それまでは、単に騒がしい奴 というだけだ。
『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』のジャー・ジャー・ビンクスや、『ダンジョン&ドラゴン』のスネイルズを 連想してしまったぐらいだよ。
ジャー・ジャー・ビンクスとか、あるいはジャー・ジャー・ビンクスとか、他にもジャー・ジャー・ビンクスなんかが大不評だったことを 、製作サイドは知らないのか、もしくは知っているけど何も学ばなかったのかと思ってしまったぞ。

マイロがママを助けて呼吸するためのヘルメットを被せた後、総統が発砲してくる。マイロはママを助けるため突き飛ばすが、転んだ弾み でヘルメットのガラスが割れてしまう。
おいおい、弾丸が当たって割れるならともかく、転んで地面にぶつかっただけで割れるのかよ。
どんだけ脆いんだよ。
「ママがマイロのために自分のヘルメットを被せる」という感動的なシーンを作りたいのは分かるけど、もう少し上手いやり方をして くれよ。
感動シーンの直前に、バカバカしいツッコミ所を作っちゃダメでしょ。

それと、ママが自分のヘルメットをマイロに被せて、自分は気を失うというのは確かに感動的なシーンではあるけど、 子供向け映画なのに、大人目線のシーンになっちゃってるんだよね(ママの視点映像になっているという意味だけじゃなくて)。
あとさ、子供向け映画で、そういう感動って必要なのかなあと。
そんな感動を持ち込むことより、もっとワクワク感やドキドキ感、明るさや楽しさを意識した方がいいんじゃないかと。

それと、マイロが焦っている中で、駆け付けたグリブルが少し離れた場所までダッシュし、地中からヘルメットを掘り出してママに被せて 助けるんだけど、その予備ヘルメット、いつの間に用意されていたのよ。
どうして、そんな場所にヘルメットが埋めてあったのよ。
何か伏線ってあったかな。まるで記憶に無いんだけど。
ってなわけで、感動シーンをツッコミ場で挟んでいる状態なんだよな。

地球に戻ったマイロは、自分でゴミの袋を持って外に出る。
でも、玄関の外に出たところで、光線銃(火星から持って来たのかよ)を発射して中身を燃やしている。
いやいや、ダメだろ。
せっかく、文句も言わずに自分からゴミを捨てるという行動で「成長」を見せたのに、それをやると「何も成長していないじゃねえか」と 言いたくなってしまうぞ。
ちゃんとゴミ捨て場まで持って行けよ。
なんで玄関の外に出たところで燃やしているんだよ。

(観賞日:2012年6月10日)

 

*ポンコツ映画愛護協会