『聖杯たちの騎士』:2015、アメリカ

[月]
リックはデラという女と出会い、関係を持った。別れたばかりなのに会いたくなり、すぐに彼は電話を掛けた。リックは代理人から、脚本 の仕事について聞かされた。コメディー・スターのテディーからの指名であり、倍額のギャラを約束されたので引き受けたと代理人は話す 。5年で初めてのハリウッド大作であり、「凄いチャンスだ」と代理人は言うが、リックは全く興味を示さなかった。デラと会った彼は、 「私が思うに、貴方は弱いのね」と言われる。デラはリックに、「私たち、こんな人生じゃなく、他の生き方があるはず」と語る。リック はタロット占い師に診てもらい、「崖っぷちに立っている」と言われた。

[吊るされた男]
リックは弟のバリーと会い、ホームレスや工場を見た。バリーは彼に、「何かあるだろ。話せよ。兄弟はもう俺一人だろ」と言う。リック は弟を愛しているが、憎んでもいた。ビリーの死後、立ち直ろうとする努力を台無しにするからだ。バリーはリックに、「ビリーを埋葬 する時、親父が泣き叫んだだろ。良くやるぜ」と話す。周囲の人間はビリーが自殺したと言うが、リックは何も知らないと感じていた。彼 は父のジョセフを愚かな人間だと捉え、何も教えずに死なせてやろうと考えた。

[隠者]
リックは女遊びを控えろという忠告を無視し、放蕩生活を続けていた。豪邸のパーティーに参加した彼は、友人のトニオから「離婚する気 は無い。愛は変わらない。愛の質が変わっただけ。ラズベリー味に飽きたら、イチゴ味が欲しくなる」と聞かされる。リックはヘレンと いう女性と知り合い、他にも大勢のパーティー客と話した。会場では多くの人々が楽しそうに騒いでいたが、リックは自分が夢遊病者では ないかという感覚に見舞われた。

[審判]
リックは元妻のナンシーと会い、「こうなって残念よ。貴方は逃げたがってた」と告げられる。彼女は「伴侶が欲しかった。貴方と別れて 独りは嫌がった」と話し、「昔は幸せだったわね」と漏らす。リックが「今は違う」と言うと、ナンシーは「幸せにしたかったのに、貴方 は私に苛立ち始めた。昔より私に冷たくなった」と語る。彼女は「子供が出来ずに後悔してる?私はしてる。迷うのが怖かったんでしょ。 でも私は引き留めず、貴方は間違った方向を向いた」と言い、リックが結婚の枠に収まりたくなかったのだと指摘する。リックが「若い頃 は、人生が怖かった。誰が代償を払うのか。君にも払わせてしまった。一緒にいてくれ」と口にすると、ナンシーは「今も貴方を愛してる 。言わなきゃ分からない?」と述べた。

[塔]
リックは業界の大物であるクリストファーから、「こんなチャンスは二度と無いぞ。君を金持ちにしてやる。人生は短い。ただイエスと 言え」と告げられた。リックは写真撮影の現場に立ち合い、モデルのヘレンと親しくなった。彼は弟と出掛け、「兄貴に憧れてた。だけど 数学は俺の方が上だ」と言われる。家に2人組の強盗が押し入ったので、リックは金を渡した。リックは自分の人生について、「30年間、 ちゃんと生きてなかった」と感じた。

[女教皇]
リックはストリップクラブへ行き、オーストラリア人ストリッパーのカレンに話し掛けた。カレンは「貴方の周りに闇が見える」と言い、 リックが「空想の中に生きてる?」と尋ねると「ええ。その方が面白い。何にでもなれる」と語る。リックはカレンと仲良くなり、仕事が 終わってから遊びに出掛けた。カレンは彼に、「ドラッグをやった後、窓が開いた。真実の窓。リアルな人生は大変よ。唯一の逃げ場所は 内側」と話した…。

脚本&監督はテレンス・マリック、製作はニコラス・ゴンダ&サラ・グリーン&ケン・カオ、製作総指揮はグレン・バスナー&タナー・ビアード、共同製作はクリストス・V・コンスタンタコプーロス&ハンス・グラフファンダー&エリザベス・ロッジ、製作協力はデヴィッド・メリート&モーガン・ポリット&タイラー・サヴェージ、撮影はエマニュエル・ルベツキ、美術はジャック・フィスク、編集はジェフリー・リッチマン&キース・フラース&A・J・エドワーズ&マーク・ヨシカワ、衣装はジャクリーン・ウェスト、音楽はハナン・タウンゼント。
出演はクリスチャン・ベイル、ケイト・ブランシェット、ナタリー・ポートマン、ブライアン・デネヒー、アントニオ・バンデラス、ウェス・ベントリー、イザベル・ルーカス、テリーサ・パーマー、アーミン・ミューラー=スタール、フリーダ・ピント、イモージェン・プーツ、ピーター・マシエセン、チェリー・ジョーンズ、パトリック・ホワイトセル、リック・ヘス、マイケル・ウィンコット、ケヴィン・コリガン、ジェイソン・クラーク、ヨエル・キナマン、クリフトン・コリンズJr.、ニック・オファーマン、ジェイミー・ハリス、ローレンス・ジャクソン、デイン・デハーン、シェー・ウィガム、ライアン・オニール他。
ナレーターはベン・キングズレー。


『ツリー・オブ・ライフ』『トゥ・ザ・ワンダー』のテレンス・マリックが脚本&監督を務めた作品。
リックをクリスチャン・ベイル、ナンシーをケイト・ブランシェット、エリザベスをナタリー・ポートマン、ジョセフをブライアン・デネヒー、トニオをアントニオ・バンデラス、バリーをウェス・ベントリー、カレンをテリーサ・パーマー、ツァイトリンガー神父をアーミン・ミューラー=スタール、ヘレンをフリーダ・ピント、デラをイモージェン・プーツが演じている。

映画は[月][吊るされた男][隠者][審判][塔][女教皇][死][自由]という8つの章で構成されている。
言わなくても気付く人もいるだろうけど、[自由]以外の章はタロットカードの種類になっている。そしてカードの意味と、そのチャプターの内容をリンクさせる形になっている。
ちなみに[月]は現実逃避や不安定などの意味があり、[吊るされた男]は忍耐や試練などの意味がある。
たぶん正位置だけじゃなく、逆位置の意味も含めての内容になっているんじゃないかと思われる。

簡単に言うと、「俺の話を聞け」という映画である。でも5分だけなら我慢できても、それが2時間も続くと耐えられない。
テレンス・マリックの個人的な出来事をモチーフにして(2人の弟がいて1人は自殺しているとか、2度の離婚歴があるとか)、個人的な思いを登場人物に喋らせている。
テレンス・マリック監督は、自分なりの『8 1/2』を作ろうとしたのかもしれない。
具体的なことは出来るだけ避け、あらゆることを抽象的にボカそうとする。肝心な部分は掘り下げず、その周囲に触れるだけで次の章へ移っていく。

手掛かりは色々と撒いてあるので、テレンス・マリックの熱烈なファンであれば、分析して読み解くことも出来るだろう。熱烈なファンであれば私生活について詳しいかもしれないし、詳しくなくても調べて知ろうとするだろう。
そしてテレンス・マリックに関する個人情報と映画の内容を照らし合わせれば、「これはこういう意味なんだな、こういうことを描いているんだな」と推理できるだろう。
裏を返せば、そういう作業が必要な映画ってことだ。そういう作業をやらなかったら、「何が何やらサッパリ分からねえ」という感想で終わる恐れもある。
テレンス・マリックの大ファンであることが重要であり、そういう意味では「閉じられた映画」と言ってもいいだろう。

かつて「映像の詩人」と評されたテレンス・マリックだが、少なくとも本作品に関しては、映像と詩は完全に分離している。
映像が詩を語ることは無く、淡々と無機質に流れて行くだけだ。
一方で詩が無いわけではなく、冒頭でナレーターが長々と色んなことを語るので、そこを「詩」と解釈してもいいだろう。
粗筋は[月]の章から始めているが、実際にはアバンとしてのパートが存在する。そこでは映像ではなく、言葉で詩を語っているわけだ。

映画が始まると、「巡礼者は旅をする。この世から、来たるべき世へ。夢に似た眠りの中、自分のあるべき姿を見つけ、危険な旅を経て元の都へと辿り着く物語」と語りが入る。
その後、「この世の荒野を歩いていると、洞穴のある場所へと行き当たった。私はそこに横たわり、眠りに落ち、ある夢を見た」「一人の男が自分の家から目を背けて立っている。大きな荷物を背負いながら、一冊の本を手にしている」といった語りもある。
その間、画面には語りの補足ではなく、まるで無関係な映像が映し出される。
宇宙に浮かぶ人工衛星や、ブランコで遊ぶ子供や、海で赤ん坊を抱く男が映し出される。

まだナレーションは終わらず、また別の内容が語られる。
今度は「お前が子供の頃、話してやったろ」ってことで、若き王子の物語を語る。
騎士たる王子は、父である東の王の命令で、真珠を探すために西のエジプトへ旅立った。辿り着いた王子は酒を注がれ、全て忘れて深い眠りに落ちた。王は息子を忘れず言葉を送ったが、王子は眠り続けた。そういう物語だ。
そしてナレーションが続く中、リックが女たちをはべらせてドライブしたり、ホームパーティーで騒いだり、地震が起きたりする様子が描かれる。
そうやって、[月]のエピソードに入るまでに12分ぐらいを使っている。

現実パートだけでも場面の繋がりや人間関係が良く分からない上に断片的な状態で構成されているのに、そこに幻想的な映像まで入ってくる。それによって、ますます観客を煙に巻こうとする。
「私のことを分かってくれ」と訴える映画のはずだが、分かりやすく伝えるために噛み砕こうという気は全く無い。
1つのチャプター内でも素直に物語を語ろうとはせず、ブツ切りになった断片をコラージュしている。
ナレーションや台詞では饒舌に語っても、答えに繋がるような具体的な情報には乏しい。
だからテレンス・マリックの大ファンであっても、正しい答えを導き出すのは、容易ではないだろう。

ものすごく難解な映画なので、それだけに「読み解きがいがある」と前向きに捉えることが出来れば、貴方は幸せな人だ。しかし、たぶん本当の正解は、テレンク・マリックにしか分からないのだろう。
もはやコミューン映画を通り越し、完全に自己満足だけの映画と言ってもいいかもしれない。
しかし芸術の基本は自己満足なので、これを芸術映画と考えれば、決してダメとは言えない。
凄いと思うのは、そんな自己満足だけの映画に、前述したような豪華キャストが出演していることだ。
だから、内容は二の次で、豪華キャストが揃っていることに価値を見出せる人にはオススメできる。

(観賞日:2023年9月9日)

 

*ポンコツ映画愛護協会