『死の接吻』:1995、アメリカ
ジミー・マーティンは自動車泥棒でアルコール中毒だったが、今では犯罪から足を洗い、アル中の治療にも通っている。妻ベヴと2人の子供に囲まれて平和な生活を送っていたジミーの元を、昔の仲間で従兄弟のロニーが訪れた。仕事を手伝ってくれというのだ。
ロニーは大物マフィアのボスであるビッグ・ジュニアの息子、リトル・ジュニアの元で仕事をしていた。リトル・ジュニアは凶悪なパラノイアで、ロニーは仕事をしくじれば殺されるとジミーに訴える。世話になった恩もあり、ジミーは仕方なく仕事を手伝うことにする。
トラックの運転をするだけの簡単な仕事のはずだった。ところが警察にトラックを止められた際、ジミーの隣に乗っていた男が刑事のカルヴィンを撃ってしまう。男は射殺され、仲間の名前を明かさなかったジミーは逮捕された。
右目の下に傷を負い、涙が止まらなくなったカルヴィンは、ジミーに恨みを抱く。ジミーは刑務所に入れられるが、その間にロニーがベヴに睡眠薬を飲ませて体を奪う。薬の効果が残ったままで家に帰ろうとしたベヴは、交通事故を起こして死亡する。
ジミーはロニーに復讐するため、事件に関わった者達の名前をフランク検事に明かし、ロニーの名前だけを伏せる。ロニー以外の人間が起訴されたことで、リトル・ジュニアは密告者がロニーだと考える。ジミーの狙い通り、リトル・ジュニアはロニーを殺す。
3年後、ジミーは仮釈放されることになった。しかしフランク検事とカルヴィン刑事は、リトル・ジュニアを逮捕するために彼を利用しようと考える。脅迫され、おとり捜査に協力させられることになったジミーだが、リトル・ジュニアに疑いを持たれるようになり…。監督はバーベット・シュローダー、原案はイレーザー・リプスキー、脚本&共同製作はリチャード・プライス、製作はバーベット・シュローダー&スーザン・ホフマン、製作総指揮はジャック・バラン、撮影はルチアーノ・トヴォリ、編集はリー・パーシー、美術はメル・ボーン、衣装はテアドラ・ヴァン・ランクル、音楽はトレヴァー・ジョーンズ。
主演はデヴィッド・カルーソ、共演はニコラス・ケイジ、ヘレン・ハント、キャスリン・アーブ、サミュエル・L・ジャクソン、スタンリー・トゥッチ、マイケル・ラパポート、ヴィング・レイムズ、フィリップ・ベイカー・ホール、アンソニー・ヒールド、エンジェル・デヴィッド、ジョン・コステロー、リンゼイ・J・ウリン、ミーガン・L・ウリン、ケイティ・サゴラ、アン・メイラ、ケヴィン・コリガン他。
1947年のヘンリー・ハサウェイ監督作をリメイクした映画。
ジミーをデヴィッド・カルーソ、リトル・ジュニアをニコラス・ケイジ、ベヴをヘレン・ハント、カルヴィンをサミュエル・L・ジャクソン、フランクをスタンリー・トゥッチ、ロニーをマイケル・ラパポートが演じている。関係者達の思惑が絡み合う渦に巻き込まれ、ドロ沼にハマっていく男の話だ。
しかし、その割には、抜け出せない焦燥感や、どうしようもない閉塞感は乏しい。
全てのワルが制裁を受けるわけではないので、スッキリしないという部分もある。ジミーがアル中だったということが、最初の内に意味ありげに示されるが、特に物語に絡んでくるわけではない。ハッキリ言えば、その設定に深い意味は無い。
銃撃を止めようとしてケガまで負ったジミーを、カルヴィンが恨むのは少し無理がある。終盤の展開にも流麗さが無く、どこかチグハグな印象を受けてしまう。リトル・ジュニアがダンサーに手を出した男を呼び止める場面、どんな制裁を加えるのかと思ったら、上半身裸にして舞台で踊らせる。
別に殺す必要は無いが、彼のパラノイアとしての怖さを見せるべき場面だった。
コメディみたいな展開は要らなかった。デヴィッド・カルーソがラジー賞の新人賞候補になっているのだが、この映画に関しては、カルーソよりも脚本の問題や、キャスティングの問題が大きいと思う。
確かにカルーソは表情に乏しいが、彼は基本的に、そういう役者なのである。
日本で言えば、竹脇無我のようなタイプの役者なのである。
第16回ゴールデン・ラズベリー賞
ノミネート:最低新人賞[デヴィッド・カルーソ]
<*『死の接吻』『ジェイド』の2作でのノミネート>