『最高の人生のはじめ方』:2012、アメリカ

小説家のモンテ・ワイルドホーンは甥のヘンリーが運転する車に乗り、避暑地にやって来た。ヘンリーに勧められ、夏の間は湖畔の家で暮らすことにしたからだ。ヘンリーが借りた家はオンボロで、モンテは顔をしかめた。所有者のデイヴが飼っているリンゴという犬の世話が必要だと言われたモンテは、不機嫌そうな様子を見せた。隣に住むシングルマザーのシャーロット・オニールと娘のウィロー、フィン、フローラは、電動車椅子で家へ入って行くモンテに気付いた。シャーロットは「じっと見ていたら失礼よ」と告げ、ウィローとフローラを連れて家に入る。だが、フィンだけはモンテのことが気になって見つめ続けた。
家に入ったモンテが叫ぶと、フィンはヘンリーに「何に怒ってるの?」と尋ねた。ヘンリーは「人生さ」と答えた。ヘンリーはモンテに小説を書いてもらいたいと思い、タイプライターを運び込み、編集者のジョーにも連絡を入れていた。しかしモンテは全く創作意欲を示さず、酒を寄越せと要求した。ヘンリーは過去にモンテが受賞したバッカルー賞の盾も持参しており、それを飾って「受賞はメアリーの誇りだったからね」と言う。妻のメアリーが癌で死んで以来、モンテは創作意欲を失い、酒に溺れるようになっていた。
フィンはフローラに、「まともじゃないから叫ぶのよ。ネズミを飲み込んで吐き出すのを見たわ。彼の一番の好物はミミズよ。見られただけでも危険だから指で十字架を作るのよ。彼は夜中に開いている窓を見つけて忍び込み、長い舌で貴方の足を舐めるのよ。気付いても起きたら駄目よ。バレたらつま先を噛み切られるわ」とモンテについて教えた。夜、寝室でフローラが「パパに会いたい」と悲しむので、フィンが励ます。そこへシャーロットが来てフローラを抱き締め、「辛いわね。でも会いに来てくれるわ」と告げる。「どうしてパパとまた結婚しないの?」と訊かれたシャーロットは、「一緒にいると幸せになれないのよ」と説明した。
翌朝、リンゴがオニール邸に入り込み、寝ているウィローの足を舐めた。ウィローは絶叫して飛び起き、リンゴはモンテの元へ戻った。モンテは「お前の名前を変える。お前は今日からスポットだ」と告げた。酒が切れたのでモンテは送迎サービス会社に電話を掛け、バスを呼んで買い物に赴いた。彼が買い物から戻ると、シャーロットがスポットの散歩をさせていた。シャーロットはモンテに挨拶し、デイヴとは付き合いが長いこと、彼のツアー中は自分が犬を散歩させていたことを話した。モンテが「今後は私の犬の散歩を遠慮願いたい」と告げたので、シャーロットは犬を引き渡した。
近所に住むアル・カイザーがモンテを訪ねて、昨日に死去したドンの追悼会に出席してほしいと求めた。「彼のことは良く知らない」とモンテは言うが、アルは「食べ物を持ち寄るんです。では5時に」と告げて立ち去ってしまった。一方、オニール家の3姉妹は父からの電話を期待していたが、シャーロットは「今に掛かって来るわ」と言う。フィンは遅々とイカダを作ってベル島に行くことを夢見ていたが、「あそこは魔法の島なの」と言う彼女にウィローは冷たく「妄想ね」と告げた。
シャーロットはウィローとフィンに、追悼会へサラダを届けるよう頼む。ウィローはゲームをしながら「忙しい」と断るが、フィンは承諾した。モンテが追悼会へ行くと、アルは「私は貴方の書いた西部劇小説のファンなんです」と述べた。そこへフィンが来るとアルはモンテに紹介し、「彼は西部劇の小説家なんだ。ジューバル・マクローズは早撃ちガンマンだ」などと興奮した口調で語った。フィンはモンテに、「ここの出身じゃないの。ニューヨークに住んでた。親が離婚するからママとここで暮らすの」と話す。
知的障害の青年が来ているのに気付いたモンテが「彼は?」と訊くと、フィンは「カール・ループよ。ママは特別な子だって」と述べた。フィンが「小説家なんでしょ。私は宇宙人の話が好きなの」と言うと、モンテは「地球を離れなくても話は書ける」と告げた。フィンに「どうやって話を作るの?」と質問されたモンテは、「想像力を使うんだ。人類が持つ最も強い力だ」と答えた。アルはモンテに、「弔辞を書いたが自信が無い。代わりに読んでほしい」と頼む。モンテは断るが、強引に押し付けられたので弔辞を読んだ。
追悼会からの帰り道、フィンはシャーロットにモンテが小説家だと教えた。シャーロットはモンテがループ母子と一緒にいる様子を目にした。カールの母親であるカレンは、夫が出産後に出て行ったことを話す。「何か私に出来ることは?」とモンテが言うと、カレンは「カールに電話が掛かって来たことが無いの」と告げて名刺を渡した。モンテはカールに、「私の右腕にならんか、ディエゴ・サンタナ。列車強盗で指名手配されとるぞ。鉄道会社が私たちを追っている」と告げた。
フィンは汚い言葉を使った罰として、新しい言葉を3つ覚えるよう母から宿題を出された。彼女はモンテの元へ行き、言葉を教えてほしいと頼んだ。フィンは他にも複数の質問を投げ掛け、「なぜ歩けないの」と尋ねた。するとモンテは「秘密を守れるか?」と確認してから、「保険会社から金を騙し取るんだ。本当は歩ける」と述べた。するとフィンは、「お話の作り方を教えてくれたら、代わりに保険会社の人を見張る」と取り引きを持ち掛けた。彼女が報酬も支払うと言うと、モンテは「もう授業は終わった。私は歩けない。話を作ったんだ」と語る。フィンが責めると、「走る私や、スーツを来た保険会社の男たちが見えただろう?それが想像だ」と彼は告げた。モンテに「次の授業は明日だ」と言われ、フィンは立ち去った。
フィンは古書店へ行き、最後の1ページが破れているモンテの代表作『ジューバルの冒険』を購入した。シャーロットがモンテを夕食に招くことを提案すると、フィンは大喜びした。フィンはモンテに金を渡し、2回目の授業を要求した。モンテは道路を眺めさせ、見えない物を心の目で見るよう指示した。フィンは「今夜7時に食事に来て」と告げて走り去った。モンテはヘンリーから電話があったので、食事に招かれたことを話す。ヘンリーから土産を持参するよう助言されたモンテは、姿見を持ってオニール家へ赴いた。フィンは『ジューバルの冒険』の内容について質問し、モンテは詳しく答えた。
ウィローだけは不機嫌そうだったが、シャーロットとフローラは笑顔でモンテとの夕食を過ごした。フローラから「7歳になるの。誕生会に来て」と誘われたモンテは、喜んで承諾した。モンテはピアノに気付くと、シャーロットが演奏した。楽しい気分で帰ろうとしたモンテはシャーロットから断筆の理由を問われ、「信仰を捨てた理由と同じだ。神が無神論者だと知った」と言う。シャーロットが「ジューバルに愛する人は?」と訊くと、「愛した女は1人だけ。しかしインフルエンザで亡くし、その後は誰も愛していない」と彼は語った。
翌朝、モンテは授業を求めるフィンに再び道路を見せ、心の目で見えない物を見るよう促す。「出来ないわ」とフィンが困っていると、彼は想像力を使うよう説いた。酒を切らしたモンテはカールに電話を掛け、一緒に買い物へ出掛けた。酒を買って戻ったモンテは、カールの家で一緒にTVゲームを楽しんだ。帰宅したモンテはフィンの訪問を受け、「外に出て、そこに無い物を教えてくれ」と告げる。フィンが少女の物語を饒舌に語ったので、モンテは「おめでとう。初めて物語を作った。才能がある」と褒めた。フィンが喜んで去った後、モンテはタイプライターに向かい、久しぶりに原稿を執筆した。
モンテはフローラの誕生会に出席し、彼女に顔のペイントをしてもらう。シャーロットは終日契約でクラウンを呼んでいたが、「用事がある」と途中で帰ることを告げる。父親から出席できないという電話が入り、フローラはすっかり落胆してしまった。ウィローが父の元へ行きたがるので、シャーロットは「フローラの誕生会にも来ない人よ」と認めない。ウィローは「ママがいるからよ」と激しく反発した。モンテはフローラに声を掛け、彼女が好きな象の物語を書いた原稿をプレゼントした。フローラは元気になり、嬉しそうにシャーロットの元へ走った。クラウンの傲慢な態度に腹を立てたモンテは、拳銃を発砲して謝罪させ、その場から追い払った。
翌朝、モンテはシャーロットから、フローラにゾウの物語を読み聞かせたこと、続きを読みたがっていることを話す。モンテは続編を書くことを約束した。フィンはベル島へ行く筏を母の協力で完成させ、カールと共に出発しようとする。ウィローはシャーロットから「貴方が同行しないのなら許可しない」と言われ、渋々ながら付いて行った。フィンが島で発見したランチボックスには、シャーロットの子供時代の日記が入っていた。深夜、ウィローは内緒で日記を持ち出し、自分の部屋で読んだ。
フィンはシャーロットの言葉で、モンテがゾウの物語をフローラのために書いたことを知った。フィンは腹を立ててモンテの元へ押し掛け、「ジューバルに救われたんでしょ。他の物語を書くなんて裏切り行為だわ」と批判して立ち去った。ウィローはモンテに、「妹は貴方を特別な存在だと思っているのよ。違うなら、妹にはふさわしくないわ」と告げた。その夜、ジョーが有名な映画俳優のルーク・フォードを連れてモンテの元を訪れた。ルークは『ジューバルの冒険』の映画化権を取得したいと希望するが、モンテは「現実は理想と違うが、理想に近付く時もある。今はそういう時期だ。だから。しばらくは現実を生きたいと思う」と告げて断った…。

監督はロブ・ライナー、脚本はガイ・トーマス、製作はサリー・ニューマン&デヴィッド・ヴァルデス&ロブ・ライナー&アラン・グライスマン&ロリー・マクレアリー、製作総指揮はマーティン・シェイファー&リズ・グロッツァー&ジャレッド・イアン・ゴールドマン、撮影はリード・モラーノ、編集はドリアン・ハリス、美術はトム・リゾウスキー、衣装はショーン=ホリー・クックソン、音楽はマーク・シェイマン。
出演はモーガン・フリーマン、ヴァージニア・マドセン、フレッド・ウィラード、ケヴィン・ポラック、エマ・ファーマン、マデリン・キャロル、キーナン・トンプソン、ジェシカ・ヘクト、ルーカス・ルーニー、アッシュ・クリスチャン、ニコレット・ピエリーニ、ボイド・ホルブルック、C・J・ウィルソン、デバーゴ・サンヤル、クリストファー・マッキャン他。


『ストーリー・オブ・ラブ』『あなたにも書ける恋愛小説』のロブ・ライナーが監督を務めた作品。
脚本は『ダドリー・ムーアの モーゼの気分で』のガイ・トーマス。
モンテをモーガン・フリーマン、シャーロットをヴァージニア・マドセン、アルをフレッド・ウィラード、ジョーをケヴィン・ポラック、フィンをエマ・ファーマン、ウィローをマデリン・キャロル、ヘンリーをキーナン・トンプソン、カレンをジェシカ・ヘクト、クラウンをルーカス・ルーニー、カールをアッシュ・クリスチャン、フローラをニコレット・ピエリーニ、ルークをボイド・ホルブルックが演じている。

『最高の人生のはじめ方』という邦題は、たぶん2007年にロブ・ライナーが監督を務め、ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンが共演した『最高の人生のはじめ方』を意識したものだろう。
そういう安易な便乗だけを考えて付けたタイトルって、内容と全く合っていないケースも良くある。
だけど、この映画に関しては、そんなに外れちゃいない。
ただ、外れちゃいないけど、やっぱり「安易に以前の映画の邦題を真似ている」という風に感じさせるってのは、あまり作品にとってプラスとは思えない。

この映画は、「妻の死をきっかけにして創作意欲を失って酒に溺れ、偏屈で頑固なジジイになっていたモンテが、オニール家の面々と交流する中で少しずつ変化していく」というプロットのはずだ。だが、そこをクッキリとした輪郭で描写できているとは思えない。
まず最初の問題として、創作意欲の低下や酒に溺れたのは妻の死がきっかけだと分かるのだが、性格的な部分はどうなのかがハッキリとしていない。ひょっとすると、頑固で偏屈な性格は、妻の生前から変わっていないのかもしれない。
そこは「創作意欲を失っている」「酒に溺れている」「偏屈で短気なジジイである」という3つの要素をモンテに用意したことがマイナスに作用している。
それは必ずしも欲張りとは言えないし、その3つを全て上手く処理できれば何の問題も無い。
ただ、結果的には前述した部分で引っ掛かりが生じているわけで。

例えば「偏屈で常に機嫌の悪いジジイ」という部分だけなら、「妻の死がきっかけで、そんな風になってしまった」ということはハッキリと分かる。
「酒に溺れている」という部分と「常に不機嫌」という部分を上手く繋げれば、「アル中で不機嫌」という形で上手く成立させられたかもしれない。
ただモンテは登場した時から酒を欲しがっているし、酒が切れてすぐ買い物に出掛ける描写もあるが、アル中の印象は薄いのよ。「酒ばかり飲んでいるから、いつもシラフの状態じゃない」という風には見えない。常に意識はしっかりと持っており、酒に飲まれている様子は皆無だ。
そうなると、もはや「酒浸り」という設定さえ無価値じゃないかと思ったりもする。

それと、「そもそもモンテの偏屈ジジイっぷりが不足している」という問題がある。最初から「ホントはいい奴」というのが、かなり強く感じられてしまうんだよな。
それはモーガン・フリーマンが演じていることの影響も大きいだろうけど、それだけじゃなくてキャラクター造形も関係している。
例えば、雑貨店で店員に「サラミを店頭に置けば売れると思っているかもしれないが間違いだ。私ならヒマワリの種を置く」なんてことは、いちいち言う必要も無い。
で、それは「店員を怒らせる余計なお節介」ではなくて、ただの親切なアドバイスになっているんだよね。

シャーロットがリンゴを散歩させたことに不快感を覚えたモンテだが、そこで声を荒らげたりすることはなくて、静かに「今後は私の犬の散歩を遠慮願いたい」と言うだけ。
嫌味っぽい態度ではあるけど、後でリンゴに「オニールさんは事前に私の許可を得るべきだった。今後はお前が丁重に断るんだ」と話し掛けるぐらいなら、シャーロットに面と向かって、もっと態度で示すべきじゃないかと。リンゴに対して偏屈な性格をアピールしても、あまり意味が無いのよ。
おまけに、その直後には訪ねて来たアルに対して「中へどうぞ。ケーキでもどうです」と誘っている。人との付き合いを避けたがっているわけでもないどころか、むしろ歓迎する様子を見せているのだ。
で、追悼会に誘われると「彼のことは良く知らない」と困った様子で言うけど、荒っぽい態度で「関係ない」と拒絶することは無い。そして結局は出席している。
序盤の段階で、「いい人」であることが露骨に見えすぎちゃってるのよ。

で、そもそもモーガン・フリーマンが演じていることも含めて、「いつも不機嫌な偏屈ジジイ」という設定を使わないなら、それはそれで別に構わないのよ。だけど偏屈ジジイとしてのアピールも盛り込んでいるから、「それにしては中途半端」という印象になってしまう。
いっそのこと、そこの設定はバッサリと切り捨てて「妻の死をきっかけにして創作意欲を失い、他人とのコミュニケーションも出来る限り避けて殻に閉じこもっているジジイ」ということにでもしておけば良かったんじゃないかと。
っていうか、もはや「他人とのコミュニケーションを避けて殻に閉じこもっているジジイ」というのも成立していないんだよな。前述のようにアルが来ると歓迎しているし、フィンが話し掛けた時も嫌がらず、それどころか所持するナイフを見せてもらって「見事なナイフだ。ナイフを見れば持ち主が分かる。君は勇敢な子だな」と穏やかに告げている。その後もフィンと仲良く喋っている。
なんか話が進むにつれて、どんどんボロが出て来るぞ。

モンテはカレンと話した時なんて、自分から「何か私に出来ることは?」と口にしている。カールに対しても、優しい態度で話し掛けている。
すんげえ親切なジジイじゃねえか。
もうさ、性格的な部分だけじゃなくて、「創作意欲を失って、酒浸りで」みたいな設定さえ、ほとんど機能していないんだよな。追悼会ではビール2缶を飲み干しているけど、そのせいでベロベロになったり会を台無しにするような行動を取ったりするわけでもないし。
創作意欲に関しても、そもそも「書けなくなって悩んでいる」ってわけではない。それで辛い思い、寂しい思いをしているわけではなく、それなりに幸せな暮らしを送っているように見えちゃうのよ。
「モンテが妻の死を引きずって云々」みたいに感じさせたのって、ほぼ登場シーンだけで止まっちゃってるんだよな。

その後、フィンが小説家であるモンテに興味を抱き、話の作り方を教えてほしいと求め、そこからは2人の交流が軸になって話は進行する。
そういう交流を軸にするのは別に悪くないけど、だったら最初から、そこの線を観客に示しておいた方がいい。
それと、「フィンが物語を作ることに強い興味を抱いている」という導入部でのアピールも、ちょっと弱い。
フローラに怖い作り話をするシーンに関しては、彼女の想像力が豊かだとか、話を作るのが好きという印象を受けるよりも、「なんで急にモンテを怪人扱いするのか」という疑問の方が気になってしまうし。

ただし、前述したようにモンテの心の傷がほとんど見えて来ないため、「フィンがモンテとの交流で変化・成長する」という性質が強くなってしまうんだよね。それは違うと思うぞ。
本来なら、「モンテとフィンが交流する中で互いに感化され、モンテは心の傷から立ち直り、フィンは人間的に成長する」という形になるべきだろう。
あと、フィンの「物語を想像するのが好き」ってのは、ホントは「父と離れて暮らしている寂しさ」ってのが関連する形にすべきだと思うんだけど、そこの関連性は見えないんだよな。
それどころか、父の不在に関してウィローは「苛立ち」、フローラは「寂しさ」を見せるけど、フィンの心情が全く見えないんだよな。

モンテがフィンと仲良くなるだけじゃなくて、他の子供たちと交流する様子も入れるのは一向に構わない。っていうか、それによって物語に厚みや広がりが出ることになるから、例えばフローラを物語で元気付けるエピソードなんかは大歓迎だ。
ただし、それなら3姉妹の全員と交流し、それぞれの心に残るような行動を取ったり、変化に繋がるような言葉を与えたりすべきだろう。
しかし実際には、ウィローは母の子供時代の日記を読んだことで、気持ちが変化するのだ。
モンテは彼女の変化に全く関与しないのだ。それは中途半端だわ。

3姉妹の母親であるシャーロットと仲良くなるのも、もちろん一向に構わない。
ただし、「モンテがフローラに書いた物語をシャーロットが読み、主人公のゾウが自分を好きだと気付く」というところには違和感が生じる。
それって、モンテがシャーロットに好意を寄せていることが示唆されているという解釈になるでしょ。実際、その後には、もっと明らかな形でシャーロットへの好意を表現しているし。
でも、モンテのシャーロットに対する愛情なんて、そこまでに全く見えなかったわけで。

そもそも、モンテは「妻が死んでから他の誰も愛していない。生涯に愛したのは1人だけ」というぐらいメアリーを愛しているわけで、そんな男がシャーロットをキザな言葉で口説くのが、軽薄に見えてしまうんだよな。
「妻の死を引きずっている」ってのと「今も妻を愛している」ってのは、全く別だしね。そこに恋愛劇の必要性を感じないし、むしろ邪魔に思えるのよ。シャーロットがモンテのどの辺りに、いつ頃から惚れたのかも良く分からんし。
あと、年齢的にも、モーガン・フリーマンがジジイすぎて無理を感じるし。
モーガンとヴァージニア・マドセンって年齢が26歳も離れているから、疑似親子みたいな関係性にしか見えんよ。

(観賞日:2015年2月21日)

 

*ポンコツ映画愛護協会