『ジョーズ・アパートメント』:1996、アメリカ

アイオワ出身のジョーは、夢を抱いてニューヨークに出て来た。しかしバスを降りた直後に連続で強盗に襲われ、所持品を全て奪われてしまった。イースト・ビレッジで出来るだけ安いアパートを探し回っていた彼は、血を流して倒れている男を発見する。ジョーが慌てて声を掛けると、男は体を起こして時計を確認し、2日以上も倒れていたことに満足した。彼は死んでおらず、付着していたのは血ではなく赤い絵の具だった。男はウォルター・シットという芸術家で、大都会の冷たさを表現したかったのだと説明した。
ジョーが安い部屋を探していると知ったウォルターは、家賃が1950年代から据え置きになっているアパートの存在を教える。ただし誰も出て行かないので、空きは無いと彼は告げた。そのアパートの大家を務めるウラジミール・ビアンコと従弟のジーザスはピアノ線を張り、住人のグロトウスキー夫人を階段から転落させた。グロトウスキー夫人は立ち上がって外へ出るが、通り掛かったジョーとウォルターの目の前で死亡した。グロトウスキー夫人が倒れた時に家の鍵を投げ、それをジョーが掴んだ。
ウォルターはジョーに、グロトウスキー夫人には身寄りが無いので息子に成り切ってアパートに住むよう持ち掛けた。ジョーは困惑するが、ウォルターが芝居を始めたので乗ることにした。部屋に入ったジョーは初めてゴキブリを見るが、まるで動じなかった。彼はゴキブリが隠れていたトーストを持ち上げ、それを平気で食べた。ゴキブリのラルフやロドニーたちは驚き、そんなジョーとなら友達になれるのではないかと考えた。
仕事が見つからない日々を過ごすジョーはバスに乗っている時、リリーという女性を見掛けて心を奪われた。窓から女性が落ちるのを見たジョーは、警察の苦情局に電話を掛けた。ジョーは知らなかったが、電話を受けたのはリリーだった。苦情局では大勢の職員が働いているが、あまりにも苦情が多いので市民を待たせる時間が長くなっていた。ジョーは水道もガスも電気も駄目なこと、雨漏りがするし麻薬取引も行われていることも説明する。リリーは軽く受け流し、休憩時間が来たので花壇へ水やりに赴いた。
リリーは同僚のブランクから、吹き溜まりのような部署ではなく別の場所で働くことを勧められた。リリーの父のドハーティーは上院議員で、政治の世界にコネがあるのだ。ジーザスの父である実業家のアルベルトはドハーティーの元を訪れ、残る2人の住民の内の1人を始末したことを報告した。ドハーティーは刑務所を建設する計画を立てていたが、建設予定地にジョーの住むアパートだけが残っていた。そこでアルベルトに頼んで住人を始末し、アパートを潰そうと目論んでいるのだ。
ジョーが洗濯も掃除もしないので、ゴキブリたちは不潔な彼を仲間に入れようと言い出す。ウラジミールとジーザスは夜中に窓からジョーの部屋へ乗り込み、部屋を荒らす。ゴキブリたちは「ジョーが追い出されたら次は俺たちだ」と確信し、ジョーの命を狙うウラジミールとジーザスを妨害した。ゴキブリたちは2人を攻撃し、二度とジョーに手を出すなと脅して部屋から追い出した。ジョーは人間の言葉を話すゴキブリに驚き、意識を失った。
翌朝、夢だと思って目を覚ましたジョーだが、またラルフたちが現れて話し掛ける。ラルフたちは手を組もうと誘うが、ジョーは無視して部屋を出て行く。ジョーは様々な仕事をするが、ゴキブリたちが積極的に協力したせいで全てクビになった。ジョーが部屋で寝ている時、野良猫が侵入したのでゴキブリたちは慌てて逃げ回る。野良猫が暴れたせいで、ジョーは目を覚ました。ジョーは顔に張り付いた野良猫を窓の外へ投げ、結果的にゴキブリたちを救うことになった。
仕事を探していたジョーはウォルターと遭遇し、ガスト・ハウスでライブをする彼のバンドでドラマーとして働かないかと誘われる。彼はギャラが出ると聞いて承諾し、ポスターを貼りに行く。リリーと出会ったジョーは、彼女が自然豊かな市民公園を作ろうとしていることを知る。土地がやせているので肥料が必要だと聞いたジョーは、「たぶん力になれるよ」と告げた。彼は動物の糞を集めてバスに乗り込むが、リリーが男に抱き付くのを見てショックを受ける。ジョーは相手の顔を見なかったが、それはドハーティーだった。
リリーが5番街に市民公園を作る考えを明かすと、ドハーティーは「あそこはに連邦刑務所を建てる」と告げた。彼が「どうせ犯罪だらけで刑務も所同然だ」と言うと、リリーは「30日間の土地の使用許可は貰ってる。その間に人の意識を変えてみせるわ」と反発した。落胆してアパートへ戻ったジョーは、母からの手紙を見つける。手紙には、高校の同級生が社長を務めるPISSという会社の面接を受けるよう書かれていた。PISSはトイレの消臭剤を作っている大手企業で、社長はスミスという男だった。
PISSのリサーチ部員として雇用されたジョーは、ヤンキー・スタジアムで使用済みの消臭剤を回収する仕事を任された。彼が仕事を終えてアパートに戻ると、ラルフたちはテレビでゴキブリ専門チャンネルの番組を見ていた。珍しい花が生えているのをゴキブリから知らされたジョーは、市民公園の作業に取り組むリリーの元へ持って行く。彼はリリーをバンドのライブに誘い、OKを貰う。ジョーはゴキブリたちに、「今夜はデートだから消えていてくれ」と頼んだ。ジョーが出勤するとスミスは追い出され、PISSは乗っ取られていた。
夜、ジョーはステージに立つが、素人なので全くドラムを演奏できなかった。観客席のリリーに気付いた彼は、落ち込んでライブハウスを去る。リリーが追い掛けて慰めると、ジョーは仕事も失ったことを明かす。「なぜ自分の彼氏とデートしない。何日か前、キスしてるのを見た」と彼が言うと、リリーは相手は父親だと教えた。ジョーはリリーをアパートに招くが、浴室にラルフたちが集まっていたので「出て行ってくれ」と頼む。しかしゴキブリたちは約束を守らず、2人の気分を盛り上げようとして逆に邪魔をする。大量のゴキブリが頭上から降り注いだため、リリーは絶叫して部屋を飛び出した。すると市民公園の花が全て燃やされており、「パパは正しいわ。ここは刑務所にすべきなのよ」と漏らした…。

脚本&監督はジョン・ペイソン、製作はダイアナ・フィリップス&ボニー・リー、製作総指揮はアビー・タークール&ジュディー・マクグラス&グリフィン・ダン、撮影はピーター・デミング、美術はキャロル・スピア、編集はピーター・フランク、衣装はステファニー・マスランスキー、視覚効果プロデューサーはマイケル・タロフ、視覚効果監修はランドール・バルスメイヤー、CGアニメーションはクリス・ウェッジ、歌曲はケヴィン・ウェスト、音楽はカーター・バーウェル。
出演はジェリー・オコンネル、ミーガン・ウォード、ジム・ターナー、サンドラ・デントン、ロバート・ヴォーン、ドン・ホー、シーク・マーマッド=ベイ、ジム・スターリング、デヴィッド・ハドルストン、フランク・ベロ、ロード・ケイソン、アレックス・モリーナ、ウェイマン・エゼル、ヴィンセント・パストーレ、ローズ・キメル、シンシア・ニールソン、トレイシー・ヴィラー、ジョン・パロミノ、ウィリー・ワン・ブラッド、ウィリアム・プレストン、マイケル・マンデル、ロイ・デイヴィス他。
声の出演はビリー・ウェスト、レジナルド・ハドリン。


MTVで放送された短編アニメーションを基にした作品。
短編を手掛けたジョン・ペイソンが脚本&監督を手掛け、映画デビューしている。
邦題を見ると「サメが出てくるアパートってことなのかな」と勘違いする人がいるかもしれないが、「ジョーズ・アパートメント」は「ジョーのアパート」という意味。
そもそも「ジョーズ」という言葉は、あの映画の影響で「人食い鮫」の同義語みたいになってるけど、そもそもは違うからね。本来は「アゴ」っていう意味だからね。

ジョーを演じているのは、子役時代に、『スタンド・バイ・ミー』で注目されたジェリー・オコンネル。子役時代は小太りだったが、成長してスマートになっている。
リリー役のミーガン・ウォードは、1995年の『グローリー・デイズ 旅立ちの日』でもヒロインを演じていた。
ブランク役はヒップホップ・グループ「ソルト・ン・ペパ」の「ペパ」ことサンドラ・デントン。
ウォルターをジム・ターナー、ドハーティーをロバート・ヴォーン、アルベルトをドン・ホー、ウラジミールをシーク・マーマッド=ベイ、ジーザスをジム・スターリング、スミスをデヴィッド・ハドルストンが演じている。

この映画で最も注目すべきポイントは、CGアニメーションをクリス・ウェッジが担当し、「Computer Animation Produced by」として「Blue Sky Productions, Inc.」がクレジットされていることだろう。
Blue Sky Productionsは、現在のBlue Sky Studios。
そして会社の共同設立者であるクリス・ウェッジは1998年に『Bunny』でアカデミー賞の短編アニメーション賞を受賞し、2002年に『アイス・エイジ』で長編監督デビューすることになる。

「田舎から出て来たばかりの純朴な青年が無一文になってしまい、ボロアパートで暮らし始める」「青年が女性に一目惚れし、何とか彼女に仲良くなろうとして奮闘する」「立ち退き問題が持ち上がっており、青年が阻止するために奮闘する」といった要素を持つ物語である。
これをミュージカルとして描いているのだが、それだけなら「明るく楽しく爽やかなミュージカル・コメディー」になったかもしれない。
しかし他のミュージカル映画と決定的に違うことがある。
それは「ゴキブリが歌って踊る」ということである。

しかも、このゴキブリってのが一匹や二匹のレベルではない。大量の群れとして登場し、所狭しと動き回る。
ゴキブリが好きな人は決して多くないだろうから、そんな虫をメインに据えて大量に登場させるだけでも、なかなかの挑戦的な作品だ。
しかも、MTVで放送された短編は2分だが、こちらは80分もある上に、映画館の大画面でゴキブリの群れが動き回る。
それでも可愛くポップなキャラクターデザインで描かれていたら受け入れやすくなるけど、思い切りリアルなゴキブリだからね。

映画が始まると、すぐに1匹のゴキブリが登場する。そのゴキブリが空を飛んでアパートへ向かう様子を映し出しながら、オープニング・クレジットが処理される。
本編に入ると、ジョーがグロトウスキー夫人の部屋に入った途端にゴキブリたちが住んでいることを見せている。まだジョーは気付いていないが、観客には最初から「そこにゴキブリたちが住んでいる」と分かる形で描いている。
そりゃあ、この映画を見る人の大半は最初から分かっているだろうけど、それにしても淡白なのね。
「ただのオンボロな部屋だと思ったら、実はゴキブリたちの住処になっていました」という見せ方はしないのね。

それだけでなく、「ジョーが大量のゴキブリを見てビックリ」という展開も無い。何しろ彼は今までゴキブリを見たことが無いし、初めて見ても平然としている。
だが、そのくせゴキブリたちがウラジミールとジーザスを追い払った時は、ジョーが怯えているんだよね。
それは「人間の言葉を話すから」ってことなのかもしれないけど、ジョーの動かし方が下手。
そこは「ゴキブリの群れに怯える」「喋ることにも驚く」という風に重ねた方が絶対に得策だ。そして「最初は怯えるけど仲良くなっていく」という流れを作った方がいい。

あと、ゴキブリが喋ると知った翌朝にジョーが殺そうとするのも、ゴキブリたちを拒絶するのも、整合性が取れていないだろ。
そこで始末しようとしたり、荒っぽく拒絶したりするなら、なんで最初にゴキブリを見た時は平然と受け入れていたんだよ。
ゴキブリたちを見ても拒絶しなかった奴が、話しかけられた途端に拒絶するってのはキャラの動かし方として間違っているとしか思えないわ。
ジョーをどういうキャラとして描きたいのか、まるて定まっていないようにしか感じないわ。

ウォルターはジョーに会った時、アパートは家賃が据え置かれているから空きが無いと言っている。ところがアルベルトはドハーティーに会う時、残る住人の内の1人を始末したと報告している。つまり、もう住人はジョーしか残っていないわけだ。
それはウォルターの説明と大きく食い違うぞ。空きが無いどころか、空きだらけじゃないか。
そもそも、アルベルトはアパートから住人を追い出したいはずなのに、家賃を安価で据え置きにしているのは辻褄が合わない。住人を追い出したいのなら、家賃を上げればいいだろ。
っていうか、なぜアパートを潰すのに住人を始末しなきゃいかんのか。大家なんだから、「アパートは取り壊す」と勝手に決めればいいんじゃないのか。
そこは設定と内容がデタラメすぎるだろ。

リリーはブランクに、「電話を待たせるだけじゃなくて、何か行動すべきだと思うの」と言っている。
この台詞だと、リリーが真剣に仕事と向き合い、困っている市民の力になりたいと思っているように感じられる。
しかしジョーから電話があった時、彼女は適当に応対している。休憩時間に入ると、さっさと花の水やりに行ってしまう。
そんな行動を取っておいて「何かすべきだと思うの」と言われても、発言と行動が矛盾しているとしか思えんぞ。

ジョーとゴキブリの関係を描く部分がメインになるべきだろうに、そこから離れている時間が長い。つまり、ゴキブリがいなくても成立してしまう部分が長いってことだ。
何よりもゴキブリの存在を最優先に考えて話を作るべきなのに、ゴキブリが後回しみたいな形になっているのよね。ジョーとリリーのロマンスも、アパート取り壊しの問題も、ゴキブリの関与が弱い。
そもそも「ゴキブリのミュージカル」というアイデアに対して用意したシナリオが間違っていて、根幹から変えた方がいいとは思うのよ。
ただ、それはひとまず置いておくとして、ともかく「ゴキブリファースト」の考えが徹底されていないってのは大きな問題だ。

終盤、ジョーはリリーとのデートを台無しにしたゴキブリたちに激怒し、『ランボー』のパロディーで皆殺しにしようとする。しかしゴキブリたちは『ガリバー旅行記』のパロディーで逆襲し、ジョーを始末しようとする。
もう物語も佳境に入っているんだから、立ち退き問題も恋愛も協力しなきゃいけないだろうに、そこに来て殺し合いになるのだ。
最終的にはゴキブリが市民公園を復活させて刑務所の建設計画は無くなるが、これもジョーが気絶している間に済ませているし。
つまり、「ジョーとゴキブリたちが協力して何かを成し遂げる」という、この映画が絶対に目指すべき場所が最初から設定されていないのよね。
それは明らかに失敗だわ。

ゴキブリによるミュージカルシーンが大きな売りになっていると思うが、ここに何の魅力も無いってのも痛い。歌声は加工されているので、「意外に美声」ってのは無い。ダンスの方も、所詮はCG製のゴキブリなので面白味は無い。
これが擬人化した動物だったら、ダンスとしての動きで観客を引き込むようなアニメーションを作れたかもしれない。でもリアルなゴキブリだと、踊らせても手足の動きが小さいし、それを見ていても楽しい気分にならない。
あと、どのゴキブリも全く同じ見た目だから、個性は皆無に等しいし。
もっと致命的な問題として、「ミュージカルシーンがメインじゃなくて、別に無くてもいい添え物になっている」ってことがあるし。

(観賞日:2020年9月25日)

 

*ポンコツ映画愛護協会