『ジャングル・ブック2』:2003、アメリカ&オーストラリア

シャンティーという少女を追い掛けてジャングルを出て行ったモーグリは、そのまま彼女の村で暮らし始めていた。モーグリはランジャンという少年の両親に育てられることになった。幼いランジャンはモーグリに懐き、養父母もモーグリを可愛がった。しかしモーグリは、自由を制限される村での暮らしに不満を抱いていた。養父が「危険だからジャングルへ行ってはいけない。川を渡ってはいけない」と言うことに対しても、モーグリは納得できないものを感じていた。
モーグリがジャングルの楽しさを語ることで、ランジャンはすっかり感化されていた。ランジャンがジャングルを怖がらなくなったので、シャンティーは「モーグリの言うことを何でも信じちゃダメよ」と忠告した。だが、そこへモーグリが現れ、またジャングルの素晴らしさをランジャンに語るのだった。モーグリは他の子供たちにもジャングルの楽しさを語り、みんなを連れて川を渡ろうとした。シャンティーが慌てて「渡ってはダメ」と叫び、その声を聞いてランジャンの父が駆け付けた。養父から「あれほど川を渡ってはいけないと言っておいたのに」と叱られたモーグリは、シャンティーを睨み付けた。
熊のバルーはモーグリのことが忘れられず、村へ行こうとする。黒ヒョウのバギーラが止めに入り、「あの子を人間の村から連れ出そうとするのはやめろ。人間と暮らすのが、あの子のためだ」と諭すと、バルーは「俺はモーグリに会いたいだけだ」と反発する。バギーラが「ジャングルにいたらモーグリが危ない。シア・カーンが捜しているのを知ってるだろう?」と言っても、バルーは聞く耳を貸さなかった。バギーラは象のハティー大佐に頼み、群れを使ってバルーを止めてもらおうとする。しかしバルーは川を泳いでバギーラと象の群れから逃亡し、村へ向かった。
その夜遅く、虎のシア・カーンはモーグリを捜すために村へ潜入した。家を出たモーグリは、バルーと遭遇した。2人が楽しく遊んでいる様子を目撃したシャンティーは、「野生の動物が村に入り込んでいる」と叫んだ。バルーはモーグリを連れて逃げ出した。外に出て来た村人たちはシア・カーンを目撃し、それがシャンティーの言った野生動物だと思い込んで追い払う。シャンティーはモーグリを追い掛け、川を渡ってジャングルに入った。
モーグリはバルーに、村やシャンティーへの不満を語った。彼はバルーから「ジャングルで楽しく暮らそう」と言われ、一緒に踊った。そこへ現れた蛇のカーは、モーグリを食べようとする。だが、何も知らずにモーグリが投げた石や引き抜いたサボテンが命中し、散々な目に遭った。その場から移動したカーは、ジャングルを彷徨うシャンティーを発見した。カーはシャンティーに催眠術を掛け、食べようとする。しかしシャンティーを追って来たランジャンが棒で激しく叩き、カーを追い払った。シャンティーはランジャンを連れて、村へ戻ろうとする。しかしランジャンがモーグリに会いに行こうとするので、一緒にジャングルの奥地へと足を進めた。
翌朝、バギーラはハティー大佐から、人間がジャングルに入って来たことを知らされる。モーグリたちを捜すため、ランジャンの両親や村人たちがやって来たのだ。すぐにバギーラは、バルーがモーグリを村から連れ去ったのだと察知した。バギーラが来たので、バルーは慌ててモーグリを隠し、何も知らないフリをした。バギーラが去った後、モーグリは「村の人たちは僕を心配してるのか。シャンティーも心配してるのかな」と嬉しそうに呟く。しかしバルーから「あの子には見つかりたくないんじゃなかったのか?」と問われると、意地を張って「シャンティーに見つかったら吠えて脅かすんだ」と指示した。
モーグリが「隠れよう」と言うと、バルーは彼を連れて川下へ向かった。シア・カーンを見つけたハゲタカのラッキーは、バカにした態度を取った。調子に乗ったラッキーの言葉で、シア・カーンはモーグリが川下へ向かったことを知った。バルーがモーグリを案内した場所は、かつて猿の王であるキング・ルーイが住んでいた遺跡だった。ルーイが去った後、バルーが猿たちと共に作り変えたのだ。
バルーと一緒に楽しく踊ったモーグリだが、村のことが気になった。遺跡を離れて1人になったモーグリは、寂しそうな表情を浮かべて歌を口ずさんだ。その歌声を耳にしたシャンティーは、ランジャンを連れてモーグリの元へ向かった。モーグリはシャンティーとの再会を喜んだ。そこへ現れたバルーは、モーグリに言われた通りにシャンティーを脅かした。モーグリが止めに入ると、バルーは不思議そうな顔で「モーグリが脅かせって言ったんじゃないか」と言う。モーグリは慌てて言い訳しようとするが、腹を立てたシャンティーはランジャンを連れて立ち去ってしまった。モーグリは彼女を追い掛けて釈明しようとするが、そこへシア・カーンが現れた…。

監督はスティーヴ・トレンバース、脚本はカール・グアーズ、追加脚本はカーター・クロッカー&エヴァン・スピリオトプーロス&デヴィッド・レイノルズ&ロジャー・S・H・シュルマン&トム・ロジャース、製作はメアリー・ソーン&クリス・チェイス、アート・ディレクターはマイケル・ペラザ、編集はピーター・N・ロンズデイル&クリストファー・ジー、伴奏音楽はジョエル・マクニーリー、オリジナル歌曲はロレイン・フェザー&ポール・グラボウスキー。
声の出演はジョン・グッドマン、ハーレイ・ジョエル・オスメント、メイ・ホイットマン、コナー・ファンク、ボブ・ジョールス、トニー・ジェイ、ジョン・リス=デイヴィス、ジム・カミングス、フィル・コリンズ、ジェフ・ベネット、ヴィーナ・ビダシャ、ブライアン・カミングス、バロン・デイヴィス、ボビー・エドナー、ジェス・ハーネル、デヴィカ・パリーク、ジミー・ベネット他。


ラドヤード・キプリングの小説を基にした1967年のアニメーション映画『ジャングル・ブック』の続編。
『Aladdin/ジャファーの逆襲』『ライオン・キング2 シンバズ・プライド』『わんわん物語 II』などのアニメーション・ディレクターだったスティーヴ・トレンバースが、初監督を務めている。
バルーの声をジョン・グッドマン、モーグリをハーレイ・ジョエル・オスメント、シャンティーをメイ・ホイットマン、ランジャンをコナー・ファンク、バギーラをボブ・ジョールス、シア・カーンをトニー・ジェイ、ランジャンの父をジョン・リス=デイヴィス、カー&ハティーをジム・カミングス、ラッキーをフィル・コリンズが担当している。

ウォルト・ディズニー・ピクチャーズは、1992年の『アラジン』が大ヒットした後、1994年に『Aladdin/ジャファーの逆襲』、1996年に『アラジン完結編 盗賊王の伝説』という2つの続編をビデオ作品としてリリースした。
この2作が当たったなのか、その後、ディズニーは過去に製作したヒット映画の続編を次々に発表する。
1998年には『ライオン・キング2 シンバズ・プライド』、2000年に『リトル・マーメイドII Return to The Sea』、2001年には『わんわん物語II』、2002年には『ピーター・パン2 ネバーランドの秘密』と『ターザン&ジェーン』といった具合だ。
この内、『ピーター・パン2』以外は全てビデオ作品である。

そんなデイズニーの続編ラッシュの中で、この作品も作られた。これは『ピーター・パン2』と同様、北米で劇場公開されている。
だが、この映画に限らず、ディズニーの続編ラッシュに関しては、あまり評判がよろしくない。
個人的にも、過去のヒット作を使って、安易に稼ごうとする金儲け主義の戦略としか思えない。
それでも続編の中身が面白ければ別にいいんだが、やはり金儲けのことしか考えずに作っているような作品なので、しょっぱい出来栄えなのである。

オープニングで、モーグリの「バギーラは仲良しの黒ヒョウ。でも一番の友達は熊のバルー」といったナレーションが入る。
そんな仲良しのバギーラやバルーを、前作のラストでモーグリは捨てたのだ。
シャンティー(その時点では名も無き少女だった)を見たモーグリは、ホイホイと人間の村まで付いて行った。ずっと一緒だったバルーたちに別れも告げずに去って、それから一度も会いに行っていない。
養父から「川を渡ってはいけない」とは言われているが、その気になればいつだってジャングルへは行けたはずで。
これは前作の内容に問題があるのだが、それが大きく影響し、この続編に入ってモーグリが「バルーやバギーラは仲良し」と言っても、不愉快な奴にしか思えない。

モーグリはシャンティーに心を奪われてジャングルの仲間たちを捨てたのに、いざ村で暮らし始めると不満を抱き、ジャングルへ戻る。
ホントに身勝手な奴である。
しかも、自分だけがジャングルへ戻ろうとするならまだしも、村の子供たちを連れて行こうとするんだから、そりゃダメだろ。
ランジャンの父から「みんなを危険な目に遭わせて」と叱られるのは当然だ。
ところが、叱られたモーグリは全く反省せず、それどころかシャンティーを睨み付ける。
サイテーだな、このクソガキは。シャンティーは何も悪くないぞ。

モーグリはバルーに連れられてジャングルへ戻った後、村やシャンティーのことを悪く言う。
自分でシャンティーに付いて行き、村で暮らし始めたのに、ホントに身勝手だ。
そりゃあモーグリはまだ少年だから、「ワガママなのは仕方が無い」と受け入れるべきなのかもしれない。でも、そこまで寛容になれないなあ。
もちろん「最初は村やシャンティーを悪く言っていたモーグリが、その考えを改める」という流れが待っており、そのためのネタ振りであることは承知しているんだけど、それでもモーグリへの不快感は拭えない。

モーグリはランジャンの父から虎に襲われた腕の傷痕を見せられても、「ジャングルは恐ろしい場所」という言葉を聞き入れない。そしてジャングルに戻った彼は、バルーに「ジャングルは楽しい場所だから、シャンティーに見せてやろうと思ったのに、酷い目に遭わされた」とシャンティーの悪口を言う。
もちろんモーグリがジャングルで暮らしていた頃、楽しいことは色々とあっただろう。
しかし、自分でも「シアー・カーンは恐ろしい」とか「猿にさらわれて大変だった」と言っている。
だから危険があることは分かっているはずなのに、それについては全く頭に無いのか。

しかも、モーグリはジャングル育ちだが、村の子供たちは違うからね。だからモーグリよりも、ジャングルでの危険な出来事に対しては、ものすごく弱い。
でもモーグリは、村の子供たちをジャングルへ連れて行こうとした自分の行動が間違っていたとは微塵も思っていない。
そこには自覚が全く無いのだ。
自覚の無い間違った行為ってのは、罪悪感を抱きながらの間違った行為よりも、遥かにタチが悪い。

前作は「動物キャラクターは愛くるしいが、モーグリはワガママなクソガキ」という状態だった。
今回はモーグリに加えて、バルーも不愉快な存在になってしまっている。
バルーは前作のラストで、モーグリが人間の元へ戻るのを悲しみながらも受け入れたはず。しかし今回、彼はバギーラの説得を聞き入れず、モーグリを連れ戻しに村へ行く。
それはダメだわ。「また一緒に暮らしたいけど耐え忍ぶ」という形にすべき。せめて「村の近くまで言って、密かにモーグリを眺める」という程度で留めるべき。
そうすれば同情できたのに。
で、村にシア・カーンが行くのを知って、モーグリを助けるために村へ行くという展開にでもすりゃ良かったんじゃないのかと。

モーグリからシャンティーの悪口を聞かされたバルーは「彼女は災いの種」と口にするが、実際はモーグリこそが災いの種になっている。
シャンティーがジャングルに入ってカーに食べられそうになるのも、村人がモーグリたちの捜索に来たことでジャングルの平和が乱されるのも、全てはモーグリの浅はかで身勝手な行動が原因だ。
劇中で描かれるトラブルやピンチは全て、モーグリが原因で起きている。
それはモーグリが人間だからではなく、自己中心的で意固地で思慮深さに欠ける奴だからだ。

モーグリはバルーから「ジャングルで楽しくやろう」と誘われ、それを喜んでOKし、村やシャンティーのことを悪く言う。
そうやってバルーをヌカ喜びさせておいて、すぐに村のことを気にしたりシャンティーに会いたがったりする。
ホント、身勝手な奴だ。
そんでバルーに「シャンティーに見つかったら脅かせ」と言っておいて、いざ脅かしたら批判する。
「僕の気持ち、バルーには分かんないよ」と口にする。
そりゃ分からんわ。っていうか、分かりたくもない。

とにかく、モーグリが全く共感を誘わないってのが本作品の大きなマイナスだ。
モーグリなんか完全に排除して、「可愛いシャンティーと無邪気なランジャンがジャングルに迷い込み、そこで動物たちと出会い、最初は怖がっていたけどすぐに仲良くなる」といった内容であったら、どんなに楽しめただろうかと思ってしまう。
「それだと『ジャングル・ブック』にならないだろ」と言われたら、もちろんその通りなんだけどさ。

(観賞日:2013年8月28日)

 

*ポンコツ映画愛護協会